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第89話 「54日目8時20分」

20180420公開


「無責任ですか? どういう点で僕が無責任と言われるのでしょう?」


 山本氏けんじゃの声は相変わらず冷静だ。感情的にならず、事務的とさえ思える。

 俺が対応するとしても同じ様な声になるだろうが、俺ならもう少し低音を増やす事で声に深みを出して、聴衆の信頼感を得る様に心掛けるな。

 まあ、この辺は仕事の必要性から技能を磨いた俺との経験の差と言うか場馴れの問題だし、山本氏けんじゃの発声でも十分に合格点だ。


「日本に帰れる方法を考えろって言ってるんや! 最初から諦めるんが無責任と言っているんや!」


 近藤さんにしては、良い点を突いたと言える。

 俺たちはもう2カ月近く過ごして、生き残る事に関してはそれなりの成果を出している。

 ある意味、自分達が成し遂げた事にちょっとした誇りを持っていると言って良い。


 その様な俺たちに対して、第4次召喚被災者はこちらに来てまだ3日目だ。日本の記憶が濃い。

 当然だが今すぐにでも日本に帰りたいに決まっている。

 ホームシックにさせる事で、ここでの生活が他の被災者よりも恵まれているだろう点を打ち消した。

 近藤さん本人が自覚しているかどうかは別として、第4次召喚被災者の心に波紋を拡げさせる事には成功した。

 最初よりも心が揺れている人間の数が増えている。それは表情にも気配にも表れた。

 だが、ここで揺れる人間に対してはそれほど心配する必要は無い。召喚されて間もない段階で不安が無い人間なんて居ないからだ。だが一応記憶はしておこう。


 あ、俺はそんなに不安に思わなかったな。脳筋だから仕方ないのだろう。

  

「人間を一瞬でどことも知れない惑星に送れる能力なんて人類には有りませんよ。現代科学でも不可能な事を僕個人に求められてもねえ。むしろ、どうすれば生き残れるかに力を入れるべきです。それが現実的で、なおかつ子供に対しても責任を負うと言う事では無いですか?」

「なに逃げてんねん! それを無責任やと言ってんねん!」


 最初に目星を付けた数人が近くの人間に何かをささやいている。

 囁かれた人間の反応を脳裏に刻む。

 その中の1人、俺の気配察知と視線での判定で最初から真っ黒だった中年男性が立ち上がった。

 にこやかな表情だが、真っ黒判定なだけ有って、うさん臭く感じる。


「まあまあ。お二人ともどうか冷静になって下さい。我々はお世話になっている立場なので偉そうな事は言えませんが、やはり地球に帰りたいというのが本音です。そこで、どうでしょう、生活基盤を整える一方で地球に帰れる方法を探すと言うのは?」


 うわー、玉虫色としか言えん。

 一見、仲裁案の様に聞こえるが、実際には解決する気が無いのと一緒だ。

 ここで発言する事で主導権は無理でもそれなりの発言権を得ておく積りだろう。

 

「失礼ですが、お名前を。そう言えば自己紹介をしていませんでしたね。僕は新堺の副代表をしている山本邦夫と言います」


 実は、こちらに来て1カ月を過ぎたくらいの頃に、新堺の代表と副代表を決めていた。

 わざわざ決めなくても良いと言えば良かったのだが、『しかのうら』やヤマさんたちだけでなく他の集落との交流が始まると同時に、対外的な理由で決めておく方が良い事に気付いたので、なし崩し的に決めた経緯が有った。

 ちなみに代表は俺だ。

 出来れば黒田氏に譲りたかったが(押し付けたがったが、とも言う)、その場に居た全員に推されたので仕方なく引き受けた。

 まあ、俺が代表をした方が『しかのうら』に対する影響力が大きいという理由が有るから仕方が無いと言えば仕方が無かった。


「大学で社会思想史を教えている前川卓郎と言います」

「前川教授、でよろしいですか?」

「ええ。まあ教えている大学名は敢えて伏せますが」


 そう言った時の前川教授の表情に何故かイラっとした。ポメラニアン顔なのに。

 まあ、尊大さが表情に現れたのだろう。気配もそうだったし。


「分かりました。それでは前川教授には、地球に帰れる方法を探して貰う事をお願いしても良いですか?」

「え? いや、私の専攻は先ほども言った通り、社会思想史でして、物理に関しては専門外なんですが?」

「僕も文系の人間ですよ。条件は一緒です。大学の現役教授をされている程ですし、見識も深いものが有る筈です。人材はお任せしますから、必要と思われた方にはどんどん声を掛けて頂いて構いません。よろしくお願いします」


 そう言って、山本氏けんじゃは頭を下げた。

 俺も一緒に頭を下げておく。 

 山本氏けんじゃもエグイな。

 わざと反体制派を作る素地を与えた。

 裏で動かれるよりも、表立った行動になる様に仕向けたという訳だ。

 前川教授は反体制運動のカバーとして使えると思うだろうな。俺の気配察知能力を知らないだろうし。

 いや、知っていたとしても正当な名目が出来た訳だから、気にしないかもしれない。

 自身の派閥を作る口実を与えられたと感じている気配がするし、罠だと思っていないと考えて間違いなさそうだ。

 これで近藤さんも引き入れれば完璧だ。

 近藤さんも今まで1人を除いて話を聞いて貰えなかったから、あっさりと仲間入りする可能性も出て来る。

 まあ、どっちでも構わないが・・・



「そういう事ですから、近藤さんもよろしいですか?」

「他人に任せただけやろ! 無責任は変わらんちゅうねん!」

「あくまでも無責任とおしゃいますか? では、お訊きしますが、近藤さんはみんながしている作業を手伝われた事が有りますか?」

「ウチは2級の障害者や。働ける筈無いやろ!」

「そうでしたか。でも、それは日本での話ですよね? 召喚された際に、病気や障害は全て治っている筈ですが?」

「しらんがな。実際に働かれへんねんから、いちゃもんを付けんな!」

「いや、ごまかそうとしないで下さいよ。僕は毎日1回は目の眼圧を下げる薬を点眼しないと失明する危険性が有りましたが、この身体になってからは1度も点眼していません。その他にも召喚される1か月前に肝硬変を患ったので、抗ウィルス薬も飲まないと命に係わる状態でしたが、これも飲んでいません」


 日本に居る当時は知らなかったが、近藤さんには公然の秘密と言うのが有ったそうだ。

 それは生活保護を詐欺まがいの方法で手にしているというものだった。

 それをこちらに来てから知った時の怒りはかなり大きかった。

 確かに、生活保護を受けなければならない人と言うのは悲しいが存在している。

 俺には、闘病生活が長引いて、勤めていた会社を辞めざるを得なくなり、病気の後遺症も有って再就職も上手く行かずに働きたくても働けなくなった知人が居た。長引く収入が無い生活で貯金も無くなり、苦渋の決断で生活保護の申請をしたそうだ。

 彼は障害を背負う前と背負った後では性格も変わってしまっていた。明るかった性格が影を潜めてしまったのだ。偶然出会って喫茶店に誘ったが、不正受給の報道が出る度に眠れない夜を過ごすと言っていた。

 偶々、紹介出来るお得意先が有ったので、仕事としてではなく個人として紹介して正社員として雇って貰った。

 何度も何度も俺に頭を下げる姿に、掛ける言葉が出なかった。

 優しく肩を叩き、何度も頷く事しか出来なかった。

 だから、働けるのに働かずに生活保護を受ける人間に対して、思う所が有ったから尚更だった。



「ごちゃごちゃうるさいんや! もう勝手にすればええ!」


 そう言って、近藤さんはみんなを押しのける様に広場から去って行った。

 その背中をオロオロとしながら付いて行く太陽たいよう君の姿が印象的だった。 



 

 そして、その背中を見送る前川教授の視線は打算にまみれていた。



お読み頂き、誠に有難う御座います。

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