第115話 「142日目15時35分」-11月2日 木曜日-
20180727公開
急ぎの知らせを携えて、志賀之浦から威射彦が新和泉村にやって来た。
内容は、草原犬の群れと、闇森の森林猿人が新堺にちょっかいを掛けたというものだ。
そう、ちょっかい、だ。
一昨日、新堺に行った時に感じた森林猿人の視線はかなりの数だった。
少なくとも100は超えていた。さすがにその全てに襲われれば、全滅はしなくても人的損害無しで済んだ筈も無い。
威射彦たち志賀之浦の狩人が新堺に残る足跡や痕跡などを確認した限り、森林猿人の襲来の前に草原犬の群れが新堺を襲ったらしい。
20頭にも満たない草原犬の群れらしいが、それでも天田大先生率いる新堺の住人はビビった様だ。
その証拠に、草原犬の死体はおろか、争った形跡や血痕も残されていなかったらしい。多分、屋内に閉じ籠って難を逃れたのだろう。
草原犬が引き上げた後に森林猿人20頭余りが新堺を襲った様だ。
まあ、森林猿人の足跡が全て草原犬の足跡の上に被さっていれば、その憶測も簡単に引き出せる。
草原犬の襲撃のせいで屋内に居たおかげも有り、こちらでも人的被害は出なかった様だ。引っ掻き傷1つ負わなかったそうだ。
なんというか、2度も襲われながらも無傷と言うのは、ある意味彼ららしい気がする。
人的被害は皆無だったが、物的被害は発生していた。倉庫が破られていたのだ。
足跡を見れば襲撃の目的は明らかだったらしい。それによると、森林猿人の狙いは最初からその倉庫だった事も分かった。
おかげで知りたくも無い胸糞の悪い事実が発覚していた。
さて、問題は天田大先生率いる新堺の住人が、2度の襲撃後に逃げ込んだ志賀之浦から退去しない事だ。
何かを要求しているらしいのだが、志賀之浦側の要求には言葉が分からないフリをして新堺に戻らないらしい。
いや、言葉が分からなくても、仕草や雰囲気から追い出されようとしている事など分かる筈だ。空気を読む事に掛けては人類最高峰と言っていい日本人なんだからな。
もちろん、志賀之浦の長がその気になれば、強制的に排除する事は簡単だ。狩人だけでも新堺の住人の2倍以上は軽く居るからな。
志賀之浦の長も、本心ではそうしたいだろう。
一昨日の夜に話した時に、見捨てて構わないとは伝えておいたが、いざ実行する段になってやはり俺の意向を再度確認するべきだという判断になったそうだ。
まあ、その配慮も仕方無いと言える。
なんだかんだ言いながらも、黒ポメは他人に優しいからな。
疲れている威射彦はこのまま新和泉村に残って貰って、いつものコンビ、山本氏と黒田氏の3人で志賀之浦に向かう事にした。
大野警部補と財前司令も同行を希望したが、迷った末に断った。
なんせ2人を連れて行くと天田大先生が『公僕の義務』という点を突いて来る事は確実だからだ。
自衛官と警官という立場を考えれば立ち会って貰った方が良いのだが、その立場故に『公僕の義務』を言われると切り捨て難いだろう。
わざわざ2人を辛い立場に立たせる必要も無い。
志賀之浦に着いたのは、4時半頃だった。
狩りをする時並みに気配を消して志賀之浦の中心に向かう。
天田大先生と愉快な仲間たちは、集会所前の広場で黒ポメの狩人にぐるりと囲まれていた。
そんな状況にもかかわらず、大きな声で文句を言っているあたり、さすがだなと思ったのは内緒だ。
まあ、言っている内容は下らないものだ。
曰く、災難に見舞われた我々に昼食も出さないのは、人道上大問題である。
曰く、これは難民虐待に当たる。
曰く、人間なら困っている隣人には救いの手を差し伸べるべきだ。
曰く、我々は健康で文化的な最低限度の生活を憲法で保証されている。
曰く、こんな扱いをするお前たちは文明というものが分かっていない。
曰く、金なら出すから新堺の安全を確保しろ・・・・・ 以下略だ。
山本氏も黒田氏も、梅干しと酢を同時に口にした様な表情をしていた。まあ、黒田氏は鷹頭なので分かり難いが、多分間違っていない。
沢田來未君が居たら、辛辣な言葉を口にしただろう。
3人同時に溜息が出た。
志賀之浦の長が、困惑を通り越して、悟りを開く一歩手前の表情を浮かべていたが、俺たちの溜息に気付いた瞬間に喜色満面になった。
うん、あれは救世主を見付けた時の顔だ。
長の視線を辿って、俺たちに気付いた黒ポメが道を開けてくれた。
それにつられて天田大先生率いる愉快な仲間たちも俺たちに気付いた。
うん、あれは次の生贄を発見した時の顔だ。
「いい所に来た。早くこいつらに通訳してくれ。すぐに飯を食わせろ、と」
天田大先生の有難いお言葉だが無視をする。
俺は志賀之浦の長に返事をしに来たのだ。
『こいつらを助ける義務も無いし、好きにして良い』と。
言葉を完全には分かっていなかっただろうが、それでも意味は伝わったのだろう。天田大先生が大声で叫んだ。
「見捨てる積りか!? 同じ日本人を!?」
その声が切っ掛けとなり、愉快な仲間たちが一斉に罵倒を始めた。
まあ、どうでもいい内容だが、楓と水木には聞かせたくないレベルだ。
特に水木には聞かせたくないな。
「3カ月近く、苦難に耐えてやっと同胞に巡り合った被災者を見捨てたのは誰だ?」
そう言った俺の声はかなり小さかっただろう。
だが、殺気と共に放たれた言葉は、後で聞いたが、広場に居た黒ポメ全員に聞こえたらしい。
俺が発した『呪いの言葉』として後世に伝わったのだから、よほど印象に残ったのだろう。
「人道上? 難民虐待? 救いの手? 自分自身は他者を救う気も無いのに、他人には強要するのか?」
これまで、ここまでの殺気を人間に向けて放った事は無い。
このレベルの殺気を向けたのはクマモドキやサルモドキ相手くらいだ。
「健康で文化的な最低限度の生活を憲法で保証されている? それは日本に還ってから言え。ここは日本では無い事も分からんのか?」
一瞬、口を鯉の様にパクパクとさせた天田大先生だったが、反論するポイントを見付けたのか、大きな声を上げた。
「憲法を守る気も無いなんて、法律を守る気が無いんだな! この独裁者め!」
独裁者と決め付けると俺がダメージを負うと思っているのか?
うーん、この思考回路はよく分からん。
「詐欺を働こうとしていた人間が何を言っている? いつ、新和泉村で造った前進基地が新堺の所有物になった? 他人の物を自分の物と詐称して利益を得る行為は詐欺そのものだがな」
「あれは冗談だ! 冗談も分からんのか!」
お前は子供か?
「どうやら、君達とは信頼関係を築けない様だ。そうそう、食物庫がサルモドキに破られていたそうだが、中には大量のドライソーセージが貯蔵されていた痕跡が有った様だな。新和泉村に引っ越して来た子供が新堺に居た最後の頃にはお肉が出ていなかったと言っていたが、どういう事なんだろうな。どうせ、みんなが居なくなってから自分達だけで食べる気だったんだろ? まさに独裁者が取りそうな行動だな」
俺は、今日もお肉が食べられると言って喜んでいた昴君の顔を思い出していた。
またもや、口をパクパクとさせている天田大先生だが、反論する前に志賀之浦の長に最終判断を伝えた。
俺自身は日本語で喋って、通訳は山本氏に任せた。
新和泉村は新堺と今後交流する事は一切無い
もし新堺と交流を再開するとすれば、現在の首脳陣が全て退陣した後
志賀之浦の長も同じ方針を表明した。
翌日、『天田大先生率いる愉快な仲間たち』は、『志賀之浦の分村「新堺」村人見習い、天田昇一以下22人』になった。
お読み頂き、誠に有り難うございます。
念の為に書いておきますが、『新堺』のふりがなは誤植ではありません。
「あたらし(い)さかい」と思われるかもしれませんが、昔は「あらたしい」を使っていました。その証拠に「あらたな」と言いますよね。まあ、どうでもいい事ですけどね(^^)