第二章1 『後日談』
――知らない天井だ。
俺の体はどうやらどこかのベッドの上にあるらしい。白をベースとした天井やレースのカーテンは、現実で言う病院のそれとよく似ていた。体は動きそうにない。瞬きや目を動かすので精いっぱいだ。だが、一つだけはっきりと実感できたことは――。
「また、生き残っちまったんだな」
と言うことだけだった。
不意に声が零れたが、その声は、かぼそくて今にも朽ち果ててしまいそうだ。そのすぐ後である。俺の耳元で声が聞こえたのは。
「目……、覚めたんだね……」
レースのカーテンから顔をのぞかせたその少女の瞳には、大粒の涙が溢れていた。俺はその顔を見て、
「また、生き残っちまったんだな。今度は二人一緒に」
瞳に涙を溜め込んだ――。
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俺はどうやら相当の時間を眠りに費やしてしまったようだ。
後から聞いた話だが、事件は、俺たちの後に飛び入りで参加したラッシーによって、フォート逮捕という形で幕を下ろしたらしい。事件後、俺とセフィアはラッシーに担がれて魔法病棟に運ばれた。外傷がそこまでひどくなかった俺と、外傷こそひどすぎたセフィアだったが、不思議なことに、俺よりも先にセフィアが目を覚ました。俺が今こうして目を覚ましたのは、セフィアが目を覚まし、傷が完全に回復してしばらく経ってからのようだ。
学校は、事件の影響もあって少しのあいだ閉鎖されていたようだが、つい最近になって再開したらしい。
そして今の俺があるのだが、まだ体の自由もきかないようじゃ、この先どうなるのやら全く予想もつかないし目標もつかめない。この世界にやってきた当初の目的である「セフィア(ユキ)の奪還」かつ「事件の阻止」は話を聞く限りだとうまくいったようだが。いや、そもそも俺がこっちの世界にやってきた理由は――。理由なんてなかったはずだ。俺には理由も、目的すらなかったはずだ。俺はとんでもないことを忘れていた。俺の今の状況は、「よくわからない異世界に閉じ込められた一人ぼっちの男」と言うだけじゃないか。事件がうまく解決できたと思って浮かれていたけれど、実際は何も前進してなんかいない。俺はこの世界に閉じ込められたままだ――。
思い出したことと、今の自分の置かれた状況を見直して、とりあえず俺は療養にはげむことにした。そういえば、ザークはまだ目覚めていない。彼はまだ、あの灰色の街にいるのだろうか。あの町で見た、しゃがみこんで涙を流していた少年は彼だったのだろうか。あの時に聞こえてきた声は何だったのだろうか。俺はまだ知らないことばかりな気がする。あの何とも言えない空気、感覚は、俺にも似たようなものがあった気がするが、それとは違うもののようにも思えたが――。やはり俺は、もう一人の俺である彼のことすらしっかりとわかっていないのだろう。
少しの時が流れ、俺はようやく体のほとんどを動かせる程にまで回復した。
見舞いに来る人たちも、多いとまでは言わないが少ないわけでもないくらい訪れてくれた。
「おうザーク! 元気か?」
見ればわかるだろう、元気ならこんなところで寝ているわけがない。
見舞いに訪れたラッシーは、見慣れないひっかき傷を顔につけながら、相変わらずの大声で俺に声をかけてきた。心配さゆえの慰めかはわからないが、彼の大声がこの気だるい体に響いて見舞いとは正反対の結果をもたらしていることにラッシーは気づいていなかった。
★
「おやおや、私がかまう必要もなく自ら朽ち果てましたかッ!!」
そこに響いたのは、あの忌々しい男、フォート・セルウィンの声だった。激しい光が一瞬、俺とセフィアの体を包み込み、その光が消え去った後、ラッシーとフォートは激しく衝突していた。片腕を亡くし、残された腕もまたいびつな形に変形していたフォートではあったが、やつもまたしぶとい男であったため、ラッシーとは互角以上にわたりあっていた。
「くぅ……、貴様なかなかやりおるわい」
「あなたもですよゴミムシさん。たかだか犬風情が、傷ついているとはいえこの私と互角にわたりあうなんてね」
人として生きていけるのか不思議な状態のフォートなのにもかかわらず、やつの魔力は尽きる気配を見せない。魔法とはいささか不思議なもので、人の精神や信念によって、魔力は何十倍にも、何百倍にも増大するものではある。しかし、やつにとっての信念とは、執念とはいったい何なのであろうか。これほど傷ついてもなお立ち上がれるほどの執念とはいったい何なのだろうか。少なくともそれは、常人をもはるかに超越したものであるのは間違いないだろう。
「私もそろそろ限界を越えなければ危うそうですね……」
「なんやと!?」
フォートは自らの、全ての魔力を解き放った。そして、再びやつの姿を目にしたとき、そこにはボロボロに朽ち果てた男の姿はなく、半身が魔物と化した人外の姿があった。
互角に見えていた戦況は、フォートの変身によって大きく揺らぐ。
「死を持って償いなさい。私のこの姿を目にして生きて帰ったものは今のところ一人もいないのだから」
「なんや、よくある脅し文句やないか」
ラッシーは平然とした物言いだ。しかしその考えは、その油断は実に浅はかなものとなるのであった。
先ほどと同じように、バトルアックスをフォートの胴体めがけて振り下ろすラッシー。しかしやつは傷一つ受けてはいない。それどころか、そのバトルアックスを胴体で受け止め、ラッシーの身動きを封じてみせた。
「ク……、口だけやないみたいやな……」
「セカンドステージの相手になるのは彼かと思っていましたが、まぁよいでしょう。これが終わり次第、彼もまた私の手でじっくりといたぶり殺すつもりですから」
バトルアックスごと引きずり込まれたラッシーは、魔人フォートのかぎ爪によって弾き飛ばされた。顔面から今の攻撃でついたひっかき傷による出血が。バトルアックスはそのまま奪われてしまい、もはや絶体絶命のピンチに陥っていた。
「おやおや、もう降参ですかぁ?」
「まだや……。まだとっておきが残っとるわい」
流血で赤く染まった表情は、どこか笑っているように見えた。
ラッシーは胸元に手を当てると、突然――、
ラッシーは、巨大な犬の魔獣へと姿を変えた。
「グルルルルルルル……」
「これは……、この姿はフェンリルか? ならきさまはまさか獣神の……?」
ラッシーは理性を失っているかの如く、人の言葉を口にすることはなかった。
「そうですか……。これは珍しいものと遭遇しました。ふ、おもしろい。あなたをゴミムシ呼ばわりしたこと、今ここで謝罪申し上げます」
突然の手のひら返しのような発言。フォートはラッシーの姿に動揺しているようだ。しかし、その同様とは裏腹に、やつの表情は笑顔だった。
「ですがその命、私がもらい受けるとしますか。あぁ、何ともめでたきことかな。あなたほどの器を、魂をあの方たちに献上できるなんて……」
フォートが何かを話していた、が、ラッシーはそんなことお構いなしにフォートに飛びかかる。フォートもそれを軽々とかわすが、ラッシーの野生的な重圧感と素早さ、力に押され、あっさりと捕らわれた。
「あぁ、嬉しきことかな。わが身をもってしても届かぬ神の器、それがもうじき我が物に……」
まるで死をものともせぬような言い草は、やはりフォートが狂人であるからだろうか。
ラッシーはフォートの腕を食いちぎり、胴体を引き裂いた。フォートはすでに、元の姿に戻っていた。が、ラッシーもちょうどそんなところで元の姿に戻ってしまった。
「意識がなくなるのは、やっぱりいややなぁ」
「私を……殺さないのですか……?」
フォートはすでに風前の灯火だ。意識を保つだけでも精いっぱいのフォートであり、ラッシーの軽い一撃でも命を落としそうであったが、ラッシーは命を奪うことはしなかった。
「なぜ……、私を殺さない……?」
「お前なんかのために、ワイが命を背負うのはごめんや。お前のような奴は殺す価値もあらへん」
「フフフ……それは残念です……」
フォートの表情は少し、残念そうだった。
★★
「という感じで、その後王国騎士たちによって奴は連れていかれたはずや。そんでワイはザークとセフィアの嬢ちゃんをここまで運んできたっちゅうわけや」
ラッシーは誇らしげにこれまでの経緯を語っていた。正直な気持ち、半分以上盛っているような気もしたが、そこはあえて言及しない方向へと話しを進めた。
他にも、救った人やお世話になった人、家族や兄弟まで様々な人が俺のもとに来てくれた。俺としては、こちらの世界でのザークが、これほどたくさんの人たちから愛され、大切にされていることを感じ取れて、とてつもなく嬉しい気持ちになった。
そして数日が経ち、ザークがようやく目を覚ましたころ、俺は退院した。