6.手を引く君に甘えて
目を開けると、そこには心配そうにこちらを見るフレアがいた。
珍しい。こんな顔も出来るのだと、思わず手を伸ばした。
「こら、いきなりなにすんの」
「珍しい表情が可愛くて」
「貶しているのか、褒めているのか分からないわね」
「もちろん褒めてる」
ポッとフレアが頬を染めた。
気まずいのか、すぐにそらされてしまった視線は、とても惜しくもある。
「まったく……。朝から甘過ぎるのよ」
「甘いのは嫌い?」
「嫌いよ。私は苦い物が好きなんだから」
「へぇ。女性はみんな甘いモノ好きかと思ってたけど」
「それは大体があってるけど、私には当てはまらないわ」
「ふうん。覚えとく」
「別に忘れても怒らないわ」
「そこは怒るとこだろ? まあ、絶対忘れないけど」
エックハルトはフレアの口角が緩く上がったのを見逃さなかった。
たまにはこういうのも悪くない。
「今日は良い日だな」
「扉に頭ぶつけておいて、それはないんじゃないの」
大丈夫か、コイツ。とばかりに、胡乱な視線を向けてくるフレアに、同調する気分にはならなかった。だって、自分にとって良い事ばかり起こったのだから。
ご機嫌で立ち上がって、ソファーに置きっぱなしの荷物を取った。
ついでに喉が少し渇いた気がしたので、ベッド脇のサイドテーブルへと向かう。水差しには丁度コップ一杯分の水が残っていた。やっぱり今日は運がいい。
「朝食はどうする?」
口の中を湿らせて、フレアに視線を向ける。
扉の前で腕を組んでいる彼女。しかしその表情は、何か考え込むように難しい顔をしていた。
「……市場か宿か迷ってる?」
「あのね。どれだけ私は食い意地が張ってるの?」
「じゃあ、どうしたの」
「お腹減ってないんだよね、今」
昨日食べ過ぎたのかと言えば、間違いなく張り手が飛んで来そうなので控えておいた。
エックハルトは「そうか」と頷き、コップをサイドテーブルに戻す。
と、そこにはメモが置かれていた。
乱暴に書き殴った、意味のわからない単語の羅列。
これは……自分の文字?
一瞬で、夢を見た事を思い出した。
「フレア! 食事は後でいいんだよな!?」
「え? まあ、おなか減ってないしね。……どうしたの?」
「ちょっと、気になる事があって」
「気になる事?」
聞き返してきたフレアに説明をしかけて、エックハルトは言葉に詰まった。くしゃりと、手の中のメモが潰れる。
いくら夢に見たからといって、それを心配するなんておかしいと思われるだろうか。しかし、捨て置くには心が引っ掛かる。
リスクと焦燥感。両方が心を占めて、言葉がうまく出て来ない。
「?? 結局何なの??」
「いや、その」
「はっきりしないわね」
「えっと、説明するには信憑性にかけるというか、なんというか」
「は??」
呆れかえったフレアの視線に、エックハルトは爆発した。
くしゃけたメモを突き出して叫ぶ。
「だから夢!! 夢が気になるんだよ!! でも、夢だろ!? 気にする必要もないかもって、思うんだけど、無視して良いのかわかんないんだよ!!」
言い切って、後悔した。
これじゃあ、ただの八つ当たりだ。
案の定、フレアは溜息をついた。
エックハルトからメモを奪い取ると、さっと目を通し、それをサイドテーブルに戻した。
「で。どうしたいの」
「どうしたいかわからないから、困っているんじゃないか」
情けない言い訳に彼女は首を振った。
「違うわよ。アナタが困っているのは、どうしたいか分からないからじゃない。その後に続く結果から逃げる方法がわからないから困っているのよ」
「…………!」
息が詰まった気がした。
「気がついた?」と、何でもないような事のように言う彼女。たしかにそうだ。
夢を信じて行動して、ヘンな奴だと思われるのが怖い。
夢を夢だと切り捨てて、望まぬ結果を突き付けられる事が怖い。
その両方から逃げる術が見つからないから困っている。
ハッキリと言葉にされて、ストンと腑に落ちた。
「アナタのいい所は素直で、真面目なところ。だからすごく迷うのよね」
「……今回は逃げるための迷いなのに?」
「逃げる事の基本は自分を守るためでしょ? それを全否定するつもりはないわ」
でも。と、フレアは続ける。
「逃げるだけでは、決して望むものは手に入らない。いつかは踵を返して、向き合わなきゃ」
彼女が手を伸ばしてきた。
それは自分をハンセルへと導こうとした時と同じ。あの日のように、本音を引っ張り出そうとしてくれている。
「……俺は、君に甘えてばかりだ」
「今はアナタの専属だから、いいんじゃない?」
たしかにこの旅の間はフレアを独占している。
――できればこの先も、ずっと。
さすがにそれは言えなくて。エックハルトは彼女の手を握り、メモをポケットにねじ込む。
「今からハンセル女男爵の屋敷に行く」
「……母様と、呼んでも良いんじゃない?」
ちょっとご機嫌が斜めになりかけたフレアに、こちらは本音を伝える。
「いつか、呼べたらと思うよ」
でも今は。
「――まだ、母様の自慢の息子かわからないから」
ささやかな望みだった。
抱きしめて欲しい。愛してほしい。
そういったモノが欲しいのではなくて、ただ、自分の存在が誇り高い母様の一部であったならと。この先、親子として暮らす事がなかったとしても、たとえ、このまま誰も自分を必要としてくれなくとも。いじけることなく、堂々と胸を張って生きてゆける、その自信がほしかった。
「まったく。何言ってんだか」
「幼いころに別れたっきりなんだ。褒めてもらいたいのは当然だろ?」
「あれだけ大切にされていて、まだ欲しいなんて欲張りね」
『大切にされていて』とは何の事だと思いつつも、「これでも結構苦労の連続だったんだぞ?」と言えば、フレアは「はいはい。じゃあ、まずは出発と行きましょうか」と取り合ってくれない。
それは、全く以てそっけない言い方で。エックハルトはがっかりだと息をつく。
しかし、その視線は自分の手に向かい、緩く口角を上げた。
フレアがドアノブに手を伸ばす。
その反対側の手は――……。もちろん、しっかりと繋がれたままで。
◇◆
屋敷に近づくと空気が変わった。
街から少し離れたところに建てられたハンセル家の屋敷。近くは森ばかりで、澄んだ空気と閑静な雰囲気がいかにも地方貴族らしい。
だが、その静けさの中に、重苦しい何かが漂っている。
息の詰まる沈黙という表現が最も近い異様な雰囲気は、何かよからぬ事が起きそうな気配がした。
エックハルトはフレアを降ろした後、入口から少し離れたところに馬を繋いだ。
その間に訪問理由を考える。突然の訪問という無礼を、二度も女男爵が許してくれるとは思えない。
(いや、迷うな)
何もなければそれでいい。
望むのは女男爵の安全。ひいては、ハンセルの安寧。それだけだ。
エックハルトは覚悟を決めて馬から離れる。すると、屋敷の中から怒声が聞こえた。
「フレア!! ここで待ってろ!」
「ちょっ! 待って!!」
説明をしている暇はない。
勢いのまま扉を蹴破り、腰に佩いた剣を抜く。
目の前には座り込んでいるイノーブ爺。そしてナイフを突き付けられた女男爵。
頭の奥に猛烈な光が放たれ、この景色を見たと訴える。
これは、夢の後半――!?
重なる記憶と景色。急激に増えた情報量に、エックハルトは膝をつきそうになる。
「ハル!!」
その声のおかげで、剣を構えた。
キィンと高い金属音。自身に振りおろされたナイフを弾き飛ばす。
「ちっ! なんなんだ、こいつ!!」
「ここは女男爵とジジイしかいないんじゃなかったのか!!」
突然の闖入者にうろたえるゴロツキ。
奥に四人、左右に二人、合計六人。これならいける!
エックハルトは体勢を立て直し、一気に仕掛ける。まずは目の前の二人をさばき、ナイフを取り出した一人に回し蹴りをお見舞いする。
女男爵にナイフを突き付けていた男には、強めに剣の柄を食らわせ、慌てて剣を振りかぶった一人にそのまま体当たり。勢いよく吹っ飛んだ男は、仲間を一人道連れにして、そのまま床に転がった。
「こいつ、強い!!」
仲間の下敷きになった男がうめくように呟く。
そんなことはない。これぐらいなら、王城騎士の誰でもできる。
エックハルトはその男を確実に落とし振り返る。
と、その時。短い悲鳴が上がった。
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