2.元祖とは故郷にあるもの
「変わらないな、ここは」
馬の手綱を引きながら、エックハルトは周囲を見回す。
想い出ばかりが美しく、意気地のない自分がずっとずっと避けていた場所。
十八年ぶりに踏む故郷の土は温かく、目を閉じて風を受ければ、幼い頃思い込んでいた通りの香り――少し、離れた海の香りがする気がした。
「……人が、随分少ないのね」
遠慮がちに、でもハッキリと言うフレアに、エックハルトは人がいない理由――畑仕事だと説明する。
「この時間は空いていて、いいだろう?」
「まあ、ゆっくりできるわね」
「今のうちに買い物と宿の手配をしよう」
用事を済ませた二人は、少し早めの夕食をとる事にした。
店には徐々にだが人が集まり始めている。農耕が盛んなハンセルでは、街中が賑わうのは早朝と夕暮れ時で、この時間からは仕事を終えた人達が一日の疲れを癒すため、贔屓にする店に集まってくるのだ。
主要の街に卸される前に手に入る農作物が自慢で、鮮度は抜群。
地味だが温か味のある食事が振る舞われると、懐かしさのあまりエックハルトは普段より時間をかけて料理を味わった。フレアもお気に召したようで、ほっこりしているのが見ていてわかる。
「ハンセル料理は気に入った?」
「ええ。派手でどぎつい味よりも、私は好きだわ」
エックハルトは幸せだった。
先程も普通に料理の注文が出来て、一人、密かに打ち震えていたのだが、こうして『好き』と故郷の味を褒めてもらえるのは格別だ。
「そうか。なら明日は食べ歩きとするか。早朝には屋台も出るはずだから」
「へぇ、仕事前の腹ごなしってことかしら」
「そうだよ。早い安いうまいの三拍子そろった店が並ぶのは一見の価値ありだと思う」
楽しい事を考える。
難しい事は少し後ろに下げて、楽しい事だけを。
「……しばらく滞在してもいいかな」
「そうね。悪くないわ」
「観光資源はないところだけど、食べ物は美味いから期待してて」
「ええ。期待してるわ……って!」
食後のブラックコーヒーを飲んでいた彼女が突然こちらを睨んだ。
「貴方、何をのんびりしているのよ! 目的を忘れたの!?」
続けざまに外をチラリと見て、頭を振った。
「今日はもう日が沈むから仕方ないけど、明日にでもすぐ!」
「明日はちょっと無理かな?」
「なんでよ!!」
「約束なしには行けない」
は? と、眉間にしわを寄せるフレアに、「まずは手紙を出して日程を調整するよ」と説明する。
「……子供が親に会いに行くのにそんな手間がかかるの?」
「親子でも今は立場が違うだろう? こういうのはまず手順を踏まないとな」
うんうんと、腕組みして頷いて見せれば、何故かフレアの鋭い視線が刺さった。
「何?」
「貴方……まさかとは思うけど」
――ここに来て、怖気づいている?
目を細めた、じっとりとした眼差し。背中に汗が一筋流れた。
「ま、まさか!」
「そうよねぇ~」
「ほんと、ここまで来て、だぞ!」
「ほんと、ここまできてよねぇ?」
消えない疑いの眼差しに、「そ、そうだとも!!」とエックハルトは答える。
背中を流れる汗はすでに滝のようになっている。……が、それは見えていないはず。
なのにフレアの瞳がもう一段階、細められて。挑戦的に口の端がつり上がる。
「ええ。正論らしい言葉を並べて時間稼ぎなんて、せ・こ・い真似はしないわよね?」
「せ、せこい?」
「ええ」
「かしこーいとかじゃなくて?」
「ええ。せこいわ」
「くっ……。さすがにそれは嫌だ」
認めたわねと、フレアがつぶやく。
「もー! どうしてそんなにうじうじ考えるのよ!」
「考えたくもなるだろう! 十八年ぶりなんだぞ!? 少しぐらい、心を落ち着かせてだなあ!」
「そんなもん道中で終わらせなさいよ!!」
「無理!」
「無理って思うから出来ないだけよ!」
それは強者の言い分だ――。
そう、言い返そうとして口を開いた瞬間。
「――ハルト坊ちゃま!!」
しわがれた声と同時に首が締まった。
「ぐえ」
「え、ええ??」
「お元気ぞうで、なによりでず~」
ずびずびと耳元で聞こえる鼻の音。そして、徐々に足りなくなる空気。
タイムタイム!!
離せよ、まずは!!
危うく白目をむきそうになるところを、フレアに救われて。エックハルトは胸一杯に空気を吸い込んだ。
「すみませんハルト坊ちゃま」
「……その呼び方をするという事は、イノーブ爺か?」
「おおおお! この爺を覚えていらっしゃるのですね!」
「待て待て!! また首が締まるからっ!!」
寸でのところで熱い抱擁をかわしたエックハルトは、手を前に出したまま、言葉を紡ぐ。
「と、とにかく、爺が元気そうでなにより」
「頭の毛根は死にましたがな!!」
「……なんとコメントすれば」
「ははははは!!」
噛み合ってるんだか何だかわからない会話である。
強烈な既視感を覚えながらもエックハルトはイノーブを宥めてみた。……が、しかし、興奮冷めない爺は、その枯れ枝のような腕からは信じられない力を発揮して、座っていたエックハルトを引っ張り立たせた。
「さあ行きますぞ!」
「え、どこに?」
「お食事はすまれたようですから、寝る前にハーブティーをお持ちしますね」
「いや、だから」
「そちらのお嬢様も御遠慮なさらずに」
「何も言ってないわ」
イノーブは、はははっと笑い「爺は一本取られました」とフレアの手を取る。
「さぁ、帰りますぞぉ~」
「イノーブ爺!?」
「明日はご馳走を作らせますから、楽しみにして下され!!」
あっという間に二人は馬車に押し込められ、行き先も告げられないまま、馬が走りだす。
「「…………」」
ガタゴトと揺られながら見える景色は茜色の空。
哀愁を漂わせる夕暮れは何か無力感に似ていて。エックハルトは恐らく向かっているだろう場所――ハンセルの屋敷を想像して溜息をついた。
「いや、だから、心の準備……」
「もう諦めなさい」
話を聞かない執事、イノーブ爺。
そう言えば、この手の人を認識したのは彼が初めてだった事を思い出す。
「どうして俺の周りには……」後半の言葉は慎むも、脳裏ではガハハと笑い声が聞こえていた。
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