1.不機嫌な男
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イライラは、とげとげしていて辛い味。
ムカムカはチクチク酸っぱくて、ニコニコは柔らかくて甘い味。
世の中に広がる想いは、すべてあたしのご馳走。
――さあ。今日は何を食べようかな?
◆◇◆◇◆
『……この夢をバクにあげます』
子供の頃。
恐怖で飛び起きて、それが夢だと分かった時。
声に出して何度唱えただろう。
それが離れて暮らす母様との秘密のおまじないだったからだとか、本当に怖かったからだとか。その時の気持ちはもう覚えていないけれど、不思議と心が落ち着いた事だけは覚えている。
時は緩やかに流れ――……
このおまじないは、自分が騎士見習いとして寮に入る、十ニ歳になるまで続けられた。
悪い夢を見なくなった訳ではない。
ただ単純に、相部屋だった為、口に出していうのが恥ずかしかったからだ。
夢は夢。
すぐに忘れ、どのような出来事が起こったのか思い出せない、些細な事。
そう自身に言い聞かせ、十二年。
エックハルトは自身の眉間に刻み込まれた歳不相応な深い皺と、昔は柔らかい眼元が可愛いとまで評されていた、つり上がった眼を見て。初めて夢を甘く見過ぎていた事実に気がついた。
「――エックハルト様。今日もお顔が怖いですね」
「その挨拶、どう考えても失礼すぎやしないか?」
「覚えていますよ。初めてお仕えする主に緊張していた私めに『思った事は正直に言え』と寛大なご配慮をくださった事を」
しれっと、本心ですと念押ししてくる従者、ロクスをジト目で睨む。
このように睨むつもりで相手を見やれば、『誰かを殺ってきた後』と言われる程、人相が悪くなるらしいが、それを自分で確かめた事はない。
「これでも私はエックハルト様を心配しているのですよ? そんな怖いお顔では女性は寄ってきませんし」
「構わない。今はそれどころじゃないからな」
「そんな見え透いた強がりを」
「見てくれだけで寄って来る女性とは、将来を共に過ごせない」
「まずは寄って来られないと、中身を知る機会すらありませんよ」
事実、エックハルトの元にはこの顔を見慣れた家族と、口うるさいロクスぐらいしか寄ってこない。
これは同じ騎士仲間にも言える事で、昔の顔を知る者以外には極力避けられているのが分かる。よって、新たに自分と友好関係を築いて行こうなどと考える女性は皆無。強がりと言われるのは癪だが、そう見られても仕方のない状況であった。
エックハルトは執務机から離れ、窓辺へと向かった。
薄いレースのカーテンを捲れば、庭師が丹精込めた庭が見える。
陽の光を一心に浴びた緑がグンと勢いを増し、初夏を彩るに相応しい明るい色が目立つ。この色合いは半年前に嫁入りした妹の趣味であったが、エックハルトは庭を作り替える気はなく――……と、そこにニ頭立ての馬車が通り抜けてゆく。
「……ロクス。今日の来客の予定は?」
「ありません。……一応」
だろうな。と、思った。
この屋敷に出入りする者は馬が多く、馬車だとしても一頭立て。
基本、人の訪れの少ない屋敷である為、初回こそ何事かと慌てたものだが。今となっては片眉を動かす事もない、オオカミ少年の村人のような心境だった。
「おもてなし、しますか?」
「まあ、一応用意だけは頼む」
何を出しても、同じ答えしか返ってこないけどな。と、後に続く言葉だけは不敬になるので慎んだ。
ロクスが部屋を出ようと扉を開ければ、一階から悲鳴に似た声が聞こえる。
阿鼻叫喚といった体の声は新人メイドだろう。多分、この来客、いや、襲撃に立ちあったのが初めてなのだ。事前に教えておいた方が良かっただろうか。いや、意味ないな。これはうちで働くなら避けられぬ試練のようなものだ。
「普段よりご到着が早い? お茶、間にあわないかも」
「構わない。そんなモノを気にする様な人じゃない」
とても優雅とはいえない足音を聞きながら、机上の書類を片付ける。
『続きを行う』という意味ではなく、文字通り机の上から撤去する。当然だ。折角途中まで書きあげた書類をダメにされるのは耐えられない。
そうして無事、書類を引き出しにしまい、インク壺の蓋をして。カップに残っていた紅茶を一気に流し込むと同時に、派手な音を立てて扉が開き切った。
「よお! ハルト! 今日もシワが濃いなっ!」
「せめて『眉間』を省略しないでください」
失礼を通り越して、それは挨拶なのかと疑いたくなる発言に、問題のシワが深くなるのを感じる。
発言同様、何の遠慮もない大男は、ドカドカと室内に侵入しながら、「気にするな、気にするな」と、大声で笑う。
この男、人の話を十中八九どころか十割方聞いてくれないのだが、エックハルトとしても人相についてだけは言い返さずにはいられない。
「気にしているのは貴方ではなく私です」
「こんな天気が良い日に、部屋に籠ってるからシワが増えるんだぜ?」
「増えてません」
部屋に居るだけでシワが増えるなら、世の事務官は皆シワくちゃだ。
……アリかもしれない。
王都の見た目年齢が二十上がれば……?
そんな事を一瞬でも考えた自分に首を振り、気付けば全身を使って何かを訴えている男をとりあえず見ておく。
いつもの寸劇である。
本人曰く、来る度に改良を加えているらしいが、なにせ、せっかちな大男が代わる代わる何役もこなすのである。その配役と意味をすぐさま理解できる人間はいない。
ただ。
この劇(劇と呼べるか謎だが)のオチは決まっていて。
「そんなわけで! 王都に戻ってこい、ハルト!!」
「お断りします。アルバティス様」
当然。このセリフも決まっていた。
◇◆◇◆◇◆
アルバティス=ロックランド。
エックハルトの治めるアスカムを含むロックランド地方の次期領主で、現在は王城騎士五番隊隊長である。
撫でつける事も出来ない程短く切った髪と、小麦色を通り越して窯で二度焼きしてしまったパンの様な茶色い肌。背は高く、大柄で、騎士というよりどちらかと言えば山賊の方がしっくりくる容貌から、エックハルトよりも近寄り難そうな男である。
だが、空気を読まないこの大男はそういった壁すらもぶち壊してゆくので、実のところ彼を慕う者は多かったりする。
そしてちなみに。
彼、アルバティスは半年前に嫁いだ妹の旦那。つまり、義弟である。
「何で様付よ?」
「次期領主様ですからね」
「弟なのに?」
「義弟でも。私は一代限りの爵位しかもたない身ですから」
「何を言う。オークウッド家の長子だろう?」
こういう所が、アルバティスの無神経なところである。
エックハルトはオークウッドを名乗っているものの、オークウッドに出された養子である。
所謂、子宝に恵まれなかった夫婦の元へという良くある話だが、エックハルトの場合、養子に出されて二年後、夫婦の元に子供が生まれる。しかも立て続けに二人。妹と弟だった。
名前を変えていないのはオークウッド夫妻たっての願いだったから。
それ以上でもそれ以下でもない。
「お前は細かい事を気にしすぎなんだ」
「細かくないです。貴方はロックランドの次期領主様、現在は五番隊隊長なのですから」
自分は立場をわきまえているだけです。
そう続ければ、アルバティスは片眉を上げたかと思うと、次の瞬間には目を光らせてニィと笑った。
「うんうん。俺偉いし。隊長だし。ハルトが気ィ使うのは当たり前か」
「やっと分かっていただけましたか?」
「おうとも! ハルトの言い分はもっともだ!!」
「……なんか、素直すぎて気味悪いんだが」
完全アウトな発言だが、本人が気にしていないようなので、無かった事にする。
そんなアルバティスは笑顔を湛えたまま、「じゃあ、偉い俺様からの命令!」と、言い出す。
……ああ。忘れていた。
彼は自分の言葉を気にしていないのではなく――……
「王都に戻ってこいハルト!」
全く、聞いていないのだった。
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