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第6話 「季節の移ろい」

 秋が過ぎ、冬が訪れる。

 神聖歴781年、その年の冬は、俺のこれまでの人生の中で、最も濃密な時間となった。

 来る日も、来る日も、師から兵法を教わる勉学の日々。



 師はまず、遵守すべき、戦いの九つの原則を語られた。

 即ち、目的、主動、集中、戦力節約、機動、指揮統一、警戒、奇襲、簡明の九原則。その何たるかを教わったわけだ。


 次いで教わったのは、戦闘ドクトリンとやらの設定についてだ。

 先の九原則の遵守を土台に据えつつ、特にどの原則に重きを置くかで、軍団の特色を出す。

 言わば、軍団の基本理念、方針、運用思想の構築である。


 俺が率いることになる、第二軍の強みを考えれば、機動の原則を重視した戦闘ドクトリンを採用すべきであろう。

 それを師に伝えたら、機動の原則に沿った、数多くの戦術を教わった。


 例えば、機動と、奇襲の原則を兼ね備えた、『電撃戦』。機動と、戦力節約の原則を兼ね備えた、『機動防御』などだ。



 更には、遠く異国の兵法家たちが説いた教えを学ぶ。


 ソンシに、クラウゼヴィッツに、リデル=ハート。

 師は、彼らの説いた教えを噛み砕き、俺によく理解させてくれた。



 そして何より、師が最も時間を割いたのが、戦史の授業だ。

 遠く異国で、過去に起きたという戦いの数々。


 鮮やかな戦略、戦術で勝利した戦の事例。

 あるいは逆に、失策により、敗戦を喫した戦の事例。

 その他、信じられぬ経緯、結果を迎えた珍事例なども。


 師は言われた。――『賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ』と。


 そう、過去に生きた人々が紡いだ戦史は、正に絶好の教科書だ。

 それらを片っ端から頭に叩き込んでいく。


 冬に、少しずつ降り積もる雪のように、俺の中に知識が積み重なっていった。


 そうして過ごす内に、体の怪我も癒えていき、雪も溶け始め、季節が冬から春へと移り変わろうとしていた。



****



 師の家を出ると、村内に敷かれた道の上を歩く。

 そこは既に、踏み固められた土の茶色一色で、雪は残っていない。

 もっとも、道の両脇などには未だ、降り積もった雪の残滓が、そこかしこに残っていた。


 俺は一歩一歩、体の調子を確かめるように歩いていく。

 早朝だけあって、吐く息は白い。

 もうじき春になるとはいえ、身を刺すような寒さを覚える。


 だが、それも苦にならない。

 一つ屋根の下と、閉じられた世界から出られたのだから、当然ではあった。



 目指す厩を視界に捉える。

 徐々に近づいていくと、数頭の馬が繋がれているのが分かった。

 その中の一頭に、自然と視線が集中する。


 夜の闇を溶かしたような、美しい鬣を持った牝馬。――ライラ。

 俺にとって、かけがいのない愛馬の姿だ。


 ダッと、思わず小走りになりながら、厩への距離を詰める。

 ライラもまた、俺の姿を認めたのか、一度嘶いて見せた。


「やあ、ライラ。元気だったかい?」


 俺はその鬣を撫でてやりながら、声を掛ける。

 そして、愛馬の様子をまじまじと観察した。


 ……少なくとも、目に見えた不調や、異常は見受けられない。

 どうやら、小さな姉弟子は、ちゃんと仕事をこなしてくれたようだ。


 後で、もう一度礼を言っておかないとな。

 そのように、心中のメモに書き留める。


 そうして暫く、鬣を撫でていると、ある欲求がむくむくと湧いてくる。


 ……体の調子を試す散歩がてら、ライラの様子を見に来るだけの予定だったが。


 ちらちらと、今から悪さをする悪童のように、周囲を窺う様に視線を走らせる。

 幸い、まだ肌寒い早朝だからか、誰の姿も見えなかった。


 その事実に、俺はニヤリと笑みを浮かべた。





「はっ!」


 黒い疾風のような駿馬に跨り、野を駆ける。

 久しぶりに馬上の人となる。なんと、心地良い時間だろうか。


 今俺は、村を出て直ぐの開けた場所で、存分に乗馬を楽しんでいた。

 

 エルザに見つかれば、大目玉だろうか?

 なーに、構うまい。

 この気分を味わえるなら、多少の小言ぐらい甘んじて受けよう。


 師であったら、どんな反応をするかな?


 ……きっと、何も言うまい。

 ただ、呆れた視線を投げて来るだけだろう。

 そして、万一俺の体調が悪化しても、自業自得だと、せせら笑うに違いない。


 その様子が容易に想像できて、何やらおかしくなってくる。


 などと、師のことを考えていたからだろうか?

 その師が、こちらを眺めながら立っている。そんな姿が、いつの間にかあった。


 ――噂をすれば影、だったかな?

 師の祖国の諺は、こういう時に使うのだったか? うん、少し違うかな。


 俺は一度首を傾げると、ライラを師の立っている方へと駆けさせる。

 徐々に近づく師の姿。その口が、何事かを呟いたのが目に付いた。


 おや? 予想に反して罵詈雑言の類でも、口にされたのだろうか?

 だとすれば、少しマズイかもしれない。


「師匠、このような場所で、何をなさっておいでですか?」


 少し焦った俺は、先に話しかけることで話の主導権を握ろうと試みる。


「なあに。体が本調子でもないのに、馬で朝駆けする。そんな、世にも珍しい生物を拝めると噂を聞いてね。どれ、そんな愚かしい存在が本当にいるものかと、足を運んだわけだ」

「はあ。そうでしたか。しかし、それは無駄足でしたね。俺は、少し前からここにいるのですが、そんな愚かしい生物には、出くわしませんでしたよ」


 俺の返しに、師は一つ鼻を鳴らすと、笑みを浮かべられる。

 ふむ、特に怒っている訳ではないようだ。


「そういえば、先程何やら呟いておられませんでしたか?」


 師はチラリと、ライラを一瞥すると、口を開かれる。


「――ああ、そうさね。『疾きこと風の如く』、そう呟いたのさ」

「ソンシの兵法、その一節ですね」


 師は、一つ頷かれる。


「そうだ。小僧が馬を駆けさせる様子を見ていて、自然と思い浮かんでね。流石はラザフォードの小僧だ。馬術だけ・・は一級品だ」

「馬術だけ、ですか。褒められているのやら、貶されているのやら」


 俺は思わず苦笑を浮かべる。


「どちらだと思うね?」


 その問いかけに、俺は沈黙という賢明な選択を行った。

 ふんと、今一度師が鼻を鳴らす。


 どちらだと思う……か。

 そんな問いの答えは、余りに明瞭であったからだ。

 なれば、沈黙こそが正解だ。


 そう、俺の兵法家としての力量が一級である筈がない。

 目の前の賢者との差は、まだまだ余りに遠い。


 そのような思いでいる内に、ほぼ無意識で体を動かす。

 ライラから降りると、師の前に立った。

 そして、唐突に膝をつくと、頭を垂れる。


「何の真似だい?」


 訝しげな師の声が、頭上から降ってくる。


「奇襲です」

「うん?」

「相手の意表を衝き、動揺を誘う。そうして主導権を握る」

「ふむ。で? その奇襲の果てに、何を求める?」

「師匠に、願いたい儀がございます」


 暫し沈黙が流れる。俺は頭を垂れたまま待った。


「……言ってみるがいい」

「有難う御座います。……師の教えのお陰で、私もそれ以前とは見違えるまでに成長しました。ただ、ひと冬の間では、師の英知全てを物にするには、余りに短い。故に……」


 そこまで言って、俺は言い淀む。


「故に?」


 師が先を促す。俺は意を決して、その先の言葉を口にする。


「どうか、今一度、王国軍に帰参願えぬでしょうか? 師が戻られれば、帝国に勝利するのは容易きことでしょう」

「……私は王城を追われた身だよ」

「はい。ですが、師を追放した陛下は既に亡くなられました。帰参の障害は、低くなっていると愚考します。それに、この国難です。師の様な能力ある者を拒むほど、王国に余裕はないでしょう」

「……………………」


 師は黙したまま、返事を為されない。俺は慌てたように、言葉を付け足す。


「現在、東部防衛の最高責任者であるギュンター大将と、師は、解放戦争で共に戦った戦友。その仲も悪くなかったらしいと、エルザから聞き及んでおります。なれば、ギュンター大将も、師の帰参を歓迎なされるのではないでしょうか?」

「リリー……か。まあ、確かに、邪険に扱われはしないだろうね」


 師は、思案するように虚空を見詰める。

 俺は黙ったまま、師の言葉を待った。


「……久しぶりにリリーの顔を見るも悪くないかもね。無駄に年をとった癖に、無様な敗戦を喫した旧友を、指差し嘲笑うのも、そう悪くない」

「……………………」


 ……あれ? ギュンター大将と仲が良い、その筈だよな?

 俺は師の言葉と、冗談を言ってないと分かる表情に、困惑する。


 ひょっとすると、途方もない悪手であったかもしれない。

 俺は内心、後悔し始める。


「小僧の願い、少しは考えてやろう。完全に雪溶けする頃までに、結論を出そうじゃないか」

「……分かりました。色よい返事を期待しております」


 一度吐いた言葉は引っ込めることはできない。

 そう答える以外に、どのような返事が出来ただろうか。


 俺は立ち上がり、ライラの轡を取る。


「村に戻りましょうか」

「そうだね。……ゴホッ」


 師が返事の後に、少し咳き込まれた。


「風邪ですか? ……季節の変わり目ですからね。どうかご自愛ください」

「ふん。年寄り扱いはやめな。心配されずとも、私は、後四十年は生きる」


 師の言葉に、俺は思わず苦笑する。

 確かに、この師なら、まだまだ殺しても死にそうにない。


 まだ冷たい、しかし一時に比べれば、随分と寒さの和らいだ風を浴びながら、師と二人、村へと戻る。



 俺は愚者を通り越した、大馬鹿者であった。

 わざわざ歴史に学ぶでもなく、多くの者は経験で自ずと、それを学ぶ。

 にもかかわらず、俺はそれを失念してしまったのだ。


 そう、如何なる英雄も、如何なる賢者も、年には勝てないという、その事実を。

 

 この数日後、村に思わぬ客が押しかける。

 その結果として引き起こされる争いで、俺は自らの愚かさを知ることになる。

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