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もんだい3 みっしつへん

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 どうしてこの女に頼る気になったのか、それは一馬自身にも分からない。

 仮に一馬が何者かにすがって物事を解決するにしても、彼は警察に頼ることができない。今頃警察は、切断された工藤の体に付着した指紋の持ち主を探していることに違いない。『それは自分のものです』と一馬が名乗り出ても見ろ。かなりの確率で犯人にされてしまうことだろう。それには灯も同意だった。

 「君が自白をしない限りにおいては、犯人にされてしまう可能性はないわ。だけれど取調べを受けることには違いないのだし、しょせんは中学生に過ぎない君が追求を逃れることは難しいわね」

 残念ながら、それは事実かもしれなかった。

 「だから君は一刻も早く真犯人を探し出さなければならない。警察は指紋の主の君こそ犯人だと勘違いしているはずよ」

 「分かっている」

 「そう。君のそういうところは評価しているわ。今警察に名乗り出ても、碌な結果にならないって冷静に判断できるのね。一人で考えるのが不安だからって、安きに流れてしまうのは愚か者のやることだとあたしは思うのよ」

 それから灯は不適に微笑み

 「自分にとって役に立つ者とそうでないものは、きちんと見極めるべきなのよ。……そして、あたしのことをただの都合の良い女だと思わないことね」

 「……どういうことだ?」

 一馬が訝しげに問いかけると、灯は車椅子の上で肩を竦めて

 「貸しは一生かけて返しなさいよ。必ず君を助けるからね」

 「承知の上だ」

 すぐに答える一馬に、灯は唇の端を持ち上げる。それから尊大に指示を飛ばす。

 「まずは情報収集よ。すぐに始めるわ」

 「……情報収集って。どうやって?」

 「一番簡単な方法は、たくさん情報を持っている人に教えてもらうことね」

 さも当たり前のように言う灯に、一馬はつい口を空ける。灯は得意げに指を振るってから

 「あたしに良い考えがあるの」


 一馬に出された指示は簡単だった。下駄場の前まで言って、自分の車椅子を横倒しにしておけ。ということだ。

 「……良いのかよ。そんなこと」

 「ええ。この名探偵のあたしが思いついたことよ。君はねぇ、そのとおりに動けば良いだけのこと。これが西条の奴だったら、鼻歌でも歌いながら嬉しげに蹴り倒すことでしょうね」

 下駄箱の前には小さな段差がある。車椅子でもがんばれば降りられそうな程度である。

 「ここを降りようとして、倒れた風にお願いね」

 一馬は言うとおりにした。灯の体をかばうように車椅子を横倒しにし、足が外にさらされることの内容に気を使いながら、不自然の内容に灯をうつぶせの体勢に寝かせる。

 「やるじゃない。完璧なポージングよ。実に哀れを誘うわ」

 灯はけらけらと笑い

 「足が動かないことはね、時には武器にもなりうるの。君を説得するのにも、役にたったしね。まあ見ていなさい」

 というので、一馬は首を傾げたいような心境でその場から距離を取った。

 灯に頼ったのは間違いなかったと、一馬はそう思うことができた。以前の一馬ならまず考えないようなことである。

 それはつまり、灯のことを信頼したということだ。そのことについて、最早迷いは無い。それはどちらかと言えば感覚的で、まるで根拠の無い思考でしかなかった。何と無く、信頼しても良いような気がした、というところなのである。まったくもって愚かしい。

 灯が一馬のことを裏切らないかどうか、客観的に見てもそんなことは分からない。はたして彼女にとって、自分に協力する理由があるのかどうか、検討することも一馬は行っていない。頭から、灯のことを疑っていないのだ。それはどうしてなのか。

 それはきっと、面と向かって好きだと言われた相手を拒絶することを、一馬が恐れた為なのだろう。ここで灯のことを信頼しなければ、彼女は自分の元から離れていくだろうと、一馬はそれが恐ろしかった。とどのつまり、一馬は灯に依存していた。甘えているのだ。

 ……それにしても、『あたし、君のこと好きよ』ねぇ。

 これがどういう意味なのか。一馬は何となく疑問を頭の中で転がして、そして首を傾げるのだ。どうして自分が彼女に好かれるのか、どんな風に好かれているのか。それが分からなければ、彼女のことを真に受け入れるなどできそうにないし、それができなければ自分は彼女のことを利用している形になる……などというのは、しょせん十三歳の一馬にしてはませた誠意だと言えた。

 「お譲ちゃん! 大丈夫かい?」

 張り上げるような声が一馬の耳朶を売った。一馬は廊下の角からに張り付き、声の主の様子を探る。

 一人の若い警官が、車椅子で倒れた灯を見てそう絶叫していたのだ。うつぶせ状態の灯は苦しそうにうめいてみせ、それから上目遣いで警官を見つめる。それは可憐な少女の姿である。

 「すいません。助けてくださいませんか?」

 妙に演技がかったその声に、一馬は噴出しそうになる。今まで自分は、世界が終わったような気分でいたのに、どうしてこんな明るい心境になれるのだろう。一馬はそれが不思議だった。

 「もちろんだ」

 警官は車椅子を起こし、灯をそこに座らせた。足の傷は見られずにすんでいる。灯がカーペットで巧みに覆い隠したのだ。

 「ありがとうございます。いつも車椅子を押してくださる友人が、……先生のことで学校に来られなくなってしまいまして。それでやむおえず、一人でここを降りようとしたのですが……」

 「そうか。それは大変だな」

 警官は悩ましげに腕を組み、無線機を取り出して何やら話し始める。灯は閉めたとばかりに微笑んで、一馬の方に視線を送った。得意そうである。

 「君、家どこ?」

 案の定、警官は灯にそう尋ねる。灯が答えると、警官は優しい目をして

 「車椅子、押して行ってあげるよ。一人じゃ大変だろう」

 灯は無邪気な笑みを浮かべて

 「本当ですか? ありがとう!」

 少女の声でそう言った。

 ……案外強かな女である。一馬は感服するばかりであった。

 お節介な警官は灯の車椅子を押して校門をくぐる。一馬はそれを尾行した。訓練を受けた警官を相手に、一馬の尾行がはたして通用するのかはなはだ疑問だったが、警官は灯のありがとうございます優しいおまわりさんありがとう格好良いお兄さんありがとうの言葉に耳を傾けるのに夢中で一馬に気付かない。

 人の良い警官もいたものだと一馬は思う。忙しい中でも少女を家に送ってあげようとする優しいおまわりさんであることに間違いは無く、彼が灯に手玉に取られるのを見ると少し切ない気分になる一馬だった。

 「ところでおまわりさん」

 灯がそこでそう切り出した。警官は優しげに笑う。

 「何かな?」

 おまわりさんと呼ばれるのが嬉しい口らしい。相応の志を持って警察官になった男のようだ。つくづく立派な人物である。

 「あたしには親友がいるんです。幼稚園の頃からずっと一緒で……」

 切なげな声を出す灯を、警官は心配そうに覗き込んだ。一馬は溜息を吐く。ぬけぬけとそんな嘘を吐きやがって、という気持ちである。

 「足の動かないあたしの世話を、いつもしてくれました。そして彼女は、工藤先生のことをすごく好きでした」

 「……そうか」

 警官は悔しげに手を握り締める。事件の発生を防げなかったことに責任を感じてはいまいかと、一馬はそんなことを思う。この警官ならそんな考えにも陥るだろう。

 「その子、先生が死んだって訊いて、気を失って学校を早退したんです。……あの子のことが、あたしとっても心配で……」

 そこで警官は、灯を励ます言葉を吐き出そうとしたのだろう。心底灯をいたわったその表情には、若く確かな熱意と責任感が備わっていた。

 「それで」 

 灯は警官の言葉を先回りするように

 「……お願いします。あの子の為にも、犯人を必ず捕まえてくださいね」

 「もちろんだ。それが、僕らの務めだからな」

 使命感に満ち溢れた顔をする警官。そこで灯は

 「頼もしいです。……それで、警察はもう犯人を分かっているのですか?」

 「まだだ」

 警官は言った。まず一つ目の情報だった。

 「そうですか。……では、どこまで捜査は進んでいるのですか?」

 警官はちょっと迷ったような素振りを見せる。そこで灯は、憂うような表情で肩を小さくしてみせた。

 「……そうですか」

 あまり進んでいないのですね、と続きそうなところである。警官はそれを察したのか、少女の繊細な心を守る為、捜査の進行状況を話さざるを得ない。

 「いいや。犯人のものと思わしき指紋が現場から見付かっている。担当する刑事さんも、選りすぐりの人ばかりさ。我々の誇りにかけて、必ずや犯人を逮捕してみせるよ」

 警官は頼もしく胸を張った。一馬はどきりとする。現場から見付かった指紋というのは、それは自分のものだろう。

 「あたし、怖いんです」

 灯は言った。警官は眉を潜める。それは犯人に対する怒りか、この少女を励まそうという気概の表れか。

 「先生が亡くなられた日の朝、現場となった教室の鍵が盗まれていて……。あれがあたしには、先生を……殺すためだとしか思えないのですよ。だったら、学校の鍵を盗める人が犯人で、それは学校の関係者ってことに……」

 「そうとは限らない」

 警官は強くそう言った。

 「そうだったとしても、これからは我々が全力をかけて君達を守る。だから安心して」

 「…………」

 押し黙る灯に、警官は困ったようにする。一馬は少し同情した。

 「……あの」

 「なんだい?」

 長い沈黙の後、灯がこう口にした。

 「……教室の鍵は、見付かっているんですか?」

 「ああ。見付かっている」

 警官はすぐに答えた。覚悟を決めたということなのだろうか。

 「……本当ですか?」

 「先生が持っていたんだ」

 一馬は目を見開いた。

 「先生が、自分の教室の鍵を犯人に渡すまいと握り締めていた。犯人から奪ったのか、もともと持っていたのかは分からない。けれど僕は、先生が犯人に対して、最後まで果敢に戦ったんだと思っているよ。その証拠に、教室の窓が一つ割れていた」

 警官がそのように無責任なことをほざく。一馬はその場で放心していた。

 ……つまり、これはどういうことだ? 

 あの時工藤の右腕が握り締めていたあの銀色の鍵、あれが教室の鍵だった。つまり、二つある鍵の内の一つは教室から見付かっている。そしてもう一つは、工藤の死体を発見するその時まで、自分が持っていたのだ。

 ……ならば何故? 密室が形成された?

……誰が、どうやって鍵を閉めたって言うんだ?

 「……そうですね」

 灯が警官に答える。

 「あたしもきっとそうだと思います」

 その時灯が浮かべた寂しい笑みは、演技のものとは思えなかった。


 灯を家に送り届けてから、若い警官は学校の方に戻って行った。きっと無理を言って現場から離れたのだろう。騙されたのだと言ったらさぞ憤慨するに違いない。

 「さっきの警官の証言と、君の話を総合して考えれば、実におもしろい事柄が浮かび上がってくるわ」

 家の前で、便宜的には真剣に、しかし隠しきれない愉快さを口元に湛えながら灯は言う。

 「これは密室殺人事件よ」

 どうもそういうことらしい。一馬は深く溜息を吐く。

 「君が保健室を出て、教室の鍵を取りに職員室に向かうと、鍵が盗まれたという話を訊いた。その後西条の奴と遭遇して、話の中で自分のポケットの中に鍵が放り込まれていることに気が付いた。そして教室の中に入ってみると工藤の死体。四肢と頭が切断されていて、上半身は裸。右手に握っていたのは二つ目の教室の鍵」

 「ああ」

 一馬は現場の状況を思い出しながら、相槌を打つ。そしてたちまち気分が悪くなった。人生で思い出したくない光景のベストワンだ。自分をこんな絶望の中に放り込んだ、その始まりの光景。

 「扉の鍵は閉まっていたし、窓も全て密閉されていた。工藤と犯人が格闘した証拠に、窓が一つ割れていた。その割れた窓というのも、せいぜい猫が通れるくらい」

 「窓から手を入れて鍵を開けるというのは?」

 一馬は情景を良く思い出して、それから言った。

 「ダメだ。届かない」

 「そう」

 灯はそこで肩を竦める。

 「実を言うとね。大体のことは最初から分かっていたのよね」

 ……どういうことだ?

 「問題はあなたのポケットに鍵を放り込んだのが誰かという問題。これが分かれば、すなわち犯人の正体も掴めるのだけれど。後は適当にカマかけて捕まえれば済む話だし」

 灯は透明な視線を一馬に注いだ。

 「心当たり、ある?」

 「灰村輝」

 一馬はすぐに答える。

 「おそらくあいつで間違いない。事件のあった日、俺と接触することができたのはあいつだけだ。しかし……」

 ミステリ研究会でのやり取りを、一馬は灯に話す。灯はうんざりとした様子でそれを聞き、十年間腐らせて来た幸福を溜息と吐き出した。

 「つまり、あいつら三人また妙なこと企んでるって訳だ」

 「……まさか」

 灯のその言い分に、一馬は首を振る。

 「それはつまり、工藤を殺したのも三人組の悪戯っていうことか? それはあんまり、荒唐無稽すぎるだろう」

 「陽と輝はあたしの姉と兄よ」

 灯はこの世でもっともおぞましいものの話をする時のように

 「何をしでかしてもおかしくない。一番迷惑を被ったあたしが言うんだから、間違いないの」

 やけくそを起こしたような口調でそう言った。

 「偉く断定的だな」

 「あたしの半径十キロで起こった不幸は、だいたいあいつらの所為だと思うわ。ええ。どんな推理よりも確実性がありますとも。あいつらは頭の悪い疫病神、とんでもなく劣悪で、だからこそ手に負えない」

 「……なぁ。灰村」

 「何かしら?」

 「その。桐家とおまえの兄弟二人っていうのは、どういう関係にあるんだ? 悪戯三人組だとかなんだとか言われてるけど、その辺が良く分からないんだ」

 一馬の問いかけに、灯は少しだけ考えるようなそぶりを見せる。もしかして灯にも分からないのか、と一馬が思いはじめた時に

 「常に誰かと一緒にいなくちゃいけない二人の人間が、一度二つに分断されたとする。それが再び一つに戻った時、最低で何人になっていると思う?」

 「は?」

 煙に巻くような灯の言いように、一馬はついそんな間抜けな声をあげてしまう。灯は明後日の方向を向いて、軽蔑するような表情を浮かべていた。話題となっている二人に対して、そんな表情を浮かべているのだろう。

 「……四人?」

 少し考えて、一馬はそのように返答した。常に誰かと一緒にいなくちゃいけない二人……一緒にいた二人が分断されてしまえば、お互い新しいパートナーを見つけ出して連れて来るに違いない。

 「はい。正解。じゃあかたっぽに他人を連れて来る能力がなかったら?」

 「じゃあ、三人」

 「そう。だから三人組よ。そういうことでしかないのね」

 なんとなく納得する。ありそうな話ではある。というか、一馬が思い浮かべる愚者の像というのは、そういうものだ。誰とも構わず群れまくり、群れ同士を合体させて騒ぎまくる。主体性を持たない癖に能力だけは人数並で、相応の迷惑を振りまくバカ共。

 「結局のところ、あいつらの悪戯はお互いの絆を深め合う為のものでしかないの。何らかの悪巧みや、それに伴う秘密を共有することでしか協調できない。基本的に自分勝手だから、何か合理的な理由がなくっちゃ誰とも一緒になれないのよ。けれど仲間は欲しいから、自分達でその理由をでっち上げている。悪戯の共犯者だから一緒にいるという理由をね」

 「どうしようもない連中だな、そりゃ」

 「そうね。でもそんなものよ。人の繋がりなんて」

 灯は寂しげにそんなことを口にした。達観と諦観の交じり合った表情。一馬はつい見入ってしまう。自分が自らの孤独について考える時、こんな悟り切った顔をすることができただろうか。できなかったに違いない。ただひたすらに卑屈で、捻くれた子供の顔だったことだろう。

 「まぁともあれ。輝のことは疑ってかかった方が良いようね。君の記憶と観察力を信用するなら、彼が犯行に一枚噛んでいることは間違いないのだし」

 「なぁ。灰村」

 一馬は質問する。相当に無責任な、自分では何も考えない問い掛けである。このあたり、一馬が灯に頼りきりであることが良く現れている。

 「なぁに?」

 「本当に、そんな子供が犯人だと思うか?」

 灯は少し考えるように首を倒して、虚空に視線を転がした。それから肩を竦める仕草を行うと、溜息でも吐くようにして

 「人を殺すような頭のおかしな人間は、大人にだって子供にだってたくさんいるわ。頭のおかしな人間だけが人を殺す訳でもないけどね」

 「それは違いない」

 一馬はそう言った。そして少し笑った。

 思い出したのは、小説の中の殺人鬼について饒舌に語る桐家の表情。死体の口元を指で吊り上げたような西条の笑み。紙袋を被ったミステリ研究会の三年生。そして……。

 人が人を殺すことは、自分が思っているほどおかしなことではないのかもしれない。一馬はそんな風にも考える。もちろん、それが禁忌であることは事実だ。だがしかし、禁忌だからと言って、それが絶対に起こりえない理由になる訳でもない。

 そうだ。殺人という概念はいつも一馬の身近にあった。一馬はいつも人を殺してしまうことを夢に見ていたではないか。巷にあふれる小説や番組にも殺人を扱ったものは無限に存在しているし、殺人についてほとんど考えないという人間がどれほどいよう。それは大人だって子供だって、同じことだ。

 殺人は起こりうる。そして誰が犯人であっても、おかしなことではない。

 「これはこれは灯さん。保健室にいないと思ったら、そんな素敵な彼氏と一緒にご帰宅ですか」

 その声がした瞬間、一馬は灯がすくみ上がるのを見た。町でライオンに出くわした場合でも、人間はここまで怯えないだろう。弾かれたように後ろを見て、灯はわなわなと二つの影を見詰める。

 「……お兄さん。お姉さん」

 「連絡の一つもしてくだされば良いものを。これはあまり褒められたことではございませんよ。お陰で姉さまとこの僕は、保健室に無駄足を踏むことになったではありませんか。これはつまり、あなたが僕達に迷惑をかけたことを意味します」

 特に起こった様子もなく淡々と、どこかおもしろそうにそう語るのは灰村輝。その隣で退屈そうにあくびをかますのは、その姉の灰村陽である。灯はおびえた表情で車椅子を動かすと、二人の傍によって頭を下げた。

 「……ごめんなさい」

 そう言った瞬間、灯の車椅子が横倒しになる。陽が灯の車椅子を蹴飛ばしたのだ。

 「……!」

 あまりのことに一馬は目を剥いて三人に駆け寄った。輝は最初に自分の姉の方を見やる。それは満足そうでもあり、つまらなさそうでもあった。陽は仕事をこなした後のような、愉快と辟易の混ざり合った表情で灯の方を見ている。その灯は諦観したように、ぞっとするほど暗い瞳の色をしてアスファルトに視線を注ぐだけだった。

 「灰村! 大丈夫か?」

 一馬はすぐに灯を起こした。灯は偉く力の抜けた表情をして、あらゆる感情を殺したようにただ震えている。その様子に一馬は驚愕する。こんなのはまともな人間の様子ではない。

 「これはこれは。見苦しい姿を見せてしまって申し訳ありません」

 輝が言った。裂けるような笑みを浮かべていた。一馬に分からなかったのは、目の前で自分の妹が自分の姉に蹴飛ばされるような光景があって、このように愉快げな表情を浮かべられる輝の心理だ。飄々としたその微笑みは、一馬が見てきた中でもっとも醜悪なものだった。

 「……どうして」

 一馬は信じられないという風に陽の方を見る。陽は一馬の方を退屈そうに一瞥して、それから目を逸らし、ただ肩を竦めた。姉弟のその態度を、一馬は何かに似ているように思った。群れを成して他人を攻撃し、その上で自分自身を悪族とは見なしていない。常に責任は別の誰かにあると思い込みながら、作業的に他者を攻撃し、それこそが自らの力だとも思っている。そんな、一馬のもっとも嫌いな人間の表情だ。

 「貴様ら……!」

 「どうなされましたか? あなたには関係のないことですよ。姉さまに掴みかかるのは、よしてください」

 輝が言う。まったく悪びれもせず。

 「この度は妹を家に送っていただいてありがとうございました。それからもしかしてあなたは、妹の探偵遊びに付き合ってくださったのではないですか? 光栄の至りです。……しかしそれは、私達にとっては余計なことでしかありません。彼女は相手にしてくれる相手がいると、付け上がりますからね」

 「勝手なことだ」

 一馬は言った。しかし輝は飄々と

 「そうかもしれません。しかしあなたとしても、進んで彼女に付き合っている訳ではないのでしょう? 彼女に付き合わされて、面倒だと感じているはずです。でしたら彼女や我々に遠慮することはございません。僕達は灯のことをただの荷物程度にしか考えていませんし、彼女はただのできそこないです。あなたにとって、灯に付き合う理由は一つもない」

 「ふざけるな」

 一馬は言った。

 「俺は自分の意思でこいつと探偵ごっこをやっているんだ。誰にも口出しされる言われはない」

 そう言うと、輝と陽は目を見合わせた。その時の陽が言ったことを、一馬は一生忘れないだろう。

 「気に入らない」

 ……はあ?

 「何一丁前に友達なんか作ってるのよ」

 「おい」

 「ふざけないでよ荷物の分際で。あなたに何の権利があるの? 何もしないでよ。何もしないでおとなしくしていなさいよ。あんたはね、車椅子に乗って学校まで運ばれて学校から家まで運ばれてベッドに転がされて寝るっていう、それ以外の何もしちゃいけないのよ。分かんないの?」

 一馬は頭が真っ白になった。

 「やめて!」

 怒鳴るような声が一馬の耳朶を打った。それが自分に向けられているのだということを、一馬は数秒かかって理解した。しかし理解した頃には自分は陽を押し付けていて、何発目かの拳を叩き付けた後だった。

 「……な」

 陽は怯えきった表情でこちらを見ている。自分はこの女を間違いなく殴ったのだ。その事実に、一馬は少し驚いた。意識せずに暴力を振るうなんて始めての経験だったし、女を殴ることも初めてだった。ただ体の中には消し去れない冷たい怒りと衝動があって、一馬を制止する言葉がなければ、それは拳が擦り切れるまで陽を破壊していたように思われた。

 「やめて……」

 どうしてこの衝動を抑えられたのは、自分にも分からない。というか誰に言われれば自分は陽を殴るのをやめたのだろうか。一馬は声の主を振り返る。酷く怯えた表情をした、いつもは気丈なはずの灰村灯の姿がそこにはあった。

 「……木曽川。いいから、あたしは平気だから」

 「そんな……」

 何故灯が自分のことを止めるのか。それもこう切実な表情で。それが一馬には分からない。そんな表情を見ていると、自分がとんでもない大罪を犯したような気分になって来る。

 「大丈夫ですか? 姉さま」

 輝が能天気な風にそう言って、壁に押し付けられた自分の姉に手を貸した。陽はわなわなと震えて一馬と灯の方を睨み付け、それからヒステリーでも起こしたように

 「もうやだ」

 とそう言った。

 「もうやだ家に帰る。もう付き合ってらんない。こんな奴ら顔を見るもの嫌」

 「そうですか」

 輝はただ一言、そんな風に応答した。

 「それでは 僕達はこれで」

 姉を連れて、輝は自分たちの家へと帰っていった。扉を閉める瞬間、一馬達の方を見やる輝の視線は、ぞっとするほど冷たかった。


 「見せたくなかったな。君には」

 灯は言った。

 「いつもああなの。あの二人。あたしに何か良いことがあると、それに茶々を入れて来る。ああしていないと、不安なのね。ただの荷物でしかないあたしが、自分達より幸せにならないかどうか」

 一馬は何も言わなかった。何も言わずに、車椅子を押していた。

 「ありがとうね、一馬」

 灯は言った。

 「あたしの為におこってくれた人なんて、あなたが初めてよ」

 「ああ」

 一馬は答える。

 「当然だ」

 そしてとてつもなく悲しくなった。

 「今日はどうするんだ?」

 「締め出しを食らった形になるけど、まあ大丈夫よ。これくらいのことは覚悟していたし、一晩くらいどうにか過ごすわ。……それにしても迂闊だった。あいつらが保健室にやってくるの、いつもはもう少し遅いはずなんだけどね。その時間にはあそこに戻って、どうにかあんたとの繋がりも含めてばれないようにするつもりだったんだけどね」

 「……内に来いよ」

 一馬は言った。

 「へ?」 

 「一晩乗り切るって、具体的にどうするつもりなんだ? 外は危ないだろう? 親もいないだろうし、問題ない。汚いところだが我慢しろ」

 本当に汚いところである。正直見られるのは嫌だったが、そうもいってはいられない。 

 「……いいの?」

 心の底から、一馬の好意が信じられないようであった。それが一馬には悲しかった。良いに決まっている。元はと言えば灯が締め出しを食らったのも、一馬が陽に殴りかかってしまった所為だ。それに

 「おまえには恩がある」

 「……ありがとう」

 灯は言った。

 礼を言われる理由もなかった。その申し訳なさそうな表情に、灰村灯という人間の新しい一面を発見したような気がした。


 「本当に汚いところね」

 と、家に来て早速灯は言うのだ。

 「掃除くらいしていなさいよ。人間の住むところじゃないわ。どんな理由があるのかは知らないけれども、掃除する暇くらいあるんじゃないの?」

 ぶしつけなその物言いは、保健室で初めて会った時と何ら変わらぬものだった。そのことに、一馬はなんだか安心する。そうだ。名探偵様はこうでなくてはいけない。

 「悪かったな」

 「まあ屋根がありゃ何でも良いんだけれどね。それじゃあ、悪いけどどこかに寝かせてくれると助かるわ」

 「俺の部屋で良いか?」

 と、一馬は真顔で言った。別にそうである必要もないのだが、最初に思いついたのがそこだったのである。このあたりが十三歳児の発想だ。

 「まあ。妥当でしょうね」

 というので、灯を二階へ運んで一馬のベッドに横たわらせる。力の入らない、でろりとした傷だらけの両足が、ほんの少しだけ不気味に思えてしまう自分が悲しかった。

 「ここは少しは綺麗なのね。下と比べれば」

 「そりゃどうも」

 確かに一馬の部屋は多少雑然としていて、リビングなどと比べればマシだとは言え、散らかっているということには変わりなかった。基本的に一馬は家の金を好き放題に使えるので、漫画本などは買い放題なのであった。そしてそれを片付ける方法も教えられていないので、部屋の隅っこに積むでもなく山と置かれているだけ。他にも片付けられない様々なものが溢れており、お世辞にも綺麗な部屋とは言えない状態なのだ。

 「なぁ灰村」

 一馬は意を決して言った。

 「なぁに?」

 「その。家ではどんな感じだ?」

 心配だった。あんな弟や姉がいては、灯の家庭での生活のつらさなど想像に余りある。そして、あのように人を人とも思わぬ連中ならば、何をやってもおかしくないような気がした。殺人であれ、なんであれ。

 「別に。つらくない訳じゃないけれど。……あそこにはあの二人の他に、糞な兄貴もいるしね。そんなに居心地の良いところじゃないわ」

 それはそうだろう。

 「しみったれた顔をするものじゃないわ。君は自分の心配をした方が良い。少年院ってところはね、多分あたしの家よりもずっと居心地悪いんじゃない? 知らないけど。ごはんもおいしくないっていうし」

 そうだった。自分は半ば、殺人の容疑をかけられる崖っぷちのような状態なのだ。

 「すっかり忘れていたっていう感じね。相変わらず、人の良いこと」

 灯はおかしそうにそう言った。

 「ねぇ木曽川。何か覚えがないの? 特に、あの三人組に纏わることで、ちょっとおかしかったこととか」

 「おかしかったこと、ね……」

 一馬は思い返す。

 「あるようなないような……。というか、あの密室を解かないことにはどうしようもないんじゃないのか? 鍵を持っている俺しか犯行は不可能っていう状態を覆すには、そっちを考えてもらった方が……」

 自分の懸念を、一馬は正直に口にする。一馬のもっとも気になっているところはそれだ。あの密室、鍵も窓も全部閉じていて、鍵は中から発見されたという不可解な現象。窓が一つ割れていたとは言え、人が入れる隙間なんてなかった。

 「ああ。それならもう解けているわ」

 と、灯は流暢にそう言った。 

 「……へ?」

 一馬は間抜けな表情を作る。何よ、と灯は一馬の方を睨んだ。よっぽど変な顔をしてしまったのだろう。

 「マジかよ?」 

 「あたしは名探偵よ。だからそれくらいできてしかるべきだわ。それより重要なのは、誰が密室を形成して、工藤を殺したのか。そういうことよ。その為には君の証言が必要不可欠なの。君に容疑を押し付けるのは、君にまつわる人間だと決まっているからね」

 「……それで。三人組に関する証言が必要なのか」

 「そうよ」

 灯は言った。

 「あたしはあの三人が犯人じゃないかと睨んでいる。でもそれは何も論理的なものじゃない。あんなことをしそうなのは、あいつらくらいだって言うそれだけの話。だけどそんなんじゃ証拠にならないでしょう」

 それはもっともだ。一馬は考える。あの三人組に関して、おかしな話。何でも良い、ひっかかるようなこと。

 「灰村輝のことなんだが」

 「何でも言って」

 「俺達の教室で、演劇の練習をしていた。ドラキュラ伯爵の格好をして、俺を脅かして来た」

 「奇妙なことね」

 灯は言った。

 「まず最初。この学校に演劇部なんてところは存在しないわ」

 「そうなのか?」 

 一馬は驚いて言った。

 「それくらいのことも知らないで。すっかり騙されていたみたいね。そんな風に人が良いから、容疑を押し付けられんのよ」

 押し黙る以外に一馬は何もできない。灯はベッドに横たわったまま、一馬の方を向いて

 「何にでよ。それはおかしなことに違いないわ。それで? それはいつのことで、どういう経緯で君はそれに出くわしたのかしら」

 一馬は思い出しながら、その時のことを灯に語って聞かせた。それは事件の前日の放課後。桐家からの手紙が下駄箱に入っていて、それで研究会に向かって。陽に会って、それから桐家の姿を追って自分の教室に入った。教室に入ったら占い師とドラキュラ伯爵と出くわした。

 「その一緒にいた占い師が、二つの鍵を盗んだ犯人よ」

 灯は言った。

 「……はあ?」

 あまり唐突なその言い分に、一馬は面食らうばかりであった。

 「まったく、そんな重要なことを良くも今まで話さずにいてくれたものね。まあ良かったわ。話が聞けて」

 「ちょっ……。いったいどういうことだ?」

 意味が分からない。どうしてそんなことが事件と繋がっているのか。一馬は困惑するばかりだ。大して、灯は愉快そうに顔を歪めて、一馬の方を向きながら得意げに微笑んでいる。 

「安心して。謎は全て解けたわ。これで君の容疑も晴れるというものよ。良かったわね。万歳」

 一馬はそこで思わず、首を傾げた。

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