五
本作はフィクションであり、実在の人物・団体とは関係ありません。
その日もその女は取調室の椅子に座り、俯いたままじっと、動かなかった。首は九十度に曲げられ、その女のつむじの形がはっきりと分かった。俺はゆっくりと口を開いた。
「周りの人間が幸せそうに見えたか。羨ましかったんか。もしそう見えたんやったら、君がその人たちをほんまに見ようとしてへんかった証拠や。みんなそれぞれに大変さを抱えて生きてる。大人やからそれを表に出さずに堪えてるだけや。自分の裕福さに無頓着やった証拠でもあるな。世の中には親から虐待受けて、たった二歳で命を失う子もおるんや。両親事故で亡くして、施設に行かざるをえへん子もおる。ろくでもない親の莫大な借金肩代わりしてるやつもおる。それでもめげずに、ひたむきに、一生懸命働いてる人らが、いっぱいおる。俺の知り合いにも、自殺未遂、したやつがおる。所謂ブラック企業と言われるようなところで働いとって、毎日朝はやくから働き始めて、終わるのは深夜過ぎてから、家に帰れることはほとんどなかった。上司からは罵詈雑言浴びせられて、時には殴られたり、蹴られたりして、ほんである日、首吊った。たまたま発見が早くて一命はとりとめたし、身体に障害も残らんかった。病院で鬱病の診断を受けたけど、今は元気に社会復帰して、嫁も子どももおる。そういう人たちがいることを、君はもっと知るべきや。自分の周りの世界に、もっと目を向けるべきや。困難な境遇の中でも、他人のせい、環境のせいにせずに、歯食いしばって生きてる人たちがおることを知らなあかん。自分が恵まれてる方やってことを分からなあかんわ。君の人生は幸せやったはずや。五体満足で、両親健在で、大学まで出してもらって。それは当たり前のことやないで。幸せなことや。それやのに、その幸せを自分で壊したんや。今の子は確かにかわいそうやと思う。SNSがあって、すぐに、簡単に、自分と他人の生活を比べれてまう。画面越しのキラキラした世界に憧れたんか知らんが、いいか。自分の人生を他人の人生とそんな簡単に比べたらあかん。自分の人生とちゃんと向き合ったら、自分がいかに幸せか気づけたはずや。誰かの幸せを考えたこと、あるか。誰かのために、と思ったこと、あるか。自分ばっかり苦しくて辛い、自分だけが幸せになればそれでいい。そう思って生きてきたんとちゃうか。人は、自分じゃない他の誰かを幸せにするために生まれてきた、俺はそう思う。よく聞いてくれ。関係ない人巻き込んだらあかん。自分の人生の責任は、自分でとらなあかんねん。分かるか」
喋っている間、女はぴくりとも動かなかった。




