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旅の友に選んだのはゴブリンでした  作者: 竜神
第6章:再会、そして言葉はいらない

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EP97

285:水不足の危機


黄金の海が、私たちの行く手をどこまでも阻んでいた。「死の砂漠」へと足を踏み入れて二日。太陽が天頂から振りまく暴力的なまでの熱量は、私たちの水分と体力を容赦なく奪い去っていく。一歩足を進めるたびに、熱せられた砂がブーツの隙間から入り込み、皮膚を焼くような不快感をもたらした。


「リゼ。お前、大丈夫か。顔が真っ白だぞ」


前を行くガブが足を止め、振り返った。彼の左腕にあるミスリルの「鍋のふた」は、今や強烈な日光を遮るための日傘代わりに使われている。伝説の金属であるミスリルは熱伝導率が低いためか、その陰に入るとわずかに空気が涼しく感じられるのが救いだった。


「大丈夫よ。ただ、喉が、少し……」


私は声を絞り出そうとしたが、口の中は砂を噛んだように乾ききっており、ひび割れた唇から微かな血の味がした。手元の水筒を振ってみるが、返ってくるのは虚しい「空」の音だけだ。私たちは昨日、節約していた最後の水を飲み干してしまった。


「チッ、予想以上にこの砂漠の精霊どもは排他的だな。湿り気のかけらもない」


ガブが苛立たしげに地面を蹴る。舞い上がった砂塵が、私たちの視界をさらに霞ませた。

私は、震える手で黒い鉄の杖を握りしめた。国境を越えてから、私の内側に巡り始めた「対話する魔力」は、少しずつその流量を増やしている。アカデミーで無理やり引き出されていたあの刺すようなマナではなく、もっと穏やかで、私の意志に寄り添うような温かな力だ。けれどこの砂漠においては、その魔力を形にするのが極めて困難だった。


(ああ、深い砂の底で眠る、古の水の記憶よ。あるいは、はるか上空を漂う、目に見えないほど小さな雲の雫たちよ。どうか、この乾ききった場所に迷い込んだ不器用な旅人の声に、耳を傾けてはいただけないでしょうか……)


私は杖を砂に突き立て、精霊たちへ最大限の敬意を込めて語りかけた。しかし、返ってくるのは踊り狂う火の精霊たちの嘲笑のような熱風だけだ。水、という概念自体がこの場所からは疎外されている。


「リゼ、無理はするな。お前が魔力を使い果たして倒れたら、それこそおしまいだ」

「でもこのままじゃ、明日まで持たないわ。ガブ、あなただって、足取りが重くなっているじゃない」


ガブの強靭なスタミナをもってしても、この異常な乾燥は致命的だった。彼の緑色の皮膚は、湿り気を失ってカサカサとした不自然な質感に変わっている。かつて冷たい果実水をいつでも飲めた生活が、遠い前世の記憶のように思えた。あの頃の私は、水一滴の価値など考えたこともなかった。けれど今、私たちはその一滴のために、全霊を懸けて戦っている。


「あっちだ」


ガブが、陽炎が揺れる北の方角を指差した。


「岩場がある。あそこなら、少なくとも日光は遮れる。運が良ければ、岩の割れ目にわずかな結露があるかもしれない」


私たちは互いの肩を支え合うようにして、蜃気楼がゆらめく砂の斜面を這い登っていった。一歩ごとに「水、水」と頭の中で呪文のように繰り返し、私はただ、自分の中に微かに戻ってきた魔力が、何かの奇跡を起こしてくれることを祈り続けていた。


286:サボテンの味


辿り着いた岩場は、巨大な背骨のように砂漠の中に突き出していた。幸いにも、その影には直射日光を免れた僅かな空間があった。私たちは倒れ込むようにして岩の陰に滑り込んだ。


「おい、リゼ。見てみろ」


ガブが岩の裂け目を指差した。そこには灰緑色の、不格好に膨らんだ植物が根を張っていた。無数の鋭い棘に覆われ、まるで武装した魔物のような外見をしたサボテンだった。


「サボテン……。これなら、中に水があるんじゃないかしら?」

「ああ。だがこいつは『竜吸りゅうきゅうサボテン』だ。迂闊に傷をつければ、中から猛毒の霧を吹き出す。おまけに皮は鋼鉄並みに硬いぞ」


ガブが慎重に手を伸ばすが、サボテンは外敵の接近を察知したかのように、棘をチリチリと震わせた。普通の刃物では歯が立たず、力ずくで割れば中の貴重な水分が汚染されてしまう。


「私がお願いしてみるわ」


私は黒い杖の先端をサボテンの前に差し出し、静かに目を閉じた。この植物の中には、この過酷な環境で生き抜くために凝縮された、強靭な「生の意志」が宿っている。それを奪うのではなく、分けてもらう。


(厳しい渇きに耐え、この地に根を張る誇り高き緑の守護者よ。私たちは、あなたの命を害する者ではありません。ただ私たちの旅がここで終わらぬよう、あなたの内に秘めた慈悲の雫を、わずかばかり分けてはいただけないでしょうか。あなたの痛みには、私の魔力を癒やしとして捧げます……)


私は回復しつつあるマナを、杖を通じてサボテンへと優しく流し込んだ。それは攻撃ではなく、感謝と対価の捧げ物だ。するとあんなに攻撃的だったサボテンの棘が、ふっと力を抜いたように伏せられた。そして中心部の最も太い節が、まるで熟した果実のように自らピキリと亀裂を作ったのだ。


「やったぞリゼ!毒の気配もない!」


ガブが手際よく、ミスリルの鍋のふたを皿にして、溢れ出してきた果肉を受け止める。私は震える手で、その透明な粘り気のある果肉を口に運んだ。


「っ、苦い。それに、すごく酸っぱいわ」


思わず顔をしかめてしまったが、その強烈な不快感こそが、生命が凝縮されている証拠だった。口の中に広がる青臭い水分が、カピカピに乾いていた粘膜に染み渡り、脳にまで「生きている」という信号を送ってくる。


「贅沢言うな。砂漠じゃこれが最高の極上スープだ」


ガブもまた、むさぼるように果肉を喉に流し込んだ。それはかつての私が知っていた「美味しい食事」とは程遠いものだった。けれど、どんな高級なワインやデザートよりも、このサボテンの苦い味は私の心に強く刻まれた。


「ふふっ。まさか私が、ゴブリンと一緒に鍋のふたの上でサボテンを食べるなんてね。先生たちがこれを見たら、泡を吹いて倒れるわ」

「へっ、そいつらにはこの味の良さは一生わからない」


少しだけ潤いを取り戻したガブが笑う。サボテンの精霊との対話に成功したことで、私の内側の魔力はさらに安定したように感じられた。力とは奪うものではなく、世界と交渉して得るもの。砂漠の過酷さは、皮肉にも私の魔導師としての真実を、より深めてくれていた。


287:蜃気楼


サボテンで命を繋ぎ、再び歩き出してから数時間。太陽が最も高い位置を過ぎ、影が長く伸び始めた頃。私たちの前方に、信じられない光景が現れた。


「ガブ。あれ、見える?」


私は掠れた声で尋ねた。そこには揺らめく空気の向こう側に、広大な緑の森と、白く輝く美しい宮殿が建っていた。透き通った湖からは涼やかな水しぶきが上がり、豊かな果実が実る木々の揺れる音が、風に乗って聞こえてくるような気がした。


「ああ、見える。ありゃ伝説の『楽園』か?いや、それにしては……」


ガブの足が、フラフラと吸い寄せられるようにその方向へ向かう。私の目にも、その光景はあまりに鮮明に映っていた。しかもその宮殿のバルコニーには、穏やかな顔をした父様や、かつての友人が笑顔で私を手招きしている姿まで見える。


「リゼ……おい、あっちに水があるぞ。冷たい美味そうな水だ……」


ガブの瞳が、焦点の合わない状態でその「幻」を見つめている。私も一瞬だけ心が折れそうになった。あそこに行けば、もう歩かなくて済む。もう乾きに苦しむことも、追っ手に怯えることもない。


けれどその瞬間に、私の鉄の杖が私の手のひらをチリリと刺激した。回復し始めた私の魔力が、周囲の精霊たちの「異常」を知らせてくれたのだ。


(光を屈折させるいたずらな精霊たち。そして、渇望を餌にする砂の幻術師よ。私たちを惑わさないで。私たちの目指す『楽園』は、そんなに甘く、懐かしい形はしていないはずよ……)


私は杖を強く握り、戻ってきた魔力を瞳に集めた。


「ガブ待って!行っちゃダメ!」


私はガブの腕を掴み、杖を地面に叩きつけた。


「静まりなさい、光の乱反射!真実を覆い隠す霧を、私の意志で払いなさい!」


微かな魔力の波動が放射状に広がり、陽炎を切り裂いた。すると美しかった宮殿も、涼やかな湖も、一瞬にして掻き消えた。あとに残されたのは、底なしの流砂が待ち受ける、深い蟻地獄のような窪みだけだった。もしあと数歩踏み出していたら、私たちは砂の底に呑み込まれていただろう。


「う、うわっ!?」


我に返ったガブが、慌てて後ろに飛び退いた。


「なんだよ、今のは……。オレ、確かに水が見えたんだぞ?」

「蜃気楼よ。私たちの『願い』が、砂漠の熱と混ざって見せた偽物の夢」


私は肩で息をしながら、鉄の杖を支えに立ち上がった。魔力は戻りつつあるが、一回の術でかなりの体力を消耗してしまう。それでも自分の力で「偽りの救い」を振り払えたことに、私は確かな手応えを感じていた。


「助かったリゼ。お前いつの間にか、本物の『魔女』になってるな」

「当たり前でしょう?あなたを守る盾になるって、決めたんだから」


私たちは偽りのオアシスがあった場所を迂回し、再び何もなき砂の海へと足を踏み出した。『楽園』はまだ見えない。けれど蜃気楼を打ち破る強さを得た私たちは、もはや迷うことはなかった。地平線の向こう、本物の光が指し示す場所へと、二人の影は重なりながら進んでいった。

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