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旅の友に選んだのはゴブリンでした  作者: 竜神
第6章:再会、そして言葉はいらない

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EP88

258:リゼの魔法の変化


ガキンッ!!


刃と木が激突する鈍い音が響く。ガブは枝の絶妙な角度と手首のスナップだけで、兵士が渾身の力で振り下ろした剣の軌道を斜めへと逸らしてみせたのだ。体勢を崩した兵士の膝裏へ、流れるような動作で枝の先端を打ち据える。


「ぐぁっ!」


兵士が苦悶の声を上げて倒れ込むが、ガブの動きも決して万全ではなかった。極度の飢餓と拷問によるダメージで足元の踏み込みが浅く、打撃の威力が決定的に足りていない。すぐさま背後の兵士がカバーに入り、ガブの死角から剣を突き出してきた。


(このままじゃ、ガブが押し切られるっ!)


私は木箱の陰で息を呑んだ。杖を握りしめるが、私の魔力はとうに底を突き、オドを削ることも限界だ。アカデミーの教えに従えば、今の私は「魔法が使えない無力な小娘」でしかない。けれど、私はこの数ヶ月の旅で、ガブや自然からもっと大切なことを学んでいた。


魔法とは、術式という鎖で精霊を屈服させ、力ずくで命令を下すことではない。彼らはこの世界のどこにでもいて、ただ無邪気に漂っている隣人なのだ。マナという対価を支払わなくても、心からの敬意と「お願い」をもって語りかければ、彼らはほんの少しだけ悪戯に手を貸してくれる。


私は周囲を見渡した。隣に積まれているのは、大量の小麦粉が入った麻袋。倉庫の隙間からは、外の火災による熱を帯びた不規則な風が流れ込んでいる。私は杖を置き、小麦粉の袋に素手を突っ込んで、その白い粉を両手いっぱいにすくい上げた。


(気まぐれに吹き抜ける、風の妖精たち。どうか少しだけ、私の手から離れたこの粉と共に、無邪気に舞い踊っていただけませんか。私と、私の大切な人を隠すための、白いベールとなって)


呪文ではない。ただの内なる祈り。私は掬い上げた小麦粉を、乱戦の中央へ向けて思い切り放り投げた。その瞬間奇跡が起きた。私の指先から離れたただの小麦粉が、倉庫の中に吹き込んでいた微風と不規則に混ざり合い、意思を持ったかのように空中で急激に拡散したのだ。


バフッ!!という音と共に、高密度の白い粉塵が瞬く間に倉庫内を満たし、松明の光を乱反射させて兵士たちの視界を完全に奪い去った。


「な、なんだ!?前が見えん!」

「魔女の仕業か!ゲホッ、ゴホッ!」


むせ返り、パニックに陥る兵士たち。マナを一切消費しない、ただ自然の気流と粉を利用しただけの「お願い」。これこそが、魔力を失った私が行き着いた、新しい魔法の形だった。


259:守られるだけじゃない


「ナイスだ、リゼ!」


粉塵の煙幕の中で、ガブの野性的な声が響いた。視界が奪われても、森で生き抜いてきたゴブリンの嗅覚と聴覚は決して鈍らない。彼は混乱して剣を振り回す兵士の死角に音もなく潜り込むと、鎧の隙間である脇下へ、樫の枝を深々と突き入れた。


くぐもった悲鳴と共に、また一人の兵士が床に崩れ落ちる。だが残る二人の兵士のうちの一人が、仲間が倒れた音を頼りにガブの位置を正確に割り出し、闇雲に、しかし強烈な横薙ぎの剣を振るってきた。


「そこだ化け物ッ!」


粉塵を切り裂いて迫る白刃。ガブはそれを樫の枝で受け流そうとしたが、連戦と限界を超えた肉体の疲労が、彼の反射神経をほんのコンマ数秒だけ遅らせた。防御が間に合わず、ガブの足がガクンと崩れる。兵士の剣先が、無防備になった彼の胸元へと吸い込まれていく。


(間に合えっ!)


私は無意識のうちに地面を蹴っていた。魔法に頼るのではない。私自身の二本の足で、彼のもとへ。私は両手でしっかりと握りしめた重い水晶の杖を、上段から斜め下へと、無我夢中で振り下ろした。


ガアァァンッ!!


手首の骨が砕けたかと思うほどの、凄まじい衝撃と金属音。私の杖の柄が、ガブを貫く寸前だった兵士の剣を真横から叩き落としていた。鉄とぶつかり合った木製の柄がミシミシと悲鳴を上げ、私の両腕は痺れて感覚を失いかけている。だが、私は絶対に杖を離さなかった。


「なっ……魔女、貴様!」

「私たちは、ただの獲物じゃないわ!」


私は痺れる腕に無理やり力を込め、弾き返されてバランスを崩した兵士の顔面——兜の隙間——に向けて、水晶のついた杖の先端を容赦なく突き入れた。ゴツッ!という鈍い手応え。急所を突かれた兵士は悲鳴を上げる間もなく白目を剥き、ドサリと仰向けに倒れ込んだ。


「ハァッ……ハァッ……」


私は震える手で杖を抱え込んだまま、肩で大きく息をした。人を、物理的に殴り倒した。生まれて初めての経験だ。手が震え、心臓が口から飛び出しそうなほど早鐘を打っている。


「おいおい、お上品な魔女様が、随分と野蛮になったな」


足元で体勢を立て直したガブが、呆れたような、それでいてどこか誇らしげな声で言った。


「あなたのせいよ。こんな棍棒振り回すゴブリンと一緒にいたら、嫌でもこうなるわ」


私は強がって笑い返した。もうただ彼の後ろに隠れて、震えながら呪文を唱えているだけの小娘じゃない。彼が疲弊しているなら私が盾になる。彼が倒れそうなら私が支える。それが、「守られるだけじゃない」と決意した私の、新しい戦い方だった。


260:背中を預ける


最後の四人目の兵士は、仲間が次々と倒されていく様に完全に戦意を喪失し、武器を放り出して外へと逃げ出していった。粉塵が徐々に晴れていく倉庫の中は、遠くから聞こえる火災の音をよそに、不気味なほどの静寂に包まれた。


「ハァ……ハァ……」


私は大きく息を吐き出し、張り詰めていた緊張の糸が切れたようにその場にへたり込みそうになった。だが、ガブが背後からそっと私の背中を支えるように、自身の背中をピタリと合わせてきた。


「まだ気を抜くな。今の連中は、ただの下っ端だ」


ガブの低い囁きに、私はハッと我に返った。私の背中に伝わってくる彼の体温。極限まで痩せ細り、骨がゴツゴツと当たって痛いほどの小さな背中だが、そこには絶対に倒れないという強靭な意志が宿っていた。


言葉を交わす必要はなかった。背中越しに伝わる互いの呼吸のペース、筋肉のわずかな強張り。それだけで、彼がまだ周囲の危険を察知していることが、痛いほどに伝わってくる。


「来るわね」

「ああ。足音が違う。鎧も、武器の重さもな」


ドスン、ドスン、と。倉庫の外、裏庭の土を踏みしめる重厚な足音が、四方から私たちを包囲するように近づいてきた。先ほどの一般兵士たちとは明らかに違う。規則正しく、一切の無駄がない歩調。全身を分厚い鋼の板金鎧プレートアーマーで包み、手には魔力を帯びた業物の武器を握っているであろうことが、その足音の響きだけで理解できた。


「裏庭を完全に包囲した!ネズミ一匹逃がすな!」

「館を燃やした罪は万死に値する!大隊長殿の許可は出ている、四肢を切り落としてでも捕らえよ!」


冷酷で、訓練の行き届いた声が夜闇に響き渡る。倉庫の壁の隙間から、彼らの持つ松明の火と、それに照らされてギラギラと光る銀色の鎧の群れが見えた。十人、いや、二十人はいるだろうか。彼らこそが、領主が莫大な金で雇い入れている真の精鋭。一騎当千の実力を持つとされる「領主直属の騎士団」本隊だった。


「どうやら、ここからが本番みたいだな」


ガブは背中を合わせたまま、樫の枝を握る手にギリッと力を込めた。魔力を失った魔女と、満身創痍のゴブリン。相手は無傷の重武装騎士団。絶望的な戦力差だ。だが、私の心に不思議と恐怖はなかった。私の背中には彼がいる。彼の背中には私がいる。


「行くわよ、ガブ」

「ああ。オレたちの『阿吽の呼吸』ってやつを、あのピカピカの連中に教えてやろう」


包囲網が狭まり、月明かりが倉庫の入り口を照らし出す中、私たちは互いの背中から離れ、武器を構えて正面を見据えた。最大の死闘が、今まさに幕を開けようとしていた。

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