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旅の友に選んだのはゴブリンでした  作者: 竜神
第6章:再会、そして言葉はいらない

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EP86

252:「リゼ、遅い」


煙が立ち込める牢の中。赤く熱を帯びた鉄の切断面から漏れる光が、ガブの泥と血に塗れた顔を照らし出していた。彼は壁に繋がれた太い鎖に四肢を引かれ、まるではりつけにされているかのような無残な姿だった。私が一歩近づくたびに、彼の呼吸がヒューヒューと浅く鳴るのが聞こえる。


私が伸ばしかけた手を空中で止めたのを見て、ガブは呆れたように小さく鼻を鳴らした。そして、ひび割れた唇をわずかに歪め、いつもの生意気な笑みを作ろうとした。傷だらけの頬が引き攣り、痛々しい表情にしかなっていなかったけれど、その目だけは、かつて森で私を導いてくれた時のように、強い光を宿していた。


「リゼ、遅い」


極度に乾燥した喉から絞り出されたその声は、砂を噛むように掠れていた。文句。こんな状態になってまで、彼が最初に口にしたのは、泣き言でも命乞いでもなく、私に対する不満だった。


「なんで……っ、なんでそんなこと言うのよ……」


私の目から、再び大粒の涙がこぼれ落ちた。彼は私が必ず助けに来ると信じていた。だからこそ、人間の言葉を喋ってまで領主の興味を引き、「見世物」としての猶予期間を作り出したのだ。鞭で打たれ、食事を抜かれ、この冷たく湿った暗闇の中で。いつ来るかもわからない私を、彼はたった一人で待ち続けていた。


「腹、減った……。お前、何か……美味いもん、持ってきてないのかよ……」


ガブは浅い息を継ぎながら、わざとらしく文句を続ける。その言葉の裏にある強がりが痛いほどわかった。彼は私に心配をかけまいと、わざといつもの調子で話しかけているのだ。


「馬鹿……!こんな時に、食べ物の話なんて……」


私は両手で顔を覆い、しゃくり上げた。助けに来たよ、と格好良く言いたかったのに。私はただの泣き虫な小娘のままだった。


「泣く、なよ……」


鎖がジャラリと鳴り、彼が少しだけ身を乗り出そうとした。だが、手首に食い込んだ鉄のかせがその動きを阻み、彼は苦痛に顔を歪めて壁に寄りかかった。


「オレの……天才的な作戦のおかげで、剥製にならずに済んだんだ……。褒めて、ほしいくらいだ……」

「作戦って……あんな噂流させて!見世物にされるなんて、殺されるより酷いじゃない!」

「いいや……。生きてたら、なんとかなる……。お前が、ちゃんと……来たからな」


彼が真っ直ぐに私を見た。その緑色の瞳には、私への絶対的な信頼が揺るぎなく存在していた。私がどんなに弱くても、どんなに不甲斐なくても。彼は私を「相棒」として認め、自分の命を預けてくれていたのだ。


私は顔を上げ、乱暴に涙を拭った。泣いている場合ではない。上の階ではまだ炎が猛り、館の崩落がいつ始まってもおかしくない状況だ。彼をここから連れ出すのが、私の果たすべき唯一の使命なのだから。


253:「ごめん」


「ガブ……ごめん。ごめんなさい」


私は彼の目の前に膝をつき、震える声で謝罪した。自分の弱さが悔しかった。村で追っ手から逃げる時、私がもっと上手く立ち回れていれば。魔法の詠唱をもっと早く、強力にできていれば、彼が囮になって捕まることもなかった。私の未熟さが、彼の体にこれほどの傷を刻み込んだのだ。


「謝る、な……」


ガブは短く息を吐き、首を横に振った。


「お前は、弱くない……。こんな厳重な館に、一人で忍び込んで……火まで放ったんだろ?すげぇ魔女様じゃないか……」


煙の匂いと上の階の騒ぎから、彼なりに状況を察しているようだった。私は彼の手首を拘束している分厚い鉄の枷にそっと触れた。氷のように冷たく、ひどく重い。皮膚は擦り切れ、血がこびりついている。


「痛かったよね……辛かったよね……。本当に、ごめんなさい」

「だから……謝るな。オレは、お前の相棒だろ。お前を守るのは、オレの役目だ」


ガブは痛みを堪えるように目を細めながら、それでも口角を上げてみせた。


「それに……お前がいないと、オレは王都で美味い肉を食えないからな。投資みたいなもんだ」


憎まれ口を叩くその声は弱々しかったが、私を安心させるには十分だった。彼は心が折れていなかった。どんなに体を痛めつけられても、彼の魂は少しも曇っていなかったのだ。


「うん。絶対に、王都で一番美味しいお肉を食べよう。私のお金で、好きなだけご馳走するから」


私は鼻を啜りながら、彼に向かって笑いかけた。もう泣かない。この緑色の小さな英雄を、絶対に死なせたりはしない。


「まずは、この鎖を外すね」


私は偽装を解いた水晶の杖を短く持ち直し、彼の手首と足首を縛る四つの鉄枷を凝視した。これも魔力阻害の呪文が施された特注品のようだ。物理的な鍵穴はあるが、先ほど奪った鍵束には合うものがなかった。魔法で無理やり破壊しようにも、ガブの肉体に密着しているため、先ほどの「焦熱の嵐」や超高熱の魔法を使えば、彼の手足まで一緒に焼き切ってしまう危険がある。


「どうする……?鍵は、あの豚領主が持ってるはずだぞ……」

「大丈夫。私に任せて」


私は杖の先端を、彼の手首の枷のわずかな隙間にそっと当てた。極めて繊細な魔力操作が求められる。だが、今の私ならできる。この数ヶ月、彼と共に野を越え山を越え、精霊たちと対話を重ねてきたのだから。


(静寂を愛し、万物を侵食する水の精霊たちよ。そして、形あるものを微小に穿つ氷の妖精たちよ。どうか私の祈りに応えてください)


私は目を閉じ、残された魔力を極限まで細く、鋭く練り上げた。


(この冷酷な戒めの内側に潜り込み、内側から錠を弾けさせる、冷たく小さな刃を。どうか私に貸していただけないでしょうか)


「『氷結の楔(アイス・ウェッジ)』」


杖の先端から、目に見えないほど微小な水分が枷の鍵穴の奥深くへと浸透し、次の瞬間、一気に凍結して膨張した。パキンッ!という甲高い音と共に、内部の機構が氷の膨張圧に耐えきれずに破壊され、手首の枷が外れて床に落ちた。


「すげぇ」


ガブが目を丸くする。私は同じ要領で、もう片方の手首、そして両足首の枷も次々と破壊していった。すべての拘束が解かれ、ガブの体が重力に従って前へ倒れ込んでくる。私は杖を放り出し、その小さな体をしっかりと抱きとめた。


泥と血と、ハーブの匂い。とても軽くて、骨と皮だけになってしまった彼の体。だが、その胸の奥からは、確かに力強い鼓動が伝わってきた。


「ありがとな、リゼ」


私の肩に顎を乗せたまま、彼が小さく呟いた。その言葉だけで、私が一人で戦ってきた恐怖も、孤独な夜の長さも、すべてが報われた気がした。


254:鉄格子を溶かす


ガブを背負って立ち上がろうとした時、頭上からドォォン!という凄まじい轟音が響き、牢の天井から大量の石屑と土埃が降り注いだ。どうやら、1階の床の一部が焼け落ちたらしい。地下への通気口から流れ込んでくる煙はさらに濃さを増し、息をするのも困難になってきた。


「マズいな……館が崩れるぞ」


私の背中で、ガブが掠れた声で警告する。

私が来た通路の方向を見る。先ほど私が熱で溶かして開けた鉄格子の穴は、人が一人かろうじて通れるだけのサイズだ。私一人なら抜けられるが、ガブを背負った状態では、切り口の鋭い鉄に彼の体を引っ掛けてしまう危険がある。それに、あの通路を戻ったとしても、螺旋階段は炎と煙に包まれている可能性が高く、脱出ルートとしては絶望的だった。


「ガブ、この牢の奥に、別の出口はないの?」


私は背中の彼に尋ねた。


「奥の壁の向こうから、水の流れる音が聞こえてた。たぶん、地下水路か、下水に繋がってるはずだ」「地下水路!」


私は彼を背負ったまま、牢の最奥部、完全な暗闇に包まれた壁際へと向かった。そこには、床すれすれの位置に、半円形の巨大な鉄格子が嵌め込まれていた。幅は2メートルほどあり、その向こうからは確かに暗い水流の音が聞こえてくる。どうやら、雨水や地下水を堀へと排出するための排水口のようだ。ここを抜ければ、館の外へ出られる。


だがその排水口を塞ぐ鉄格子は、入り口のものよりもさらに分厚く、錆びついて壁の石組みと完全に一体化していた。魔法の錠前すらない、純粋な物理的障害。蹴っても叩いても、ビクともしない。


「これを壊すしか、道はないわね」


私はガブを一度安全な壁際に下ろし、水晶の杖を構え直した。

残存魔力は、先ほどの精密な氷結魔法でほぼ底を突いている。だがやるしかない。ここで倒れれば、二人とも瓦礫の下敷きになって焼け死ぬだけだ。私は杖を両手で強く握り締め、錆びついた巨大な鉄格子の中心へと突き当てた。


(猛る炎の精霊たちよ。これが本当に最後のわがままです)


私は目を閉じ、自分の生命力そのものを絞り出すような感覚で、マナを杖へと流し込んだ。視界が明滅し、耳鳴りが激しくなる。肉体が限界を超え、悲鳴を上げている。


(どうか、私とこの小さな相棒の前に立ち塞がる、最後の障害を。全てを無に帰す灼熱の光で、跡形もなく溶かし尽くしてはいただけないでしょうか!)


「『融解の閃光(メルト・フレア)』!!」


私が叫ぶと同時、杖先の水晶から、直視できないほどの眩しい白光が放たれた。それは単なる炎ではない。精霊の力を極限まで凝縮した、超高熱の魔力線だ。


ズゴォォォォォォッ!!


白光が直撃した瞬間、分厚い鉄格子が悲鳴を上げる間もなく、ドロドロの液体となって一瞬で融解した。石組みの壁ごと、巨大な円形の穴がぽっかりと穿たれる。蒸発した水分の白煙が晴れると、そこには館の外側、堀へと続く暗い地下水路の道がはっきりと開通していた。


「やった……!」


私は杖を杖代わりにして、膝から崩れ落ちそうになるのを必死に堪えた。


「無茶しやがって……」


ガブが呆れたように言いながらも、自力で壁を伝って立ち上がろうとしていた。私は慌てて彼に駆け寄り、その細い腕を自分の肩に回した。


「さあ、行こう。こんな趣味の悪い館、おさらばよ」

「ああ……。オレの装備、取り返さないとな」

「えっ?こんな時に?」


背中を預け合い、ボロボロの二人三脚で、私たちは開通した地下水路へと足を踏み入れた。背後で、領主の館が断末魔のような崩落の音を立てていた。

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