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旅の友に選んだのはゴブリンでした  作者: 竜神
第6章:再会、そして言葉はいらない

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EP85

249:館炎上


「ガブ!」


煙の向こうでゆっくりと動いた小さな影に向かって、私は思わず叫んでいた。だが、その声は分厚い鉄格子に阻まれ、さらに頭上から降り注ぐ凄まじい爆音によって無残にも掻き消された。


ゴォォォォォォッ!!


私が通気口に放った大魔法「焦熱の嵐(フレア・ストーム)」は、今や領主の館の1階部分を完全な業火の海へと変えていた。天井の石組み越しにさえ、巨大な木材が爆ぜる音と、床が焼け落ちる地鳴りのような振動が伝わってくる。


「火事だ!!消火を急げ!」

「地下はいい!領主様をお守りしろ!!」


先ほどまでこの地下を目指して殺到していた騎士たちの怒号は、完全に別の方向を向いていた。私の狙い通りだ。パニックに陥った彼らにとって、地下牢に繋がれた「見世物」の生死など、自分たちの命や主人の安全に比べればちりほどの価値もない。彼らの意識が完全に地上階の炎に向いているこの数分間だけが、私に与えられた唯一のチャンスだった。


しかし、状況は私にとっても最悪だった。通気口から逆流してくる黒い煙が、地下二層の通路に急速に充満し始めているのだ。檻の中の魔物たちは炎の気配に狂乱し、鎖を引きちぎらんばかりに暴れ回っている。煙で目が焼け付くように痛む。破れた袖を口元に押し当てて咳き込みながら、私は目の前の現実と向き合った。


ガブとの間を隔てる、大人の腕ほどもある無骨な黒鉄の格子。その錠前には、青白く発光する複雑な魔法陣が刻み込まれている。突きつけた水晶の杖の先で、その術式を一つ一つ解析して解いていくのが「魔女」としての本来のセオリーだ。だが、今の私に残された魔力と時間では、この悪辣あくらつな魔法陣を無力化することは不可能だった。


(なら、錠前じゃなくて、この鉄の檻そのものを壊す!)


頭上からは今も火の粉が舞い落ち、館が崩落する危険が刻一刻と迫っている。騒ぎに乗じて彼を連れ出すには、一瞬でこの障害を排除するしかない。私は魔法陣の錠前から杖を外し、魔力阻害の呪文がびっしりと刻まれた黒鉄の柱そのものへと狙いを定めた。


(温かな光を宿し、文明の火を護る炎の精霊たちよ。どうか私の我儘をお許しください)


限界をとうに超え、枯渇しきった体内から、自分の命の欠片オドを削り出して精霊に語りかける。大きな炎はいらない。館を燃やしたような嵐もいらない。ただ一点、この冷たい鉄を飴細工のように溶かし切るだけの、極小にして超高熱の力が欲しい。


(私の大切な人を阻むこの冷たい鉄に、どうか、全てを融解させる灼熱の口付けを。私の杖先に、太陽の欠片を宿してはいただけないでしょうか)


祈りと共に、私の杖先の水晶が、まるでマグマのように赤く、深く輝き始めた。


250:鉄格子の向こう


ジジジジッ……!!

赤熱した水晶の杖を押し当てた瞬間、黒鉄の格子が悲鳴を上げた。周囲の空気が一気に乾燥し、チリチリと肌を焼くような熱線が放射される。


魔力を阻害しようとする鉄の呪文と、精霊から借り受けた超高熱。相反する二つの力が激突し、火花が散る。鉄の表面に刻まれた呪文の文字が、熱に耐えきれずに明滅し、やがてジュッと音を立てて黒焦げになって消滅していった。


「溶けなさい……っ!」


私は奥歯が砕けそうなほど強く噛み締め、両手で杖を鉄格子へと押し込んだ。杖を持つ手のひらが火傷で焼けただれ、水ぶくれが弾ける。痛みに視界が白く飛ぶが、絶対に手は緩めない。この鉄格子の向こう側に、私の世界でたった一人の相棒がいるのだ。彼が受けた痛みに比べれば、こんな火傷など蚊に刺されたようなものだ。


やがて、絶対の強度を誇っていたはずの黒鉄が、ドロリと赤みを帯びて形を崩し始めた。一本、また一本。高熱によって支えを失った鉄の柱が、自重に耐えきれずに飴のようにぐにゃりと曲がり、床へと崩れ落ちていく。


ガランッ、ゴトンッ!


ついに、人が一人かろうじて通れるだけの穴が、堅牢な檻に穿うがたれた。開通した穴から、熱気と煙が牢の中へと一気に流れ込んでいく。私は杖を地面に突き、荒い息を吐きながら、まだ赤く熱を持っている鉄の切断面を慎重に避け、その穴へと体を滑り込ませた。


鉄格子の向こう側。そこは、熱気にあふれた外の通路とは対照的に、死の匂いがするほど冷たく、湿った空間だった。壁や天井からは冷たい地下水が滴り落ち、床には泥と排泄物、そして乾いた血がこびりついている。アンモニアとカビの悪臭に混じって、確かにあの泥臭いハーブの匂いが強く漂っていた。


「ガブ!」


私は這いずるようにして、暗闇の奥へと進んだ。鉄格子の熱が放つ赤い光が、牢の奥をぼんやりと照らし出している。そこには、太い鎖で壁に繋がれたまま、私の方へ向かってゆっくりと振り返ろうとしている、小さな緑色の影があった。


煙にむせながらも、私は必死に目を凝らした。ようやく彼に会えた。助けに来たよ、と。最高の笑顔で言ってやりたかった。だが、赤い光に照らし出された彼の姿をはっきりと視界に捉えた瞬間、私の喉は完全に凍りつき、笑みを作るはずだった顔の筋肉は絶望に歪んでしまった。


251:痩せた緑の背中


そこにあったのは、私の知っている「ガブ」の姿ではなかった。

いつも自信に満ち溢れ、胸を張って私の前を歩き、どんなピンチでも「腹減った」と笑い飛ばしていた、あのたくましい小さな背中。それが今は、驚くほど小さく丸まり、小刻みに震えていた。赤い光に照らし出された彼の肌は、本来の鮮やかな緑色ではなく、泥とすす、そして大量の血にまみれて、くすんだ灰褐色に変色している。肩甲骨は皮を突き破らんばかりに浮き上がり、脇腹には肋骨の形がはっきりと数えられる。たった数日、私が彼と離れ離れになっていたほんのわずかな間に、彼は餓死寸前まで追い詰められていたのだ。


「あ、ぁ……」


私の口から、ヒュッと引きったような音が漏れた。人間の言葉を喋った「見世物」として、彼がここでどんな扱いを受けたのか。一目見ただけで、その残酷な真実が嫌でも脳裏に叩き込まれた。


彼の背中から肩にかけて、無数の鞭の跡がミミズ腫れのように赤黒く盛り上がっている。何度同じ場所を打たれたのか、中には肉が深く抉れ、化膿して黄色いうみが滲んでいる傷口もあった。手首と足首を縛る鎖は容赦なく肌を削り、骨が見えそうなほど深く食い込んでいる。


あれほど痛みに強く、誇り高かった彼が。冷たい地下水が滴るこの暗闇の中で、食事も与えられず、ただ見世物としての価値を測るためだけに、毎日のようになぶられていたのだ。


私が彼をこんな目に遭わせた。村で追っ手に囲まれた時、私が足手まといにならなければ。私がもっと強くて、彼を抱えて空を飛べるくらいの魔法が使えていれば、彼はこんな地獄を味わうことはなかった。


涙が、後から後から溢れて止まらなくなった。煙が目に染みたからではない。自分の不甲斐なさに対する激しい怒りと、彼をここまで痛めつけた領主の連中への、底知れない殺意が、私の涙腺を崩壊させていた。


「ガブ……ごめん……ごめんなさい……!」


私は涙でぐしゃぐしゃになった顔のまま、彼のもとへ駆け寄り、その傷だらけの小さな体に触れようと手を伸ばした。だが、彼が痛がるかもしれないと思い、空中でその手をピタリと止める。


鎖がジャラリと重い音を立てた。虚ろだった彼の瞳が、私の顔をじっと見つめている。土気色になった顔。ひび割れた唇。彼は、泣きじゃくる私を見て、呆れたように小さく鼻を鳴らした。そして、息も絶え絶えな状態でありながら、微かに口角を上げてみせたのだ。


彼が何を言うかは、わかっている。どんなにボロボロになっても、彼は絶対に私を責めないし、自分の弱さを慰めてもらおうともしない。いつだって生意気で、私の神経を逆撫でする天才。


乾ききった彼の喉が震え、その声が静かに牢の中に響いた。

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