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旅の友に選んだのはゴブリンでした  作者: 竜神
第5章:戦火の予兆と引き裂かれる手

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EP81

238:聞こえた噂


オクテットの町は、遠目から見て想像していた以上に堅牢な造りをしていた。町全体が灰色の高い石壁にぐるりと囲まれ、出入り口となる大門には、槍を構えた屈強な門兵が数人、鋭い目を光らせている。早朝にもかかわらず、近隣の村から野菜や薪を売りに来た農民たちの荷馬車が、入町審査のために長い列を作っていた。


私は列から少し離れた木陰に身を潜め、どうやって門を抜けるかと思案した。手配書がここまで回っているかはわからないが、一人で歩く薄汚れた少女というのは、どう見ても怪しまれる。今の私には通行証も、門番に握らせる賄賂もない。


(足元を密やかに流れる影の精霊たちよ。どうか私の輪郭を周囲の暗がりと溶け合わせ、人々の目から滑り落ちるような、取るに足らない存在へと変えてはいただけないでしょうか)


私は偽装した杖の柄をそっと撫でながら、唇を微かに動かして祈った。大きな幻惑魔法は使えない。けれど、人の意識の死角を突く程度の「気配遮断」なら、今の残存魔力でもなんとか編み出せる。私の足元に落ちていた影が、意思を持ったように立ち上がり、薄いヴェールとなって私の体をふわりと包み込む感覚があった。


「ありがとう……」


私は列の後方で、荷馬車の影に隠れながら進む一家の背後へ、音もなく忍び寄った。干し草が山と積まれた馬車の下回りにしがみつき、車輪の陰に身を隠したまま、門を通過する算段だ。ガタゴトと揺れる馬車が進むたび、車軸から飛び散る泥が顔にかかるが、歯を食いしばって耐える。頭上で門兵の重々しい声が響く。


「荷は干し草か。よし、通れ。お前らもな」


何事もなく通過許可が下りる。荷馬車が門のアーチを抜け、町の石畳の上に出た瞬間、私は影の加護を解き、人混みに紛れ込むようにして馬車から離れた。


目の前には、市場バザールの熱気が渦巻いていた。パン屋のオーブンから漂ってくる香ばしい匂い、肉屋の店先で焼かれるソーセージの油の匂いが鼻を突く。何日もまともな食事を口にしていない私の胃袋が、暴力的なほどに激しく自己主張をして、きゅぅぅと鳴った。


空腹のあまり眩暈めまいがするが、今は食べ物を欲しがっている場合ではない。私は足早に市場の喧騒を抜け、職人や下層民がたむろする路地裏へと向かった。情報というものは、上等の敷物の上ではなく、汚れた酒や泥の臭いがする場所でこそ転がっているものだ。


「おい、聞いたか?領主様がまた妙なものを手に入れたらしいぞ」


ふいに、近くの木箱に腰掛けて朝から安酒をあおっている男たちの会話が耳に飛び込んできた。私は彼らから少し離れた建物の陰で、汚れた小銭を探す浮浪児のふりをしながら、神経を研ぎ澄ませた。


「ああ、昨日の昼過ぎだろう?隣村から運ばれてきたって話じゃねぇか。なんでも、川から生きたまま流れてきた魔物だとか」

「魔物?ただの魔物なら、首を刎ねておしまいだろうが」

「それが、ただの魔物じゃないんだとよ。緑色の小鬼……ゴブリンらしいが、人間よりもずっと賢そうな目をしていたって、荷馬車を引いてた奴が言ってた」


心臓がドクリと大きく波打つ。やはりガブだ。彼はまだ生きて、この町のどこかにいる。


「賢そうな目、ねぇ。領主様は珍獣の剥製はくせいを集めるのが趣味だが、生きたまま飼う気か?」「さぁな。だが、あの館の地下牢は、もう魔物の鳴き声でうるさいったらありゃしねぇ」


男たちが下卑た笑い声を上げる。

地下牢。剥製。血の気が引く思いだった。あんなに自由を愛していた彼が、冷たい石の檻に閉じ込められている。一刻も早く助け出さなければ、彼の命が、あるいは誇りが、彼岸へと連れ去られてしまうかもしれない。


239:喋る魔物の見世物


私はさらに詳細な情報を得るため、町の中央広場へと足を運んだ。そこには大きな掲示板があり、様々な触れ書きや催し物の案内が貼られている。その前には、恰幅かっぷくの良い商人風の男たちが集まり、何やら面白そうに指を差しながら談笑していた。


「いやはや、明日の夜の晩餐会は、これまでにない余興になりそうだな」


一人が、口髭を撫でながら嬉々として言う。


「まったくです。領主様も悪趣味がお過ぎる……。なんでも、新入りの魔物が『人間の言葉を喋った』というじゃありませんか」


――人間の言葉を、喋った。私は息を呑み、思わず一歩後ずさった。ガブは、人前で喋ったのだ。普段は「普通のゴブリン」のふりをして、私としか会話をしなかった彼が。


「ほう!それはまことですか?」

「ええ。館に運ばれて檻に入れられた途端、警備の兵士に向かって『おい人間、もっとマシな飯を出しやがれ』と悪態をついたとか。それに腹を立てた兵士がむちで打とうとしたら、『てめぇのその汚い手でオレに触るな』と睨みつけたそうですよ」


商人たちの間から、下世話な笑い声が弾ける。


「傑作だ!喋る魔物とは、これは高く売れるだろうなぁ」

「領主様はいたくお気に召して、明日の夜、貴族たちを集めてその魔物をお披露目するそうですよ。鞭で打たれてどんな悲鳴を上げるのか、言葉で命乞いをするのか、それを見世物にするおつもりだと」


怒りで、全身の血が沸騰するような感覚だった。私の大切な相棒が、命の恩人が、見世物として鞭打たれる?言葉の通じない獣ならいざ知らず、人語を解する存在を、ただの「面白い玩具」としてなぶろうというのだ。彼らの言葉一つ一つが、私の心臓に鋭い刃のように突き刺さる。


だが、同時に私の心の中で冷静な計算が働いていた。ガブは馬鹿じゃない。普段なら、自分が「喋れる」という切り札をやすやすと見せるような奴ではない。なぜ、彼は喋ったのか?


(そうか。時間を稼ぐためだ)


ただのゴブリンなら、即座に殺されて剥製にされていたかもしれない。しかし、「喋る珍獣」となれば、領主は価値を見出し、すぐには手を下さない。人を集めて見世物にするための準備期間ができる。彼は、私が必ず助けに来ると信じて、あえて悪態をつき、明日の夜までの「猶予」を作り出したのだ。


「待ってて。あんたの意地悪な作戦通り、ちゃんと迎えに行くから」


私は、震える手を強く握りしめ、自分に誓った。

明日の夜の晩餐会。それが、リミットだ。それまでに彼を奪還しなければ、見世物として心が折られるか、あるいは本当に殺されてしまうかもしれない。時間はあと、一日半。今日の夜が、勝負の時だった。


240:領主の館


私は商人たちの輪から離れ、町の最も高い場所にそびえ立つ建物へと向かった。領主の館。それは、周囲の質素な民家とはあまりにもかけ離れた、白亜の壁と青い尖塔を持つ巨大な要塞だった。


館は深い堀に囲まれ、唯一の入り口である正面の跳ね橋には、全身鎧に身を包んだ精鋭の兵士が四人も立っている。その奥の鉄格子も固く閉ざされており、正面突破は一〇〇パーセント不可能だ。かつての私なら、精霊に頼んで門を破壊することもできたかもしれないが、今の枯渇寸前の魔力では、小石をぶつける程度の嫌がらせにしかならない。


私は館の周囲を大きく迂回し、警備の薄い場所を探して歩き回った。裏手には小高い丘があり、館の庭園を見下ろすことができる場所があった。私は茂みの中に腹ばいになり、館の敷地内をじっと観察した。

美しい幾何学模様に整備された庭園。高価な大理石の彫刻。だが、その華やかさの裏側に、どこか淀んだような、重苦しい空気が漂っているのを感じた。


(大空を駆け巡り、あらゆる音を拾い集める風の精霊たちよ。どうか私に、あの石壁の向こうの微かな息遣いを、耳元へささやいてはいただけないでしょうか)


私は目を閉じ、杖に額を当てて静かに詠唱した。風が、庭園の方から私の耳元へと吹き抜ける。兵士たちの足音。剣の擦れる音。そして――。微かに、本当に微かにだが、地底から響くような獣の呻き声や、鉄格子が鳴る音が聞こえた。音の出所は、館の西側。裏口のさらに奥、地面に近い場所に、小さな鉄格子の窓がいくつか並んでいるのが見える。あそこが、噂に聞いた地下牢の通気口だろう。


「見つけた」


そこからなら、地下牢の様子が探れるかもしれない。だが、そこへたどり着くには、堀を越え、高い外壁をよじ登り、巡回する兵士たちの目を欺かなければならない。魔法に頼り切っていた昔の私なら、想像しただけで「無理だ」と諦めていただろう。けれど、今の私には諦めるという選択肢はない。泥だらけになった手を見下ろす。この手で、這い上がってやる。あの分厚い石壁の向こうに、私のたった一人の友達がいる。


私は茂みの中で息を潜め、兵士の巡回ルートと時間の間隔を、頭に叩き込み始めた。太陽が真上に昇り、そして少しずつ西へと傾いていく。焦燥感と空腹が私を苛むが、今は動くべき時ではない。彼らが油断し、暗闇が私の味方となる、夜のとばりが下りるのを待つしかないのだ。それは、想像を絶するほど長く、苦しい時間の始まりだった。

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