EP69
202:「魔物の仕業」
瓦礫の山と化した倉庫に、重厚な金属音が響き渡った。松明の赤黒い炎が、闇を切り裂くように揺らめく。
「いたぞ!生存者だ!」
押し入ってきたのは、銀色の甲冑を身に纏った数名の騎士たちだった。胸には王国の紋章である「双頭の鷲」が刻まれている。国境警備隊の小隊だ。彼らは即座に周囲を展開し、鋭い視線で倉庫内の安全を確認する。
私は反射的に、背後の暗がりに向かって「動くな」という目配せを送った。ガブは優秀だ。瞬時に気配を消し、崩れた石材の隙間にある深い闇と同化しているはずだ。だが、私の心臓は早鐘を打っていた。
「貴様、何者だ?」
先頭に立つ、隊長らしき男が私を見下ろした。兜の下から覗く瞳は鋭く、歴戦の猛者特有の威圧感を放っている。剣の柄に置かれた手には、いつでも抜刀できるだけの力が込められていた。
私は震える手を隠すように、胸の前で握りしめた。
「私は……通りすがりの旅の魔法使いです。火の手を見て駆けつけたら、この方が埋もれていて……」
嘘ではない。だが、真実の半分も語っていない。隊長の視線が私を舐めるように観察する。上質なローブ(今はボロボロだが)、知的な顔立ち、そして手にした杖。
「魔法使いか。怪我人の様子は?」
「はい。足を骨折していますが、応急処置と治癒魔法を施しました。命に別状はありません」
隊長は少しだけ警戒を解いたようだった。彼は私の背後に横たわる老人――ハンスという名の村人――に歩み寄った。
「ハンス爺さんか。無事か?我々は警備隊だ。もう安心しろ」
「おお……騎士様……!」
ハンスは涙を流し、隊長の籠手にすがりついた。そして、先ほど私に語った恐怖の体験を、より激しい口調で叫び始めた。
「奴らだ!魔物が……ゴブリンどもがやったんだ!」
倉庫内の空気が凍りついた。騎士たちの間にざわめきが走る。
「ゴブリンだと?」
「たかが小鬼数匹で、村一つを壊滅させたというのか?」
「違う!ただの小鬼じゃない!」
ハンスは血を吐くような声で訴えた。
「奴らは鎧を着ていた!剣を使っていた!それに……人間の言葉を喋りながら、笑って火をつけたんだ!『全て焼き尽くせ』と号令をかける奴がいたんだ!」
隊長の眉間に深い皺が刻まれた。彼は立ち上がり、周囲の焼け焦げた痕跡を見回した。
「確かに、この破壊の痕跡は異常だ。野生の魔物の衝動的な襲撃ではない。統率が取れている」
彼は私の方へ向き直った。
「魔法使い殿。貴公、ここへ来る途中で何か見なかったか?武装した魔物の群れや、それを率いるような存在を」
「いいえ。私は南風に乗ってきた異臭に気づいただけです」
私は冷静を装って答えたが、冷や汗が背中を伝っていた。
武装し、言葉を操り、統率されたゴブリン。それはまるで、今のガブが進化した先の姿のようだ。あるいは、ガブと同じように「変異」した個体が、悪意ある何者かによって組織化されているということか。
「『魔物の仕業』か……」
隊長は忌々しそうに吐き捨てた。
「最近、東の山岳地帯で奇妙な魔物の目撃情報が増えているとは聞いていたが、まさかこれほどとはな」
東。私たちが来た北の雪山とは違う方角だ。しかし、騎士たちの認識の中で「賢いゴブリン=虐殺者」という図式が確定してしまった。それは、私の最高の相棒であるガブが、ここでは「討伐対象の筆頭」であることを意味していた。
カチャン、と何かが転がる音がした。私の背後の闇の中で。騎士たちの視線が一斉にそちらへ向く。
「誰かいるのか?」
若い騎士が剣を抜き、闇に向かって踏み出した。
まずい。ガブが見つかる。
私は反射的に声を張り上げた。
「ネズミです!先ほどから、焼けた穀物を狙ってネズミが走り回っているんです!」
私の必死の声に、騎士は一瞬足を止めた。だが、疑いは晴れない。彼は松明を掲げ、さらに奥へと進もうとする。
(お願い、ガブ。じっとしていて)
私は心の中で祈った。ここにあるのは「正義」だ。村を守れなかった騎士たちの、やり場のない怒りと正義感。それが今、最も凶悪な形で私たちに向けられようとしていた。
203:向けられる敵意
「ネズミにしては、大きな音がしたな」
若い騎士は疑り深い目で私を一瞥すると、松明を闇の奥へと突き出した。
揺らめく炎が、積み上げられた木箱や崩れた梁の影を長く伸ばす。そこには、ただ埃っぽい空間が広がっているだけに見えた。
「チッ。逃げたか」
騎士は剣を納め、戻ってきた。私は安堵の息を吐きそうになるのを、喉の奥で噛み殺した。ガブは、私の指示通り、物音一つ立てずに気配を消し続けているようだ。
「総員、周囲を警戒せよ!生存者の保護と、残敵の捜索を行う!」
隊長の号令で、騎士たちが動き出す。しかし、問題は解決していない。むしろ悪化していた。
彼らはこの倉庫を「臨時の拠点」にするつもりなのだ。雨風をしのげる屋根が残っているのは、村の中でここくらいしかない。つまり、私たちは騎士団のど真ん中に包囲された形になってしまった。
「魔法使い殿。貴公にも事情聴取に協力願いたい」
隊長が私に言った。それは依頼ではなく、命令に近い響きだった。
「身分証はお持ちか?ギルドカードか、あるいは何らかの証明書を」
痛いところを突かれた。私はアカデミーを脱走した身だ。学生証を出せば、すぐに手配書と照合されるだろう。冒険者ギルドのカードも持っていない。
「旅の途中で荷物を紛失しまして。身分を証明できるものは、この杖と技術しかありません」
苦しい言い訳だ。隊長の目がすっと細められた。
「素性の知れぬ魔法使いが、魔物の襲撃直後の現場に居合わせる……。偶然にしては出来すぎだな」
彼の言葉に、周囲の騎士たちの空気が変わった。先ほどまでの「保護者」を見る目から、「容疑者」を見る目へ。刺すような視線。敵意。
「おい、まさか……」
一人の騎士が囁くのが聞こえた。
「あの噂、知ってるか?魔物を操って村を襲わせる『魔女』がいるって話」
「ああ。ゴブリンごときがあんな連携を取れるわけがない。裏で糸を引いている術者がいるはずだ」
根拠のない噂が、不安と怒りを媒介にして、瞬く間に真実味を帯びていく。村人のハンス爺さんまでが、怯えた目で私を見始めた。
「あ、あんた……まさか、奴らの仲間じゃ……?」
「違います!私はあなたを助けました!」
私は声を荒げたが、それは逆効果だった。恐怖に駆られた群衆心理は、論理よりも感情を優先する。彼らは「怒りの矛先」を求めているのだ。見えない魔物よりも、目の前にいる怪しい余所者の方が、標的にしやすい。
ヒリヒリとした殺気が肌を刺す。これが人間の社会か。洞窟で二人きりだった時は、敵は寒さと飢えだけだった。シンプルで、ある意味では純粋だった。けれど、ここは違う。言葉が通じるのに、心は通じない。誤解と偏見が、剣よりも鋭く私を切り刻む。
その時、倉庫の外で「ギャアアア!」という悲鳴が上がった。騎士たちが色めき立つ。
「何だ!?」
「魔物だ!焼け残った家屋の陰に隠れてやがった!」
外からの報告に、隊長が舌打ちをした。
「まだ残党がいたか!総員、殲滅せよ!一匹たりとも逃がすな!」
騎士たちが一斉に外へ飛び出していく。倉庫の中には、足の折れたハンス爺さんと、見張りの若い騎士が一人だけ残された。
チャンスだ。この混乱に乗じるしかない。
私は見張りの騎士に言った。
「私も手伝います!治癒魔法が必要になるかもしれません!」
「待て!貴様はここにいろと……」
騎士が私を制止しようと手を伸ばした瞬間。私は杖を振るのではなく、足元の砂を蹴り上げた。物理的な目くらまし。
「うわっ!」
騎士が目を押さえてたじろぐ。
その隙に、私は背後の闇に向かって鋭く囁いた。
「ガブ、今よ!」
闇が弾けた。影の中から、緑色の疾風が飛び出した。ガブだ。彼は騎士に襲いかかるのではなく、驚異的な跳躍力で梁の上に飛び乗り、そこから崩れた壁の穴へと抜けようとした。
「なっ……小鬼!?」
視力を取り戻した騎士が叫ぶ。
「貴様、やはり飼い主だったか!」
騎士の剣が閃いた。狙いは私ではない。逃げようとするガブの背中だ。
「やめて!」
私の悲鳴と共に、ガブが空中で身をひねった。剣先が彼の背負った麻袋を掠め、中身の鍋がガランガランと音を立てて転げ落ちる。
ガブは着地することなく、壁の穴から外の闇へと消えた。しかしその一瞬の姿は、見張りの騎士の網膜に焼き付いてしまった。
「隊長!隊長!ここに敵がいます!ゴブリン使いの女です!」
見張りの叫び声が、夜の闇に響き渡った。私の周りの空気が、決定的に変わった。もう言い逃れはできない。向けられるのは疑惑ではなく、明確な「殺意」だった。
204:ガブを隠せ
「逃げるわよ!」
私は考えるよりも先に体が動いていた。見張りの騎士が笛を吹こうとする刹那、私は杖の石突きで彼の手元を強打した。カラン、と笛が落ちる。貴族の令嬢らしからぬ暴力だが、今はそんなことを言っていられない。
「くっ、このアマ!」
騎士が剣を振り上げる。
(水よ、霧となりて視界を奪え!)
私は走りながら、短縮詠唱を叫んだ。
「『濃霧』!」
倉庫の中に、爆発的に白い霧が発生した。湿った空気が急激に冷やされ、視界が真っ白に染まる。私はその混乱に乗じて、ガブが消えた壁の穴へと飛び込んだ。
外に出ると、そこは地獄の釜の底のような騒ぎだった。騎士たちが松明を掲げ、逃げ遅れた野生のゴブリン(おそらく襲撃者のはぐれ者だ)を追い回している。怒号と悲鳴。剣戟の音。
「こっちだ、リゼ!」
瓦礫の陰から、小さな手が伸びてきて、私の腕を引いた。ガブだ。彼はフードを目深にかぶり、完全に闇に溶け込んでいた。
「無事だったのね!」
「ああ。でもヤバイぞ。あいつら、本気で殺しに来てる」
ガブの声は震えていなかったが、硬かった。彼にとっても、人間からこれほど明確な殺意を向けられるのは初めての経験だろう。
「森へ逃げるわ。この混乱に乗じて、包囲網を抜けるのよ」
「了解。オレについてこい。一番暗い道を案内する」
私たちは走り出した。ガブの先導は完璧だった。彼は騎士たちの死角を縫うように進む。燃え落ちた屋根の下をくぐり、倒壊した塀の影を走り、排水溝のような溝を這って進む。
しかし、騎士団の展開速度は早かった。村の外縁部には、既に歩哨が立っている。
「止まれ」
ガブが私の足を止めた。目の前の道を、二人の騎士が松明を持って巡回している。
「通れないわ……」
「強行突破するか?」
ガブがナイフに手をかける。その目には、危険な光が宿っていた。もし彼らが私を傷つけようとすれば、ガブは躊躇なく彼らの喉を掻き切るだろう。
「だめよ」
私は彼の手を抑えた。
「ここで騎士を殺したら、私たちは本当の『怪物』になってしまう。引き返せなくなるわ」
私たちは逃亡者であっても、殺人者ではない。そこには決定的な一線がある。
「じゃあどうするんだ!あいつら、こっちに来るぞ!」
松明の光が近づいてくる。隠れる場所はない。
私は周囲を見回した。焼け焦げた井戸。崩れた石壁。そして、風向き。
(風よ、音を運び、彼らの耳を欺いてください)
私はリスクを承知で、再び精霊に語りかけた。魔力を使うと探知される可能性がある。だが、今はやるしかない。
「『風の囁き(ウィスパー・ウィンド)』」
私は魔法で、反対側の茂みから「ガサガサッ」という大きな音と、「あっちだ!」という男の叫び声を擬似的に作り出した。
「ん?向こうか!」
「曲者だ!行け!」
騎士たちは音に反応し、私たちとは逆方向へ駆け出した。単純な陽動だが、緊張状態にある彼らは過敏に反応してくれた。
「今よ!」
私たちはその隙を突いて、街道とは反対側の深い森へと滑り込んだ。
背後の村から、遠ざかっていく怒号。私たちは無我夢中で走った。木の枝が顔を叩き、茨が服を裂く。それでも足を止めなかった。
どれくらい走っただろうか。肺が焼き切れそうになり、私たちは大きな古木の下に倒れ込んだ。
「はぁ、はぁ……ここまで来れば……大丈夫か?」
ガブが肩で息をしながら、周囲を警戒する。追っ手の気配はない。夜の森の静寂が戻ってきていた。
「なんとか……逃げ切れたみたいね」
私は泥だらけの顔をぬぐった。心臓の鼓動がまだ耳の奥で鳴っている。
私たちは生き延びた。だが代償は大きかった。村人の証言と、私の逃亡によって、「ゴブリンを操る魔女と、その手下の小鬼」という最悪のレッテルが貼られてしまったのだ。
「ごめんな、リゼ」
ガブがぽつりと呟いた。
「オレがいなかったら、リゼは怪しまれなかったのに」
彼は膝を抱え、小さくなっていた。自分の存在が私を危険に晒したことを、彼は理解しているのだ。
「馬鹿ね」
私は彼の頭を撫でた。
「あなたがいたから、ここまで来れたのよ。それに、あの村を襲った本当の犯人は別にいるわ。私たちは濡れ衣を着せられただけ」
ガブは顔を上げた。
「濡れ衣?」
「ええ。何者かが、私たちのような存在を悪用しているのよ」
私は暗い森の奥を見つめた。先程の騎士団は振り切った。だがそれは一時的なものだ。これからは国中の騎士が、そして賞金稼ぎたちが、私たちを「人類の敵」として狙ってくるだろう。
本当の逃亡生活は、ここから始まるのだ。




