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旅の友に選んだのはゴブリンでした  作者: 竜神
第4章:冬越えの洞窟

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EP65

191:荷物をまとめて


洞窟の中には、旅立ちの前の独特な空気が漂っていた。それは、祭りの後の静けさにも似ているし、嵐が去った後のなぎのようでもある。


私は、岩の上に愛用のリュックサックを広げ、中身の点検を始めていた。革製のリュックは、度重なる冒険と洞窟での酷使によって、あちこちが擦り切れ、色褪せている。けれど、それがかえって愛着を湧かせる「歴戦の相棒」の顔をしていた。


「さて……何を持っていくか、そして何を置いていくか」


これは、旅人にとって最も重要な儀式の一つだ。荷物の重さは、そのまま旅の寿命に関わる。必要なものだけを選び抜き、不要なものは未練とともに捨て去る勇気が必要だ。


「リゼ、これはどうだ?記念に持って行こう!」


ガブが鼻息荒く差し出してきたのは、昨日食べたユキドケウサギの頭蓋骨だった。綺麗に肉が削ぎ落とされ、白く乾燥している。


「却下よ」


私は即答した。


「なぜだ!魔除けになるぞ!それに、いい形してるじゃないか」

「荷物になるし、臭いも残るわ。それに、魔除けなら私の魔法があるでしょう?」


ガブは「チェッ」と舌打ちをして、骨を隅の方へ放った。彼の「収集癖」には困ったものだ。放っておくと、綺麗な石ころや、変わった形の木の枝でリュックを一杯にしてしまう。まるでカラスだ。


私は手元にあるアイテムを並べた。


・底をつきかけた調味料の小瓶(塩と乾燥ハーブがわずか)

・火打ち石と打ち金

・予備の包帯(ボロ布を洗ったもの)

・書きかけの地図と筆記用具

・そして、ガブが命がけで採ってきてくれた『氷針草』の残り


私は乾燥した青い草を手に取り、そっと撫でた。これは捨てられない。薬としての効能はもちろんだけれど、それ以上に、ガブの献身の証だからだ。


「ガブ、この薬草は一番取り出しやすいポケットに入れるわね。いざという時のために」

「おう!でも、もう二度と飲みたくない味だけどな」


ガブが顔をしかめる。その表情が豊かになったのも、ここ最近の変化だ。

次に、私は毛布代わりの毛皮を手に取った。洞窟の床に敷きっぱなしだったため、湿気とカビの臭いが染み付いている。このままリュックに入れるわけにはいかない。


(清浄なる風と水の精霊さんたち。ここによどけがれを払い、本来の清らかさを取り戻してください)


私は杖をかざし、丁寧に詠唱した。乱雑に扱うのではなく、これからまた私の身を守ってくれる道具への敬意を込めて。


「『洗浄クリーン』」


シュウウウ……と微かな音を立てて、毛皮から黒い埃のようなものが舞い上がり、光の粒子となって消滅した。カビ臭さが消え、天日干しした後のような爽やかな匂いが戻る。


「すげぇ!新品みたいになった!」


ガブが目を丸くして感心する。


「リゼの魔法は、攻撃よりも生活魔法の方が神がかってる」

「褒め言葉として受け取っておくわ。旅において、清潔さは命を守るのよ」


私は綺麗になった毛皮を小さく折りたたみ、圧縮してリュックの底に詰めた。

最後に、ガブの荷物だ。彼は自分の背丈ほどもある大きな麻袋(どこかの廃村で拾ったもの)に、鍋や薪の残り、そして予備の武器などを詰め込んでいる。


「重くないの?」

「へっちゃらだ。オレは力持ちだからな」


ガブは力こぶを作る仕草をした。その腕は、出会った頃よりも一回り太くなっている気がする。毎日の薪割り、雪かき、そして狩り。ゴブリンという種族は、環境に合わせて急激に成長・適応する生物だと本で読んだことがあるが、ガブはその典型例、いや、それ以上のスピードで進化している。


「それに、オレが荷物を持てば、リゼは楽に歩けるだろ?病み上がりなんだから、無理すんな」


彼は事もなげに言った。

その言葉に、胸が温かくなる。以前なら「オレの荷物はオレのもの」という所有欲が強かった彼が、今は「パーティ全体の負荷分散」を自然と考えている。思考が、完全に「個」から「群れ(パーティ)」へとシフトしているのだ。


「ありがとう、ガブ。頼りにしてるわ」

「へへっ、もっと頼っていいぞ!オレはリゼの剣であり、盾であり、荷物持ちだからな!」


ガブは麻袋の口を紐で縛り上げ、ドンと床に置いた。これで準備は整った。岩の棚は空っぽになり、床には私たちの足跡だけが残っている。物がなくなると、洞窟は急に広く、そしてよそよそしく感じられた。


そこにあったのは「生活」ではなく、ただの「空洞」に戻ろうとしている空間だった。


「なんか、寂しいな」


ガブがぽつりと呟く。


「そうね。でも、荷物はまとまったわ。心の方も、まとめていきましょう」


私はリュックのバックルをカチリと留めた。その小さな金属音が、出発の合図のように響いた。


192:洞窟への別れ


出発の朝。私たちは、最後の大仕事に取り掛かっていた。それは、「現状復帰」と「感謝の儀式」だ。


「火、消すぞ」


ガブが、かまどに残っていた最後の種火に雪をかけた。ジュウウウゥ……。白い蒸気が上がり、炭が黒く濡れていく。数週間、絶やすことなく燃やし続け、私たちの命を繋いでくれた火。その温もりが消えると、洞窟内の温度がスッと下がった気がした。


「今までありがとうな。お前のおかげで、凍死せずに済んだ」


ガブが炭に向かって手を合わせている。誰に教わったわけでもないだろうが、火の神への感謝のような仕草だ。


私たちは、かまどの石を崩し、灰を土に埋めた。ここで人間とゴブリンが生活していた痕跡を、極力消すためだ。これは追っ手を警戒してのことでもあるし、自然へのマナーでもある。次にここを使うのが、熊なのか、旅人なのかはわからないけれど、立つ鳥跡を濁さず。


「よし、綺麗になった」


ガブがすすで汚れた手をパンパンと払った。

私は洞窟の中央に立ち、杖を静かに構えた。天井を見上げる。黒く煤けた岩肌。垂れ落ちる水滴。この堅牢な岩壁が、あの殺人的な吹雪から私たちを物理的に遮断し、守ってくれたのだ。


(沈黙を守りし、堅牢なる大地の精霊たちよ)


私は目を閉じ、意識を岩盤へと沈めていく。土魔法の基本は「定着」と「守護」。この場所には、古くて強い土の精霊たちが住んでいる。


(未熟な私たちに、仮初かりそめの宿を与えてくださり、感謝します。あなた方の守りがあったからこそ、私たちは春を迎えることができました)


言葉ではなく、魔力の波長で感謝を伝える。すると、足元の岩が微かに振動し、低く唸るような音が返ってきた気がした。『行け』と背中を押されたような、あるいは『達者でな』と言われたような、重厚な響き。


「リゼ、何してるんだ?」


ガブが不思議そうに覗き込んでくる。


「挨拶よ。家主さんに、お礼を言っていたの」

「家主?誰かいたのか!?」

「ええ、目には見えないけれどね。この洞窟そのものよ」

「ふーん……」


ガブは少し考えると、自分も壁に向かってペコリと頭を下げた。


「おい、洞窟!ありがとな!寒かったけど、頑丈でいい家だったぞ!」


その声が反響し、こだまとなって返ってくる。私たちは荷物を背負った。ガブの背中の麻袋は巨大だが、彼はそれを軽々と担ぎ上げている。私もリュックを背負う。ずしりとした重みが、これからの旅の現実味を帯びさせる。


「忘れ物はない?」


私が確認すると、ガブはニカっと笑った。


「ない!全部持ったし、腹も一杯だ!」


私たちは入り口へと向かった。崩された雪壁の向こうには、切り取られた絵画のような青空と、眩しい雪原が待っている。


一歩、また一歩。暗がりから光の中へ。境界線を越える瞬間は、いつも少しだけ怖い。安全な胎内から、危険な外界へと生まれ出る赤子のような気分だ。


ザクッ。ブーツが雪を踏みしめた。強烈な陽光が視界を白く染め、新鮮で冷たい空気が肺を満たす。

振り返ると、洞窟の入り口は黒い口を開けて、静かにそこに在った。ついさっきまで生活していた場所なのに、もうすでに「過去の風景」になりつつある。


「さよなら」


私は小さく呟いた。私の命を救ってくれた場所。ガブとの絆を深めてくれた場所。

風が吹き抜け、私の髪を揺らした。南からの風だ。「行こう」と、風が言っている。


193:「また来る?」


洞窟を背にして、私たちは雪の斜面に立った。眼下には、雪化粧をした森と谷が広がっている。その先には、霞んで見える山脈と、まだ見ぬ世界。


私は眩しさに目を細めながら、杖を雪に突き刺して体を支えた。久しぶりの太陽の下は、想像以上に体力を消耗させるかもしれない。けれど、気力は満ちていた。


その時、隣にいたガブが、ふと足を止めて振り返った。彼は名残惜しそうに、黒々とした洞窟の入り口を見つめている。


「なぁ、リゼ」

「何?」

「また来る?」


その問いかけは、予想外のものだった。私は立ち止まり、ガブの顔を見た。彼は真剣な眼差しで、あの暗い穴を見つめている。


「ここに戻ってくるかってこと?」

「ああ。だって、ここはオレたちの『秘密基地』だろ?夏になったら涼しいだろうし、またここで肉焼いて食うのも悪くないかなって」


ガブの言葉には、子供のような純粋な愛着が含まれていた。彼にとって、ここはただの避難所ではなかったのだ。「はぐれゴブリン」だった彼が、初めて誰か(私)と共に「生活」を営み、看病し、守り守られた場所。彼が「ガブリエル」としての自我を確立させた、ある種の故郷のような場所なのかもしれない。


私は、彼の気持ちが痛いほどよくわかった。私にとっても、ここは特別だ。アカデミーの寮よりも、実家の屋敷よりも、この薄暗くて煤けた洞窟の方が、よほど心安らぐ場所だった。「また来る?」という問いは甘美だ。帰る場所があるという安心感。いつか旅に疲れたら、ここに戻ってくればいい。そう思えば、足取りも軽くなるかもしれない。


けれど……。


私は視線を南の空へと移した。どこまでも続く空。私たちは逃亡者であり、探求者だ。過去に安住することは許されない。追っ手がいつ来るかわからないし、何より私の知識欲と、ガブの「王になる」という夢は、一箇所に留まることを良しとしない。


戻ってくる場所を作ることは、逃げ道を作ることだ。それは、前に進む力を鈍らせるかもしれない。


「ガブ」


私は静かに彼の名前を呼んだ。ガブがこちらを向く。その大きな瞳が、私の答えを待っている。

私は少し迷った。彼の希望を無下にしたくない。けれど、嘘もつきたくない。


「ここでの日々は、楽しかったわね。大変だったけど」


私はまず、彼の気持ちに寄り添った。


「お前の作る飯は最高だったし、リゼの話も面白かった」

「ええ。命拾いもしたわ」


私はもう一度洞窟を見た。今はただの岩の裂け目。役割を終えた抜け殻。


「でもね、ガブ」


私は言葉を選びながら続けた。この問いに対する答えは、私たちのこれからの旅の指針コンパスになる重要なものだ。


風が強く吹いた。雪煙が舞い上がり、キラキラと光る。春の予感と、冬の名残が混ざり合う境界線。


私はリュックのベルトを握りしめ、ガブに向き直った。曖昧な返事はしない。私たちは相棒なのだから。

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