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旅の友に選んだのはゴブリンでした  作者: 竜神
第4章:冬越えの洞窟

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EP64

188:新鮮な肉!


洞窟の入り口から差し込む光が、鋭さを増している。ガブは早朝から、ナイフを砥石といし代わりの平らな岩で研いでいた。シュッ、シュッ、シュッ。そのリズミカルな音には、並々ならぬ気迫がこもっている。


「絶対に逃がさない。風向きはよし、足場も悪くない。狙うなら雪が緩んだ瞬間の『隙』だ」


ブツブツと独り言を呟きながら、彼は革のブーツの紐を締め直した。私はかまどの前で白湯をすすりながら、その様子を眺めていたのだが、ふとある変化に気づいた。


「ねえ、ガブ」

「ん?なんだリゼ。腹減ったか?もうすぐ極上の肉を持って帰るから待ってろ」

「いえ、そうじゃなくて……あなた、ずいぶんと流暢りゅうちょうに喋るようになったわね」


出会った頃のガブは、「オレ、肉、食う」「お前、強い」といった片言や、主語と述語が逆転した独特のゴブリン訛りが強かった。けれど今、彼が呟いていた独り言は、文法的にほぼ完璧だったし、語彙も増えている。


「あ?そうか?」


ガブはキョトンとして自分の口元を触った。


「わかんないけど……リゼとずっと話してるからじゃないか?お前の言葉、難しいけど聞き取りやすいし。それに、あの時は必死だったからな」


『あの時』とは、私が高熱で倒れていた数日間のことだ。私の症状を観察し、自分を叱咤し、思考を整理する。その極限状態が、彼の脳の言語野を爆発的に活性化させたのだろう。それに加えて、ゴブリンという種族特有の「適応力」の高さだ。彼はスポンジが水を吸うように、私の話し方や思考パターンを吸収している。


「すごいわね。あなた、もしかして賢いゴブリンだったの?」

「へへん!オレは未来のゴブリン王だからな!言葉くらいペラペラにならないと、家来に命令できないだろ?」


ガブは得意げに鼻を鳴らすと、ナイフを腰に差した。


「よし、行ってくる!今日のオレは、風よりも速いぞ!」


彼は身軽にバリケードの穴を抜け、外へと飛び出していった。

私は一人、洞窟に残された。静かだ。けれど、以前のような寂しさはない。彼が必ず帰ってくると知っているからだ。


数十分後。「とったどー!!」という雄叫びと共に、ガブが戻ってきた。全身雪まみれだが、その手には丸々と太った獲物がぶら下げられている。


「見てくれリゼ!『ユキドケウサギ』だ!しかもデカイ!」


彼が掲げたのは、冬毛で真っ白な巨大な野ウサギだった。まだ温かい。まさに新鮮な肉だ。


「すごい!本当に捕まえたのね」

「おう!雪が溶けて油断して日向ぼっこしてるところを、後ろからガバッとな!」


ガブの手際の良さは、解体作業でも発揮された。洞窟の外で手早く処理を済ませ(私が血の匂いを嫌がるのを知っているからだ)、肉の塊を持って戻ってくる。久しぶりの生肉。塩漬けでも乾燥でもない、鮮血の色をした筋肉の塊。


「焼くぞ!串焼きだ!」


ガブは木の枝に肉を刺し、熾火おきびにかざした。ジュウウウ……。脂が火に滴り落ち、香ばしい煙が立ち上る。その匂いは、暴力的なまでに食欲を刺激した。


「ああ……いい匂い……」


私は思わず喉を鳴らした。貴族のテーブルマナーも忘れ、肉が焼けるのを凝視してしまう。


「ほら、焼けたぞ!一番美味い太もものところだ!」


ガブが熱々の串を渡してくれた。

私は火傷しないように息を吹きかけ、かぶりついた。カリッとした表面のあと、中から溢れ出す肉汁。野性味あふれる濃い味。調味料は少しの岩塩だけだが、それが肉の甘みを極限まで引き立てている。


「おいしいっ!」


口の中に広がる生命の味。干し肉を噛み砕く作業とは違う、「食事」の喜び。


「だろ!?やっぱ肉は生に限る!」


ガブも自分の分にかぶりつき、脂で口の周りをテカテカにさせている。


「この脂が、体に染みるんだ!」


私たちは夢中で食べた。会話をするのも惜しいくらいに、ただひたすら肉をむさぼった。胃袋が満たされるにつれて、体の芯からエネルギーが湧いてくるのがわかる。血が作られ、筋肉が修復されていく感覚。


完食した後、私たちは満足感に浸りながら天井を見上げた。


「食ったぁ……」

「美味しかったわね……」


新鮮な肉。それは単なる食料ではなく、私たちが生き延び、再び食物連鎖の輪の中に戻ったことの証明だった。ガブの流暢な言葉も、私の回復も、すべてはこの瞬間のためにあったのだ。


189:久しぶりの外歩き


満腹になり、少し休憩した後。私は立ち上がり、リュックから防寒具を取り出した。


「ガブ、行きましょう」

「ん?どこへ?」

「外よ。お散歩」


私の提案にガブは驚いた顔をしたが、すぐにニカっと笑った。


「おう!肉食って元気出たか?いいぞ、エスコートしてやる!」


私たちはまず、入り口の雪のバリケードを完全に撤去することにした。もう風を防ぐ必要はない。これからは外に出るのだから。ガブが蹴り崩し、私が杖で突き崩す。光の洪水が洞窟内を埋め尽くしていく。

そして、ついに道が開いた。


「さあ、どうぞ、お嬢様」


ガブが大げさに手を差し出す。私は苦笑しながらその手を借りず、自分の足で一歩を踏み出した。

ザクッ。ブーツが雪を踏む感触。数週間ぶりの、外の地面だ。


「ふぅ……」


私は深く息を吸い込んだ。冷たい。肺がキュッと縮こまるような冷気だ。けれど、以前のような肺胞を凍らせる殺意はない。鼻孔をくすぐるのは、雪の匂いと、針葉樹の香り、そして遠くから運ばれてくる湿った土の匂い。


「広い……」


視界いっぱいに広がるのは、白銀の世界と、突き抜けるような青空。洞窟という狭い箱庭から解放され、世界の広さに圧倒される。


足元が少しフラついた。やはり、病み上がりの体に雪道は堪える。


「おっと!」


すぐにガブが体を支えてくれた。彼は私の腰に手を回し、しっかりとした支柱になってくれる。かつては私の腰ほどの背丈しかなかった彼が、今はなんだか大きく感じる。


「無理するな。リゼの足、生まれたての小鹿みたいにプルプルしてるぞ」

「失礼ね。でも、ありがとう。少し捕まらせて」


私はガブの肩に手を置き、体重を預けた。ゴツゴツとした筋肉の感触が頼もしい。

私たちはゆっくりと、洞窟の前の開けた場所まで歩いた。風が吹く。髪が乱れ、頬が冷える。


(気高き風の精霊たちよ。病み上がりの身には、少々刺激が強すぎます)


私は杖を軽く振り、丁寧に語りかけた。


(どうか私たちの周囲だけ、その荒々しい舞いを緩めていただけませんか)


「『風の盾(ウィンド・シールド)』」


ふわり、と見えない膜が私たちを包み込んだ。直接的な風圧が消え、そよ風程度に和らぐ。ガブが「おおっ」と感嘆の声を上げた。


「やっぱリゼの魔法は便利だな!風が避けていくぞ」

「精霊にお願いしただけよ。見て、ガブ」


私は崖の下を指差した。私たちが登ってきた道はまだ雪に埋もれているが、ところどころ黒い岩肌が露出し、木々の枝からは雪が落ちている。遠くに見える森は、白と黒と、わずかな緑のまだら模様になっていた。


「世界が変わってる」


ガブが呟いた。


「オレたちが洞窟で寝てる間に、季節が一個進んだんだな」

「ええ。私たちが止まっていた間に、時間は進んでいたのね」


取り残されたような寂しさと、新しい季節に間に合ったという安堵感。私は自分の足元を見た。雪に沈むブーツ。まだ足取りは重いけれど、確実に地面を踏みしめている。


「歩けるわ」


私は確信を持って言った。


「明日には、ここを出発できる」

「おう!荷物ならオレが全部持ってやるから、リゼは杖だけ持って歩けばいい」


ガブが胸を叩く。

久しぶりの外歩きは、ほんの百メートルほどの散歩だった。けれど、それは私たちにとって「復活」を告げるウィニングランのようなものだった。病室から出て、世界に復帰する最初の一歩。その一歩を、隣で支えてくれる存在がいることの心強さを噛み締めながら、私は雪の感触を楽しんだ。


190:太陽の眩しさ


太陽が天頂に差し掛かると、世界はいっそう輝きを増した。頭上からの直射日光と、雪面からの反射光。上下左右、あらゆる方向から光の矢が降り注いでくる。


「うわぁっ、目が!目がぁー!」


ガブが大げさに目を覆った。


「リゼ、これは魔法か!?目潰しの魔法か!?」

「ただの太陽よ。雪山の日差しは強いの」


私も目を細め、手でひさしを作った。眩しい。涙が出るほど眩しい。暗い洞窟に慣れきった目には、この光量は暴力的にすら感じる。


けれど、それは「生」の輝きでもあった。私は空を見上げた。太陽。古代語で『ソル』。魔術的には『火の源泉』であり、『浄化の王』。その圧倒的な熱量が、私の冷え切った体を外側から温めていく。背中がポカポカとし、凍りついていた毛細血管が開き、血流が駆け巡るのを感じる。


(偉大なる空の火の精霊よ。あなたの慈悲に感謝します)


私は心の中で祈った。魔法使いとして、精霊への感謝は欠かせない。特に死の淵から戻った今、この温かさがどれほど貴重なものか、痛いほど理解できる。


「あったかい……」


ガブも目を細め、猫のように背伸びをした。


「眩しいけど、気持ちいいな。背中のカビが全部死滅しそうだ」

「カビが生えるほど不潔にしてた覚えはないけれど……でも、そうね。心の中のおりまで焼いてくれるみたい」


私たちは並んで立ち、太陽の光を浴び続けた。まるで植物が光合成をするように。あるいは、壊れた充電池がエネルギーを充填するように。


雪解け水が流れる音が、キラキラとした光の粒のように聞こえる。岩肌で温められた空気が上昇し、陽炎かげろうのように揺らめいている。


「リゼ」


ガブが私を呼んだ。逆光で彼の表情はよく見えないけれど、その声は明るかった。


「あっちだ。オレたちがこれから行く場所」


彼が指差したのは、南の方角。山を下り、谷を越えた先にある、まだ見ぬ土地。


「そうね。あっちに行けば、雪はもっと少ないはずよ」

「村もあるかな?」

「あるかもしれない。温かいベッドと、柔らかいパンがあるかも」

「パンかぁ!いいな!でも肉も食いたいぞ!」


ガブが無邪気に笑う。

その笑顔を見て、私は眩しさが太陽のせいだけではないと思った。希望。安っぽい言葉だけれど、今の私たちにはその言葉が一番しっくりくる。絶望的な冬を乗り越えた私たちには、怖いものなんてない気がした。


太陽が少し傾き、影が伸び始めた。


「さあ、戻りましょうか」


私はガブに言った。


「今日は荷造りをしなきゃ。明日の朝、一番で出発するわよ」

「了解!この洞窟ともおさらばだな!」


私たちはきびすを返し、住み慣れた洞窟へと戻っていった。背中には温かい日差しを感じながら。その光は、私たちの背中を押し、次の一歩へと導いてくれているようだった。


眩しさに目がくらんでも、もう道に迷うことはない。私の隣には、最高の案内人がいるのだから。

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