EP6
16:リゼの魔法、ガブの投石
旅の道中、私たちは深刻な課題に直面していた。それは「戦闘力不足」だ。
私の『真実の眼』は敵の敵意や嘘を見抜くことはできるが、物理的な攻撃力はゼロに等しい。ガブは敏捷性と野生の勘に優れているが、体格は小柄な子供サイズ。一角狼のような大型獣や、鎧を着た人間相手にはどうしても力負けしてしまう。現状、私が後ろで震えながら応援し、ガブが体を張って泥だらけになるしかない。これではいけない。いつかガブが大怪我をしてしまう。
「何か、私にできる攻撃手段はないかしら」
昼下がりの休憩中、私は杖を回しながら独り言を呟いた。私の使える魔法は「生活魔法」のみ。お湯を沸かす「加熱」、水を出す「出水」、汚れを落とす「洗浄」、乾かす「乾燥」、明かりを灯す「照明」、火をつける「着火」。どれも主婦には喜ばれるが、冒険者ギルドでは鼻で笑われるラインナップだ。
目の前では、ガブが暇つぶしに川へ向かって石を投げている。ヒュッ、バシッ!彼が適当に放った小石は、対岸の細い木の枝に見事に命中し、へし折った。「お見事」私は思わず拍手した。ガブの投石スキルは異常だ。百発百中どころか、狙った場所にミリ単位で当てる精密さがある。ゴブリン族特有の器用さなのか、彼個人の才能なのか。
「石投げ、ゴブリンの基本」ガブは鼻を鳴らす。「遠くの餌、落とす。逃げる敵、足止める。大事」
「ねえ、ガブ。その石に、私の魔法を乗せられないかしら」「マホウ?」「そう。例えば」
私は足元に落ちていた松ぼっくりを拾った。乾燥していて、油分を含んでいる。よく燃えそうだ。「あなたがこれを投げる。私がタイミングよく『着火』の魔法をかける。そうすれば、空飛ぶ火の玉になるんじゃない?」名付けて「ファイアボールごっこ」作戦だ。
ガブの目が輝いた。「火の玉!強そう!やる!」
早速実験が始まった。ターゲットは5メートル先の岩の上に乗せた空の水筒。ガブが松ぼっくりを構える。振りかぶり、投げる。ヒュッ!速い。私は杖を向ける。「ちゃ、着火!」
――シーン。松ぼっくりは虚しく空を切り、水筒にカコンと当たって落ちた。燃えていない。「遅い」ガブがジト目で私を見る。「うっ、うるさいわね!動いてるものに魔法を当てるなんて難しいのよ!」「着火」の魔法は、本来、目の前の薪にじっくりとかけるものだ。高速で移動する物体に、一瞬で座標を合わせて発動させるなんて、高等技術すぎる。
「もう一回!今度はもっと山なりに投げて!」「わかった」
二回目。三回目。十回目。成功しない。私が焦れば焦るほど、魔法の発動タイミングがずれる。私の魔力操作はお世辞にも器用とは言えないのだ。ガブは飽きてきたのか、あくびをしている。「リゼ、下手くそ。普通に投げたほうが早い」「くっ!否定できないのが悔しい」
私は膝をついた。やはり攻撃魔法の才能はないのか。落ち込む私を見て、ガブが近づいてきた。彼は私の杖をペシペシと叩く。「リゼ、違う。ガブに合わせるな。ガブがリゼに合わせる」「え?」「リゼ、魔法、出す場所、決める。ガブ、そこ通す」
目から鱗が落ちた。動く標的を狙うのではなく、私が「発火点」を空中のある一点に固定し、そこにガブが松ぼっくりを通過させる。偏差射撃の逆だ。
「なるほど。それならできるかも」「ガブ、狙うの上手い。リゼ、ただそこで魔法出す」
私たちは配置についた。私は杖を振り上げ、空中の仮想の一点を睨む。「ここよ!この空間に火を出すわ!」私は魔力を練り上げる。そこにあるのは何もない空間だが、そこに「熱源」を作り出すイメージ。
「着火!」
空中に、ボッと小さな火花のような魔力のゆらぎが生まれる。その瞬間。ガブの手から放たれた松ぼっくりが、吸い込まれるようにその「点」を通過した。
ボワッ!!
通過した瞬間、松ぼっくりが激しく発火した。赤い炎を纏った弾丸となり、そのままターゲットの岩へ一直線。ドォン!岩に当たって弾け飛び、火の粉を撒き散らした。
「できた!」「おお!燃えた!熱い!」
私たちは顔を見合わせ、ハイタッチ(ガブの手は硬かった)をした。威力は本物の攻撃魔法「火球」には遠く及ばない。けれど、獣の毛皮を燃やしてパニックにさせるくらいは十分可能だ。何より、これは私一人の力ではない。私の拙い魔法を、ガブの神がかったコントロールが補完して成立した技だ。
「これ、使える。松ぼっくり、集める」ガブは嬉々として森へ走っていった。私は自分の手を見つめる。微弱な生活魔法でも、使い方次第で武器になる。そして、それを可能にしてくれる相棒がいる。無力感が、少しだけ自信に変わる音がした。
17:初めての共同戦線
新技の完成から二日後。その成果を試す機会は、唐突に、そして凶悪な形でやってきた。
ズズーン、ズズーン。地面を揺らす重低音。目の前の茂みを押し倒して現れたのは、巨大な岩のような塊だった。焦げ茶色の剛毛に覆われた体。大人が三人乗れそうな巨躯。そして、口から突き出した二本のナイフのような牙。森の重戦車、ワイルドボアだ。
「で、でかい」私は思わず後ずさりした。図鑑で見たサイズより遥かに大きい。あんなものに突進されたら、人間なんてトマトみたいに潰れてしまう。逃げるべきだ。そう判断してガブに声をかけようとした。
しかし。「肉山盛りの肉!」ガブは逃げるどころか、涎を垂らしてボアを凝視していた。彼の目には恐怖の色はなく、あるのは食欲の鮮やかなオレンジ色と、狩猟本能の赤色だけ。彼は腰の白い棍棒(私が硬化魔法をかけたもの)を抜き、ニヤリと笑った。
「リゼ、やるぞ。今夜は祭りだ」「ええっ!?無理よ、あんな怪物!」「大丈夫。リゼの火がある。ガブの棒がある。勝てる」
根拠のない自信。けれど、彼から嘘の煙は出ていない。本気で勝てると思っているのだ。その無垢な信頼が、私の背中を押した。逃げても追いつかれるかもしれない。なら、やるしかない。
「分かったわ。作戦通りに!」「おう!」
ガブが飛び出した。「ブヒィイイッ!」ボアが咆哮を上げ、小さな緑色の敵に向かって突進を開始する。まるで暴走機関車だ。木々をへし折りながら迫る質量爆撃。ガブは真正面から受けるような素振りを見せ、直前で横に跳んだ。間一髪で躱す。しかし、ボアの動きは見た目に似合わず俊敏だ。すぐに急停止し、巨体を捻ってガブを追う。
「ガブ、こっちへ誘導して!」私は叫びながら、杖を構えた。ポケットには、この二日間で拾い集めた選りすぐりの「乾燥松ぼっくり」が詰まっている。ガブが木々の間を縫うように走り、ボアを私の方へ引きつける。距離、20メートル。15メートル。怖い。地面の震動が足から伝わってきて、すくみ上がりそうになる。でも、ガブが信じてくれている。私がここで魔法を発動させると。
「ここよ!」私は杖を振り、空中の「点」を指定した。ガブが振り返りもせず、懐から松ぼっくりを取り出して投げる。ノールック投法。それでも正確無比な軌道。私の指定した空間を通過する。「着火!」
ボワッ!炎を纏った松ぼっくりが、突進してくるボアの顔面、その鼻先に直撃した。動物にとって火は本能的な恐怖の対象だ。ましてや敏感な鼻先で爆ぜたのだ。「ブゴォオオッ!?」ボアが悲鳴を上げ、混乱して足を止めた。顔を振って火を消そうともがく。
チャンスだ。でも、これだけでは倒せない。火傷を負わせても、怒り狂った獣はさらに危険になるだけだ。トドメが必要だ。ガブは既に動き出している。混乱するボアの死角、側面へと回り込み、跳躍した。狙うは耳の裏、柔らかい急所。けれど、棍棒のリーチが足りない。ボアが首を振れば弾き飛ばされる。
私がやらなきゃ。もっと直接的な、決定打になるサポートを。私は走った。安全圏から魔法を撃つ後衛のポジションを捨てて、ボアの足元へと。
「リゼ!?」ガブが驚いて声を上げる。私はボアの巨大な蹄のすぐそばまで駆け寄り、杖を突きつけた。使うのは、毎晩のスープ作りで一番使い慣れた魔法。
「沸騰しろ『加熱』ッ!!」
対象はボアではない。ボアの足元の、ぬかるんだ地面だ。水分を含んだ泥に、全魔力を注ぎ込んで急激な熱を加える。ボコボコボコッ!!泥の中の水分が一瞬で沸騰し、水蒸気爆発を起こした。熱湯と高温の泥が噴き上がり、ボアの足を直撃する。
「ブギィイイイッ!!」熱さと驚きで、ボアの体勢が大きく崩れた。前足が泥に取られ、巨体がガクンと傾く。その瞬間、空中にいたガブの棍棒が閃いた。
「もらったァアア!!」
白い棍棒が、渾身の力でボアの脳天に振り下ろされた。私がかけた「硬化」魔法のおかげで、鉄塊のような硬度を持った一撃。ゴシャッ!という鈍く重い音が響き渡る。ボアの巨体が、スローモーションのように地面に沈んだ。ズゥーン。地響きと共に、森の王者は動かなくなった。
静寂。私の荒い息遣いだけが聞こえる。足はガクガク震えているし、泥だらけだ。ガブがボアの背中から飛び降り、私の方へ駆け寄ってきた。
「リゼ!お前、すごい!地面、爆発させた!」「はぁ、はぁ......。とっさの思いつきよ......。上手くいってよかった」私は腰が抜けて座り込んだ。ガブが私の泥だらけの手を握り、ブンブンと振る。彼の体からは、「歓喜」と「興奮」、そして私への「絶対的な信頼」の黄金色が、太陽のように溢れ出していた。私たちは勝ったのだ。知恵と勇気と、二人の力で。
18:肉が焼ける匂い
その夜、私たちのキャンプ地は、これまでにないほどの活気と、芳醇な香りに包まれていた。巨大なワイルドボアの肉は、とても二人で食べきれる量ではない。私たちは比較的柔らかい部位であるロースやバラ肉を切り出し(解体作業はガブの手際の良さと私のナイフ捌きが光った)、残りは燻製にして保存食にすることにした。
焚き火の上で、厚切りのステーキ肉がジュウジュウと音を立てている。滴り落ちる脂が炭に当たり、煙となって香ばしい匂いを周囲に撒き散らす。味付けは岩塩と、森で採れた香草のみ。シンプルだが、これ以上の贅沢はない。
「まだ?リゼ、まだ?」ガブが焚き火の周りをウロウロしながら、待ちきれない様子で鼻をヒクつかせている。彼の目は肉に釘付けだ。涎が垂れているのを拭おうともしない。「もう少しよ。焦げ目をしっかりつけないと」私は冷静に肉を裏返す。表面はカリッとキツネ色、中は肉汁たっぷりのミディアムレア。最高の焼き加減だ。
「はい、どうぞ」私が焼き上がった肉を、大きな葉っぱの皿に乗せて渡すと、ガブは「ウオオオッ!」と雄叫びを上げて齧り付いた。ハフハフ、アムアム、ゴックン。豪快な食べっぷり。口の周りを脂でテカテカにしながら、彼は目を細めて恍惚の表情を浮かべた。彼から立ち上る「幸福」のピンク色は、今夜は一段と濃く、暖かかった。
「ウマイ。世界で一番ウマイ」「ふふ、自分たちで狩った獲物だものね」
私もナイフで肉を切り、口に運ぶ。噛み締めた瞬間、濃厚な旨味が口いっぱいに広がった。野性味あふれる味。でも臭みはない。生命力の塊のような味がして、疲弊した体にエネルギーが染み渡っていくのを感じる。
おいしい。本当においしい。王都の晩餐会で出される料理は、もっと洗練されていたけれど、味がしなかった。周りの視線を気にし、会話の内容に気を使い、毒が入っていないかさえ疑いながら食べる食事は、ただの栄養摂取作業でしかなかった。でも今は違う。隣には、口を大きく開けて笑う相棒がいる。頭上には星空。パチパチと爆ぜる焚き火の音。「嘘」のない世界で食べる食事は、魂を震わせるほどに鮮烈だった。
「リゼ」肉を半分ほど食べたところで、ガブが唐突に口を開いた。「ん?」「リゼの魔法、しょぼいと思ってた」「正直ね」「火も小さい。水もチョロチョロ。でも、今日のリゼは強かった。あのデカいのが転んだ。びっくりした」
ガブは真剣な眼差しで私を見つめた。その瞳には、かつて私に向けられていた「ただの餌係」という認識はなく、対等な「戦士」への敬意が宿っていた。
「リゼは、弱いけど強い。ガブとリゼなら、もっと強い。ドラゴンも食えるかもしれない」「あはは、ドラゴンは勘弁してよ」私は笑ったけれど、胸の奥が熱くなるのを感じた。
ずっとコンプレックスだった。攻撃魔法が使えない落ちこぼれ。家名に泥を塗る失敗作。でも、このゴブリンは、私の小さな魔法を「強い」と言ってくれた。使い道がないと思っていた力が、誰かを守り、勝利を掴むための武器になった。その事実が、私の中の凍りついていた自己肯定感を、焚き火のようにゆっくりと溶かしていく。
「ありがとう、ガブ。あなたのおかげよ」「ガブは肉食っただけ」「それも大事な役目よ」
私たちは顔を見合わせて笑った。森の夜風が吹く。木々がざわめく。以前は恐怖の対象でしかなかった夜の森が、今は私たちの庭のように思える。食事が終わり、満腹になったガブは、いつものように焚き火のそばで丸くなった。すぐに寝息が聞こえてくる。私は彼に毛布をかけ、自分もその隣に横になった。背中合わせの体温。この温もりがあれば、きっとどこまででも行ける。『嘘のない楽園』への旅路はまだ長いけれど、この旅自体が、私にとっては既に一つの楽園になりつつあるのかもしれない。そんな予感を抱きながら、私は深い眠りに落ちていった。




