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旅の友に選んだのはゴブリンでした  作者: 竜神
第4章:冬越えの洞窟

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EP58

170:リゼ、連敗


「もう一回!もう一回よ、ガブ!」


洞窟内に私の悲痛な叫びが響く。かまどの炎が揺らめき、岩壁に映る私たちの影もまた、興奮したように揺れ動いている。


あれから数日。外は相変わらず世界を白く塗り潰すような猛吹雪が続いているが、洞窟の中は熱気に包まれていた。私たちの間には、ボロボロになった大雪熊の革で作られたカードが散乱している。


「へへっ、何度やっても同じだぞリゼ。オレの『ゴブリン理論』は無敵だ!」


ガブがニカっと白い歯を見せて笑う。その手元には、勝利の証であるカードの山が築かれていた。


「くっ……!納得いかないわ。さっきの判定、どう考えてもおかしかったでしょう!?」


私は前のラウンドの結果を蒸し返した。


私の出したカードは【剣の10(強そうな剣)】。

ガブが出したカードは【肉の2(ただの肉)】。


普通なら剣の勝ちだ。剣は肉を切るための道具なのだから。しかし、ガブの主張はこうだった。『剣で肉を切ったら、肉はステーキになる!つまり肉はレベルアップして美味くなる!敵を喜ばせてどうする!よって肉の勝ち!』


あまりの屁理屈に、私は反論の言葉を失い、その隙にカードを回収されてしまったのだ。


「いいかリゼ。戦いってのは、ただ強ければいいってもんじゃない。相手の腹を満たして戦意を喪失させる、それが高等戦術だ」

「あんたが腹減ってるだけでしょ……!」


私は眼鏡の位置を直し、乱れた呼吸を整えた。落ち着け、私。私は王都のアカデミーを首席で卒業した才女よ。論理的思考ロジカル・シンキングでは誰にも負けないはず。相手は文字も読めないゴブリンじゃない。


「次こそは、あなたのその謎理論を論破して見せるわ」

「望むところだ!」


第15回戦、開始。バシッ!岩のテーブルに乾いた音が響く。


私のカード:【リゼ(激怒)の13(キング)】

ガブのカード:【目玉(魔物)の1】


「勝ったわ!」


私は拳を握りしめた。


「私の切り札、最強のキングよ。その目玉が何を見ようと、私の最大火力魔法『爆炎エクスプロージョン』の前には塵になるだけ!」


完璧な理屈だ。火力こそ正義。しかし、ガブは余裕の表情を崩さない。チッチッ、と人差し指を振ってみせる。


「甘いな、リゼ」

「な、何がよ」

「その目玉は『ただ見ている』だけじゃない。これは『催眠術の目』だ」

「はぁ!?設定が増えてるじゃない!」


ガブはニヤリと笑う。


「リゼのその怒り顔、目が血走ってるだろ?興奮してる証拠だ。そんな状態で催眠術を見たら、イチコロで眠ってしまう。ほら、リゼはもう眠い……眠い……」

「ね、眠くなんて……っ!」


言われてみれば、連日の夜更かしゲーム大会で、私は寝不足気味だった。ガブの低い声と、一定のリズムで揺れる指先を見ていると、ふっと意識が遠のくような……。


「ハッ!いけない!」


私は頭を振ったが、時すでに遅し。


「隙あり!寝てる間に魔法使いを捕獲!」


ガブが素早く私のカードをさらい取った。


「ずるい!今の心理戦じゃない!」

「戦場では油断した方が負けだ!」


完敗だ。論理ではなく、口八丁と勢い、そして私のコンディションまで利用した盤外戦術。悔しいけれど、このゴブリン、意外と頭の回転が速い。というか、ズル賢い。


「これで15連敗……」


私はガックリと肩を落とした。かつて「氷の才媛」と呼ばれた私のプライドは、雪山の洞窟でズタズタにされていた。


「ガハハ!リゼ、弱いな。頭でっかちはこれだから困る」


ガブが上機嫌でカードをシャッフルし始める。

私はジトリと彼を睨み上げた。このままでは終われない。ただの遊び?いいえ、これは知性の敗北を意味する。私は立ち上がり、杖をダンと床に突いた。


「ガブ、次がラストよ」

「おっ、泣きの1回か?」

「いいえ、最終決戦ラスト・バトルよ。賭け金を吊り上げましょう」


私は不敵に笑った。失ったプライドを取り戻すには、大きなリスクを背負う必要がある。それに、私には一つ、どうしても彼に押し付けたい「面倒な仕事」があったのだ。


171:賭け金は夕食の当番


「賭け金?」


ガブが興味深そうに耳を動かした。


「金貨なんて持ってないぞ。ここじゃ石ころと同じだしな」

「お金じゃないわ。労働力よ」


私はかまどの方を指差した。そこには、昨日の夕食の残りが入った鍋が置かれている。中身は干し肉と雪解け水を煮込んだだけの、茶色いスープだ。


「この1週間、負け続けた私がずっと料理当番をしてきたわね?」

「おう!リゼの飯は美味いからな!」

「お世辞はいいわ。メニューはずっと干し肉スープなんだから」


そう、問題はそこだ。備蓄食料は大量にあるが、種類が乏しい。来る日も来る日も、干し肉を戻して煮込むだけ。味付けは塩と、わずかな乾燥ハーブのみ。飽きる。作るのも、食べるのも、もう限界だ。特に、硬い干し肉を細かく刻む作業は、指が痛くなるほど面倒なのだ。


「次の勝負で私が勝ったら、今後1週間の料理当番……つまり、『肉刻み』から『後片付け』まで、全てあなたがやりなさい」

「ええっ!?1週間も!?」


ガブが嫌そうな顔をする。


「オレの料理なんて、肉を焼くだけだぞ?すぐ飽きるぞ?」

「それでもいいわ。とにかく私は、包丁を握りたくないの」

「じゃあ、もしオレが勝ったら?」


私は少し考え、覚悟を決めた。


「もしあなたが勝ったら、あなたの好きな『肩もみ』を毎日1時間やってあげる。それに、私の秘蔵の『甘い木の実』もあげるわ」

「甘い木の実!!」


ガブの目の色が変わった。エルフの里を出る時、お土産にもらった蜂蜜漬けのナッツ。非常食として隠していたのを、彼は鼻で嗅ぎつけていたらしい。


「乗った!その勝負、受けた!」


ガブが身を乗り出す。食欲という最強のエンジンがかかったようだ。

私たちは最後のカードを配った。ルールは一発勝負。一枚引いて、強い方が勝ち。山札に残っているのは2枚だけ。


私の心臓が高鳴る。


(風の精霊よ、幸運を運びたまえ……)


心の中で祈りながら、私はカードに手を伸ばした。


「いざ、尋常に……勝負!」

「うぉおおおお!」


バシンッ!二枚のカードが同時にめくられた。


私のカード:【肉の13(キング)】

ガブのカード:【リゼ(激怒)の1】


時が止まった。

私の手元には、最高ランクの「肉」。ガブの手元には、最弱ランクの「リゼ」。


「勝った」


私は震える声で呟いた。


「肉の王様よ!これ以上の強さはないわ!いくらリゼでも、最高級ステーキの前にはひれ伏すしかない!」


私は勝利の女神が微笑んだのを確信した。これまでの「ゴブリン理論」に基づけば、肉は最強の一角。しかもキングだ。対するリゼの1は、ただの貧弱な魔法使い。


しかし。ガブはニヤリと笑っていた。


「残念だったな、リゼ」

「は……?負け惜しみ?」

「よく思い出せ。このゲームの特別ルールを」


ガブが指差したのは、私の出した【肉の13】ではなく、彼が出した【リゼの1】の方だった。


「『1』は『始まり』の数字だと言ったのは誰だ?」

「私だけど……」

「そして、リゼは『肉』をどうする?」


ガブが、食べる仕草をする。


「食うんだよ。どんなにデカい肉でも、リゼは時間をかけて全部食う。つまり……『リゼ』は『肉』の天敵だ!!」

「なっ……!?」


衝撃が走った。確かに、これまでの勝負の中で「リゼは肉に弱い(食欲で負ける)」という判定があった。しかし、今回は逆だと言うのか。「食欲があるからこそ、肉を殲滅できる」と?


「そ、それは矛盾してるじゃない!さっきは肉に負けるって……」

「状況による!今は晩飯前だ!空腹のリゼは、肉の王様すら食い尽くす魔獣と化す!よって、リゼの勝ち!」

「あんたの都合のいい解釈ばっかりーーーーッ!!」


私は絶叫し、その場に突っ伏した。判定、ガブの勝利。私の16連敗が確定した瞬間だった。


「よっしゃあ!肩もみだ!甘い実だ!飯だー!」


ガブが踊り狂う。

私は灰のように真っ白になりながら、ゆらりと立ち上がった。負けは負けだ。賭けの対象は「夕食の当番」。つまり、私は今日も、明日も、明後日も、あの忌々しい干し肉と向き合わなければならない。


「いいわよ。やってやるわよ」


私の瞳に、暗く、しかし激しい炎が宿った。


「え?」


ガブが踊りを止める。


「どうしたんだリゼ、そんな怖い顔して」

「飽きたのよ。負けるのも、干し肉スープも」


私はリュックの奥底へ手を突っ込んだ。もう我慢しない。ゴブリン理論がなんだ。私は私のやり方で、この食卓を支配してやる。


「今日の夕食は、今までとは違うわよ。覚悟しなさい」


172:シチューの味変


私はかまどの前に陣取ると、鍋を睨みつけた。罰ゲームとしての料理当番?いいえ、違う。これは、私からガブへの「食の宣戦布告」だ。


「いい、ガブ。カードでは負けたけど、ここからは『料理対決』よ」


私は背後のガブに言い放った。


「は?対決って、オレは座って待ってるだけだぞ?」

「そう、あなたは防御側ディフェンダー。私が作る料理で、あなたのその『肉ならなんでもいい』という野生の価値観を粉々に粉砕してあげる。もしあなたが『美味い』と降参したら、私の勝ちよ」

「なんだそれ!美味いもん食えるなら、いくらでも降参してやる!」

「ふん、その余裕も今のうちよ……」


私はリュックの奥底に眠っていた、秘蔵の小袋を取り出した。ただの罰ゲームで終わらせるつもりはない。私のプライドを懸けた、芸術的アーティスティックな復讐戦の始まりだ。


中にあるのは水と、塩抜き中の干し肉。いつもなら、これをただ煮込んで終わりだ。だが、今日は違う。


「変えてやる……この灰色の食卓を、極彩色の宴に変えてやるわ……」


ブツブツと呟く私の姿に、ガブが少し引いている。


「お、おいリゼ?無理しなくていいぞ?いつものスープで……」

「黙らっしゃい!」


私は一喝すると、リュックから小さな革袋を取り出した。中に入っているのは、以前立ち寄った交易都市で、怪しげな行商人から買い取った「東方の秘薬」――ではなく、数種類の香辛料スパイスだ。


「クミン、唐辛子、そして貴重な黒胡椒……」


瓶の蓋を開けると、ツンとした刺激臭が鼻をくすぐる。この世界では、香辛料は金と同等の価値がある場所もある。それをこんな洞窟で使うのは贅沢の極みだが、背に腹は代えられない。


「まずは下準備よ」


私は魔法を行使する際の集中状態に入った。いつもの適当な詠唱ではない。料理は錬金術。分量と火加減が命だ。


(火の精霊たちよ。荒ぶるのではなく、鍋底を優しく舐めるように、とろ火を維持してちょうだい)


かまどの炎が、私の意思に応えてシュンと小さくなり、安定した赤い輝きを放つ。私は鍋から一度水を捨て、代わりに熊の脂身を投入した。ジュワァ……。脂が溶け出し、鍋底に透明な油の層ができる。


「そこに、これよ」


私は乾燥した香草ハーブと、砕いたスパイスを油の中に放り込んだ。シュワシュワシュワ……。油の中でスパイスが踊る。その瞬間、爆発的な香りが洞窟内に広がった。


「うおっ!?なんだこの匂い!」


ガブが鼻を押さえて飛び上がった。「臭い!……いや、いい匂いか?なんか鼻がムズムズするけど、腹が減る匂いだ!」

「香りを出しているのよ。油に香りを移すことで、食材全体に風味が回るの」


私は説明しながら、刻んだ干し肉と、貴重な乾燥豆を投入した。肉の表面を焼き付け、旨味を閉じ込める。ジャーッ!という景気のいい音が、洞窟の反響音効果でオーケストラのように響く。


「そして、水よ」


(水の精霊さん、お願い。食材の声を一つにまとめて)


雪解け水を注ぎ込むと、鍋の中は茶色から、黄金色の脂が浮いた濃厚なスープへと変化していく。

最後に、私は隠し味として、少しだけ持っていた「小麦粉」を水で溶いて入れた。とろみをつけるためだ。シャバシャバのスープではない。濃厚なシチューにするために。


「グツグツ……グツグツ……」


煮込むこと数十分。洞窟の中は、もはや雪山の避難所ではなかった。スパイシーで、野性的で、それでいて洗練されたレストランの厨房の香り。


「まだかリゼ、まだなのか!オレのヨダレで川ができそうだ!」


ガブが鍋の周りをウロウロしている。彼の目は完全に「肉」のカードを見た時と同じ、捕食者の目だ。


「よし……完成よ」


私は味見をした。スプーンの先で一口すする。

――ガツン。最初に唐辛子の辛味が舌を打ち、次にクミンのエキゾチックな香りが抜け、最後に熊肉の濃厚な甘みが全体を包み込む。美味い。ただのスープじゃない。これは「活力の塊」だ。


「さあ、召し上がれ。特製『大雪熊のスパイシーシチュー』よ」


木の器によそうと、ガブは奪い取るようにしてスプーンを突き入れた。


「いっただっきまーす!!」


ハフハフ、ズルッ。ガブが熱々のシチューを口に放り込む。

数秒の沈黙。そして。


「んん~~~~~~っ!!!」


ガブが天を仰いで悶絶した。


「なんだこれ!辛い!熱い!でも止まらない!舌が痺れるのに、もっと食わせろって喉が叫んでる!」


私も一口食べる。熱い塊が食道を通り、胃に落ちると、そこからカッと熱が全身に広がっていくのがわかる。指先の冷えが一瞬で消し飛ぶようだ。


「これがスパイスの力よ。体を温め、消化を助け、気力を呼び覚ますの」

「すげぇ……魔法の粉だ……!」


ガブは汗だくになりながら、猛烈な勢いでシチューをかきこんでいる。

私も夢中で食べた。連敗の悔しさも、長期間の閉塞感も、この強烈な味の前には些細なことに思えた。食べている間、私たちは無言だった。ただスプーンと器が当たる音だけが、カチカチと響き続けた。

完食。鍋は空っぽになった。私たちは満腹と心地よい疲労感に包まれ、毛皮の上に寝転がった。


「はぁ……食った食った。リゼ、お前は天才だ」


ガブがお腹をさすりながら、うっとりとした表情で言う。


「負けて料理当番になったのが、逆に良かったかもしれねぇな」

「ふふ、そうね。でも、次は負けないわよ」


私は満足感と共に、少しだけ体の異変を感じていた。体が熱い。いや、熱すぎる。スパイスの発汗作用だろうか?それとも、勝負に熱くなりすぎたせい?


ドクン、ドクン。心臓の鼓動が、妙に早く、重く感じる。顔が火照っているのに、背筋にはゾクリとした寒気が走る。


(あれ?)


私は額に手を当てた。汗をかいているのに、冷たい。急激な体温上昇と、外気の寒さ。そして連日の寝不足と疲労。それらが一気に押し寄せてきたのかもしれない。


まだこの時は、それが「香辛料の奇跡」の副作用ではなく、もっと深刻な事態の始まりだとは気づいていなかった。満ち足りた幸福感の裏で、私の体は静かに悲鳴を上げ始めていたのだ。

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