EP57
167:ガブの奇妙な鼻歌
「よし、次はオレの番だな」
ガブが立ち上がり、洞窟の中央、音が一番良く響く「スイートスポット」へと移動した。彼は咳払いを一つし、足元の岩をバン、と踏み鳴らした。
「いくぞ。ゴブリンの魂の歌だ」
私は膝を抱え、観客として彼を見守った。ゴブリンの歌。想像がつかない。彼らの言語は荒々しいが、歌となればどうなるのか。私の歌のようにメロディがあるのか、それとも詩の朗読のようなものなのか。
ドン。ガブが再び足を踏み鳴らす。
ドン、ドン。リズムが生まれた。そして、彼は胸を叩きながら、喉の奥から奇妙な音を出し始めた。
「ンー……ググッ、ンー……ググッ」
低い。地を這うような重低音が、洞窟の壁に反響し、お腹の底に響いてくる。それは「歌」というよりは、巨大な獣の心臓の鼓動のようだった。
「グオォ……ンンッ、バァ!グオォ……ンンッ、バァ!」
ガブが体を揺らし始める。メロディはない。あるのは一定のリズムと、喉を鳴らす独特の唸り声、そして時折入る破裂音だけだ。けれど、不思議な中毒性があった。
ドン、ドン、グオォ……。ドン、ドン、グオォ……。
聞いているうちに、私の意識がトランス状態のように引き込まれていく。外の吹雪の音と、ガブのリズムが奇妙に同調しているのだ。厳しい自然の中で、それでも心臓を動かし続ける生命力。獲物を追い、荒野を駆け、生き延びるための原始的な祈り。
「(すごい)」
私は息を呑んだ。これは「鑑賞するための音楽」ではない。「自分を鼓舞するための儀式」だ。私の歌が「空へ願いを届ける」ものだとしたら、ガブの歌は「大地に根を張る」ものだ。
「ガァッ!ズッ!ガァッ!ズッ!食って、寝て、生きろッ!!」
最後だけ、はっきりとゴブリン語の意味がわかった。ガブが両手を広げ、天井に向かって咆哮した。その声が幾重にも反響し、洞窟全体が震えるほどの音圧となって降り注いだ。
シーン……。
音が止むと、ガブは肩で息をしながら、少し照れくさそうに頭をかいた。
「こんな感じだ。母ちゃんが、腹減って泣いてるオレによく歌ってくれたんだ」
私は立ち上がり、力いっぱい拍手をした。パチパチパチパチ!その音もまた、綺麗に反響する。
「ブラボーよ、ガブ!魂が震えたわ!」
「そ、そうか?リゼのみたいに綺麗じゃないけど」
「綺麗とかじゃないの。力が湧いてくる感じがした。これぞ『生きる歌』ね」
ガブがニカっと笑う。
「へへっ、だろ?これ歌うと、腹が減るんだよな!」
「あはは、結局そこなのね」
私たちは互いの文化の違いを笑い合った。繊細な旋律と、力強い律動。どちらも、この閉鎖空間においては素晴らしい娯楽だった。
しかし、音楽会が終わると、再びあの時間がやってくる。静寂。やることがない時間。
「さて」
私はかまどの前に座り直した。
「歌も歌ったし、裁縫も終わったし……次は何をしましょうか」
ガブが退屈そうに床に寝転がり、天井のシミを数え始めている。外は相変わらずの猛吹雪。このまま何もしなければ、私たちは退屈に押しつぶされて発狂してしまうかもしれない。
何か、長時間遊べて、頭も使い、飽きないもの。私は記憶の引き出しを探った。アカデミーの寮で、夜な夜な生徒たちが隠れて遊んでいたもの……。
「そうだわ」
私はポンと手を打った。
「ガブ、ゲームを作りましょう」
「ゲーム?また歌合戦か?」
「ううん、もっと戦略的で、ハラハラするものよ」
私は裁縫で余った大雪熊の毛皮の端切れをかき集めた。これを加工すれば、あれが作れるはずだ。
「カードゲームよ。トランプを作るの」
168:カードゲーム作成
「カード?なんだそれ。食えるのか?」
ガブが端切れの皮をクンクンと嗅ぐ。
「食えないわよ。絵や数字を描いた札を使って、勝負をする遊び道具よ」
私はリュックから木炭(焚き火の消し炭)を取り出した。紙はないが、私たちには大量の革がある。なめしが不十分で硬いが、逆に言えば丈夫なカードになる。
「まずは、この革を同じ大きさに切り分ける必要があるわね」
私は端切れを並べ、意識を集中させた。数が多い。手作業でナイフで切っていたら日が暮れるし、サイズがバラバラになってしまう。
(風の精霊たち、また力を貸してくれる?今度は、同じ大きさの長方形に、トントンと切り分けたいの)
空中に漂う風の精霊たちが、私のイメージを受け取ってクルクルと回る。私は指先で四角形を描き、そのサイズを指定した。
「『風の裁断』」
シュパパパパッ!軽快な音と共に、不揃いだった革の端切れが、名刺サイズほどの長方形に次々と切り出されていく。その数、50枚以上。
「うおっ!早!魔法って便利だなー」
「ふふ、精霊たちも退屈してたみたいね。楽しんでやってくれたわ」
次に、加工だ。このままではただの革片だ。表と裏を区別し、数字と絵柄を入れなければならない。
「ガブ、あなたが絵を描いて。私が数字を入れるから」
「絵?何を描けばいいんだ?」
「4つの種類が必要なの。剣、杖、杯、コイン……まあ、わかりやすければ何でもいいわ」
ガブは少し考えると、炭を手に取って描き始めた。
「よし、オレ流でいくぞ!」
私はその横で、火の精霊に語りかけた。
(火の精霊さん、小さな炎で、ここに数字を焼き付けてくれませんか?1から13まで。焦がしすぎないように、優しくね)
チリチリ……。指先に灯った小さな炎をペン先のように使い、私は革の表面に数字を焼き入れていった。焼き印のように、焦げ茶色の数字が浮かび上がる。インクと違って消えることはない。一生モノのカードだ。
「できたぞリゼ!オレの傑作を見てくれ!」
ガブが鼻息荒く、4種類の絵柄を見せてきた。
一つ目は、ギザギザの棒。
「これは『こん棒』だ!殴ると痛いぞ!」
(まあ、クラブ(棍棒)そのものね)
二つ目は、丸い形。
「これは『肉』だ!食うと美味い!」
(コインの代わりね。欲望に忠実だわ)
三つ目は、ギョロリとした目玉。
「これは『魔物の目』だ!見つかるとヤバい!」
(不気味だけど、特徴的だからいいか)
そして四つ目は……。
「これは『リゼ』だ!」
そこには、眼鏡をかけた、怒った顔の棒人間が描かれていた。手には杖を持ち、雷のようなものを放っている。
「ちょっと、私こんなに怖い顔してる?」
「怒った時はこんな感じだぞ!最強のカードだ!」
否定しきれない自分が悔しい。こうして、世界に一つだけの「ゴブリン・トランプ」が完成した。スートは「こん棒」「肉」「目玉」「リゼ」。素材は最高級の大雪熊のレザー。焦げた革の匂いが香ばしい、ワイルドな仕上がりだ。
「よし、道具は揃ったわ。いよいよゲーム開始よ」
私は平らな岩の上にカードを広げ、シャッフルした。革製なので、紙のようにパラパラとはいかないが、ジャリジャリと混ぜる感触も悪くない。
「ルールを教えるわね。まずは簡単な『ハイ・アンド・ロー』から……」
「待てリゼ」
ガブが私の手を止めた。
「ん?」
「人間のルールじゃ、オレが負けるに決まってる。計算とか苦手だし」
ガブは真剣な表情で、自分の描いたカードを見つめた。
「ここはゴブリンの家(借り物)だ。だから、ゴブリン流のルールでやるべきだ!」
嫌な予感がした。でも、確かに公平性を欠くかもしれない。彼は数字に弱い。
「わかったわ。じゃあ、どんなルールにするの?」
ガブはニヤリと笑った。その笑顔は、獲物を前にした捕食者のそれだった。
「単純だ。『強さ』比べだ。強い方が勝ち、弱い方が負け。負けた方は……」
彼はかまどの横に積まれた薪を指差した。
「今日の夕飯作りと、薪割りを全部やる!」
賭けの対象が決まった。退屈しのぎの遊びが、一瞬にして生活をかけた真剣勝負へと変わった。
169:ゴブリン流ルール
「いくぞ、リゼ!勝負だ!」
「望むところよ!」
岩のテーブルを挟んで、私たちは対峙した。ルールは至ってシンプル(だとガブは主張する)。互いにカードを一枚出し、強い方が勝ち。手持ちのカードがなくなるまで繰り返し、勝ち星が多いほうが勝者。いわゆる「戦争」というゲームに近い。
「せーのっ!」
バシッ!二枚の革カードが岩に叩きつけられた。
私のカード:【こん棒の8】
ガブのカード:【肉の2】
私は勝利を確信した。
「はい、8の方が大きいから私の勝ちね」
「待った!!」
ガブが待ったをかけた。
「は?何よ。数字は8の方が上でしょ?」
「甘いなリゼ。よく見ろ、これは『肉』だぞ?」
ガブは得意げに鼻を鳴らす。
「こん棒で肉を叩いても、肉は痛くない。むしろ柔らかくなって美味くなる!つまり、肉はこん棒より強い!」
「な……っ!?何その謎理論!」
「ゴブリン界の常識だ!食い物は武器より偉い!よって、オレの勝ち!」
ガブは強引にカードを回収し、自分の勝ち山に加えた。私は呆気にとられたが、ここで怒っても仕方がない。彼のルール(世界観)を受け入れなければ、このゲームは成立しないのだ。
「わかったわ。そういう『相性』があるのね」
私は眼鏡をくいっと上げ、思考を切り替えた。数字の大小だけではない。絵柄の意味を考慮した、論理パズルだと思えばいい。
「次よ!」
バシッ!
私のカード:【リゼ(怒り顔)の5】
ガブのカード:【こん棒の10】
「ふっふっふ、10のこん棒だ!リゼごとき、一撃で……」
「いいえ、私の勝ちよ」
私は冷徹に言い放った。
「な、なんでだよ!」
「見ての通り、この絵柄は『魔法使い』よ。こん棒なんて物理攻撃、魔法障壁で防げるわ。それに、怒った私はこん棒より怖いのを知ってるでしょ?」
「うぐっ……確かに……」
ガブは過去に私に叱られた記憶が蘇ったのか、渋々引き下がった。
「よし、1勝1敗ね」
そこからは、カオスな心理戦が展開された。
バシッ!
【目玉の7】対【肉の9】。
「肉の方が数字がデカいから勝ち!」
とガブ。
「ちょっと待って。その目は『魔物の目』よ?腐った肉を見抜く目だわ。だから、肉は食べられずに捨てられる運命にある……つまり目の勝ち!」
と私。
「ぐぬぬ……屁理屈だ!」
「あなたの肉理論よりマシよ!」
バシッ!
【リゼの1】対【こん棒の13(キング)】。
「最強のこん棒だ!これなら勝てるだろ!」
「残念ね。1は『始まり』の数字。そして魔法使いは、知識で野蛮な暴力を封じるの。『ウィンド・バインド』!」
「魔法禁止だろ!?」
「イメージの話よ!」
私たちは一枚出すたびに、そのカードがなぜ相手より強いのかをプレゼンし合うことになった。もはやカードゲームというより、ディベート対決だ。だが、ガブの直感的な「ゴブリン理論」は、私の論理的思考の死角を突いてくる。
バシッ!
【肉の10】対【リゼの10】。同じ数字の対決。
「これは引き分け(ドロー)ね」
「いや、オレの勝ちだ」
ガブがニヤリと笑う。
「なぜなら、リゼは腹が減ったら肉を食うだろ?つまり、リゼは肉に屈服するんだ!肉の魅力には勝てない!」
「うっ……」
図星だった。空腹時の私は、確かに肉の前では無力だ。今の私は干し肉が主食だし。
「負けを認めるわ」
「やったー!肉最強!」
こうして、夜が更けるまで
「ゴブリン・ポーカー(別名:口喧嘩)」
は続いた。最初は私のほうが弁が立つかと思われたが、ガブの「生きるための執念」と「謎の屁理屈」は、予想以上に強敵だった。私の高度な魔法理論も、「でも殴れば死ぬ」とか「食えばなくなる」という原始的な真理の前には脆かったのだ。
「終了ー!!」
全ての手札がなくなった時、勝敗は明らかだった。
ガブの山:32枚。私の山:20枚。
「嘘……私が負けた?」
アカデミー首席の私が、文字も読めないゴブリンに、知恵比べ(?)で負けた。
「ガハハハ!見たか!これが野生の力だ!」
ガブが両手を上げて勝利のダンスを踊る。
「くっ、悔しい!」
私は唇を噛んだ。でも、不思議と嫌な気分ではなかった。頭をフル回転させ、笑い、叫び、熱くなったおかげで、体はポカポカしていたし、退屈なんて吹き飛んでいたからだ。
「約束通り、夕飯はリゼの当番な!」
ガブが得意げに言う。
「へーい、わかったわよ。でも覚えてなさい、次は負けないから」
私は立ち上がり、かまどへと向かった。敗者の罰ゲーム。だが、私の心には別の闘志が燃え始めていた。毎日同じ味の干し肉スープ。これに飽き飽きしているのは、私だけではないはずだ。
「見てなさい……私の『魔法料理』で、その舌を驚かせてやるわ」
私はリュックの奥底に眠っていた、秘蔵の小袋を取り出した。それは、食卓の革命を起こす魔法の粉。
カードゲームでの敗北は、次なる「料理対決」への序章に過ぎなかったのだ。




