EP55
161:リゼの裁縫教室
洞窟の中央、かまどの近くの明るい場所に、私たちは向かい合って座っていた。目の前には、先日加工したばかりの大雪熊の毛皮の端切れや、これまでの旅でボロボロになった予備の服、そして使い古した布きれが山のように積まれている。
「いい、ガブ。裁縫とは『再構築』の魔法よ」
私はあえて仰々しく言った。
「バラバラの素材を繋ぎ合わせ、新しい機能を持たせる。錬金術と変わらないわ」
「れんきんじゅつ……!なんか凄そうだな!」
ガブが単純に目を輝かせる。動機づけは成功だ。
「まずは素材の切り出しからね。この熊の皮、普通のハサミじゃとても切れないわ」
私は分厚い白毛皮を手に取った。刃物を通さないほどの強度が、防具としては頼もしいが、加工する素材としては厄介極まりない。ナイフで切ろうとすれば、ギザギザになってしまうだろう。
「そこで、魔法の出番よ」
私は深呼吸をし、周囲の空気に意識を溶け込ませた。洞窟内を循環する空気の流れの中に、透明なリボンをなびかせて遊ぶ風の精霊たちが見える。
(風の精霊さん、聞こえますか?あなたたちの鋭さを、少しだけお借りしたいのです)
私の呼びかけに、精霊たちがピクリと反応し、興味深そうに集まってくる。かつてのように魔力で強制的に従わせるのではない。お願いし、共鳴する。
(この分厚い皮を、線に沿って綺麗に断ち切りたいの。力を貸してくださる?)
私の指先から少量の魔力を「おやつ」として差し出すと、精霊たちが嬉しそうに渦を巻いた。彼らが私の指先に宿る。目には見えないが、確かな風の刃が形成されている。
「『風の断ち鋏』」
私が指を指揮棒のように滑らせると、シュッ、という微かな音と共に、熊の皮がまるで濡れた紙のように滑らかに切り裂かれた。摩擦熱も、切り屑も出ない。あまりにも美しい切断面。
「すっげー!豆腐みたいに切れたぞ!」
ガブが切り口を撫でて感嘆する。
「風の精霊たちが手伝ってくれたのよ。ありがとう、助かったわ」
私が微笑んで礼を言うと、精霊たちは満足げに空気中へと散っていった。
「さて、まずはガブ、あなたのその穴だらけのズボンを補修しましょう。膝当て(ニーパッド)を作るわ」
私は切り出した楕円形の毛皮を二枚、ガブの前に置いた。
「これをズボンの膝の部分に縫い付けるの。毛の面を内側にすれば暖かいし、膝をついても痛くないわ」「おおっ、最強のズボンになるな!」
「問題は、どうやって縫うか、ね」
私は裁縫セットから一番太い針を取り出した。糸は、熊の腱を細く裂いて乾燥させたものを使う。これなら強度は抜群だ。
「見ててね、ガブ。こうやって針に糸を通して……」
私は実演してみせる。針の穴にスッと糸を通し、布と毛皮を重ね、針を刺して引き抜く。チクチク、チクチク。一定のリズムで縫い進めると、二つの素材が強固に結びついていく。
「簡単でしょ?波縫いっていうの」
「うーん……リゼがやると簡単そうに見えるけど……」
ガブが自分の太い指と、小さな針を見比べる。彼の手は岩を砕き、木をへし折るための手だ。小石よりも小さな針を扱うようには進化していない。
「大丈夫、コツさえ掴めばできるわ。はい、やってみて」
私は新しい針と糸をガブに手渡した。
ガブは、まるで爆発物を扱うかのような慎重さで針をつまみ上げた。
「よし……やるぞ。オレは器用なゴブリンだ……」
外では風が唸りを上げているが、洞窟の中は静まり返っている。かまどの火がパチパチと爆ぜる音と、ガブの荒い鼻息だけが響く。こうして、第1回「洞窟裁縫教室」の幕が開けた。生徒はゴブリン1名。課題は、自分の装備の修繕。それは、魔物と戦うよりも遥かに繊細で、根気のいる戦いだった。
162:ガブ、針に苦戦
「ぬおおおおお……ッ!」
洞窟内に、ガブの唸り声が響き渡った。敵に囲まれたときでさえ、こんなに苦しそうな声は出さなかったはずだ。
「ガブ、落ち着いて。針は逃げないわ」
私は苦笑しながら、彼の奮闘を見守っていた。
ガブは眉間に深いしわを寄せ、顔を真っ赤にして、針の穴と格闘していた。太くゴツゴツした指先で、極細の針を持ち、そこへ熊の腱で作った糸を通そうとしているのだが、これがうまくいかない。
「穴が!穴が小さすぎる!これ、本当に穴空いてるのか!?ふさがってるんじゃないか!?」
「空いてるわよ。よく見て」
「見えない!ミジンコの鼻の穴かよ!」
ガブが震える手で糸を近づけるが、糸先がわずかに逸れて通り過ぎてしまう。そのたびに「あーっ!」と叫んで、最初からやり直しだ。
「貸して、通してあげるから」
「だめだ!オレがやる!これはオレの戦いだ!」
謎のプライドを発揮して、ガブは諦めない。しかし、10分経っても糸は通らず、彼の額には脂汗が滲んでいる。
「よし、作戦変更だ」
業を煮やしたガブが、針を置いた。
「リゼ、この針はオレの手には合わない。文明の利器を使う」
「文明の利器?」
ガブは道具袋から、魚の骨のように削った細い骨を取り出した。そして、それをかまどの火で炙り始めた。
「熱ッ!よし、焼けたぞ」
彼は熱した骨の先端を、縫い合わせたい毛皮とズボンの生地に押し当てた。ジュッ、と焦げる匂いがして、小さな穴が空く。
「こうやって、先に穴を空けておくんだ。そうすりゃ針を通すのが楽になる」
なるほど、錐を使う要領だ。革細工の基本テクニックを、彼は本能的に思いついたらしい。
「頭いいじゃない、ガブ」
「へへっ、だろ?」
気を良くしたガブは、次々と生地に穴を空けていった。そして、再び針を手にする。今度は布を貫通させる力がいらないため、穴にスッと針が通……らない。
「痛っ!!」
ガブが指を振った。針の頭ではなく、尖った方を指に刺してしまったようだ。緑色の指先から、プクリと血の玉が浮かぶ。
「あーあ、名誉の負傷ね」
「くそぅ……なんでオレを刺すんだよ!オレは持ち主だぞ!」
ガブが針に向かって文句を言っている。
「ガブ、力みすぎよ。もっと優しく、卵を持つように」
「卵を持ったら割っちゃうぞ」
「比喩よ。小鳥を手に乗せるように」
「小鳥なら逃げちまう」
屁理屈を言いながらも、ガブは少しずつコツを掴んでいったようだった。一度穴に通れば、あとはこっちのものだ。彼は舌を出しながら、不格好ながらも一針一針、確実に縫い進めていく。
ザクッ、グイッ。ザクッ、グイッ。繊細な裁縫というよりは、工事現場の作業に近い音がする。縫い目はガタガタで、幅もバラバラだ。でも、妙に頑丈そうではある。
「できた!!」
一時間後、ガブが雄叫びを上げてズボンを掲げた。膝の部分に、白い毛皮のパッドが縫い付けられている。まるでフランケンシュタインの継ぎ接ぎのようだが、機能的には問題ない。
「見てくれリゼ!オレの最高傑作だ!」
「うん、すごいわ。野性味あふれるデザインね」
私は素直に褒めた。不器用な彼が、投げ出さずに完成させたことが何より素晴らしい。
「履いてみるぞ!」
ガブがその場でズボンを履き、膝を曲げ伸ばしする。そして、わざと床に膝をついた。
「おおっ!痛くない!それにフカフカだ!」
ガブが満面の笑みを浮かべる。
「これなら雪の上で土下座しても寒くないぞ!」
「誰に土下座するつもりなのよ」
成功体験は人を(ゴブリンを)成長させる。味を占めたガブは、次なる獲物を求めて布の山を漁り始めた。
「次はこれだ!マントの穴を塞ぐぞ!」
最初は苦戦していた針仕事も、彼にとっては「装備の強化」という遊びに変わったようだ。外の吹雪も忘れ、私たちは没頭した。かまどの炎に照らされた彼の横顔は、真剣そのものだった。
163:継ぎ接ぎの毛布
数日にわたる「裁縫合宿」の結果、私たちの身なりは劇的に変化(?)した。ガブの服は、あちこちに白い毛皮のパッチワークが施され、雪男のような風貌になっていた。私のローブも、裏地に毛皮を縫い付けたことで、見た目はそのままだが防寒性能が段違いに向上している。
そして今、私たちは最後の大物に取り組んでいた。
「これで……最後の一針っ!」
私が糸を止め、ハサミで切る。バサリ。広げたそれは、畳3畳分はある巨大な一枚布だった。
「できた……。『特製パッチワーク毛布』の完成よ」
それは、芸術的とは程遠い代物だった。メイン素材は大雪熊の毛皮だが、端の方には私たちが使い古したマントや、予備の服、布切れなどが無秩序に縫い合わされている。色は白、茶色、灰色、緑とバラバラ。縫い目も、私の綺麗なラインと、ガブの荒々しいラインが混在している。
「なんか……魔界の地図みたいだな」
ガブが正直な感想を漏らす。
「失礼ね。私たちの『旅の記録』と言って」
この緑色の布は、ガブが最初に着ていた服の切れ端。この灰色の部分は、ドワーフのトンネルで裂けた私のマント。一つ一つの継ぎ接ぎに、これまでの冒険の思い出が染み込んでいる。
「ま、見た目はともかく、性能テストね」
私たちは洞窟の奥、寝床スペースにその巨大毛布を敷いた。下には乾燥した草と、予備の毛皮。その上にこのパッチワーク毛布を被る形だ。
「ガブ、入って」
「おう!」
私たちは潜り込んだ。重い。熊の毛皮特有の、ずっしりとした重みが体に乗っかる。だが、その重みが心地よい。密閉性が高く、体温を一切逃さないのだ。
「あったかい」
ガブが吐息を漏らす。
「今までで一番あったかいぞ、リゼ。これなら外で寝ても凍死しないかもしれない」
「さすがに外は無理だけど、この洞窟なら無敵ね」
私たちは並んで仰向けになり、天井を見上げた。暗闇の中、かまどの残り火が天井の岩肌を赤く照らしている。外ではヒューヒューと風が鳴いているが、この分厚い毛布の中は別世界のように静かで平和だ。
隣から、ガブの体温が伝わってくる。毛布の温かさと、相棒の温かさ。旅を始めた頃は、ゴブリンと一つの毛布で寝るなんて想像もしなかった。でも今は、これが一番自然で、安心できる場所だ。
「ねぇガブ」
「ん?」
「この継ぎ接ぎ、春になったらどうしようか」
これだけ大きく重い毛布は、旅に持っていくには不便だ。荷物になる。
「うーん……勿体ないけど、ここに置いていくか?」
ガブが少し寂しそうに言う。
「次の誰かが、ここを使った時に助かるように」
「そうね。『先客』へのプレゼントにしましょう」
いつかまた、誰かが吹雪に追われてこの洞窟に逃げ込んだ時。この不格好で温かい毛布があれば、きっと命を繋げるはずだ。かつての大家(熊)が、私たちに命をくれたように。
「それまでは、オレたちが使い倒してやるんだ」
ガブが毛布を首元まで引き上げる。
「おやすみ、リゼ。明日は何をする?」
「そうね……明日は外の様子を見てみましょうか。吹雪が止んでいたら、少し散歩でも」
私は目を閉じた。不格好な継ぎ接ぎの毛布。それは、バラバラだった種族の私たちが、不器用に、でもしっかりと絆を繋ぎ合わせた証そのもののようだった。
温かい闇の中で、私はすぐに深い眠りへと落ちていった。悪夢は見なかった。夢の中で、精霊たちが楽しそうに歌っている気配だけがしていた。




