EP53
155:冬の拠点作成
洞窟の床には、巨大な白い山が横たわっている。つい先程まで私たちを殺そうとしていた、この洞窟の元・主だ。
「よし、やるぞリゼ!体が温かいうちに解体しないと、カチカチに凍って刃が通らなくなる!」
ガブが袖をまくり上げ(といってもボロボロのシャツだが)、私の短剣を手にした。
私たちは、まずはこの巨大な「資源」を処理することから、拠点作りを始めなければならなかった。これは残酷なことではない。生きるための儀式だ。
「ええ、手伝うわ。皮を傷つけないように剥がないとね」
私は魔法で水を作り出し、手際よく準備を進める。
ガブの解体技術は、目を見張るものがあった。ゴブリンは本来、スカベンジャー(腐肉食)的な側面も持つ種族だが、ガブは「美味しく食べる」ことに執着しているため、肉の繊維や内臓の構造を熟知している。
「ここだ。関節に刃を入れれば、力はいらない」
サクッ、サクッ。驚くほどスムーズに、分厚い毛皮が肉から剥がされていく。鉄錆のような血の匂いが充満するが、不思議と不快ではない。それは生命の匂いだからだ。
数時間の格闘の末、私たちは大雪熊を「素材」へと還元した。
まずは肉。山のような赤身肉と、霜降りの脂身。
「これ、どうすんだ?全部は食いきれないぞ」
「外の入り口付近が天然の冷凍庫になってるわ。そこに雪を詰め込んで埋めておきましょう。残りは干し肉にするわよ」
次に脂肪。熊の背中には分厚い皮下脂肪があった。
「これは宝の山よ、ガブ。煮溶かせば油になる。料理にも使えるし、ランプの燃料にもなるわ」
暗い洞窟生活において、明かりは精神衛生上、非常に重要だ。
そして最後に、毛皮。真っ白で、ふかふかの、巨大なラグマット。内側に残った脂や肉片を丁寧にこそぎ落とし、雪で何度も洗って血抜きをする。
「重い……水吸って余計に重くなってる」
「頑張って。これを干して乾かせば、最高のベッドになるんだから」
私たちは処理を終えた毛皮を、洞窟内の岩場に広げて干した。まだ湿っているが、すでにその保温性は抜群だ。
熊の処理が終わると、次は「掃除」だ。洞窟の奥にあった熊の寝床――枯れ草や苔の山――を全て外へ放り出した。ダニやノミがいるかもしれないからだ。
「大家さんの遺品整理完了だな」
ガブが空っぽになった洞窟の奥を見渡す。6畳ほどのドーム状の空間。壁は煤けておらず、天井の亀裂からは微かに新鮮な空気が降りてくる。
「さて、ここからが本当の『部屋作り』よ」
私は杖を振るった。
「風よ、淀んだ空気を払いたまえ。水よ、床の穢れを清めたまえ」
生活魔法の応用で、洞窟内の埃や獣臭を外へ押し出し、床の血痕を洗い流す。濡れた床は、ガブが古い衣類(私たちのボロ布)で拭き上げた。
清潔になった岩の床。そこへ、荷物を配置していく。
「あっちの角が寝床だな。一番風が来ない」
「入り口に近い方はキッチン兼作業場にしましょう。天井の穴の下あたりで火を使うの」
「食料庫は入り口の通路の脇だな。寒いから肉が腐らない」
私たちは石を運んで区切りを作り、生活空間をゾーニングした。ただの岩の空洞が、少しずつ「家」の顔になっていく。
「へへ、なんかワクワクするな」
ガブが岩に腰掛けて笑う。
「今まで、こんなちゃんとした家に住んだことなかったもんな。ゴブリンの巣穴はもっとジメジメしてて、狭くて、臭かったし」
「私もよ。野宿か安宿ばかりだったから、自分たちで一から作るなんて初めて」
まだ家具もない。かまどもない。あるのは山積みの生肉と、湿った毛皮と、二人の旅人が持っているわずかな荷物だけ。けれど、ここには「屋根」があり「壁」がある。外で唸りを上げ始めた吹雪の音を聞きながら、私たちは言いようのない安心感に包まれていた。
「でもリゼ、寒いな」
ガブが身震いをする。作業で温まっていた体も、動きを止めると冷えてくる。
「そうね。家はできたけど、暖房がないわ」
私は洞窟の入り口の方を見た。
「燃料が必要よ。肉を焼くにも、私たち自身を温めるにも、大量の薪がいる」
「よし!一仕事終わったし、次は森へ出撃だ!」
ガブが立ち上がる。拠点作りの第一段階はクリア。次は、この冷たい石の箱に「熱」を灯すための戦いだ。
156:薪を集めろ
洞窟の外へ出ると、そこは灰色の世界になりかけていた。午前中のあの眩い青空は消え失せ、分厚い雲が空を覆い、粉雪が舞い始めている。
「うへぇ、寒さがレベルアップしてる」
ガブが首をすくめる。
「急ぎましょう。本格的に降り出す前に、今夜と明日の分の薪だけでも確保しないと」
私たちは洞窟の裏手に広がる針葉樹の森へと向かった。森の中は薄暗く、静まり返っている。地面には膝上まである雪。その下には、折れた枝や倒木が眠っているはずだ。
「リゼ、地面の枝はダメだ。濡れてるし、凍りついてて掘り出せない」
ガブが雪を掘り返そうとして諦める。雪の下の枝は水分を含んでおり、燃やせば大量の煙が出るだけで、火力にはならない。
「ええ。狙うなら『立ち枯れ』よ」
私は木々を見上げた。生きた木を切るわけにはいかない。水分が多すぎて燃えないし、乾燥させるのに何ヶ月もかかる。私たちが探すべきは、立ったまま枯れ、自然乾燥している木だ。
「あった!あそこだ!」
ガブが指差した先に、樹皮が剥がれ落ち、白骨のように乾いた一本の木があった。太さは私の太ももくらい。高さは5メートルほど。
「よし、あれを倒しましょう」
私は杖を構え、ガブは私の短剣(ナタ代わり)を構えた。しかし、北国の木は硬い。『鉄木』と呼ばれるほど繊維が密で、生半可な刃物では傷をつけるのがやっとなのだ。
「風の刃!」
私が魔法を放つが、乾燥して硬化した幹に弾かれ、浅い傷がつくだけだ。
「硬!岩みたいだぞ!」
ガブが蹴りを入れるが、木はビクともしない。
「くっ……物理でいくしかないか。ガブ、私が魔法で切れ込みを入れるから、そこを蹴り折って!」
「おう!任せろ!」
私は一点集中で魔力を放ち、幹にクサビ状の切れ込みを作った。
「今よ!」
「うらぁあああッ!!」
ガブが助走をつけて、渾身の飛び蹴りを叩き込む。バキィッ!!乾いた音が森に響き渡り、立ち枯れの木がゆっくりと傾き、そしてズシンと雪の上に倒れた。
「やった!」
「ナイスキックよ、ガブ!」
しかし、これで終わりではない。この長い丸太を、洞窟まで運ばなければならないのだ。枝を払い、手頃な長さに切り分ける必要があるが、今はそんな時間はない。雪が強くなってきた。
「このまま引きずっていくぞ!」
ガブが幹の根元を持ち上げる。
「うぐぐ……重……!」
ゴブリンの腕力を持ってしても、雪道での運搬は過酷だ。
「風よ、重荷を軽くせよ!」
私は風魔法で木を持ち上げるようにサポートする。ズルズル、ズルズル。私たちは協力して、長い丸太を雪原の上で引きずった。
一本では足りない。私たちはさらに二本、細めの立ち枯れを見つけてへし折り、それらもまとめて紐で縛り上げた。
帰り道は地獄だった。向かい風が強くなり、視界が悪くなる。重い木材が雪に引っかかる。私の魔法も、寒さで集中力が削がれて切れ切れになる。
「はぁ、はぁ……リゼ、大丈夫か?」
ガブが振り返る。彼も息が上がっているが、その目は力強い。
「平気よ……。家には、お肉が待ってるもの」
「そうだな!肉だ!焼き肉だ!」
食欲という最強の原動力を頼りに、私たちは洞窟へ戻った。入り口に丸太を放り出した時、私はその場にへたり込んでしまった。
「つ、疲れた……」
「へへ、大漁だな。これでしばらくは燃やし放題だ」
ガブが丸太を洞窟の中へ引き入れ、鉈代わりのナイフと石を使って、手頃な大きさに割り始めた。乾いた木の中身は、美しい琥珀色をしていた。パキッ、という音と共に薪が作られていく。
「いい匂いがするな。樹脂がいっぱいだ」
ガブが薪の匂いを嗅ぐ。松脂を多く含んだ薪は、よく燃えるはずだ。
「さあ、これで火種は揃ったわ。次は……」
私は洞窟の奥、天井の穴の下を指差した。
「あれを作るわよ。『文明の利器』をね」
157:かまど作り
薪を地面で直接燃やすのは簡単だが、効率が悪い。熱が四方に拡散してしまうし、鍋を置くのにも不安定だ。何より、煙が充満してしまう。
「ガブ、石を集めてきて。拳大くらいの、平べったいやつ」
「了解!大家さんが暴れて砕いた岩がいっぱいあるぞ」
私たちは洞窟内に散らばる岩片を集めた。そして、私は入り口付近の地面を掘り、粘土質の土を取り出した。それに灰と水を混ぜて練り上げる。
「何してんだ?泥遊びか?」
「モルタルよ。石と石をくっつける接着剤」
私が作ろうとしているのは、簡易的な「石のかまど」だ。天井の排気口(亀裂)の真下に、U字型に石を積み上げていく。
「ここが空気の入り口。ここが薪を燃やす燃焼室。そして、この上に鍋を置く」
私はガブに指示を出しながら、石を積み、隙間を泥で埋めていく。土魔法を使って、泥の水分を飛ばしながら固めていくので、作業は早い。
「すげぇ!魔法って便利だな!」
ガブが目を輝かせて、次々と石を渡してくれる。
高さを調整し、上に鍋が安定して乗るように五徳代わりの石を配置する。さらに、煙が真上に昇るように、かまどの背面を少し高く積み上げた。これで、上昇気流が発生しやすくなり、煙は自然と天井の穴へと吸い込まれていくはずだ。
「完成!」
出来上がったのは、無骨だが頑丈そうな石のかまど。まだ泥が乾ききっていないが、火を焚けばその熱で焼き固まるだろう。
「よし、火入れ式だ!」
ガブが細かく砕いた樹脂たっぷりの木片をかまどの中に放り込む。私が火打ち石で火花を散らす。シュボッ。乾燥した木片に火が移り、パチパチと音を立てて燃え広がった。
ゴーッ……。かまどの中に吸い込まれるように空気が流れ込み、炎が勢いを増す。煙は計算通り、背面の壁に沿って天井へと昇り、亀裂の外へと吸い出されていく。
「おおーっ!煙たくない!それに、すっげーあったかい!」
ガブがかまどに手をかざして歓声を上げる。
石が熱を蓄え、そこから放射される遠赤外線が、冷え切った洞窟内の空気を温め始めた。これはただの調理器具ではない。命を守るヒーターだ。
「成功ね。じゃあ、いよいよ」
私はかまどの上に、雪を溶かした水を入れた鍋をセットした。そして、ガブが切り分けたばかりの、大雪熊の肉を投入する。
「肉だ!肉祭りだ!」
ぐつぐつと鍋が煮立つ音が、洞窟内に響く。持っていた乾燥ハーブと岩塩を少々。味付けはシンプルだが、素材が極上だ。熊の脂が溶け出し、スープの表面に黄金色の膜を作る。
「いい匂いだ……」
私たちはゴクリと喉を鳴らした。朝から何も食べていない。それに、あの死闘と重労働の後だ。
「よし、煮えたわ。食べましょう」
私が木の器によそうと、ガブは待ちきれない様子で食いついた。
「あっつ!うめぇえええ!!」
ガブが目を丸くして叫ぶ。
「なんだこれ!甘い!肉が甘いぞ!」
私も恐る恐る口に運ぶ。美味しい。臭みなど全くない。濃厚な旨味と、とろけるような脂の甘さが口いっぱいに広がる。体が内側からカッと熱くなるのを感じる。これが、極寒の地を生き抜く獣の力か。
「生き返る……」
温かいスープが胃に落ちると、指先まで血が巡っていくのがわかる。
かまどの赤い炎。パチパチという薪の爆ぜる音。そして、極上の食事。
外では猛吹雪が吹き荒れているが、ここには確かな「文明」と「安らぎ」があった。私たちは鍋を囲み、何度もおかわりをした。お腹が満たされると、急激な眠気が襲ってくる。まだ半乾きの毛皮の上だが、かまどの熱があれば寒くはない。
「リゼ、ここ、いい家だな……」
ガブが満腹のお腹をさすりながら、うとうとしている。
「ええ。最高の物件だったわね」
こうして、怒涛の初日は終わった。明日からは、この大量の肉を保存食に加工する作業が待っている。でも今は、ただ眠ろう。冬越えの拠点は、無事に完成したのだから。




