EP52
152:理想の物件探し
ガブの体温でどうにか復活した私は、改めて自分たちがたどり着いた洞窟の査定を始めた。ここは北の果て、極寒の雪原。春が来るまで数ヶ月間、私たちはここに籠城しなければならない。つまり、この洞窟が快適かどうかが、そのまま生死に直結するのだ。
「さて、ガブ。内見に行きましょうか」
私は杖の先端に光を灯し、不動産屋のような口調で言った。
「内見?なんだそれ?」
「家の中を見て回ることよ。ここが本当に住むのに適しているか、厳しくチェックするの」
私たちは洞窟の奥へと歩き出した。入り口付近は外気が入り込み、床には雪が吹き溜まっている。ここは寒すぎて眠る場所には適さない。
「玄関ホールは広くて開放感があるけど、断熱性は最悪ね」
私が評すると、ガブも真似をして頷く。
「そうだな!風通しが良すぎて、鼻水が凍るぞ!」
洞窟は奥へ進むにつれて、少しずつ狭くなっていた。そのおかげか、風の通りが遮られ、体感温度がわずかに上がった気がする。壁面は天然の岩肌だが、意外と滑らかで、棘のような突起は少ない。
「通路の広さは合格。荷物を持っても余裕ですれ違えるわ」
「でもリゼ、暗いぞ。ずっと魔法を使ってなきゃいけないのか?」
「そうね……。どこかに明かり取りの穴があればいいんだけど」
さらに20メートルほど進むと、道がクランク状に折れ曲がっていた。その角を曲がった先で、空間が一気に開けた。
「おおっ!」
ガブが声を上げる。そこは、6畳ほどの広さを持つドーム状の空間だった。天井は高く、何より驚いたのは、空気が澱んでいないことだ。
「見て、ガブ。天井のあの隙間」
私が光を当てると、天井の高い位置に小さな亀裂があり、そこから微かな風が抜けているのが見えた。
「天然の煙突ね。これなら中で火を焚いても一酸化炭素中毒……煙で窒息する心配がないわ」
これは大きい。閉鎖空間での焚き火は自殺行為だが、換気が確保されているなら話は別だ。暖房と調理が可能になる。
「すっげー!ここなら焚き火し放題だ!」
ガブが嬉しそうに岩壁を叩く。
「それに、地面を見て」
私はしゃがみ込み、床の岩を撫でた。平らだ。まるで誰かが整地したかのように、ゴツゴツした岩が削られ、平坦になっている。これなら背中を痛めずに寝られそうだ。
「平らだし、なんか乾いてるな。ジメジメしてないぞ」
ガブが鼻を近づけてクンクンと匂いを嗅ぐ。
「うん、カビの匂もしない。でも、なんか別の匂いがするな」
「別の匂い?」
「ああ。なんかこう……獣臭いような、でもちょっと甘いような……」
私はそこには触れず、総合的な評価を下した。
「換気よし、広さよし、乾燥状態よし。入り口からの距離も適度で、外敵や寒風も入ってきにくい」
私は満足げに頷いた。
「判定は『Sランク物件』ね。王都の狭いアパートよりよっぽど快適そう」
「やったな!じゃあ、ここがオレたちの城だ!」
ガブが万歳をする。
「そうね。ただ、一つだけ気になることがあるわ」
私は部屋の隅、影になっている部分に光を向けた。そこには、枯れ草や乾燥した苔がうず高く積まれていたのだ。自然に吹き溜まったものではない。明らかに、何者かが「意図的に」集めた形跡がある。
「ベッド?」
ガブが呟く。
「これ、誰かのベッドだよな?リゼ」
その瞬間、私の背筋に冷たいものが走った。条件が良すぎるのだ。風が入らず、換気が良く、床が平らで、乾燥している。そんな「理想の物件」を、野生動物たちが見逃すはずがない。
「ガブ、静かに」
私は声を潜めた。
「どうやらこの物件、とっくに『契約済み』だったみたいよ」
ガブの言っていた「別の匂い」。それは、濃厚な獣の体臭だった。部屋の奥、巨大な岩の陰から、低い、地響きのような音が聞こえてくる。ズズズ……グォオオ……。
風の音ではない。いびきだ。
「先客がいる」
私たちは顔を見合わせた。理想のマイホームを手に入れるためには、どうやら面倒なトラブルを解決しなければならないらしい。
153:クマの先客
光魔法の輝度を絞り、私たちは慎重に岩の陰を覗き込んだ。その巨体は、闇の中に白い山のように鎮座していた。全身を覆う分厚い純白の毛皮。丸太のように太い腕。そして、顔の半分ほどを占める巨大な顎。
「でかっ」
ガブが息を呑む音が聞こえた。
『大雪熊』。北の雪原における生態系の頂点に君臨する猛獣だ。体長は優に3メートルを超えている。立ったら4メートルはあるだろう。今は冬眠の真っ最中らしく、巨大な体を丸めて深い眠りについている。
「嘘でしょ……こんな大物が大家さんだったなんて」
私は冷や汗を拭った。普通、熊の冬眠は体温を下げて仮死状態になるものだが、魔物に近いこの種は浅い眠りを繰り返す。刺激を与えればすぐに起きるはずだ。
「リゼ、どうする?逃げるか?」
ガブが小声で提案してくる。賢明な判断だ。この狭い空間であんな化け物と戦うのは自殺行為に等しい。
しかし、私は首を横に振った。
「ダメよ。外はもう吹雪き始めてる。それに、他の洞窟を探している余裕も体力もないわ」
私の指先はまだ冷たい。この「理想の物件」を諦めて外へ出れば、待っているのは確実な凍死だ。
「じゃあ、どうすんだ!あいつと同居なんて無理だぞ!寝返り打たれただけでオレたちペチャンコだ!」「退去してもらうしかないわね」
その時だった。私の杖の光が、熊の閉じた瞼を微かに刺激したのだろうか。あるいは、私たちのヒソヒソ話が耳障りだったのか。
ピクリ。熊の小さな耳が動いた。
「あっ」
ズオッ……!熊が身じろぎをし、巨大な鼻孔を大きく開いて空気を吸い込んだ。異分子の匂い。人間と、ゴブリンの匂い。
カッ!闇の中で、二つの眼光が深紅に灯った。冬眠を邪魔された不機嫌さと、寝起きで空腹の殺意が混ざり合った、最悪の目覚めだ。
「グゥ……ルルルルル……」
喉の奥から響く唸り声が、洞窟内の空気をビリビリと振動させる。それは警告などという生易しいものではなく、死刑宣告に近かった。
「お、おはようございます……大家さん」
ガブが引きつった笑顔で手を振る。
「ガァアアアアアッ!!!」
咆哮が炸裂した。鼓膜が破れそうな轟音と共に、大雪熊が立ち上がる。天井に頭が届きそうなほどの巨体。その威圧感に、私は一歩後退った。
「交渉の余地はなさそうね!」
私は即座に杖を構えた。
「ガブ、散開して!」
熊が右腕を振り上げる。その爪は鋭利なナイフのように長く、硬い岩壁すら容易く切り裂く凶器だ。
ブンッ!!豪腕が振り下ろされる。ガブは床を転がって回避したが、彼がいた場所の岩が粉々に砕け散った。
「あっぶねぇ!岩が豆腐みたいになったぞ!」
ガブが叫ぶ。
狭い洞窟内での戦闘。逃げ場はない。相手はここを熟知した「家主」であり、圧倒的な質量を持つ怪物。私たちは不法侵入者として、ここから排除されようとしていた。
「リゼ!魔法でなんとかしてくれ!」
「やってるわよ!『光の矢』!」
私が放った光の矢が、熊の厚い脂肪と毛皮に突き刺さる。しかし、ジュッという音がしただけで、熊は痛痒も感じていない様子だ。分厚い毛皮が魔法防御の役割も果たしている。
「硬いわね……!それに、下手に火を使ったら酸欠になる!」
火炎魔法はこの密閉空間では諸刃の剣だ。
熊の視線が私に向いた。小賢しい魔法使いを先に潰すと決めたようだ。ドシッ、ドシッ、と重い足音を立てて迫ってくる。
「ひっ!」
壁際に追い詰められる。熊が大きく口を開けた。その口内からは、腐臭と熱気が漂ってくる。
これが、冬の厳しさ。自然界の掟。場所を奪うか、奪われるか。食うか、食われるか。
「やるしかないわね!」
私は覚悟を決めた。大家との交渉は決裂した。これより、物理的な手段による強制退去(あるいは物件の乗っ取り)を開始する。
154:大家との交渉
「ガァッ!」
大雪熊が私に向かって噛み付こうとした瞬間。
「オラァッ!こっちだデカブツ!」
ガブが横から飛び出し、熊の鼻先に石を投げつけた。ゴッ!という鈍い音がして、石は敏感な鼻に直撃した。
「グオッ!?」
熊が顔をしかめ、標的をガブに変える。
「へへッ、鼻は効くみたいだな!ここならどうだ!」
ガブはその身軽さを活かし、壁を蹴って熊の背後に回り込もうとする。しかし、熊の反応速度は巨体に似合わず速かった。裏拳のように振るわれた左腕が、空中のガブを捉える。
「ぐあっ!」
ガブは壁に叩きつけられた。
「ガブ!」
幸い、『鉄木の胸当て』が衝撃を吸収したようだが、ガブは苦悶の表情でうずくまる。力の差がありすぎる。正面からの殴り合いでは勝てない。
私は冷静になろうと努めた。相手は生物だ。弱点はある。目、鼻、そして……バランスだ。
「ガブ、足よ!足を狙って!」
私は叫びながら、杖を床に向けた。
「大地よ、滑らかなる罠となれ!『グリース・アース』!」
魔法によって、熊の足元の岩盤から脂のような粘液が染み出し、ツルツルと滑る状態に変化する。踏ん張りが利かなくなった熊が、おっとっと、と体勢を崩した。
「今よ!」
「おう!」
ガブが痛みを堪えて飛び出した。彼が手にしたのは、私の短剣。狙うのは熊の足首、アキレス腱だ。
ザシュッ!ガブの一撃が、分厚い毛皮の薄い関節部分を切り裂いた。
「グオォォオッ!!」
熊が悲鳴を上げ、膝をつく。その巨大な頭が、私の目の高さまで下がってきた。
「悪いけど、ここからは私たちが住むの」
私は杖の先端を、熊の目の前に突きつけた。至近距離からの、最大出力。
「『閃光』!!」
カッッッ!!!洞窟内が真っ白に塗りつぶされるほどの強烈な閃光が炸裂した。暗闇に慣れていた熊の目は、完全に視界を奪われたはずだ。
「ガァアアア!?」
熊が目を押さえて暴れ回る。見えない敵への恐怖で、無茶苦茶に腕を振り回す。
「ガブ、とどめを!」
「任せろッ!」
ガブが天井の突起を利用して高く跳躍した。重力を味方につけ、落下と共に短剣を突き立てる。狙うは延髄。
ズドッ!深々と刃が突き刺さる。熊の動きがピタリと止まった。そして、ゆっくりと、まるでスローモーションのように、巨体が横倒しになった。
ズズーン……。巨大な質量が倒れた衝撃で、洞窟が揺れた。
静寂が戻る。聞こえるのは、私とガブの荒い息遣いだけ。
「はぁ、はぁ……勝った……のか?」
ガブが熊の背中の上でへたり込んだ。
「ええ……なんとか、交渉成立ね」
私は壁に背中を預け、ずるずると座り込んだ。手の震えが止まらない。恐怖と寒さと、魔力切れによる疲労だ。
「すっげー大家だったな……」
ガブが熊の毛皮を撫でる。
「でも見てみろリゼ。こいつ、丸々太ってるぞ」
その言葉に、私はハッとした。目の前に転がっているのは、恐ろしい怪物であると同時に、雪国における最大の「資源」なのだ。
「そうね。食料問題、一気に解決しちゃったかも」
「肉がいっぱいだ!それに、この毛皮!」
ガブが目を輝かせる。
「これがあれば、布団なんていらないぞ!最高級のベッドだ!」
確かに。この分厚い毛皮を敷けば、冷たい岩肌もふかふかの絨毯に変わるだろう。脂肪は燃料や灯りになるし、骨は道具になる。大家さんは退去する代わりに、家財道具一式と半年分の食料を置いていってくれたようなものだ。
「ありがとう、大家さん。あなたの命、無駄にはしないわ」
私は静かに手を合わせ、感謝の祈りを捧げた。残酷かもしれないが、これが生きるということだ。
「よし!リゼ、解体だ!血抜きしないと肉が不味くなるぞ!」
ガブはすっかり元気を取り戻し、ナイフを研ぎ始めた。その姿は、ゴブリンというより、頼もしい熟練の猟師のようだった。
「ええ、手伝うわ。今夜はクマ鍋ね」
外では猛吹雪が吹き荒れ始めていたが、洞窟の中は熱気に包まれていた。私たちは「理想の物件」を勝ち取ったのだ。ここが、私たちの冬の城。血なまぐさくも温かい、スローライフの始まりだった。




