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旅の友に選んだのはゴブリンでした  作者: 竜神
第1章:家出少女と拾われたゴブリン

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EP5

13:ゴブリンの視界、人間の視界


ガブと「契約」を交わしてから、私たちの旅の速度は劇的に変わった。単純に足が速くなったわけではない。むしろ、あちこち寄り道をするガブのおかげで、進行速度自体は遅くなっているかもしれない。けれど、「迷い」がなくなった分、精神的な疲労は驚くほど軽くなっていた。


森の中を歩く。先頭を行くのは、私の腰ほどの背丈しかない緑色の相棒だ。彼は時折立ち止まり、鼻をスンスンと鳴らし、長い耳をレーダーのように動かして周囲を探る。その姿は、まるで森そのものと会話をしているようだ。


「リゼ、こっち。風、いい匂いする」「いい匂い?何も匂わないけど」「ある。甘い水、ある」


ガブが指差した方向へやぶをかき分けて進むと、そこには古木があり、樹皮の裂け目から琥珀色の樹液が垂れていた。舐めてみると、ハチミツのように濃厚な甘みが口いっぱいに広がった。「すごい!よく分かったわね」「ガブ、鼻、いい。リゼ、鼻、飾り」「失礼ね。人間の鼻だってちゃんと機能してるわよ」


私がむっとして言い返すと、ガブはケラケラと笑う。彼の周りには、いつも「愉快」を表す明るい黄色の光が舞っている。この数日で分かったことだが、私たちが見ている世界は、まるで別物だった。私は『真実の眼』を通して、世界を「感情の色」と「情報の真偽」で見ている。美しい花を見ても、そこに擬態した毒虫がいれば、その「殺意」の赤色が先に見える。小鳥のさえずりを聞いても、それが縄張り争いの威嚇であれば、棘々(とげとげ)した灰色が見える。私の世界は常に情報過多で、油断するとノイズで頭が痛くなる世界だ。


対して、ガブの世界はもっとシンプルで、五感に直結している。食えるか、食えないか。危険か、安全か。気持ちいいか、不快か。彼は視覚よりも、嗅覚と聴覚、そして「勘」という名の野生のセンサーで世界を捉えている。


ある時、私たちは開けた花畑に出た。一面に咲き乱れる紫色の花々。木漏れ日がスポットライトのように降り注ぎ、息を呑むような美しさだった。私は思わず足を止めた。「綺麗」王都の整備された庭園とは違う、無秩序で力強い生命の美。私はしゃがみ込み、一輪の花に触れようとした。


「だめ!」バシッ!ガブが私の手を激しく叩いた。驚いて引っ込めると、彼は鬼の形相で私を睨みつけ、その花を棍棒で根元からへし折った。


「ガブ!?何するの、可哀想じゃない」「リゼ、バカ。これ、シビレ花。触る、死ぬ」「え?」


折られた花の茎から、紫色の汁が滲み出していた。それが地面の草に落ちると、草が一瞬で変色して枯れていくのが見えた。猛毒だ。私の『真実の眼』は、植物の毒性までは見抜けない。植物には「嘘」も「悪意」もないからだ。ただ自然の摂理として毒を持っているだけの存在に対して、私の眼は無力だった。


背筋が凍る思いがした。もし一人だったら。綺麗な花だと思って摘み、その手でパンを食べていたら。私は今頃、この花畑の養分になっていただろう。


「ごめん。知らなかった」「綺麗なやつ、だいたい危ない。これ、森の掟」


ガブは得意げに鼻を鳴らすと、へし折った花を蹴飛ばした。


「でも、根っこ、すり潰すと、痒み止めになる。ガブ、知ってる」「へぇ......。物知りなのね」「ガブ、賢い。リゼ、知らないこと、多い。だから、ガブが教える」


彼は小さな胸を張った。その体から溢れ出しているのは、「頼られる喜び」を示す誇らしい金色。以前の私なら、ゴブリンに教えを請うなんて屈辱だと感じたかもしれない。けれど今は、彼のその単純な自尊心が眩しく、頼もしく思えた。


私の眼は「人の心の醜さ」を見抜くことには長けているが、「自然の厳しさ」を見抜くことはできない。


ガブの眼は「美しさ」や「情緒」を解さないが、「生存の正解」を見抜くことができる。凸と凹。私たちは、全く違う景色を見ているからこそ、二人で一つになれるのかもしれない。


「ねえ、ガブ」「ん?」「あなたの目には、私はどう映ってるの?」


ふと気になって聞いてみた。彼は歩きながら振り返り、私の顔をじっと見つめた。黄色い瞳が、私の姿を映し出す。


「リゼは、白い」「白い?」「うん。森、緑と茶色。夜、黒。リゼ、白くて、ピカピカ。すぐ見つかる。獲物にされる」「それ、褒めてないわよね?」「でも、いい匂いする。肉焼く匂いじゃなくてなんか、落ち着く匂い」


彼は照れくさそうに鼻をこすり、また前を向いて歩き出した。「好意」の淡いピンク色が、彼の背中からポワポワと立ち上っている。言葉は稚拙だ。表現も独特だ。けれど、そこに「嘘」がないことだけは、私の眼にはっきりと映っていた。


「そっか。ありがとう」


私はフードを少し深く被り直し、白い顔を隠した。頬が熱い気がする。こんな感情、王都にいた頃は一度も知らなかった。誰かの視線に「守られている」と感じることが、これほど心地よいものだなんて。


ガブが棒で草むらを叩く音が、リズムよく響く。私はその音に合わせて、少し軽やかな足取りで彼の後を追った。彼の見る世界と、私の見る世界。二つの視界を重ね合わせながら、私たちは森の奥へと進んでいく。


14:その棍棒、汚くない?


その日の昼食時、私はある重大な問題に気づいてしまった。それは、ガブの武器についてだ。


私たちは倒木のベンチに座り、干し肉と野草のスープを食べていた。ガブは相変わらず旺盛な食欲で、リスのように頬袋を膨らませている。平和な光景だ。平和なのだが、どうしても無視できない「異臭」が漂ってきていた。


原因は、ガブの腰に差してある(正確には、腰紐に挟んである)愛用の棍棒だ。それはただの太い木の枝なのだが、度重なる戦闘と狩猟の結果、どす黒い染みが幾層にも重なり、得体の知れない汚れがこびりついている。乾いた血。何かの粘液。泥。それらが混ざり合い、発酵したようなツンとする臭いを放っていた。


食事中じゃなければ我慢できたかもしれない。でも、今はスープの湯気と一緒にその臭いが鼻孔を直撃している。私はスプーンを置いた。


「ねえ、ガブ」「んぐ?(何?)」「その棒ちょっと貸してくれない?」「なんで?」「いいから」


ガブは渋々といった様子で、齧りかけのパンを置き、棍棒を差し出した。受け取ろうとして、手が止まる。近くで見るとさらに酷い。持ち手の部分まで手垢と脂で黒光りしている。生理的な嫌悪感が背筋を駆け上がる。私は令嬢として育ったのだ。衛生観念のレベルが、野生のゴブリンとは根本的に違う。


「これ汚すぎるわよ。バイ菌の塊じゃない」「バイキン?なんだそれ。強い魔物か?」「もっと怖い敵よ!目に見えない小さな敵がお腹の中に入って、ガブを病気にするの」「ガブ、強い。病気、負けない」「そういう問題じゃないの!」


私は杖を構えた。「とにかく、綺麗にするわよ。洗浄クリーン!」


魔法が発動し、棍棒を包み込む。長年蓄積された汚れが光の粒子となって分解され、剥がれ落ちていく。みるみるうちに、棍棒は切り出したばかりのような白木の肌を取り戻していった。臭いも消え、清潔そのものだ。私は満足して頷き、ピカピカになった棍棒をガブに返した。


「はい、どうぞ。これで安心ね」


しかし、ガブの反応は予想外だった。彼は受け取った白い棒を呆然と見つめ、次の瞬間、悲鳴のような声を上げたのだ。


「あああ!俺の『強さ』が!」「え?」「この臭い、大事!敵、逃げる臭い!俺が倒した強い獲物の臭い!全部ない!」「えぇ?」


彼の全身から「絶望」と「悲哀」の濃い青色が噴き出していた。どうやら彼にとって、あの汚れはただの汚れではなく、勲章であり、魔除けのお守りのような意味を持っていたらしい。人間社会でも、使い込まれた道具を美徳とする文化はあるが、まさかあの悪臭にそこまでの価値を見出していたとは。


ガブは涙目で私を睨んだ。「リゼ、ひどい。これじゃ、ただの木の棒。弱そう」「で、でも、清潔な方がいいじゃない」「森で清潔、意味ない!臭いがないと、弱い奴だと思われて襲われる!」


確かに一理あるのか?野生の世界では、血の臭いを漂わせている捕食者には近寄らない、というルールがあるのかもしれない。私は悪いことをしたような気になってきた。私の「常識」を押し付けた結果、彼の大切なアイデンティティを奪ってしまったのだ。


「ごめん。良かれと思ってやったんだけど」「うう俺の歴史」ガブは白い棒を撫でながら、しょんぼりと肩を落としている。その姿があまりに可哀想で、私は何とか挽回できないかと考えた。


汚れを戻すことはできない。なら別の価値を付与するしかない。私はもう一度杖を構えた。


「ガブ、貸して。もっと強い棒にしてあげるから」「強く?」「そう。汚れはないけど、石よりも硬くしてあげる」


私は生活魔法の応用である「硬化ハーデン」と、さらに即興で「防腐プリザーブ」の術式を編み込んだ。本来は食材を長持ちさせるための魔法だが、木材にかければ腐敗を防ぎ、強度を増すことができるはずだ。淡い光が棒に吸い込まれていく。見た目は変わらない白木の棒だが、叩いてみると、カンッ!と金属のような硬質な音が響いた。


「ほら、持ってみて」


ガブは疑わしそうに棒を受け取った。そして、近くの岩を軽く叩いた。ガキンッ!岩が欠けた。棒には傷一つない。


「おお?」ガブの目が丸くなる。彼はもう一度、今度は力いっぱい岩を叩いた。バゴォン!岩が砕け散った。


「すげえ!リゼ、これすげえ!石より硬い!」絶望の青色は一瞬で消え去り、今度は興奮の真っ赤な色が爆発した。彼は新しい武器(見た目はただの白い棒)を振り回し、喜びのダンスを踊り始めた。「白い棒、最強!ガブ、最強!」


単純だ。本当に単純で助かる。私はほっと胸を撫で下ろした。どうやら衛生問題は解決したようだ。ただ一つ誤算だったのは、それ以降、ガブが事あるごとに「リゼ、これも硬くして」と、拾ったドングリや自分の爪まで差し出してくるようになったことだがそれはまた別の話だ。


ともあれ、私たちは一つの教訓を得た。私の「綺麗」と、彼の「大切」は違う。けれど、魔法と歩み寄りがあれば、その違いを「もっと良いもの」に変えることができるのだと。


白く輝く棍棒を腰に差したガブは、以前よりも少しだけ誇らしげに見えた。私は苦笑しながら、冷めてしまったスープを飲み干した。


15:川の水は冷たい


旅を始めてから、五日が過ぎようとしていた。食料の問題はガブのおかげで解決し、魔物への対処も連携が取れてきた。順調だ。しかし、私の中には、日に日に増大していくストレスがあった。


――お風呂に入りたい。


その渇望は、もはや限界に達していた。生活魔法の「洗浄」で体の表面の汚れは落とせる。服も綺麗にできる。でもそういうことじゃないのだ。たっぷりの湯に浸かり、毛穴を開き、心身ともに「さっぱり」するあの感覚。それは魔法では代替できない生理的な欲求だった。髪はなんとなくベタつく気がするし、体臭も気になる。ガブは「いい匂い」と言ってくれるが、それは私が焼いた肉のような匂いがしないという意味であって、乙女としての清潔さが保たれている保証にはならない。


そんな時だった。木々の向こうから、サラサラという水の音が聞こえてきたのは。


「水!大きな川の音だわ!」私はリュックの重さも忘れて駆け出した。ガブが慌てて追いかけてくる。


「リゼ、待て!走ると危ない!」


茂みを抜けると、そこには天国があった。幅の広い清流。川底の小石が見えるほど透き通った水。流れが緩やかで、深さも腰くらいありそうな淀みもある。完璧な水浴びスポットだ。


「ガブ!ここで休憩!長めの休憩!」私は宣言すると、リュックを放り出した。ガブは川を覗き込み、首を傾げる。「魚、いそう。捕るか?」「違うわよ。体を洗うの。水浴びよ」「洗う?『洗浄』でいいじゃん」「魔法じゃ取れない疲れがあるの!」


私は彼に向き直り、真剣な顔で指差した。「いい、ガブ。私は今からあそこで水浴びをするわ。あなたはここで見張りをして。魔物が来ないように」「わかった。見張り、得意」「それと絶対、こっちを見ちゃダメよ」


念を押すと、ガブは「?」という顔をした。彼の目には「なぜ?」という純粋な疑問の黄色が浮かんでいる。「人間、皮を脱ぐとこ、見られたくないのか?」「皮じゃないわ、服よ!とにかく、乙女の恥じらいというものを尊重しなさい!」「オトメよく分からん。けど、リゼが嫌なら見ない」


彼は素直に頷くと、くるりと川に背を向け、岩の上に胡座をかいて座った。手には例の白い棍棒を握っている。「背中は任せろ」という頼もしい背中だ。彼には性的な視線という概念自体が存在しないようだが、それでも約束を守ろうとする誠実さが嬉しかった。


私は木の陰で服を脱ぎ、裸になった。森の空気が肌に直接触れる感覚。少し肌寒いが、開放感の方が勝る。そっと水に足を入れる。「ひゃっ!」冷たい。雪解け水を含んでいるのか、身が引き締まるような冷たさだ。でも、それが気持ちいい。私はざぶんと水に浸かった。頭まで潜り、息を止める。水流が髪を撫で、旅の埃と疲れを洗い流していく。ぷはっ、と顔を上げると、世界が一段階明るくなった気がした。


石鹸はないけれど、川底の細かい砂で肌を擦ると、古い角質が落ちてすべすべになる。ああ、生き返る。私は久しぶりに心の底からリラックスしていた。屋敷の豪華な大理石の浴槽よりも、この野趣あふれる川の方が、今の私にはお似合いだ。


ふとガブの方を見る。彼は微動だにせず、森の方を向いて座っている。その耳だけがピクピクと動き、周囲の音を拾っているのが分かる。忠実な番犬。いや、番ゴブリン。彼がいるから、私はこんな無防備な姿になれる。家族でもない、恋人でもない、種族さえ違う相手に、これほど心を許している自分がおかしかった。


水浴びを終え、私は「乾燥ドライ」の魔法で体と髪を乾かし、服を着た。さっぱりした。生まれ変わった気分だ。「ガブ、終わったわよ。ありがとう」


声をかけると、ガブが振り返った。彼は私を見て、目を丸くした。鼻をスンスンと動かす。「リゼ、匂い変わった」「ええ、綺麗になったからね」「森の匂いが消えて、リゼだけの匂いになった。うまそう」「食べちゃダメよ」


釘を刺すと、彼はニシシと笑った。そして、ふと自分の腕の臭いを嗅ぎ、顔をしかめた。「ガブ、臭いか?」「ええ、正直ね。獣と泥の臭いがするわ」「俺も入る」


おや珍しい。ゴブリンは水を嫌うと思っていたが、私が気持ちよさそうにしていたのが羨ましくなったらしい。彼は腰布を脱ぎ捨て(その動作の速いこと!)、躊躇なく川へダイブした。


「ギャーーッ!冷てぇええ!!」盛大な水しぶきと悲鳴。彼はバシャバシャと暴れまわり、体を洗うというよりは、水と格闘しているように見えた。


「ほら、じっとして!背中流してあげるから!」「やめろ!くすぐったい!リゼの手、冷たい!」「あなたの方が冷たいでしょ!」


川の中で追いかけっこが始まった。水をかけ合い、笑い合う。森の中に、私たちの楽しげな声が響き渡る。『真実の眼』で見たガブの色は、水しぶきの中で虹色に輝いていた。それは「純粋な喜び」の色。川の水は冷たかったけれど、二人の間にある空気は、温泉のように温かかった。この旅で初めて、私は「家出」をしていることを忘れ、ただの16歳の少女として笑うことができた気がした。

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