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旅の友に選んだのはゴブリンでした  作者: 竜神
第3章:迷いの森と忘れられた種族

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EP46

135:涙を舐めようとするな


ガブの顔が急接近してきた。彼の狙いは私の頬。正確には、そこを伝う涙の雫だ。エメラルド色の肌をした顔が目の前いっぱいに広がり、ザラザラとした舌が伸びてくる。


「は?」


感動的な余韻は一瞬で吹き飛んだ。私の脳内で警報が鳴り響く。拒否反応と条件反射が、思考よりも速く体を動かした。


「近いのよっ!!」


私は杖の石突きで、ガブの眉間を軽く小突いた。ゴツッ。


「あだっ!?」


ガブが仰け反り、尻餅をついた。


「な、何するんだリゼ!せっかく慰めてやろうと思ったのに!」

「慰めるのに、人の顔を舐めようとするバカがどこにいるのよ!」


私は袖で頬をゴシゴシと拭った。もう涙は完全に引っ込んでいる。


「あなたは犬?それとも猫なの?」

「だって、もったいないだろ!」


ガブが抗議の声を上げた。


「水は大事だぞ。それに、涙には塩分が含まれてるって聞いたことがある。疲れた時は塩を舐めろって、前のボスの教えだ!」

「あのねぇ」


私は呆れてため息をついた。やはり彼はゴブリンだ。発想がサバイバルすぎる。先ほどまでの「過去を乗り越えた高潔な精神」はどこへ行ったのか。いや、この野性味と純粋さこそが彼なのだろうけれど。


「ガブ、よく聞いて。人間の女の子にとって、涙は水分補給の水筒じゃないの」


私は腰に手を当てて説教モードに入った。


「これは感情の結晶なの。舐めて処理するものじゃなくて、ハンカチで拭うか、見て見ぬふりをするのが紳士のたしなみなのよ」

「シンシ……?」


ガブが首を傾げた。


「なんだそれ。強いのか?」

「ええ、ある意味最強ね。とにかく、私の顔を舐めるのは禁止!わかった?」

「ちぇっ。わかったよ。ケチだなぁ」


ガブは唇を尖らせながら立ち上がり、ズボンの泥を払った。

その様子を見ていたファレル隊長が、肩を震わせて笑いを堪えていた。


「ふっ、くく……。やはりお前たちは面白い。これほど深刻な状況から、一瞬で日常に戻れるとはな」


隊長は真顔に戻り、周囲を見渡した。


「だが、その明るさが森を救ったのだ。『怨嗟の泥』は消え去った。空気も澄んでいる」


確かに、森の重苦しい気配は完全に消えていた。木々の隙間から差し込む光は明るく、私たちの足元に咲く青い花を優しく照らしている。


「帰ろうか。英雄たち」


ファレルが里の方角を顎でしゃくった。


「長老が待っている。そして、お前たちの旅立ちの準備もな」


私はもう一度、あの青い花を見た。ガブが守ろうとした「美しさ」の象徴。それを今度は、私たちが二人で守り抜いたのだ。


「行きましょう、ガブ」

「おう!腹減った!帰ったら飯食っていいか?」

「もう……さっき朝ごはん食べたばかりでしょ」


私たちは並んで歩き出した。私はこっそりと、ガブに見えないように自分の頬に触れた。もし私が止めなかったら、本当に舐めていたのだろうか。まあ、この相棒ならやりかねない。

そう思うと、少しだけおかしくて、私はまた小さく笑った。今度は涙のない、晴れやかな笑顔で。


136:出発の朝


東の森の調査を終え、里に戻った私たちは、その日のうちに荷造りを済ませた。そして翌朝。エルフの里を旅立つ時が来た。


早朝の里は、白い霧に包まれていた。空中回廊の手すりには朝露が光り、世界樹の葉がサワサワと風に揺れている。里の出入り口である大樹の根元の門の前には、見送りのエルフたちが集まっていた。


「リゼット様、ガブリエル様。お元気で」

「世界樹のご加護があらんことを」


集まったエルフたちの眼差しは温かかった。私たちが来た当初に向けられていた警戒心や蔑みの色は、もうどこにもない。子供たちが手を振り、女性たちが花を投げている。


「へへ、人気者だな、オレたち!」


ガブは鼻高々で、ぶんぶんと大きく手を振り返している。


「また来てもいいかー?今度はもっと旨い肉を持ってくるぞー!」

「こら、肉の話ばかりしないの」


私はガブの背中を叩きつつ、感慨深い思いで里の景色を目に焼き付けた。

追放された貴族の娘と、はぐれ者のゴブリン。世界から拒絶された私たちが、ここでは「英雄」として認められた。それは自信という名の、何よりの財産になった。


「世話になったな」


ファレル隊長が歩み寄ってきた。彼はいつもの狩人の装束だが、今日は弓を持っていなかった。


「お前たちのおかげで、私も初心を思い出した気がする。魔法や技だけではない。心の強さが、戦況を変えるのだとな」

「ファレル隊長……ご指導、ありがとうございました」


私は深く頭を下げた。彼のおかげで、私は精霊魔法の基礎を掴み、戦う術を学んだ。師匠と呼んでも過言ではない人だ。


「リゼットよ。お前の精霊視はまだ開花したばかりだ。無理をするなよ」

「はい」

「それと、ガブ」


ファレルはガブに向き直った。ガブは「ん?」と顔を上げる。


「お前は良い戦士だ。種族など関係ない。その真っ直ぐな魂を、曇らせるなよ」


ファレルが拳を突き出す。ガブは一瞬きょとんとしたが、すぐにニッと笑い、自分の小さな拳をコツンと合わせた。


「おう!任せとけ!オレは世界一の王様になる男だからな!」

「フッ……期待しているぞ、未来のゴブリン王」


そして、人垣が割れ、エルウィン長老が姿を現した。その手には、白木の箱と、巻物が握られている。


「待たせたな。旅立つ若人たちよ」


長老の声は、朝の森のように静かで、深い響きを持っていた。


「東への道は険しい。ドワーフの地下道、そしてその先の極寒の地。生半可な装備では乗り越えられんじゃろう」


長老は慈愛に満ちた目で私たちを見た。


「これは、里の皆からの感謝の印だ。受け取ってくれんか」


私たちは顔を見合わせ、長老の前へと進み出た。エルフの贈り物。伝説や物語でしか聞いたことのない響きに、私の胸が高鳴る。


「開けてみるがよい」


促され、私は白木の箱を受け取った。ずしりと重い。けれど、木の温もりが感じられる箱だ。蓋に手をかけ、ゆっくりと開ける。


そこに入っていたのは、想像以上に実用的で、かつ美しい品々だった。


137:エルフの贈り物


箱の中に収められていたのは、二つの装備品だった。

一つは、白銀色に輝く薄手のローブ。もう一つは、深緑色をした不思議な素材の胸当て(ブレストプレート)だ。


「これは……」

「まずはリゼット、お前にはこれじゃ」


長老がローブを指差した。


「『白銀蜘蛛シルバースパイダー』の糸と、世界樹の繊維を織り交ぜて作った『精霊の外套クローク』だ」


私は恐る恐るその布地に触れた。絹のようになめらかで、羽のように軽い。なのに、触れた指先がほんのりと温かい。


「耐寒、耐熱に優れ、微弱だが魔法防御の結界が編み込まれておる。これから向かう雪原の寒さも、これがあれば防げるじゃろう。それに、周囲の精霊と波長を合わせやすくする効果もある」

「そんな貴重なものを……ありがとうございます!」


私は早速、今の冒険者服の上から外套を羽織ってみた。サイズはぴったりだ。フードを被ると、視界がクリアになり、周囲の気配がより鮮明に感じられる気がする。これなら、過酷な環境でも戦える。


「そしてガブリエル、お主にはこれだ」


長老が胸当てを取り出した。金属のようにも見えるが、光沢はもっと有機的で、木の年輪のような模様が浮き出ている。


「『鉄木アイアンウッド』の樹皮を加工し、錬金術で硬化させた軽鎧じゃ。鉄よりも軽く、ミスリルに匹敵する硬度を持つ」


ガブが目を輝かせて受け取った。


「すげぇ!軽い!これなら動きにくくないぞ!」


彼は早速、自分の粗末な革鎧を脱ぎ捨て、その胸当てを装着した。

彼の緑色の肌に、深緑の鎧がよく似合う。小柄な体格に合わせて調整されており、関節の動きを全く邪魔しないようだ。


「へへッ、どうだリゼ!カッコいいか?」


ガブがポーズを決める。


「ええ、すごく強そうよ。立派な戦士に見えるわ」

「よーし!これでボスの攻撃もへっちゃらだ!」


ガブが胸を叩くと、硬質ないい音がした。

そして最後に、長老は持っていた巻物を私に渡した。


「そしてこれが、東方の地図じゃ」

「地図……」


私が広げると、そこには私たちが知る王国よりもさらに東、未踏の地が詳細に描かれていた。山脈を抜けるルート、ドワーフの地下道の入り口、そしてその先に広がる広大な雪原。


「ドワーフたちは気難しい種族だが、この地図にある『裏ルート』を使えば、彼らの居住区を通らずに山を抜けられるかもしれん。ただし、魔物は多いがな」


ファレルが補足した。


「上等だ!魔物がいたら、オレが追い払ってやる!」


ガブが新しい鎧を見せつけるように腕を回した。


「ふふ、頼もしいのう」


長老が目を細めた。


「さあ、行くがよい。風がお前たちを呼んでいる」


私たちは振り返り、改めて一礼した。


「お世話になりました!」


門が開かれる。そこから伸びる道は、森の奥深く、そして未知なる山脈へと続いている。

私は杖を握り直し、新しい外套の裾を翻した。ガブは新しい鎧の感触を確かめながら、地面を強く踏みしめた。


「行くわよ、ガブ」

「おう、リゼ!出発だ!」


私たちはエルフの里を背にして歩き出した。爽やかな風が吹き抜ける。背中のリュックには、里で貰った保存食がたっぷり詰まっている。装備も心も充実していた。


目指すは東。亜人の交易路を抜け、ドワーフのトンネルへ。そこで何が待ち受けていようとも、今の私たちならきっと大丈夫だ。

私たちは顔を見合わせ、同時に笑った。

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