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旅の友に選んだのはゴブリンでした  作者: 竜神
第3章:迷いの森と忘れられた種族

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EP45

132:復讐心はない


白み始めた空の下、私は小川で顔を洗った。冷たい水が、寝不足の頭をシャキッと引き締める。水面に映る自分の顔は、少し目が腫れていた。ガブの過去を聞いて泣いたせいだ。


「よし」


私は頬をパンと叩き、気合を入れた。今日は重要な日だ。ファレル隊長と共に『東の森』の異変を調査し、安全が確認できれば、そのままエルフの里を発つことになる。


広場に戻ると、ガブがすでに準備体操をしていた。


「いち、に!さん、し!」


短い手足を精一杯伸ばし、屈伸運動をしている。その姿に、昨夜の弱々しさは微塵もない。


「おはようガブ。調子はどう?」

「おう、リゼ!バッチリだ!昨日の酒は凄かったけど、今は力がみなぎってるぞ!」


ガブはニカっと笑い、その場でバク宙を決めた。見事な着地。けれど、私の目は自然と彼の左耳――先端が欠けた耳へと向いてしまう。


「ねえ、ガブ」


私は荷物をまとめながら、どうしても確認しておきたいことを口にした。


「昨日の話の続きだけど……本当に、その『ボス』を許せるの?」


ガブが動きを止めた。


「ん?」

「私なら無理よ。もし私を虐げた父や、アカデミーの教師たちが目の前に現れたら……きっと許せない。見返してやりたい、あわよくばギャフンと言わせたいって思うわ」


それは正直な気持ちだった。貴族社会を追放された私の原動力の一部は、間違いなく彼らへの反骨心だ。「ざまあみろ」と言ってやりたいという暗い情熱だ。

ガブは首を傾げ、少し困ったような顔をした。


「うーん……オレも昔はそう思ってたかも。いつか強くなって、ボスをぶっ飛ばしてやるって」

「今は違うの?」

「違う」


ガブはきっぱりと言った。


「だって、オレがボスを殴ったら、オレもボスと同じになる」

「え?」

「『気に入らないやつを力でねじ伏せる』。それがゴブリンのやり方。オレが復讐のために力を使ったら、オレは結局、あの洞窟のゴブリンたちと変わらない」


私はハッとした。ガブは棍棒をポンと叩いた。


「オレは、違う王様になりたいんだ。花を踏み潰す王様じゃなくて、花を見つけて『きれいだな』って笑える王様に。だから、復讐心はいらない。そんな重いもん持ってたら、空高く飛べない!」


ガブはあっけらかんと笑った。その言葉は、どんな高潔な騎士の誓いよりも、私の胸に深く突き刺さった。


彼は「諦め」で復讐を捨てたのではない。「矜持プライド」として捨てたのだ。自分のなりたい自分であるために。


「完敗ね」


私は小さく呟いた。人間である私の方が、よほど過去に囚われ、ドロドロとした感情を引きずっている。この小さなゴブリンの魂は、私よりもずっと気高く、自由だ。


「おーい!そろそろ出発だぞ!」


ファレル隊長の声が響いた。彼は数名の部下を引き連れ、弓を背負ってこちらへ歩いてきた。


「準備はいいか?東の森、『迷いの森』深部の調査だ。精霊たちの怯えの原因を突き止め、排除する。それがお前たちの、エルフの里での最後の任務となる」

「はい、隊長!」


ガブがビシッと敬礼した。


「いつでもいけるぞ!オレたち最強コンビだからな!」


私も杖を構え、ファレルに向き直った。


「準備完了です。行きましょう」


心なしか、杖の魔石がいつもより明るく輝いている気がした。ガブの言葉で、私の迷いも少し晴れたのかもしれない。復讐のためではなく、未来のために戦う。そう決意を新たにして、私たちは朝霧の立ち込める東の森へと足を踏み入れた。


133:今が全て


エルフの里の東側に広がる森は、里の中心部とは打って変わって鬱蒼うっそうとしていた。樹齢数百年を超える巨木が立ち並び、枝葉が空を覆い尽くしているため、昼間でも薄暗い。


「空気が重いな」


ファレル隊長が足を止め、周囲を警戒する。


「世界樹の浄化は成功したが、この辺りは地下迷宮からの『瘴気』の吹き溜まりになっていた場所だ。悪い残滓ざんしが残っている可能性がある」


私の『真実の眼』にも、それははっきりと見えていた。森の色彩が濁っている。本来なら緑や金色の光を放つ精霊たちが、ここでは灰色にくすみ、物陰に隠れて震えているのだ。


「誰か来る!」


ガブが鼻をひくつかせ、姿勢を低くした。

ズズズッ。地面から、黒い泥のようなものが染み出し、それが実体を持って立ち上がった。形は不定形だが、強いて言うなら「苦痛に歪む顔」の集合体に見える。


「『怨嗟えんさの泥』か!」


ファレルが叫び、矢をつがえる。


「過去に森で死んだ者たちの無念や、地下の魔物たちの負の感情が実体化したものだ!物理攻撃は効きにくいぞ!」


泥の怪物が、不快な音を立てて私たちに迫ってくる。その虚ろな目(のような穴)を見ていると、頭の中に嫌な声が響いてきた。


――お前は無力だ。――誰にも愛されない。――どうせまた失敗する。


「っ!」


私は頭を押さえた。精神攻撃だ。私の心の奥底にある劣等感やトラウマを、無理やり引きずり出そうとしてくる。父の冷たい視線。姉たちの嘲笑。足がすくむ。杖を持つ手が震える。


「リゼット!心を強く持て!飲まれるな!」


ファレルの声が遠くに聞こえる。わかっている。でも、黒い感情が足元から這い上がってきて、体を縛り付けるようで――。


「うらぁあああッ!!」


突然、目の前で緑色の閃光が走った。ガブだ。彼は私の前に飛び出し、泥の怪物に向かって真っ向から飛び蹴りを食らわせたのだ。


ドゴォッ!物理攻撃は効きにくいと言われた泥が、ガブの一撃で大きく弾け飛んだ。


「へっ!なんだお前、ジメジメしたこと言うな!」


ガブが着地し、鼻の下をこする。怪物から放たれる精神攻撃の波を、彼は全く意に介していない。


「ガブ……平気なの?」

「なんかブツブツ言ってるけど、うるさいだけ!」


ガブは落ちていた太い枝を拾い、ブンブンと振り回した。


「『昔はよかった』とか『あの時こうしてれば』とか、知るか!オレは今、腹が減ってる!今、リゼとかっこいい冒険をしてる!それだけ!」


彼の言葉と共に、泥の怪物が怯んだように見えた。過去への執着の塊である怪物は、「今」を全力で生きるガブの輝きが苦手なのだ。


――今が全て。昨夜、彼が言ったことの証明だ。過去の傷も、未来への不安も、今の彼を縛ることはできない。


「リゼ!ぼーっとするな!あいつ、光が嫌いみたいだ!」


ガブの声で、私は我に返った。

そうだ。私は何をしているんだ。相棒がこんなに頑張っているのに、過去の亡霊に怯えている場合じゃない。


「ありがとう、ガブ」


私は杖を高く掲げた。震えはもう止まっている。イメージするのは、あの祭りの夜の温かい光。ガブの笑顔。


「光の精霊たち、集まって!今、この瞬間を照らして!」


私の呼びかけに応え、森中に隠れていた精霊たちが一斉に飛び出した。カッ!杖の先から眩い光が放たれ、薄暗い森を真昼のように照らし出す。


「ギャァアアア!」


泥の怪物が断末魔を上げ、光に焼かれて蒸発していく。ファレルたちの放った矢も光を帯び、残った泥を次々と貫いていった。


数分後。森には静寂が戻っていた。だが、先ほどまでの重苦しい空気はない。木漏れ日が差し込み、鳥のさえずりが聞こえ始めていた。


134:リゼの涙


怪物が消滅した跡地には、黒い染みが残っていたが、それも急速に薄れつつあった。そして、その染みの中心に、一輪の小さな花が咲いているのを私は見つけた。


青い、可憐な花。ガブが昔、洞窟で見つけて大切にしていたという花に似ている気がした。


「あ、花だ」


ガブも気づいて駆け寄った。彼は泥だらけの手で、花に触れないように周りの土を優しく整えた。


「無事だったか。よかったな、お前」


ガブが花に話しかける。その横顔を見て、私は胸がいっぱいになった。

さっきの戦闘。彼は「物理攻撃が効かない」相手に対し、ただの「元気」と「肯定」だけで打ち勝った。彼の魂の純粋さが、呪いを弾き飛ばしたのだ。


もし私が一人だったら、あの泥に飲み込まれていただろう。私の心には、まだ過去へのわだかまりが残っているから。でも、ガブがいてくれた。彼が「今」へ引き戻してくれた。


「うッ、うう……」


突然、涙が溢れて止まらなくなった。悲しいわけではない。怖いわけでもない。ただ、自分の未熟さが情けなく、そしてガブの強さが眩しくて、心が震えているのだ。浄化された森の空気が、私の心のおりも洗い流していくようだった。


「えっ、リゼ!?」


ガブが驚いて振り返る。


「ど、どうした!?怪我したか!?さっきの泥、目に入ったか!?」


彼は慌てふためき、私の周りをオロオロと回った。


「違うの……うぅ……ごめんね……」


私は涙を拭いながら首を横に振った。


「ガブが、すごすぎて……私、自分が恥ずかしくて……でも、嬉しくて……」


言葉にならない。ぐちゃぐちゃな感情が、涙となって溢れ出る。


「よくわかんないけど、泣くなよ」


ガブが困り顔で、私の顔を覗き込む。


「リゼが泣くと、オレも悲しくなるぞ。ほら、変な顔になってる」

「うっさいわね……変な顔で悪かったわね……」


私は泣き笑いのような顔で言い返した。

ファレル隊長が、静かに歩み寄ってきた。


「良い浄化だった」


彼は私の肩に手を置いた。


「リゼット、お前の涙は、心の毒素が出ている証拠だ。精霊魔法を使う者は、心が澄んでいなければならない。今日の戦いで、お前はまた一つ、強くなった」

「隊長……」

「東の森の異変は、これで収まるだろう。道は開かれた」


ファレルは東の空を指差した。木々の切れ間から、遠く雪をいただいた山脈が見える。ドワーフたちが住むという、険しい山々だ。


「さあ、涙を拭け。旅立ちの時は近い」


私は大きく深呼吸をした。肺いっぱいに吸い込んだ森の空気は、甘く、澄み切っていた。もう大丈夫。過去はここに置いていく。泥と一緒に浄化した。


私は袖で乱暴に目をこすった。まだ少し涙がにじんでくるけれど、視界はクリアだ。


「ガブ」


私はしゃがみこみ、心配そうに見上げている相棒と視線を合わせた。


「ありがとう。あなたのおかげよ」


ガブは私の涙で濡れた頬をじっと見つめ、そして、なぜかゴクリと喉を鳴らした。


「リゼの涙……」


ガブが不思議そうな顔で、私の顔に顔を近づけてくる。


「なんか、キラキラしてて、甘い匂いがしそうだぞ?」

「は?」


私は一瞬、思考が停止した。この感動的な場面で、このゴブリンは何を言っているのか。彼の舌が、チロリと覗いている。


――まさか。


次の瞬間、ガブの顔が急接近してきた。

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