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旅の友に選んだのはゴブリンでした  作者: 竜神
第3章:迷いの森と忘れられた種族

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EP44

129:酔ったガブの寝言


祭りの熱気は静まり、エルフの里は深夜のとばりに包まれていた。広場の焚き火は熾火おきびとなって赤く明滅し、宴を楽しんだエルフたちは三々五々、樹上の住居へと戻っていった。


私とガブは、広場の端にある客用の休憩スペース――巨大な切り株をくり抜いたベンチに残っていた。正確には、私が座り、ガブは私の膝を枕にして眠りこけている。


「んぐぅ……むにゃ……」


ガブの寝顔は、起きている時の不敵な面構えとは違い、どこか幼く無防備だった。エルフの長老から振る舞われた『蜂蜜酒ミード』。その甘美な味と、予想以上のアルコール度数に勝てなかったガブは、人生初の酩酊状態となり、私の肩にもたれたまま意識を手放してしまったのだ。


「まったく、重いんだから」


私は苦笑しながら、彼にかけてやったブランケットの位置を直した。文句を言いつつも、彼を押し退ける気にはなれなかった。地下迷宮での死闘。ファレル隊長との厳しい特訓。それらを乗り越え、私たちは今、生きている。ガブの温かい体温と重みが、その事実を実感させてくれたからだ。


ふと、ファレル隊長の言葉が蘇る。『里の東側、迷いの森の深部で精霊たちが怯えている』『明日の朝、出発だ。調査を兼ねて、東の山脈へ向かうルートをとる』


明日はもう、ここを発つのだ。東の森の異変を調査し、その先にある亜人の交易路を抜けて、ドワーフの領域へ。休息は今夜だけ。


私はそっと杖を握りしめ、覚えたばかりの感覚で『真実の眼』を発動させた。視界の色が変わる。深夜の森には、夜行性の精霊たちが静かに漂っていた。青白い月の精霊、木々の影に潜む夜の精霊。彼らは私たちを遠巻きに見守っている。


そして、私の膝で眠るガブの心の色。胸のあたりに灯る光は、穏やかなオレンジ色(満腹)と、淡いピンク色(幸福)が混ざり合っていた。「楽しかった」「美味しかった」。そんな単純で純粋な感情が、寝ている間も彼を満たしているようだ。


「いい夢、見てるのね」


私は彼の尖った耳の先を、指でつっついた。

その時だった。


「やだ……」


ガブの眉間に、深いしわが寄った。口元が引きつり、寝言が漏れる。


「叩くな……痛い……」


先ほどまでの幸せそうな寝言とは明らかに違う。彼の体がビクリと痙攣し、私のスカートの生地を掴む指に力がこもった。鋭い爪が食い込むほどに強く。


「ガブ?」


私は驚いて、再び『真実の眼』を凝らした。心の色が、急激に変化していく。暖かなオレンジ色は瞬く間に消え失せ、代わりに泥のような焦げ茶色(恐怖)と、冷たい灰色(孤独)が渦を巻き始めたのだ。


「オレ……役立たずじゃ、ない……」

「捨てないで……寒い……」


うわ言のように繰り返される言葉。それは、いつも自信満々で「オレは強い!」「オレ様についてこい!」と豪語する彼からは、想像もつかないほど弱々しく、怯えた響きを含んでいた。


私の胸が締め付けられる。酒の力で理性の蓋が外れ、心の奥底に沈殿していた古い記憶が、悪夢となって溢れ出しているのだ。ゴブリンとしての生い立ち。人間から見れば単なる「討伐対象」の魔物でも、彼らには彼らなりの社会があり、そこには過酷な生存競争があったはずだ。


「ごめん……ボス……」

「いい子にする……だから……」


ガブが体を小さく丸め、頭を腕で守るような防御姿勢をとった。誰かに殴られるのを防ぐような、染み付いた反射動作。


私はたまらず、彼を抱きしめた。


「ガブ、大丈夫。大丈夫よ」


背中をさすり、耳元で優しく囁く。ここに敵はいない。怖いボスもいない。いるのは私と、優しい森の精霊たちだけだ。


――お願い、夜の精霊たち。彼に安らぎを。


私が心の中で願うと、周囲に漂っていた微かな光の粒たちが集まり、ガブの周りをふわりと包み込んだ。精霊魔法による精神安定の効果だ。かつての私にはできなかった、守るための魔法。


やがて、ガブの呼吸が落ち着き始めた。焦げ茶色の恐怖が薄れ、再び静かな寝息へと変わっていく。


「リゼ……」


最後に彼は、私の名前を呼んだ。助けを求めるような、あるいは信頼できる相手を確認するような声で。掴んでいた私の服の手が、少しだけ緩む。しかし、離しはしなかった。


私は夜空を見上げた。木々の隙間から見える星々は、冷たく、美しく輝いている。


私はガブのことを「相棒」と呼び、彼を知っているつもりでいた。でも、私は彼の「強さ」しか見ていなかったのかもしれない。彼がなぜ、あんなにも強くなりたいと願うのか。なぜ、同族の群れではなく、人間の私と共に歩む道を選んだのか。その根底にある理由を、私はまだ何も知らなかったのだ。


風が吹き抜け、世界樹の葉がサラサラと音を立てる。明日の出発を前に、私たちは互いの「根」の部分に触れようとしていた。


130:初めて聞く過去


深夜と明け方の境界。空の色が濃紺からわずかに紫がかってきた頃、ガブが身じろぎをして目を覚ました。


「んん……頭いてぇ……」


ガブが顔をしかめ、こめかみを押さえている。典型的な二日酔いだ。人間よりも体が小さい分、アルコールの分解が遅いのかもしれない。


「おはよう、ガブ。お水、飲む?」


私は用意しておいた革袋の水筒を差し出した。ガブはそれをひったくるように受け取り、ゴクゴクと一気に飲み干した。


「ぷはぁっ……!生き返った……」


ガブは口元を乱暴に拭い、照れくさそうに私を見た。


「リゼ、オレ……寝ちゃってたか?」

「ええ。ぐっすりとね。私の膝の上で」

「う……わりぃ。足、痺れてないか?」

「平気よ。精霊さんに支えてもらってたから」


私は微笑んで嘘をついた。本当は少し痺れているけれど、彼に気を使わせたくなかった。

ガブは焚き火の跡を見つめ、少しの沈黙の後、ぽつりと言った。


「なんか、変な夢を見た気がする」

「夢?」


私は心臓が跳ねるのを感じた。聞くべきか、知らぬふりをするべきか。でも、明日からは未知の領域へ踏み込む。お互いの背中を預ける関係でいるためには、触れなければならない部分だと思った。


「『痛い』って、言ってたわよ」


私は静かに切り出した。


「『ボス、ごめんなさい』って」


ガブの肩がビクリと跳ねた。彼は気まずそうに視線を逸らし、地面の小石を足先でいじり始めた。普段の彼なら「そんなこと言ってねーよ!」と笑い飛ばすだろう。だが、今の彼は違った。夢の余韻が、彼の仮面を剥がしている。


「聞かれたか」


ガブが小さく息を吐いた。


「カッコわりぃな、オレ」

「そんなことないわ。話してくれない?ガブの昔のこと」


ガブはしばらく黙っていたが、やがて覚悟を決めたように口を開いた。


「オレの故郷は、ここよりずっと西。岩山だらけの荒野にある、暗い洞窟だ」


彼の語り口は、いつもの芝居がかったものではなく、淡々としていた。


「ゴブリンの社会は単純だ。力が全て。デカいやつが偉い。チビは、デカいやつの食べ残しを食う。腐った肉とか、骨の髄とか、そういうのをすすって生きるんだ」


想像するだけで胸が悪くなる光景だ。でも、それは魔物にとっての日常なのだろう。


「オレは、兄弟の中でも一番のチビだった。力も弱くて、喧嘩も勝てなくて、いつもビリっけつだった」


ガブが自嘲気味に笑う。


「それに、オレは……ちょっと変わってたらしい」

「変わってた?」

「ああ。みんなは、腹がいっぱいになればそれで満足して寝ちまう。でもオレは、もっと違うことがしたかった」


ガブが夜空を見上げた。


「あの山の向こうには何があるのか。なんで月は形が変わるのか。光る石はどうして綺麗なのか。そういうのが気になって、みんなが寝てる間にこっそり外へ出てた」


知性への渇望。美意識の芽生え。多くのゴブリンが本能のままに生きる中で、ガブだけが「世界」に興味を持った。それは一種の突然変異であり、同時に群れの中での「異端」を意味した。


「変なやつだって、よく殴られた。『ゴブリンらしくない』って」


ガブが自分の手を握りしめる。


「オレ、自分が何なのかわかんなかった。ゴブリンの形をしてるけど、中身は違う生き物なんじゃないかって。誰にも必要とされてない、出来損ないなんじゃないかって」


その言葉を聞いた瞬間、私の中で何かが共鳴した。


――リゼット、お前には攻撃魔法の才能がない。――名門の恥だ。出来損ないめ。


父の言葉。アカデミーの教師たちの冷ややかな目。私たちはずっと、似た者同士だったのだ。生まれた場所で「普通」になれず、弾き出された者たち。


「だから、リゼに会えてよかった」


ガブが顔を上げ、私を真っ直ぐに見た。その瞳は、月光を反射して琥珀色に輝いている。


「リゼは、オレのこと変だって言わない。チビだって馬鹿にしない。名前もくれた」

「ガブ……」

「オレ、もうあの洞窟には戻らない。ゴブリンの王様になるっていう夢はあるけど、あいつらみたいな王様じゃない。リゼの隣が、今のオレの巣だ」


彼はニカっと笑った。いつもの屈託のない笑顔。でも、その笑顔の裏にある孤独と、それを乗り越えてきた強さを知った今、彼が何倍も大きく見えた。


私は彼の手を握った。ゴツゴツとした、緑色の皮膚。違う種族、違う生い立ち。けれど、私たちは同じ痛みを知っている。


「私もよ、ガブ」


私は力を込めて握り返した。


「私にとっても、あなたが一番の居場所よ」


131:欠けた耳の理由


話の流れで、私は以前からずっと気になっていたことを聞くことにした。それは、ガブの身体的な特徴についてだ。これだけ深い話をした今なら、彼も答えてくれる気がした。


「ねえ、ガブ」


私は彼の左側に視線を向けた。


「その耳……どうしたの?」


ガブの左耳。長く尖ったその先端は、何かに噛みちぎられたように欠けていた。冒険者との戦いで負った傷なのか、あるいは生まれつきなのか。


ガブは触られた耳をピクリと動かし、少しバツが悪そうに鼻を鳴らした。


「これか?ボスにやられた」

「ボスって、さっき話してた巣のリーダー?」

「うん。青い肌をした、馬鹿デカいホブゴブリンだ」


ガブはその時の情景を思い出すように、目を細めた。そこには恐怖の色はなく、どこか諦めにも似た、乾いた感情だけがあった。


「ある日、オレ、森ですげー綺麗な花を見つけたんだ。青くて、光ってて、甘い匂いがするやつ」

「月光草かしら?」

「わかんねぇけど、とにかく綺麗だったんだ。オレ、どうしてもそれが欲しくて、根っこごと掘り起こして巣に持ち帰った」


ガブがジェスチャーを交えて話す。


「誰かに見せたかったわけじゃない。ただ、オレの寝床の隅っこに植えて、毎日眺めたかっただけ。そしたら、ボスに見つかった」


嫌な予感がした。魔物の掟。弱肉強食の世界において、「美」を解する心など無用の長物。いや、軟弱さの証明として排除される対象だ。


「ボスは言った。『ゴブリンが花なんか愛でてんじゃねぇ』って」


ガブの声が低くなる。


「ボスはそのデカい足で、オレの花を踏み潰した。グリグリって、泥になるまで」

「っ……」


私は息を呑んだ。


「オレが泣いて抗議したら、ボスはオレを押さえつけた。『その軟弱な根性を叩き直してやる』って、耳を噛みちぎったんだ」


ガブは自分の耳をつまんだ。


「痛かったなぁ。血がいっぱい出て、耳が聞こえなくなって。でも、耳の痛みより、花が潰されたことの方が悲しかった」


私は、胸の奥から熱いものがこみ上げてくるのを感じた。それは同情ではない。激しい怒りだ。ただ綺麗なものが好きだっただけの小さなゴブリンに対し、理不尽な暴力を振るい、その心をへし折ろうとした「ボス」への、どうしようもない憤り。


「酷い」


私の声は震えていた。


「そんなの、ただの八つ当たりじゃない。ガブは何も悪くないのに!」


涙が溢れてきた。私の感情に呼応して、周囲の魔力がざわめく。風が渦を巻き、焚き火の残りがボウッと赤く燃え上がった。


「リゼ?」


ガブが驚いて私を見た。


「なんで泣くんだ?もう痛くないぞ。昔の話だ」

「だって悔しいじゃない!ガブがそんな目に遭ってたなんて!」


私は涙を拭った。


「そのボス、まだ生きてるの?もし会ったら、私が黒焦げにしてやるわ!私の新しい魔法で、消し炭にしてやる!」


冗談ではない。本気だった。今の私には精霊魔法がある。ガブを傷つけた過去の亡霊など、私が焼き払ってやりたい。


しかし、ガブはキョトンとした後、クスクスと笑い出した。


「な、何がおかしいのよ!」

「いや、リゼがそんなに怒ってくれるのが嬉しくて」


ガブは私の頬に手を伸ばし、親指で涙を拭ってくれた。その指先は意外なほど優しかった。


「ありがとう、リゼ。でも、もういい」

「いいって、どういうこと?」

「オレ、あいつに会っても、もう何もしないと思う」


ガブの瞳には、復讐の炎は燃えていなかった。ただ、澄み切った朝の湖のような静けさがあるだけだった。


「この耳は、オレが『ゴブリンらしくないゴブリン』だって証拠だ。他のやつらが持ってない『心』を、オレが持ってるって印だ」


彼は胸を張って言った。


「だから、これは勲章みたいなもんだ。リゼとお揃いの、ちょっと変わったところだ」


リゼとお揃い。私の「攻撃魔法が使えない」という欠落と、彼の「耳が欠けている」という傷。私たちはどちらも、普通の枠からはみ出した存在。だからこそ、こうして補い合える。


空が白み始めていた。森の木々の隙間から、新しい朝の光が差し込んでくる。私たちは過去を語り合い、傷を見せ合った。もう、隠し事はない。


復讐心を持たない彼の強さに、私はまた一つ救われた気がした。そして同時に思った。この優しい相棒を、今度こそ私が守り抜こうと。


「泣き顔は見せられないわね」


私は鼻をすすり、笑顔を作った。ファレル隊長が言っていた東の森の異変。どんな困難が待ち受けていようとも、今の私たちなら大丈夫だ。


「さあ、ガブ。顔を洗ってきなさい。出発の朝よ」

「おう!新しい冒険だ!」


ガブが立ち上がり、大きく伸びをした。朝日が、彼のエメラルド色の肌と、欠けた耳を照らしている。それは確かに、彼だけの勲章のように輝いて見えた。


夜が明け、私たちは東へ向かう。「復讐心はない」。彼のその言葉の意味を噛み締めながら、新たな章が幕を開けようとしていた。

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