EP42
123:精霊の声
地下迷宮での戦いを終え、里に戻って数日が経った。私たちはエルフの里の客人として、傷を癒やす日々を送っていた。
だが私には一つ、深刻な悩みがあった。
「やっぱり、もう限界ね」
里の裏手にある静かな泉のほとり。私は愛用の杖を見つめて溜息をついた。樫の木で作られた杖の先端には、蜘蛛の巣のような亀裂が走っていた。中心に埋め込んだ増幅用の魔石も、白く濁って砕け散る寸前だ。
「リゼ、その棒、ボロボロだ」
隣で木の実をかじっていたガブが、心配そうに覗き込んでくる。
「新しいの、作るか?オレ、いい枝、拾ってくるぞ」
「ありがとう、ガブ。でも、枝を変えても同じことなの」
私は首を横に振った。
「私が下手だから、杖に負担をかけすぎているのよ」
王立アカデミーでの鑑定結果は『攻撃魔法適性:皆無』。私の体には、魔力を攻撃的なエネルギー(炎や雷など)に変換する器官が欠落している。これまで私が放ってきた『火球』や『風刃』は、高価な魔石の粉末を触媒にし、杖というフィルターを通して、自分の生魔力を無理やりねじ曲げて出力していたものだ。例えるなら、繊細な楽器で釘を打つようなもの。効率は最悪で、道具も壊れる。地下での連戦が、その寿命を縮めてしまったのだ。
「そんなに思い詰めた顔をするな、人間」
背後から声をかけられた。ファレル隊長だ。彼は日課の見回りの途中らしく、軽装の弓を背負っている。
「ファレルさん……」
「お前の戦い方は見ていた。魔力の使い方が乱暴すぎる。あれでは、いずれ自分自身が焼き切れるぞ」
図星を突かれ、私は俯いた。
「わかっています。でも、私にはこれしかないんです。ガブを守るためには、攻撃手段が必要だから……」
「『これしかない』か。視野が狭いな」
ファレルは泉の水面に近づき、片膝をついた。
「人間はすぐに魔力を『弾丸』にしたがる。だが、我らエルフは違う。世界に満ちる『声』を聞き、力を借りるのだ」
「声……ですか?」
「そうだ。精霊の声だ」
ファレルがそっと水面に指を触れる。すると、波紋と共に水が自然と持ち上がり、美しい螺旋を描いて空中に留まった。魔力を放出した気配はほとんどない。水が、彼に懐いているように見えた。
「耳を澄ませ。風のささやき、水の歌、土の寝息。精霊たちは常にそこにいる。彼らと対話できれば、自らの魔力など種火程度で済む」
精霊魔法。それはエルフ特有の技術であり、高い霊的感性がなければ習得できないとされる。アカデミーでも授業はあったが、私は何一つ聞こえず、単位を落とした。
「やってみろ。心を空っぽにするんだ」
ファレルに促され、私は杖を置いて目を閉じた。
シーン……。
聞こえるのは風の音と、ガブが木の実を「カリッ、ポリッ」と噛む音だけ。
(ダメだわ。私には聞こえない)
焦りが募る。私には才能がない。このままでは、強くなっていく敵に対し、ガブの足手まといになってしまう。
「ガブ、静かに。リゼが集中してる」
ファレルが注意すると、ガブは「んぐっ」と口を押さえた。
「リゼ、なんか困ってる匂いがする」
ガブが小声で言った。
「聞こえないなら、見ればいいのに」
「え?」
その言葉に、ハッとした。
そうだ。私は耳は良くない。霊感もない。でも、私には『真実の眼』がある。人の心の色や、嘘を見抜く目。もし、精霊にも「色」があるとしたら?
「ガブ、ありがとう」
私は目を開けた。そして、魔力を瞳に集中させ、『真実の眼』を最大出力で発動させた。
世界が一変した。普段見ている色彩の上に、もう一つの層が重なる。ファレルの胸には誠実な緑色が。ガブのお腹には食欲のオレンジ色が。そして、空気中には――。
キラキラ、フワフワ。無数の、本当に無数の「光の粒」が漂っていた。
「嘘……こんなに、いたの?」
赤い粒、青い粒、黄色い粒。それらは蛍のように舞い、楽しげに追いかけっこをしている。ファレルの周りには緑色の粒が集まり、彼の髪に絡みついて遊んでいる。
「どうした?何か感じたか?」
ファレルが怪訝そうに尋ねる。彼には「声」が聞こえているのだろうが、私のような「視覚情報」として見えているわけではないようだ。
「聞こえません。声は、やっぱり聞こえません」
私は正直に言った。そして、震える手で宙を指差した。
「でも……見えます。あそこに、赤い子が三匹。あなたの肩には緑色の子が二匹。すごいです。世界はこんなに賑やかだったんですね」
ファレルが目を見開いた。
「『視』えたのか?精霊の姿そのものを?長老級の『精霊視』だと?」
私は自分の才能の正体に、ようやく気づき始めていた。私は「生み出す」ことはできない。けれど、「見る」ことに関しては、誰よりも長けているのかもしれない。
124:リゼの才能、開花
精霊が「見える」。それがわかっただけで、世界との付き合い方がガラリと変わった。
今まで私は、真っ暗闇の中で手探りで料理を作っているようなものだった。材料(精霊)がどこにあるかもわからず、自分の手持ちの燃料(魔力)だけを燃やしていた。でも今は、材料がどこにあるかハッキリと見える。
「ファレルさん、少し試してみてもいいですか?」
「あ、ああ……やってみろ。だが、無理はするな」
ファレルは半信半疑のようだ。私は壊れかけた杖を拾い上げた。もう、杖を媒介にして魔力を練り上げる必要はない。杖はただの「指揮棒」でいい。
ターゲットは、泉に浮かぶ落ち葉。あそこを燃やしたい。
以前の私なら、体内の魔力を炎属性に変換しようと四苦八苦し、杖に負荷をかけて「火球」を撃ち出していただろう。今は違う。
(ねえ、赤い子たち)
私は心の中で呼びかけながら、視線を送った。
(あそこの葉っぱ、暖かいのが好きみたいよ。集まってあげて)
私の『真実の眼』を通して、意思が伝わる。空中に漂っていた赤い光の粒たちが、ピクリと反応した。彼らは私の魔力を「餌」として少し受け取ると、嬉しそうにクルクルと回り、指示された落ち葉へと殺到した。
ボッ。音もなく、落ち葉が発火した。爆発ではない。まるでそこだけ真夏の日差しが集まったかのように、自然に、しかし瞬時に炭化した。
「できた」
私は自分の手を見た。疲労感はほとんどない。杖も熱くなっていない。私がやったのは「案内」だけ。実際に燃やしたのは、そこにいた精霊たちだ。
「信じられん……」
ファレルが呻いた。
「詠唱もなしに、精霊を使役したのか?しかも、あんなピンポイントに?」
「使役じゃありません」
私は訂正した。
「お願いしたんです。あの子たち、私の目が合うと『なになに?』って寄ってくるんです。好奇心が強いみたいで」
どうやら私の『真実の眼』は、精霊にとっても「見られている」という感覚を与えるらしく、コンタクトを取りやすいようだ。
「リゼ!今の、変だぞ!」
ガブが鼻をヒクつかせて駆け寄ってきた。
「いつもの魔法は、焦げ臭い匂いがした。無理やり捻り出したオナラみたいな匂いだ」
「例えが最低ね、ガブ」
「でも今のは違う!森の匂いだ。焚き火の匂いだ。自然な感じがする!」
ガブの野性の感覚は鋭い。私が無理をしていないことを、匂いで感じ取ったのだ。
「そうか……これが、私の魔法」
私は杖を握りしめた。攻撃魔法の才能がない?ええ、その通りだわ。私は砲台にはなれない。でも、指揮者にはなれる。
「リゼット、お前はとんでもない才能を隠し持っていたようだな」
ファレルが苦笑した。
「だが、慢心するな。精霊は気まぐれだ。お前の心に曇りがあれば、彼らは力を貸さない。常に心を澄ませておく必要がある」
「はい!」
それから、特訓が始まった。今までの「魔力放出トレーニング」ではない。「精霊とのコミュニケーション訓練」だ。
私は色々なことを試した。青い粒(水)に頼んで、ガブの顔を洗ったり。緑の粒(風)に頼んで、木の実を落としたり。黄色の粒(土)に頼んで、ガブがつまづく穴を作ったり。
「わっ!リゼ、いじわる!」
ガブが転んで抗議する。
「ごめんごめん。でも、すごくスムーズなの」
私は楽しかった。魔法を使うのが、こんなに楽しいなんて初めてだ。今までは苦痛と疲労しか伴わなかった行為が、世界との対話に変わった。
しかし、課題もあった。精霊の数には限りがある。乾燥した場所で水魔法は使いにくいし、地下深くでは風魔法が弱い。環境依存度が極めて高いのだ。
「そこで、オレの出番だな!」
ガブが胸を張った。
「精霊がいない時は、オレが殴る!リゼは、オレが殴りやすいように手伝えばいい!」
その言葉が、私の新しい戦闘スタイルのヒントになった。私は一人で敵を倒す必要はない。最強の前衛がいるのだから。
125:守るための魔法
翌日。私たちは修行の成果を試すため、ファレル隊長と模擬戦を行うことになった。場所は、木々が開けた訓練場。
「手加減はせんぞ。実戦形式だ」
ファレルは訓練用の刃を潰した剣と、短弓を持っていた。対する私たちは、ガブが前衛、私が後衛の基本フォーメーション。
「行くぞ、リゼ!」
「ええ、合わせていくわよ!」
開始の合図と共に、ファレルが動いた。速い。エルフ特有の軽やかな身のこなしで、一瞬で間合いを詰めてくる。ガブが棍棒で迎撃しようとするが、ファレルはそれを紙一重でかわし、ガブの脇をすり抜けて私に向かってきた。
「魔術師を先に潰す。定石だな」
ファレルの剣が迫る。以前の私なら、慌てて『火球』を撃って牽制しようとし、外してパニックになっていただろう。
でも、今の私には「視」えている。ファレルの足元に漂う、黄色の粒たちが。
(土さん、ちょっとだけ意地悪して!)
私が視線を送ると、ファレルが踏み込んだ地面が、ズブッと泥沼のように柔らかくなった。ほんの一瞬の変化。だが、高速移動中の戦士には致命的だ。
「むっ!?」
ファレルがバランスを崩す。攻撃の軌道が逸れ、私は余裕を持って一歩下がるだけで回避できた。
「ガブ、今よ!」
「おう!『回転アタック』!」
戻ってきたガブが、体を独楽のように回転させながら突っ込んでくる。ファレルは体勢を立て直し、弓で応戦しようとする。矢がつがえられる。
(風さん、あっち!)
私は緑の粒に指示を出す。横からの突風が、放たれた矢の軌道をわずかに曲げた。矢はガブの耳元をヒュンと通り過ぎ、明後日の方向へ。
「何っ!?」
ファレルの驚愕。その隙に、ガブの『鍋のふたの盾』によるシールドバッシュが炸裂した。ドンッ!ファレルが数メートル吹き飛ばされる。
「そこまで!」
審判役のエルフが声を上げた。
ファレルは尻餅をついたまま、呆然としていた。そして、苦笑いしながら立ち上がった。
「完敗だ。やりづらいこと、この上ない」
「へへっ、勝った!」
ガブが私にハイタッチを求めてくる。パチン!
「見事だ」
ファレルが私に歩み寄った。
「リゼット。お前は一度も攻撃魔法を使わなかったな。だが、お前が場を支配していた」
「はい」
私は頷いた。
「気づいたんです。私は敵を倒す火力がなくてもいい。ガブが戦いやすいように足場を整えたり、敵の攻撃を逸らしたり。ガブを守り、活かすこと。それが私の『守るための魔法』です」
攻撃魔法の才能がないことへのコンプレックスは、もう消えていた。私は私のやり方で強くなれる。サポーターであり、司令塔。それが私の適正だったのだ。
「いいコンビだ」
ファレルが認めてくれた。
「ガブリエルの野生の勘と破壊力。リゼットの観察眼と精霊魔法による環境制御。二人が揃えば、どんな敵とも渡り合えるだろう」
「オレ、リゼが後ろにいると、背中がスースーしない」
ガブがニカっと笑う。
「リゼが見ててくれるから、オレは前だけ見てればいい。すっげー楽だ!」
その言葉が、何よりの褒め言葉だった。
「さて、修行は順調だが……」
ファレルが表情を引き締めた。
「リゼットよ。お前が精霊を視認できるようになったことで、新たな問題も見えてくるかもしれん」
「新たな問題?」
「里の東側……『迷いの森』の方角だ。最近、あそこの精霊たちが怯えている。お前の目なら、その原因がわかるかもしれん」
まだ里での滞在は終わらない。地下の次は、森の異変。新たな力を手に入れた私たちは、さらなる謎へと足を踏み入れることになる。
「リゼ、また冒険か?」
ガブがワクワクした顔で聞いてくる。
「ええ。せっかく覚えた魔法だもの。実践あるのみよ」
私は新しい相棒(精霊たち)にウィンクを送り、ガブと共に東の空を見上げた。エルフの里編は、まだもう少しだけ続きそうだ。




