EP41
120:「リゼと行く」
地下迷宮の最深部。そこにあるのは、かつて清浄な水を吸い上げていたはずの「世界樹の主根」だった。だが今、その根には巨大な腫瘍のような塊がへばりついていた。
『女王蟲』。地下の「黒い虫」たちの母体であり、全ての元凶。大きさは馬車二台分ほどもある。ブヨブヨとした白い腹部が脈打ち、世界樹の根から直接マナを吸い取っているのだ。
「うわぁ……臭い」
ガブが鼻をつまんだ。
「腐った卵と、古い沼の匂いがする」
「ええ。世界樹の魔力が体内で変質して、毒になっているのね」
私は杖を構えた。
「あいつを倒せば、森は救われる。行くわよ、ガブ!」
「おう!」
私たちが駆け出した瞬間、女王蟲が反応した。その肥大化した腹部から、無数の「産卵管」のような触手が飛び出し、鞭のように襲いかかってきた。
ヒュンッ!バシィッ!触手が地面を叩き、岩を砕く。
「『岩壁』!」
私が防御魔法を展開するが、触手の一撃で壁にヒビが入る。魔力を吸いすぎて強化されているのだ。
「リゼ、後ろ!」
ガブが飛び込んできた。私の死角から迫っていた触手を、棍棒で叩き落とす。ベチャッ、という嫌な音がして、触手が千切れた。
「こいつ、柔らかいけど、ネバネバする!」
ガブが顔をしかめる。
「魔法で焼くわ!『火球』!」
炎の弾丸が女王蟲の本体に直撃する。しかし、表面を覆う粘液が炎をジュワッと消してしまった。
「魔法耐性の粘液!厄介ね」
私は舌打ちした。物理攻撃は弾力で吸収され、魔法攻撃は粘液で無効化される。世界樹に寄生するだけのことはある、鉄壁の守りだ。
「リゼ、あいつ、口開けた時、中が見えた」
ガブが並走しながら叫んだ。
「中は赤い。柔らかそう。そこなら効く!」
「口の中ね……でも、どうやって口を開けさせるの?あいつ、根っこに噛み付いたままよ」
女王蟲は根から離れようとしない。無理に引き剥がそうとすれば、根そのものを傷つけてしまう可能性がある。
「オレがやる」
ガブが言った。
「オレが囮になって、あいつを怒らせる。そしたら、きっと口を開けて噛みついてくる」
「危険すぎるわ!もし捕まったら」
「平気。オレ、すばしっこいから」
ガブはニカっと笑うと、私の返事も待たずに飛び出した。
彼は触手の雨をかいくぐり、女王蟲の目の前(複眼があるあたり)まで肉薄した。そして、棍棒でバンバンと盾を叩き、挑発した。
「おい!デブ虫!こっち見ろ!」
ガブは、拾った石ころを投げつけた。ポスッ。石が女王蟲の顔に当たる。ダメージはないが、プライドは傷ついたようだ。
キシャアアアアッ!!女王蟲が激昂し、ついに根から口を離した。鋭い牙が並ぶ、巨大な口腔がガブに向かって開かれる。
「今だ、リゼ!」
ガブが叫ぶ。彼は逃げない。あえてギリギリまで引きつけて、私の射線を確保している。
信じてる。私が絶対に外さないと、信じている。
「合わせなさい!『雷槍』!!」
私は最大出力の雷撃を放った。青白い稲妻の槍が、一直線に空気を切り裂く。
ガブが真横にダイブして避けた直後、雷槍は女王蟲の口内へと深々と突き刺さった。
ズドオオォォォン!!体内での炸裂。粘液も外殻も関係ない。内部からの破壊だ。女王蟲は断末魔の叫びを上げ、痙攣し、やがてドサリと崩れ落ちた。
黒い霧が散り、空気がふっと軽くなるのを感じた。
「やった!」
私はガブに駆け寄った。彼は粘液まみれになって倒れ込んでいたが、私を見るとサムズアップをした。
「へへっ……大成功」
「無茶するんだから、もう!」
私は彼を助け起こし、汚れた顔をハンカチで拭いた。
女王蟲が死んだことで、地下に充満していた瘴気が薄れていく。その時、天井の根の隙間から、一筋の光が差し込んできた。地上の世界樹が、回復を始めた証だ。
「終わったな」
ガブが光を見上げて言った。
「ええ。これで任務完了よ」
私は彼の横顔を見た。
「ねえ、ガブ。さっきのゴブリンたちのこと……本当に後悔してない?」
もし彼があそこで群れのボスになっていれば、今頃は安全な場所で崇められていたはずだ。こんな命がけの戦いをしなくても済んだ。
ガブはキョトンとして、それから不思議そうに言った。
「後悔?なんで?」
「だって、王様になれたのよ?」
「王様、つまんない」
ガブは即答した。
「暗い穴の中で、ずっと座ってるだけ。そんなの嫌だ」
彼は私の手を取り、光の方へと引っ張った。
「オレ、リゼと行く。リゼといると、毎日違うことが起きる。美味しいもの食べれる。見たことないもの見れる。それがいい」
『リゼと行く』。そのシンプルな言葉が、どんな契約の言葉よりも嬉しかった。
「そう。じゃあ、覚悟しなさいよ?」
私は彼の背中を叩いた。
「私の旅は、もっと大変になるわよ。世界中を敵に回すかもしれないんだから」
「望むところだ!」
ガブが笑う。
「オレたち、最強のコンビだろ?」
地下迷宮の闇を背に、私たちは光あふれる地上への帰路についた。泥だらけの二人の影が、長く伸びていた。
121:森の秘薬
地上に戻ると、そこは歓喜の渦だった。世界樹の変色はすでに止まり、枯れていた枝からは若葉が芽吹き始めていた。森全体の空気が、澄み渡ったクリスタルのように清浄になっている。
「おお……なんという奇跡だ」
入り口で待っていたファレル隊長が、震える声で言った。彼の背後には、多くのエルフたちが集まっていた。昨日まで私たちに向けていた冷たい視線は消え、今は「畏敬」と「感謝」の眼差しが注がれている。
「リゼット殿、そしてガブリエル殿」
エルウィン長老が歩み出た。
「森は救われた。全てはあなた方の勇気ある行動のおかげです」
長老が深く頭を下げると、それに続いてファレル隊長、そして里の全員が一斉に頭を下げた。エルフが、人間とゴブリンに頭を下げる。歴史的な瞬間だった。
「顔を上げてください」
私は言った。
「私たちは約束を果たしただけです」
「リゼ、みんなお辞儀してる。オレたち、すごいのか?」
ガブが小声で聞いてくる。
「ええ、すごいことしたのよ。胸を張っていいわ」
その夜、里では盛大な祝宴が開かれた。広場には数え切れないほどの果実、木の実料理、花の蜜酒が並ぶ。ガブは子供たちに囲まれていた。昨日は石を投げてきた子供たちが、今はキラキラした目でガブの冒険譚を聞いている。
「でな、オレが棍棒でバーン!って叩いたら、デカいのがドーン!って倒れたんだ!」
「すげー!ガブ強い!」
「お兄ちゃん、これ食べて!」
ガブは両手に食べ物を抱え、もごもごと幸せそうだ。その光景を見て、私はようやく肩の荷が下りた気がした。恐怖と偏見の壁は、崩れたのだ。
宴の最中、長老が私とガブを手招きした。祭壇の奥、厳重に守られた場所から、小さなガラスの小瓶を取り出す。中には、黄金色に輝く液体が入っていた。
「これは?」
「『世界樹の雫』。我らが『森の秘薬』と呼ぶものだ」
長老が厳かに言った。
「百年に一度、世界樹が健康な時にだけ分泌する生命のエキス。あらゆる病を癒し、魔力を活性化させ、寿命すら延ばすと言われている」
伝説の秘薬。王侯貴族が国一つと交換しても手に入らない代物だ。
「これを、あなた方に」
長老は小瓶を二つ、私たちに差し出した。
「今回の働きへの、ささやかな礼だ」
「こんな貴重なものを……いいんですか?」
「森の命を救ってくれたのだ。これくらいでは足りぬよ」
私はありがたく受け取り、ガブにも渡した。
「ガブ、一気に飲むのよ」「うん。いい匂いする。朝の森と、蜂蜜の匂いだ」
私たちは顔を見合わせ、同時に小瓶をあおった。液体が喉を通った瞬間、体の中がカッと熱くなった。疲れが一瞬で吹き飛び、体の細胞一つ一つが目覚めるような感覚。魔力回路が拡張され、今まで感じ取れなかった微細なマナの流れまでが見えるようだ。
「うおっ!?」
ガブが自分の体を見下ろして驚いた。彼の緑色の肌が、わずかに艶を帯び、筋肉の質が引き締まったように見える。
「体が軽い!力が溢れてくる!」
ガブはその場で高くジャンプした。その跳躍力は、以前の倍以上あった。
「どうやら、ガブリエル殿の体には劇的に効いたようだな」
長老が微笑んだ。
「魔物は本能的にマナを取り込む。純粋なマナの塊であるこの雫は、彼を進化させたのかもしれん」
魔物の進化。ただのゴブリンから、知性を持つゴブリンへ。そして今、森の加護を受けた『ハイ・ゴブリン(上位種)』に近い存在へと近づいているのかもしれない。見た目は変わらないが、そのポテンシャルは計り知れない。
「リゼ、ありがとう!」
ガブが私に抱きついた。
「オレ、もっと強くなれる気がする!これなら、ずっとリゼを守れる!」
彼の体温が、以前より高く、力強く感じられた。森の秘薬は、私たちの旅に大きな恩恵をもたらしてくれたようだ。
122:魔法の修行
秘薬を飲んだ翌日から、私たちはすぐに旅立つ予定だった。しかし、長老の提案で、数日間滞在を延ばすことになった。
「せっかく魔力が高まったのだ。制御を覚えねば、暴走する恐れがある」ということで、始まったのが『魔法の修行』だ。
指導役は、あのファレル隊長だ。彼は森の奥の静かな泉のほとりに、私たちを連れてきた。
「いいか。人間の魔法は『放出』だ。己の魔力を無理やり外に出し、現象をねじ曲げる。だから強力だが、燃費が悪く、周囲への影響も大きい」
ファレルは水面を指先で触れた。波紋が広がり、それが自然と『水蛇』の形になる。
「我らエルフの魔法は『共鳴』だ。精霊に呼びかけ、力を借りる。最小の魔力で、最大の結果を生む」
私は必死にメモを取る(心の中で)。これは王立アカデミーでは教わらなかった、失われた古代魔法の神髄だ。『真実の眼』を持つ私なら、エルフの魔力循環を視覚的にコピーできる。
「リゼット、お前は筋がいい。だが、ガブリエル……」ファレルが頭を抱えた。
ガブは、座禅を組んで瞑想……しているふりをして、寝ていた。
「むにゃ……肉……」
「起きろ!この馬鹿者が!」
ファレルが小枝を投げる。
「痛っ!なんだよ、退屈だぞ!」
ガブが跳ね起きた。
「オレ、魔法使えないもん。難しい話、わかんない」
ゴブリンは基本的に魔法を使えない。魔力を持っても、それを術式に変換する脳の回路がないのだ。だから、ガブにエルフの魔法を教えるのは無理がある。
「いや、待って」
私はガブを見た。
「ガブは魔法を『使う』ことはできないけど、『感じる』ことはできるわ。さっきの秘薬で、感覚が鋭くなってるはず」
私はガブに提案した。
「ガブ、目をつぶって。私が弱い魔法を撃つから、それが『どこから来るか』当ててみて」
「えー?当たるの痛いぞ」
「大丈夫、痛くない水鉄砲程度にするわ」
特訓が始まった。私が指先から水弾を放つ。最初はガブの顔面に直撃した。
「冷たっ!」
だが、何度か繰り返すうちに、ガブの動きが変わった。放つ瞬間、耳がピクリと動き、鼻がヒクつく。そして、水弾が当たる直前に、首をヒョイと傾けて避けた。
「臭い」
ガブが言った。
「魔法が来る時、空気が焦げたみたいな、変な匂いがする。あと、肌がチリチリする」
「それだ!」
ファレルが感嘆の声を上げた。
「『魔力感知』!しかも、視覚に頼らない直感的な回避。これは、魔法使い殺しの才能だぞ」
ガブは魔力の高まりを「匂い」や「気配」として察知し、発動前に動くことができるようになったのだ。
「よし、ガブ。お前の修行は『避け』だ」
ファレルが熱心になった。
「私が全方位から魔法を撃つ。全て避けろ!」
「ええーっ!本気で撃つなよ!?」
「問答無用!『風の礫』!」
ドカッ、バシッ。
「痛い!鬼!エルフの鬼!」
ガブは悲鳴を上げながら走り回る。しかし、その動きは徐々に洗練され、獣のような野生の勘と、思考する知性が融合した、予測不能な回避運動へと進化していった。
三日後。私はエルフ流の『精霊との対話』の基礎を掴み、魔力効率が格段に上がった。そしてガブは、ファレルの放つ魔法を八割がた回避できるまでになっていた。
「認めたくないが、天才かもしれん」
ファレルが肩で息をしながら言った。
「ありがとう、ファレル先生!」
ガブは無邪気に笑い、ファレルの手を握った。
こうして、私たちは『世界樹の枝』での事件を解決し、新たな力と絆を手に入れた。装備も、ステータスも、信頼関係も、全てが一段階レベルアップしたのだ。いよいよ、次の目的地への旅立ちの時が迫っていた。
リゼとガブ。人間とゴブリンの珍道中は、まだまだ続く。




