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旅の友に選んだのはゴブリンでした  作者: 竜神
第3章:迷いの森と忘れられた種族

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EP37

108:歓迎されない客


「キシャアアアッ!!」


地下への入り口から溢れ出したのは、体長1メートルほどの黒光りする甲虫の群れだった。『黒鉄蟲ブラック・ビートル』。本来は地底深くに生息し、鉱石を食べるおとなしい魔物だが、今の彼らは狂暴化していた。そのあごからは、あの腐敗した黒い粘液が垂れている。


「数は二十!前衛、防壁を作れ!」


ファレル隊長の号令が飛ぶ。


「ガブ、行くわよ!私の前に出ないで、横をカバーして!」

「おう!硬そうな虫だな!」


私は杖を振るい、狭い通路に向けて風の刃を放った。


風刃ウィンド・ブレード!」


カキンッ!硬質な音が響く。甲虫の背中の殻は鋼鉄のように硬く、魔法を弾いた。


「魔法が効かない!?物理攻撃だ!」


エルフの剣士たちが切り込むが、剣すらも通じにくい。


「任せろ!」


ガブが飛び出した。彼は剣ではなく、愛用の棍棒を振りかぶる。ドゴォォォン!!凄まじい衝撃音が響き、先頭の甲虫の頭部が粉砕された。


「おおっ!」


エルフたちがどよめく。鋭利な斬撃よりも、ゴブリンの馬鹿力による打撃の方が、硬い殻を持つ敵には有効なのだ。


「ひっくり返せば柔らかいぞ!」


ガブは器用に甲虫の足元に滑り込み、盾を使って敵を裏返した。そこへ、私が的確に魔法を撃ち込む。


「腹なら効くわね!『火矢ファイア・ボルト』!」


ジュッ!裏返った甲虫が炎に包まれ、絶命する。

私たちの連携と、ファレル隊長たちの援護射撃により、なんとか甲虫の群れを地下へと押し戻すことに成功した。最後はエルフの魔術師たちが幾重にも結界を張り、入り口を封印した。


「ふぅ。なんとかなったわね」


私は額の汗を拭った。

戦闘が終わり、静寂が戻ると、周囲の空気が変わった。助かった、という安堵ではない。異物を見る目だ。


遠巻きに見ていた里の住民たちが、ヒソヒソと囁き合っている。


「見たか?あのゴブリンの野蛮な戦い方を」

「虫を叩き潰して笑っていたぞ。やはりけがらわしい」

「人間の魔法も不気味だ。風や火をあんなふうに使うなんて」


感謝の言葉はない。あるのは、「役に立ったが、関わりたくない」という拒絶の壁だ。


「行くぞ」


ファレルが硬い表情で言った。


「長老がお待ちだ。今夜はお前たちに『客人用』の部屋を用意する」


私たちは案内され、里の一角にある空き家へと連れて行かれた。そこは集落の端、ゴミ捨て場の近くにある古びた小屋だった。明らかに「歓迎されていない」場所だ。


「明日の朝、作戦会議を行う。それまではここから出るな」


ファレルはそう言い残し、逃げるように去っていった。彼自身も、部下の手前、私たちと親しくするわけにはいかないのだろう。


バタン。ドアが閉まると、重苦しい空気が室内に充満した。部屋は埃っぽく、家具も最低限しかない。


「へへっ、屋根があるだけマシだな!」


ガブが努めて明るい声を出し、硬いベッドに飛び乗った。


「リゼ、見てみろ!窓から月が見えるぞ!」


私は胸が締め付けられた。ガブは気づいていないふりをしているが、あのエルフたちの冷たい視線を感じていないはずがない。魔物は人の悪意に敏感だ。彼は私のために、平気なふりをしているのだ。


「そうね。綺麗な月」


私は窓辺に立ち、外を見た。美しいエルフの里。光る苔のランタン。幻想的な風景。けれど、そのどれもが私たちを拒んでいるように見えた。


さっきの戦闘で、ガブの頬には擦り傷ができていた。私はハンカチを濡らし、そっとその傷を拭った。


「痛くない?」

「平気」

「ごめんね、ガブ」

「なんで謝るんだ?」

「もっといい宿に泊めてあげたかったわ」


公爵令嬢だった頃は、人々は私に媚びへつらい、最高の部屋を用意した。でも今は、世界を救う手助けをしても、ゴミ捨て場の横の小屋だ。


「ここが最高の宿だぞ」


ガブがニカっと笑った。


「だって、リゼと一緒だもん。一人で寝る王様のベッドより、二人で寝るここの方がずっといい」


その言葉に、冷え切った心が温められる。そうだ。私たちは「歓迎されない客」かもしれない。でも、私たちは「互いを必要とするパートナー」だ。世界中が敵に回っても、この小屋の中だけは、温かい居場所だった。


109:針のむしろ


翌朝。地下迷宮への遠征には、準備が必要だった。食料や水、消耗品の補充のため、私たちは里の中央にある配給所へ向かわざるを得なかった。


「リゼ、帽子深く被ったほうがいいぞ」

「ええ、わかってる」


私たちは極力目立たないように、建物の影を伝って歩いた。しかしエルフの感覚は鋭い。すぐに気づかれ、視線が突き刺さる。


「来たわよ」

「なんでまだ居るの?」

「空気が汚れるわ」


直接的な罵声ではない。すれ違いざまの溜め息。露骨に鼻をつまむ仕草。子供を抱き寄せて、私たちから遠ざける母親。


それは、罵倒されるよりも精神を削る、静かな拒絶だった。まさに『針のむしろ』。歩くたびに、見えない針が心を刺す。


配給所の前には列ができていた。私たちが最後尾に並ぶと、前のエルフたちがサッと距離を取り、列が分断された。


「水と、携帯食料を分けていただけますか?」


順番が来て、私は係の女性に声をかけた。彼女は私の顔を見ず、事務的に、そしてぞんざいに、古びた水筒と乾パンをカウンターに置いた。


「これだけ?」


私は思わず聞いた。正規の配給量の半分もない。


「在庫が少ないのです。外部の方にはそれで十分でしょう」


彼女は冷たく言い放ち、次の人の方を向いた。

私は拳を握りしめた。私たちがこれから命がけであなたたちの守護樹を救いに行くというのに。文句を言おうとした時、ガブが私の袖を引いた。


「リゼ、行こう。これで十分だ」

「でも!」

「オレ、あんまり腹減ってない。水も、川で汲めばいい」


ガブは少ない食料を大事そうに抱え、ペコリと係員に頭を下げた。


「ありがとう。いただきます」


係の女性が一瞬、虚を突かれたような顔をした。汚いゴブリンが、礼儀正しく感謝を述べたことが予想外だったのだろう。


帰り道。広場で遊んでいたエルフの子供たちが、私たちを見つけて駆け寄ってきた。無邪気な好奇心かと思ったが、違った。


「エイッ!」


一人の少年が、小石を投げてきた。コツン、とガブの肩に当たる。威力はない。でも、その行為の意味は重い。


「ママが言ってた!ゴブリンは悪いやつなんだ!出て行け!」

「出て行けー!」


子供たちがはやし立てる。

ガブは怒らなかった。悲しそうな顔もしなかった。ただ、落ちた小石を拾い上げ、子供に優しく投げ返した――いや、下手投げで転がして返した。


「これ、落としたぞ」


ガブが笑いかけると、子供たちは「うわぁっ!」と悲鳴を上げて逃げ出してしまった。


「ガブ」


私は彼の強さに圧倒されていた。なぜ、怒らないの?なぜ、平気でいられるの?


「子供は、大人の真似をしてるだけだ」


ガブがポツリと言った。


「あいつらはオレのことを知らない。知れば、石なんか投げない。リゼがオレに石を投げないのと同じだ」


彼は知っているのだ。無知が恐怖を生み、恐怖が攻撃を生むことを。そして、それを解くには時間がかかることを。


私は恥ずかしくなった。『針のむしろ』だと感じて縮こまっていたのは私だけだ。ガブは、その針の上を、裸足で堂々と歩いている。


「リゼ」


ガブが空を見上げて言った。


「オレたちにはやるべきことがある。あのでっかい木を治すことだ。みんなに好かれるのは、その後でいい」

「そうね。その通りだわ」


私は背筋を伸ばした。コソコソするのはやめよう。私たちは誇り高き冒険者だ。誰に何を言われようと、為すべきことを為すだけだ。


私はガブの手を取り、堂々と道の真ん中を歩いて小屋へと戻った。背中に刺さる視線は相変わらず痛い。けれど、隣にいる相棒の手の温かさが、その痛みを和らげてくれた。


110:長老との対話


その夜、エルウィン長老からの呼び出しがあった。指定されたのは、昼間の広間ではなく、彼女の私室だった。


部屋に入ると、お茶の香りが漂っていた。長老は一人で、窓辺の椅子に座っていた。


「入りなさい、リゼット。そしてガブリエル」


長老の声は、昨日よりも穏やかだった。

私たちが席に着くと、長老自らお茶を注いでくれた。それは客人に対する正式な作法だった。


「昼間の非礼を詫びよう」


長老が静かに言った。


「里の者たちの態度は、決して褒められたものではない。だが、彼らも怖いのだ。長きにわたり、人間と魔物に土地を奪われ、追いやられてきた歴史があるゆえに」

「理解しています」


私はカップを手に取った。


「信頼は言葉ではなく、行動で勝ち取るものですから」

「お前は、強いな」


長老が私の目を覗き込んだ。


「その歳で、その達観。ただの貴族の娘ではないな?その『目』……多くの嘘と欺瞞ぎまんを見てきた目だ」


見抜かれている。私は隠すのをやめた。


「ええ。私は嘘つきたちの巣窟で育ちました。笑顔で毒を盛るような世界です。ここの人々の、あからさまな敵意の方が、よほど清々(すがすが)しく感じます」


長老はフッと笑った。深い皺が刻まれた顔が、少女のようにほころぶ。


「似ているな。若き日の私に」


長老は窓の外、枯れかけた世界樹の枝を見つめた。


「かつて、我々エルフも人間と共存しようとした時代があった。だが、人間の『欲』は底なしだった。森の恵みを奪い尽くし、最後には世界樹の魔力さえも兵器に変えようとした。だから我々は結界を張り、心を閉ざしたのだ」


それが、この森の「人間禁止」の真実。そして今、その閉ざされた世界の内側から腐敗が始まっている。


「皮肉なものだ」


長老が自嘲気味に言った。


「外部を拒絶し、純血を保とうとした結果、よどみが生じた。地下の蟲たちは、我々の『停滞した魔力』に引き寄せられたのかもしれん」


彼女は気づいていたのだ。里の病の原因が、自分たちの閉鎖性にあるという可能性に。


「リゼットよ。お前に賭けてみたいのだ」


長老が身を乗り出した。


「お前は人間でありながら、ゴブリンを対等な友としている。既存の枠組みに囚われない『異物』だ。その異物だけが、この凝り固まった森の血流を、再び動かせるのかもしれん」


それは、最大の賛辞であり、重い期待だった。私は横にいるガブを見た。彼は難しい話に飽きたのか、出された焼き菓子を音を立てずに食べている。


「私一人では無理です」


私は言った。


「でも、彼となら。私たちは種族も生まれも違いますが、凸凹でこぼこだからこそ、噛み合うんです」

「うむ。よき相棒を持ったな」


長老はガブに視線を移した。


「ガブリエルよ。地下は暗く、恐ろしい場所だ。それでも行くか?」


ガブは菓子を飲み込み、胸を張った。


「行く。リゼが行くなら、地獄の底でもついていく。それに、あのデカい木が治ったら、きっと美味しい実がなるんだろ?」

「ははは!違いない」


長老が声を上げて笑った。久しぶりに心から笑った、という顔だった。


「行きなさい。地下迷宮『古き根の回廊』へ。許可を与える」


長老は首から下げていた鍵――翡翠ひすいで作られた古い鍵を私に手渡した。


「これは迷宮の奥、心臓部への扉を開く鍵だ。頼んだぞ、若き風よ」


私たちは鍵を受け取り、深々と頭を下げて部屋を出た。廊下に出ると、夜風が吹き抜けた。昨日の冷たい風とは違う。少しだけ、未来の匂いがする風だった。


「さあ、ガブ。明日は大仕事よ」

「おう!虫退治だ!」

私たちは顔を見合わせ、拳を軽くぶつけ合った。歓迎されない客でも、針のむしろでも構わない。長老との対話で得た鍵(信頼)が一つあれば、私たちは前に進める。


地下迷宮攻略がいよいよ始まる。

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