EP35
102:エルフの番人
手を蔦で縛られたまま、私たちは森の奥へと連行された。先頭を歩くのは銀髪のエルフの青年。名をファレルと言うらしい。部下たちが私たちを囲み、逃走の隙を与えない。
歩くこと小一時間。霧が晴れた先に、その「里」はあった。
「綺麗」
私は思わず、演技を忘れて呟きそうになった。
巨木の中腹に作られた空中回廊。木々の枝を利用して建てられた家々は、自然と調和し、まるで樹木の一部であるかのように溶け込んでいる。淡い光を放つ苔がランタンのように吊るされ、幻想的な風景を作り出していた。
だが、その美しさは死に瀕していた。近づくにつれて、鼻をつく異臭が強くなる。甘ったるい腐敗臭。私の『真実の眼』は、この里全体が薄暗い灰色のモヤに覆われているのを捉えていた。
「歩け。余計なものを見るな」
ファレルに背中を小突かれ、私たちは里の入り口である巨大なアーチをくぐった。
そこには、一人の「番人」が立っていた。エルフではない。身長3メートルはあろうかという、木の皮のような皮膚を持つ巨人。『樹人』だ。しかし、その巨体は枯れ木のように痩せ細り、半身が黒いカビのようなものに覆われていた。
「人間……カエレ……」
樹人が軋むような声で唸る。その瞳は白濁し、知性はほとんど感じられない。ただの防衛本能だけで動いているようだ。
「静まれ、古き守り人よ。こやつらは捕虜だ」
ファレルが手をかざすと、樹人は大人しく道を空けた。
里の中に入ると、視線が突き刺さった。窓から、回廊から、多くのエルフたちが私たちを見下ろしている。その目は一様に冷たく、そして怯えていた。
「人間だわ」
「穢れを持ってきたのよ」
「隣にいるのはゴブリン?なんて汚らわしい」
囁き声が聞こえる。彼らの心の色は、敵意を示す「赤」よりも、絶望を示す「青」が強かった。この里は、何かに追い詰められている。
私たちは里の中央広場を通り過ぎ、さらに奥まった場所にある牢屋へと連れて行かれた。牢屋といっても鉄格子ではない。太い木の根が格子状に編まれた、鳥籠のような檻だ。
「入れ」
私たちは檻の中に押し込まれた。蔦の縄は解かれたが、檻の入り口は魔法で封印された。
「長老会議の決定が出るまで、そこで待機だ。妙な真似をすれば、この檻ごと谷底へ落とす」
ファレルは冷たく言い放ち、見張りの部下を残して去っていった。
静寂が戻る。檻の中は狭く、湿っていた。
「リゼ、大丈夫か?」
ガブが小声で聞いてきた。
「オレ、ここ嫌いだ。みんな、泣きそうな顔してる」
「ええ、そうね」
私は『迷子の少女』の演技を少し緩め、檻の隙間から外を観察した。
里のあちこちに見える木々が、黒く変色している。地面の草も枯れている場所が多い。結界のほころびと同じ黒い粘液が、里の中枢まで侵食しているのだ。
「これは『黒腐れ病』……いいえ、もっとタチの悪い呪いね」
私は独り言のように呟いた。自然発生的な病気ではない。魔力の流れが不自然に歪められ、生命力を吸い取られている。
「ガブ、私たちは運が悪かったわ。エルフたちは今、存亡の危機に瀕している。そこにのこのこと現れた私たちは、格好の『スケープゴート(生贄)』よ」
自分たちの不幸を外部のせいにするのは、追い詰められた集団の常套手段だ。
「スケープゴート?ヤギか?」
「罪をなすりつけられる役目のことよ。このままじゃ、私たちはあの黒い病気の犯人にされて処刑される」
私は唇を噛んだ。『迷子のふり』で時間は稼げたが、根本的な解決にはなっていない。この状況を打破するには、彼らの誤解を解くか、あるいはこの病を治す方法を提示するしかない。だが、今の私は杖を取り上げられ、ただの無力な少女を演じている身だ。
コツ、コツ、コツ。杖をつく音が近づいてくる。見張り役のエルフたちが直立不動の姿勢をとった。
「長老様がお着きだ」
現れたのは、長いローブを纏った老齢の女性エルフだった。白髪は床に届くほど長く、顔には年輪のような深い皺が刻まれている。しかし、その瞳は鋭く、私の心の奥底まで見透かすような威厳を放っていた。
彼女が、私たちの運命を握る裁判官だ。
103:矢を向けられて
長老の名は、エルウィンと言った。彼女は檻の前に立つと、静かに私たちを見つめた。その背後には、ファレル隊長と数名の弓兵が控えている。
「人間の子よ」
エルウィン長老の声は、枯れ葉が擦れ合うように乾いていたが、よく通った。
「お前たちがこの森に足を踏み入れたのと時を同じくして、結界の傷が深まった。これは偶然か?」
やはり、そこを突いてきた。私は身を縮こまらせ、涙目で彼女を見上げた。
「わ、わかりません……私はただ、迷子になって……」
「嘘をつくな」
エルウィン長老が杖で床をドンと突いた。
「ただの子供が、あの山脈を越えてくるはずがない。それに、お前の魔力……隠しているつもりだろうが、我らの目は節穴ではない」
心臓が跳ねた。バレている。長生きする種族の慧眼を侮っていた。完全に魔力を隠蔽したつもりだったが、漏れ出る「質」までは誤魔化せなかったか。
「ファレル」
長老が短く名を呼ぶと、銀髪の青年が一歩前に出た。彼は背中の矢筒から一本の矢を抜き取り、弓につがえた。キリリ……と弦が引き絞られる音が、静まり返った牢屋に響く。
矢尻が、檻の隙間を通して、私の眉間を正確に狙っていた。
「我々には時間がないのだ」
ファレルが冷徹に言った。
「里の守護樹『世界樹の枝』が、黒い呪いに蝕まれ、枯れかけている。お前が持ち込んだ『毒』の解毒剤を出せ。さもなくば、その命で償ってもらう」
完全な冤罪だ。だが、彼らにとっては真実などどうでもいいのかもしれない。怒りと恐怖をぶつける対象が必要なのだ。
矢の先端が、微かに揺れている。ファレルの心にある焦りだ。『真実の眼』で彼を見る。彼の色は、怒りの赤よりも、悲しみの青で染まっていた。彼は、守りたいのだ。里を。仲間を。だからこそ、非情になろうとしている。
(どうする……?)
私の脳内で思考が高速回転する。
選択肢A:このままシラを切り通す。→矢が放たれる可能性が高い。彼らは本気だ。
選択肢B:魔法で檻を破壊して強行突破する。→杖がない。無詠唱魔法では威力が出ない。それに、数十人のエルフを相手に勝てるわけがない。
選択肢C:正体を明かし、交渉する。→「私は人間ですが、呪いを解けます」と言って、信じてもらえるか?証拠がない。むしろ、「やはり元凶か」と即殺されるリスクがある。
詰んでいる。冷や汗が背中を伝う。父の屋敷で味わった、あの窒息しそうな閉塞感が蘇る。私はまた、何もできずに、理不尽な力に屈するのか?
「3つ数える」
ファレルが宣告した。
「それまでに答えなければ、射る」
「いち……」
私はガブを見た。彼は私の後ろで、小さく震えていた。巻き込んでしまった。私のせいで、この子まで。
「に……」
弓の弦が限界まで引き絞られる。死の予感が肌を刺す。怖い。声が出ない。「私は悪くない!」と叫びたいのに、喉が張り付いて動かない。
長老は無表情で見守っている。彼女の判断は「沈黙=有罪」だ。
ファレルの指が、弦から離れようとした、その瞬間。
「さん――」
ヒュッ!放たれる寸前の殺気。
ドンッ!私の体が、横から強い力で突き飛ばされた。
「ガブ?」
私が倒れ込んだ場所に、ガブが立っていた。彼は私の前に立ちはだかり、両手を広げて、エルフの精鋭たちと対峙していた。その小さな体で、私を矢から隠すように。
104:ガブ、前に出る
「やめろ!」
ガブが大声で叫んだ。その声は、恐怖で震えてなどいなかった。腹の底から出る、怒りの咆哮だった。
ファレルは寸前で矢を止めた。エルフたちがざわめく。下等生物と見下していたゴブリンが、我が身を挺して人間を守ろうとしたのだから。
「どけ、ゴブリン」
ファレルが苛立ちを露わにした。
「貴様ごときが、我らの裁きに割り込むな」
「どかない!」
ガブは一歩も引かなかった。彼は自分の胸にある赤いスカーフを握りしめ、真っ直ぐにファレルを睨みつけた。
「リゼは、やってない!」
シンプルな言葉。論理も証拠もない。けれど、そこには強烈な「確信」があった。
「リゼは、いい匂いがする!パンの匂いと、お日様の匂いだ!」
ガブは鼻を指差した。
「でも、この里の『黒いヤツ』は、臭い!腐った泥の匂いだ!リゼの匂いじゃない!」
「何をわけのわからないことを」
ファレルが呆れたように鼻を鳴らす。
「匂いだと?そんなものが証拠になるか」
「なる!」
ガブが吠えた。
「ゴブリンの鼻は嘘つかない!あんたたちの目は曇ってるけど、オレの鼻は曇ってない!」
その言葉に、ハッとしたのは私だった。目は曇る。先入観や恐怖で、真実が見えなくなる。でも、ガブは違う。彼はいつだって、自分の感覚だけを信じている。
「それに」
ガブの声が、少しだけ優しくなった。
「リゼは、オレにパンをくれた。怪我を治してくれた。背中に乗せてくれた。リゼは『悪い魔女』じゃない。『弱虫で、優しくて、泣き虫なリゼ』だ!」
私のことを「弱虫」と言い切った。いつもなら「失礼ね」と怒るところだ。でも、今は涙が止まらなかった。彼は、私の本質を誰よりも理解していた。私が必死に隠してきた「弱さ」ごと、肯定してくれているのだ。
「オレを殺してもいいけど、リゼは殺させない。オレはリゼの相棒だからな!」
ガブは仁王立ちになった。その背中は小さく、ポンチョはボロボロだ。でも、私の目には、どんな英雄よりも巨大で、輝いて見えた。
ファレルの手がわずかに下がった。気圧されたのだ。この純粋無垢な魂の輝きに。
長老の目が、わずかに見開かれた。
私が動かなければ。ガブがあれだけ頑張って「前へ」出てくれたのだ。私がいつまでも「守られるだけの少女」のふりをしていてどうする。
私は立ち上がった。涙を拭い、背筋を伸ばす。震えを止め、膝の泥を払う。
そして、ゆっくりとガブの肩に手を置いた。
「ありがとう、ガブ。もういいわ」
私は一歩前に出た。ガブの隣へ。そして、エルウィン長老を真っ直ぐに見据えた。もう、弱々しい迷子の少女の目はしていない。かつて社交界で恐れられた、『真実の眼』を持つ公爵令嬢の目だ。
「芝居は終わりにします」
私の声は、凛と響いた。
「エルフの長老よ。そして戦士ファレルよ。ガブの言う通り、私はその呪いの元凶ではありません」
「ほう、正体を現したか」
ファレルが再び弓を構え直す。
「撃ちたければ撃ちなさい。でも私を殺せば、あなたたちの守護樹――『世界樹の枝』を救う唯一の機会を失うことになるわ」
ハッタリではない。ガブの言葉と、この状況での観察で、私の中で一つの仮説が確信に変わっていた。
「あなたたちは、その呪いを『外部からの侵食』だと思っている。だから結界のほころびを気にしている」
私は檻の格子を掴んだ。
「でも、違うわ。『真実の眼』を持つ私には見える。あの黒い粘液は、外から来たんじゃない。里の『内側』から湧き出しているのよ」
ざわっ……とエルフたちが動揺した。
「地下よ。この巨木たちの根元。地下水脈から毒が流れ込んでいる。原因は地下にあるわ」
長老の顔色が変わった。彼女だけは、その可能性に薄々気づいていたのかもしれない。だが認めるのが怖かったのだ。自分たちの聖域の根底が汚染されているという事実を。
「デタラメを!」
ファレルが叫ぶ。
「デタラメかどうか、調べればわかることでしょう?」
私は彼を挑発するように見返した。
「私を今ここで殺すのは簡単よ。でも、真実から目を背けて、罪のない通行人を殺して、それで里が救われるの?」
沈黙が落ちた。張り詰めた空気の中、ガブが私の手をギュッと握った。その温かさが、私に無限の勇気をくれる。
やがて、長老が静かに口を開いた。
「ファレル、弓を収めなさい」
「しかし、長老!」
「この人間の娘の目……あれは嘘をつく者の目ではありません。それに、ゴブリンの言葉にも一理あります。魔物は本能で穢れを嫌うもの」
長老は杖をついて、檻の前に歩み寄った。
「人間よ、名をなんと申す」
「リゼット。ただのリゼットです」
家名は捨てた。今はただの冒険者だ。
「リゼットよ。お前のその『目』で、我らを救えると言うのか?」
「やってみなければわかりません。でも、あなたたちが諦めて座して死を待つよりは、マシな結果を出してみせます」
長老はしばらく私を見つめ、そして重々しく頷いた。
「よかろう。一時、処刑を延期する。お前の力を証明してみせよ」
檻の封印が解かれた。私はガブと顔を見合わせ、大きく息を吐いた。
首の皮一枚繋がった。ガブが前に出てくれなければ、今頃私は冷たい骸になっていただろう。
「ガブ、かっこよかったわよ」
私が小声で言うと、ガブは照れくさそうに鼻をこすった。
「リゼも、かっこよかったぞ。いつものリゼに戻った」
私たちはエルフたちに囲まれながら、里の深部、病める『世界樹の枝』へと向かうことになった。ここからが本当の戦いだ。エルフの里を救い、信頼を勝ち取り、そして未来への道を切り開くために。




