EP32
93:北風とポンチョ
ピューウゥゥゥ!
容赦ない北風が、街道の並木を揺らし、私たちの体温を奪っていく。ザリアの町で買った衣服も、この寒さの前では頼りなかった。特にガブは深刻だ。彼は寒さに弱い。赤いスカーフを鼻まで巻き上げているが、歩くたびにカチカチと歯の根が合う音が聞こえてくる。
「ガブ、大丈夫?」
「うぅ寒い。耳が落ちそう。鼻がもげそう」
ガブが涙目で訴える。緑色の肌が、血行不良でどす黒く変色しているように見える。
私たちは山脈の麓にある、小さな宿場町『ノース・ゲート』に辿り着いた。ここは山越えをする旅人や行商人が、最後の準備を整える場所だ。木造の頑丈な家々が軒を連ね、どの家の煙突からも暖かそうな煙が上がっている。
「まずは装備を整えましょう。このままじゃ山で凍死するわ」
私はガブを連れて、一軒の衣料品店に入った。カランカラン。ドアを開けると、ムワッとした暖気と、羊毛の脂の匂いが私たちを迎えた。
「いらっしゃい。山越えかね?今日は冷えるよ」
店番のおかみさんが、編み物をしながら声をかけてきた。私はガブを背後に隠しつつ、店内を見渡した。
あるわあるわ。分厚い毛皮のコート、手袋、帽子。しかし、値札を見て私は眉をひそめた。高い。山麓の独占価格というやつだ。私たちには『硫黄結晶』を売った資金があるとはいえ、ここで散財するわけにはいかない。まだ旅は長いのだ。
「既製品は高いわね」
私は棚の隅にある、端切れのコーナーに目をつけた。そこには、コートを作るには少し足りないが、厚手で丈夫そうな毛織物の生地が積まれていた。
「おばさん、この生地と、あと針と糸を譲ってくれない?」
「あいよ。自分で縫うのかい?感心だねぇ」
私は比較的安価に、厚手のウール生地を二枚購入した。色は地味なグレーと茶色だが、保温性は抜群だ。店の隅を借りて、私は即席の仕立て屋になった。
「リゼ、何作るんだ?」
ガブが興味津々で覗き込んでくる。
「見てなさい。あなたのための特注防具よ」
私は生地を広げ、中央に頭を通すための穴を開けた。そして、風でバタつかないように脇の部分を紐で結べるように加工し、裾を少し丸く切り揃える。そう、ポンチョだ。袖を通す必要がなく、マントよりも体に密着し、何よりリュックを背負ったまま上から被れる。ゴブリンの独特な体型にもフィットするはずだ。
「はい、完成。着てみて」
私は茶色のポンチョをガブに被せた。スポッ。厚手の生地が、ガブの体を膝まですっぽりと覆った。
「おお」
ガブが自分を抱きしめるように腕を動かした。
「あったかい!これ、すごい!布団を着て歩いてるみたいだ!」
ポンチョの下にはリュックも、腰の棍棒も隠れている。首元からは愛用の赤いスカーフを出し、その上からフードを被れば、防寒対策は完璧だ。見た目も、ずんぐりむっくりとした茶色の精霊みたいで愛嬌がある。
「動きにくくない?」
「全然!腕、自由だ!」
ガブがブンブンと腕を回す。ポンチョの裾がひらひらと舞うが、重みがあるのですぐに元に戻り、冷気を遮断してくれる。
「よかった。私も着るわ」
私もグレーのポンチョを被った。即席の作りだが、驚くほど暖かい。自分の体温が逃げずに内部に留まるのがわかる。
店を出ると、相変わらず冷たい北風が吹いていた。けれど、今度は風が生地に弾かれる。
「へっちゃらだ!」
ガブがポンチョを広げて風に立ち向かった。
「来い、北風!オレは『毛布の勇者』だぞ!」
その姿は、まるでムササビか何かのようだ。私は思わず吹き出した。
「毛布の勇者って、強くなさそうね」
「強いぞ!寒くないのは最強だ!」
彼はニシシと笑い、私の周りをくるくると走り回った。その顔色は、さっきまでのどす黒い緑色から、健康的な明るい緑色に戻っていた。
私は『真実の眼』で、ガブを包むポンチョを見た。そこには、生地の物理的な温かさだけでなく、私の「彼を守りたい」という魔力のような意思が、淡い光となって織り込まれているように見えた。手作りのものには、心が宿るという。この不格好なポンチョは、どんな高級なコートよりも、私たちを温めてくれるはずだ。
「さあ、行くわよ。峠の入り口まで進みましょう」
「おう!リゼもお揃いだもんな!」
私たちは茶色とグレーの二つの塊となって、雪の舞い始めた街道を再び歩き出した。北風は相変わらず強く吹いているが、ポンチョの中で繋がった私たちの心までは、冷やすことはできなかった。
94:落ち葉のベッド
宿場町を抜けると、いよいよ本格的な山道が始まった。とはいえまだ急勾配ではない。緩やかな坂道が、針葉樹の森の中へと続いている。道は雪に覆われ始めているが、森の中に入ると、頭上の枝葉が雪を遮ってくれるため、地面はまだ土が見えていた。
日が暮れるのが早い。あっという間に森は闇に包まれた。
「今日はここで休みましょう」
私は大きなモミの木の下を野営地に選んだ。風が遮られ、比較的乾いている場所だ。
「でもリゼ、地面、冷たいぞ」
ガブが足で地面を突いた。確かに土は凍りついている。毛布を敷いても、底冷えで体力を奪われるだろう。テントなんて上等なものはない。
「火を焚けばなんとか……」
私が言いかけると、ガブが得意げに鼻を鳴らした。
「リゼは森のこと、まだわかってないな」
彼はポンチョを翻すと、周囲を見渡した。
「オレに任せろ。最高のベッドを作ってやる」
「ベッド?」
ガブは返事をせず、周囲の地面を這い回り始めた。何をしているのかと思えば、彼は大きな手で落ち葉をかき集めているのだ。カサカサ、ガサガサ。乾燥した落ち葉の山が、みるみるうちに大きくなっていく。
「手伝ってくれ!乾いてる葉っぱだ!濡れてるのはダメだぞ!」
言われるがままに、私も落ち葉集めに参加した。広葉樹の大きな葉、針葉樹の細い葉。森の地面には、秋の間に積もった分厚い絨毯がある。
十分ほどで、二人が埋まるくらいの巨大な落ち葉の山ができた。
「よし、これで完成だ」
ガブは満足げに頷くと、その山の中央に穴を掘り、「入れ」と顎でしゃくった。
「ここに入るの?虫とかいない?」
元公爵令嬢としての本能が、少しだけ抵抗する。しかし、寒さには勝てない。
「虫も寝てるよ。ほら、オレが先に入る」
ガブはポンチョごと落ち葉の山に潜り込んだ。頭だけを出して、みのむしのような状態になる。
「う〜ん、極楽。リゼ、早く!」
私は意を決して、ガブの隣に掘られた穴へと滑り込んだ。カサリ。落ち葉が体を包み込む。土の匂い。樹木の香り。そして――。
「温かい」
驚いた。ただの枯れ葉の集まりなのに、想像以上の保温力がある。葉と葉の間に空気の層ができ、それが断熱材となって冷気を遮断しているのだ。さらに、下層の葉がわずかに発酵しているのか、ほんのりと熱を帯びている気さえする。
「だろ?ゴブリンの知恵だ」
隣でガブがニシシと笑った。
「地面の冷たさは葉っぱが防いでくれる。上からは葉っぱの布団。これなら雪が降っても平気だ」
私は体の力を抜いた。屋敷のふかふかの羽毛布団とは違う。少しガサガサするし、硬い枝が当たることもある。けれど、この「大地の懐」に抱かれているような安心感は、何物にも代えがたかった。
見上げると、木々の枝の隙間から、星空が見えた。冷たく澄んだ冬の星々。手が届きそうなほど近く、そして鋭く輝いている。
「綺麗ね」
白い息と共に言葉が漏れる。
「ん。星、いっぱいだ」
ガブも上を見上げている。
「あの一番明るい星、オレのじいちゃんが言ってた。『導きの星』だって」
「へぇ、ゴブリンにも星座の伝承があるのね」
「北に行けば行くほど、あの星は高くなる。オレたち、間違ってないってことだ」
私たちは落ち葉の中で並んで星を見た。体は落ち葉の下で温まり、心は静寂に満たされている。
「リゼ」
「ん?」
「おやすみ」
「ええ、おやすみ、ガブ」
父の屋敷では、私はいつも緊張の中で眠りについていた。絹のシーツは冷たく、広い部屋は孤独だった。今は、泥と葉っぱまみれ。でも、隣には信頼できる相棒の寝息があり、背中には大地の温もりがある。
私は落ち葉を首元まで引き寄せ、深く息を吸い込んだ。森の匂いが肺を満たす。それは、自由の匂いだった。やがて、私の意識は深い眠りの底へと、ゆっくりと落ちていった。
95:焼き芋の季節
翌朝。目が覚めると、森は薄っすらと雪化粧をしていた。落ち葉のベッドの上に雪が積もっていたが、中はポカポカのままだ。
「寒ッ!」
這い出した瞬間、冷気が肌を刺した。慌ててポンチョを整え、火を起こす。ガブはまだ落ち葉の山の中で丸まっている。
「あと5分……」
という寝言が聞こえる。ゴブリンも二度寝するらしい。
私は朝食の準備に取り掛かった。昨日の宿場町で、珍しいものを手に入れていたのだ。『赤土芋』。この地方特有の根菜で、寒さに強く、甘みが強いのが特徴だという。
私は焚き火の熾火の中に、濡れた包装紙と耐火性の葉で包んだ芋を放り込んだ。じっくりと熱を通す。焦らず、急がず。
15分ほど経った頃だろうか。ガブがモゾモゾと落ち葉から這い出してきた。鼻をヒクつかせている。
「いい匂い」
彼は眠気眼で焚き火に近づいてきた。
「リゼ、朝から何を燃やしてるんだ?甘くて、焦げた匂いがする」
「おはよう、ガブ。朝ごはんよ」
私は木の枝で、灰の中から黒い塊を転がし出した。
「石か?」
「違うわよ。見てて」
私は厚手の手袋をして、熱々の塊を拾い上げた。包んでいた葉を剥がすと、湯気と共に鮮やかな赤紫色の皮が現れた。そして、それを二つに割る。
パカッ。
立ち上る白い湯気。その中から現れたのは、黄金色に輝くホクホクの中身だった。とろりとした蜜が滲み出し、甘い香りが爆発的に広がる。
「うおおおおっ!」
ガブが一気に覚醒した。
「なんだそれ!中から金が出てきた!」
「『焼き芋』よ。熱いうちに召し上がれ」
私は半分をガブに手渡した。
「あちちちっ!」
ガブは手玉に取るように芋を持ち替えながら、フーフーと息を吹きかけた。そして、我慢できずにガブリ。
「はふっ、ほふっ!」
彼は口の中で熱い塊を転がし、そして目を細めた。
「んん〜〜っ!」
言葉にならない声。
「甘い!すごい甘い!昨日のミルクより甘い!そしてホクホクだ!」
「でしょう?寒いところで育った芋は、凍らないようにデンプンを糖に変えるのよ。だから甘くなるの」
私も一口食べる。ねっとりとした食感。濃厚な甘み。冷え切った朝の空腹に、これ以上の贅沢はない。口の中が幸せで満たされ、その熱が食道を通って胃袋に落ちていく感覚が愛おしい。
「うまい……ゴブリンやってて良かった……」
ガブがしみじみと言った。彼は皮ごと食べているが、それもまたワイルドで美味しそうだ。
「公爵家ではね、こういう食事は『下品』だとされていたわ」
私はふと思い出して言った。
「芋は裏漉しされて、冷たいスープや、小さな飾りのような料理になって出てきた。手づかみで、灰まみれになってかぶりつくなんて、考えられなかった」
「もったいないな」
ガブが口の周りを黄色くしながら言った。
「こうやって食べるのが、芋への礼儀だろ。芋も喜んでる」
「ええ、本当にそうね」
私は黄金色の芋を見つめた。あの煌びやかな食卓よりも、この灰だらけの朝食の方が、何倍も「生きている」味がする。私は皮についた少しの焦げ目も一緒に食べた。香ばしい苦味が、甘さを引き立てる。
「リゼ、もう一個ないか?」
「あるわよ。今日はこれから山登り本番だから、しっかりエネルギーを補給しないとね」
私たちは並んで座り、ハフハフと白い息を吐きながら、熱々の焼き芋を頬張った。森の木々から雪が落ちる音がする。静かで、寒くて、でも最高に温かい朝。
この「焼き芋の季節」の記憶は、きっとこれから先の厳しい旅路の中で、私を支える温かな思い出の一つになるだろう。お腹がいっぱいになると、体の中から力が湧いてくるのを感じた。
「よし!食った!行くぞ、山越えだ!」
ガブがポンチョをなびかせ、元気よく立ち上がった。
「ええ、行きましょう」
私は焚き火の始末をし、リュックを背負った。目指すは北嶺山脈の峠。甘い時間の後は、厳しい試練が待っている。でも、今の私たちなら、きっと越えられる。




