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旅の友に選んだのはゴブリンでした  作者: 竜神
第2章:街道を行く、影を隠して

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29/61

EP28

81:新しい靴


ふところにある金貨袋の重みが、これほどまでに心強いものだとは知らなかった。闇市の古道具屋を出た私たちは、腐敗臭の漂う裏通りを抜け、一般市民が行き交う市場の端へと移動していた。


まだ完全に気を抜くわけにはいかない。私はフードを目深に被り、ガブは雨除けのマントで全身を隠している。だが、今の私たちには「客」としての権利がある。


「まずは靴よ」


私は石畳の上で立ち止まり、自分の足元を見下ろした。公爵家から逃げ出した時に履いていた革のブーツは、もはや限界を迎えていた。泥と水に浸かり続け、革はひび割れ、ソール(靴底)はパックリと口を開けている。歩くたびにパカパカと情けない音がし、小石が入り込んで痛い。これでは、いざという時に走れない。逃亡者にとって、足は命だ。


「靴?リゼのそれ、ボロボロだもんな」


マント姿のガブが、足元の「口を開けたブーツ」を見て言った。


「ワニみたいだ。歩くたびに噛み付いてる」

「笑い事じゃないわ。新しい靴がないと、この先一歩も進めない」


私は市場の端にある、庶民向けの靴屋に目星をつけた。高級店ではないが、職人が店先でトンテンカンと革を叩いている、実直そうな店だ。


「いらっしゃい。修理かい?それとも新品かい?」


店主の初老の男が、作業の手を止めて顔を上げた。私の汚れたローブ姿を見ても、眉をひそめたりはしない。市場には旅人や冒険者も多く出入りするからだ。


「新品を。丈夫で、長く歩けるものを頼むわ」


私は声を低くして言った。


「サイズはこれくらい。すぐに履いていきたいの」

「あいよ。お嬢さん、足が細いね。こっちの編み上げブーツがいいだろう。底に厚いゴムを貼ってあるから、岩場でも滑らないよ」


店主が出してくれたのは、飾り気のない焦げ茶色のブーツだった。貴族時代に履いていた刺繍入りの繊細な靴とは違う。無骨で、革の匂いが強い。だが、『真実の眼』で見ればわかる。そこには職人の『誠実』な仕事の色が宿っていた。手抜きのない、命を預けるに足る道具だ。


私は古いブーツを脱ぎ捨て、新しい足を通した。キュッ。足首までしっかりと包み込まれる感覚。立ち上がって足踏みをしてみる。地面の硬さが直接伝わってこない。クッションが効いていて、まるで雲の上を歩いているようだ――というのは言い過ぎだが、それくらい劇的な変化だった。


「すごい。これならいくらでも歩けそう」


私が感嘆の声を漏らすと、店主はニカッと笑った。


「良い靴は、持ち主を良い場所へ連れて行ってくれるもんさ」


その言葉が、胸に染みた。良い場所。私たちが目指す、追っ手のいない自由な天地。この靴なら、そこまで連れて行ってくれるかもしれない。


「これにするわ。いくら?」

「銀貨5枚だ」


適正価格だ。私は金貨を崩して支払った。ついでに、予備の靴下と、ガブのための……と思ったが、彼は首を横に振った。


「オレ、靴、いらない」


マントの下で、ガブがモゾモゾと足を動かした。


「足、ムレる。地面の感触、わからなくなる。ゴブリン、裸足が一番」


確かに、彼の足裏は革のように硬く進化している。森の中であれだけ俊敏に動ける彼に、人間の靴は逆にかせになるかもしれない。私は無理強いはしなかった。


「ありがとう、親父さん。古い靴は処分しておいて」

「まいどあり。気をつけてな、旅人さん」


店を出て、新しい靴で石畳を踏みしめる。カツ、カツ、カツ。足音が軽快だ。背筋が自然と伸びる。足元が固まると、心まで強くなった気がする。


「リゼ、速い。歩くの、速くなった」


ガブが小走りでついてくる。


「いい音するな。強そうな音だ」

「ええ。もう逃げ回るだけの私じゃないわ」


私は拳を握った。靴を買っただけ。それだけの行為が、私の中で「追われる令嬢」から「旅する冒険者」への切り替えスイッチになった気がした。


次は衣服だ。私は近くの古着屋で、目立たない色のチュニックとズボン、それに厚手のフード付きローブを購入した。ドレスやスカートはもう卒業だ。動きやすさと防寒性を最優先にする。裏の試着室で素早く着替える。鏡(といっても磨いた銅板だが)に映った自分は、どこにでもいる地味な少年のようだった。銀髪を帽子の中に押し込めば、遠目には女性とはわからないだろう。


「よし、完璧」


私は満足げに頷いた。これで町中を歩いても、すぐに通報されることはないはずだ。

店を出ると、ガブが軒先でじっと何かを見つめていた。その視線の先にあるのは、屋台から立ち上る白い湯気だ。


「いい匂い」


ガブが喉を鳴らす音が聞こえた。そういえば、昨日の夜からリンゴと干し肉の切れ端しか食べていない。


「ガブ」


私が声をかけると、彼はハッとして振り返った。


「あ、リゼ。すごい、人間みたいだ。あ、人間だったな」

「変な感想ね。それより、お腹空いたでしょう?」


私は屋台の方へ顎をしゃくった。


「装備も大事だけど、燃料補給も大事よ。それに、今の私はお金持ちだからね」

「肉!食うか!?」

「ええ。一番大きいのを買いましょう」


新しい靴が、私を美味しそうな匂いのする方へと導いてくれた。店主の言葉は正しかったようだ。


82:ガブにも何か


市場の片隅にある串焼き屋台。そこから漂う脂とスパイスの香りは、空腹の私たちにとって暴力的なまでの魅力を持っていた。


「おやじさん、この串焼き、二本ちょうだい。一番大きくて、よく焼けてるやつを」

「あいよ!」


私は銅貨を数枚払い、熱々の串焼きを受け取った。なんの肉かは不明だが、甘辛いタレがたっぷりとかかっている。私は人目のつかない路地裏へ移動し、一本をガブに渡した。


「ほら、ガブ。熱いから気をつけて」

「うおおおお!」


ガブは串焼きを両手で拝むように受け取った。マントのフードの下、彼の目が潤んでいるように見えた。


「いただきまーす!」


ガブッ!彼は豪快にかぶりついた。咀嚼そしゃくするたびに、「んー!んー!」と喜びの声を上げる。


「うまい!柔らかい!焼いた肉、最高!タレ、神の味!」


口の周りをタレだらけにして喜ぶ姿は、無邪気な子供のようだ。私も一口かじる。香ばしい肉汁が口いっぱいに広がる。久しぶりのまともな温かい食事に、胃袋が歓喜の声を上げた。生き返る心地だ。


「ふぅ……美味しかった」


あっという間に平らげ、私たちは満足感に浸った。だが、まだやるべきことがある。私は懐の金貨袋を確かめた。まだ十分に残っている。


「ねえ、ガブ」


私は串をゴミ箱に捨てながら切り出した。


「あなたにも、何か買ってあげたいの」

「オレに?」


ガブが最後の肉片を舐めとりながら首を傾げた。


「肉、食ったぞ?もう十分だ」

「食事じゃなくて、装備よ。ずっとそのマント姿じゃ動きにくいでしょう?」


現在、ガブは私の古い雨除けマントを被っている。変装としては優秀だが、戦闘時には邪魔になるし、サイズも合っていない。何より、中身は腰布一丁の裸同然だ。これからの旅、北へ向かえば寒くなる。彼にもちゃんとした装備が必要だ。


「武器屋に行く?もっといい棍棒とか、鉄の剣とか」


私が提案すると、ガブは即座に首を横に振った。


「いらない。オレ、この木の棒がいい。手に馴染む。鉄の剣、重いし、手入れ面倒くさい」


彼は腰に差した愛用の棍棒をポンと叩いた。


「それに、この『鍋のふたの盾』。これ最強。ピカピカだし、軽いし、いざとなったらスープも飲める」


実用主義の極みだ。確かに、ゴブリンの体格に合う人間用の武器は少ないし、使い慣れた道具が一番なのは理解できる。


「じゃあ、防具は?革の鎧とか」

「動きにくい。オレ、避けるの得意。硬い服着てたら、当たっちゃう」

「うーん」


私は腕組みをした。彼は何も欲しがらない。それが無欲だからなのか、自分のスタイルへのこだわりなのか。でも相棒として、彼が私のために体を張ってくれたことへの「形」が欲しかった。ただの主従関係や、利害関係ではない。私たちはパートナーなのだという証が。


「ガブ、寒くはないの?」

「ゴブリン、寒さに強い。でも風が吹くと、首元がスースーする」


彼は首をすくめた。そういえば、ゴブリンは首が太く短い。そこが急所でもある。


「首元ね……」


私はふと、向かいの露店に目を留めた。そこは古着や布切れを扱っている店だった。色とりどりの布が風になびいている。その中で、一際目を引く色があった。


「ねえ、あれはどう?」


私が指差すと、ガブもつられてそちらを見た。


「あの、赤い布?」

「そう。スカーフよ」


鮮やかな真紅のスカーフ。少し色褪せているが、生地はしっかりしていそうだ。緑色の肌に、赤色はよく映えるはずだ。補色関係にある色は、お互いを引き立て合う。


「赤……」


ガブが呟いた。


「赤蛇団の色だ。敵の色だ」

「そうね。でも、赤は『情熱』の色でもあるし、『英雄』の色でもあるのよ」


私は彼の目を見て言った。


「物語に出てくる勇者は、赤いマントをつけていることが多いの。強くて、カッコいい証よ」


その言葉に、ガブの耳がピクリと動いた。


「カッコいい?英雄?」

「ええ。あなたは私を守ってくれた勇者ヒーローだもの。似合うと思うわ」


ガブは口を少し開けて、赤い布をじっと見つめた。『真実の眼』で見える彼の色が、興味と憧れでキラキラと輝き始める。彼は「モノ」には興味がないが、「カッコよさ」や「強さの象徴」には弱いのだ。


「オレ……勇者……」


彼はゴクリと唾を飲み込んだ。


「リゼ、あれ高いか?」

「金貨袋があるから大丈夫。見てみましょう」


私たちは露店へと近づいた。ガブの足取りが、先ほどよりも少しだけ弾んでいるように見えた。


83:赤いスカーフ


露店の店主は、無愛想なおばさんだった。私たちが赤いスカーフを手に取ると、「銅貨10枚だよ」とぶっきらぼうに言った。少し高い気もしたが、生地は絹混じりの上等なものだ。誰かのお古だろうが、洗濯はされている。


「これをください」


私が硬貨を渡すと、おばさんは驚いたように眉を上げたが、すぐに金を受け取った。

私はスカーフを手に持ち、ガブに向き直った。人通りの少ない建物の陰に入る。


「ガブ、ちょっとマントの前を開けて」

「お、おう」


ガブが言われた通りにすると、私は彼のごわごわした首に、その赤いスカーフを巻き付けた。きつすぎず、緩すぎず。端を少し長めに残して結ぶ。


「どう?苦しくない?」


私が尋ねると、ガブは首を左右に振った。


「ううん。温かい。守られてる感じがする」


彼は手でスカーフの感触を確かめ、そして私に背を向けて、ショーウィンドウ代わりのガラスに自分の姿を映した。


そこには、マントの襟元から鮮烈な赤色を覗かせる、小さな戦士の姿があった。緑色の肌に、赤がよく映える。ただの薄汚れたモンスターではない。意志を持ち、物語を持つ、一人のキャラクターに見えた。


「おお」


ガブが小さな声を上げた。


「なんか強そうだ。普通のゴブリンじゃないみたいだ」

「ええ、とっても似合ってるわ」


私は心から言った。


「それが私たちのチームの証よ。この先はぐれそうになっても、その赤色ですぐに見つけられる」


ガブは照れくさそうに鼻をこすり、それから胸を張ってポーズをとった。腰に手を当て、風にスカーフをなびかせるイメージだろうか。


「オレ、決めた。これ、一生外さない」


ガブが宣言した。


「寝る時も、食べる時も、戦う時も。これはリゼがくれた『勇者の証』だ」

「ふふ、たまには洗濯してね」


私は笑った。彼は本当に単純で、愛すべき相棒だ。金貨や宝石よりも、この布切れ一枚をこんなに喜んでくれるなんて。


「リゼ、ありがとう」


ガブが真っ直ぐに私を見上げた。その瞳には、かつて私に向けられていた警戒心や、ただの食欲といった色はもうない。絶対的な『信頼』の黄金色が、そこにあった。


「オレ、強くなる。この赤いやつに負けないくらい、もっと強くなって、リゼを守る」

「期待してるわ、相棒」


私は彼の手を握った。


用事は済んだ。必要なものは全て揃った。丈夫な靴、動きやすい服、旅の資金、そして満たされた胃袋。何より、お互いへの信頼を形にするアイテム。


「さあ、行きましょう。長居は無用よ」


私はフードを被り直した。『ザリア』の町での目的は果たした。これ以上留まれば、匂いを嗅ぎつけた『赤蛇団』か、あるいは怪しんだ衛兵に見つかる可能性がある。


「次はどっちだ?北か?」


ガブがスカーフをなびかせて(自分で手で持ってはためかせて)尋ねる。


「ええ。北の国境、『鉄壁の関所』を目指すわ。そこを越えれば、隣国よ」


隣国へ行けば、父の手も、『赤蛇団』の手も届きにくくなる。本当の自由への第一歩だ。

私たちは市場の雑踏に紛れ、町の北門へと向かった。足元の新しいブーツが、カツカツと力強いリズムを刻む。隣には、赤いスカーフを巻いた奇妙な相棒。


すれ違う人々は、私たちをただの小柄な旅人だと思って見過ごしていく。まさか、公爵令嬢とゴブリンの二人旅だなんて、誰も想像しないだろう。


北門を出ると、冷たい風が吹き抜けた。ガブのスカーフが、今度は本当に風を受けてパタパタとはためいた。その赤色は、灰色の空の下で、小さな希望の灯火のように燃えていた。


「行くぞ、リゼ!冒険の始まりだ!」

「もう始まってるわよ。でも、そうね。ここからが本番かもね」


私たちは視線を交わし、街道へと足を踏み出した。背後の町が、少しずつ小さくなっていく。もう、振り返ることはなかった。

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