EP21
60:鍋のふたの盾
雨上がりの翌日。私たちは街道から少し外れた森の中で、出発の準備をしていた。ガブは昨日の「毒キノコ騒動」ですっかり元気を取り戻し、今は手頃な木の枝を拾ってブンブンと振り回している。
「リゼ、これいい音する。スイング軽い」
彼は新しい武器(ただの棒)にご満悦だ。だが、私は気になっていたことがあった。ガブの装備が貧弱すぎるのだ。
彼の武器は、白い骨の棍棒と、腰に差したナイフだけ。防具に至っては、ボロボロの腰布と、私が渡した古着のシャツだけだ。ゴブリンの皮膚は人間より少し丈夫だが、それでも剣や矢を受ければ血が出る。
「ガブ、盾はいらないの?」
私が尋ねると、ガブは顔をしかめた。
「盾?いらない。邪魔。重い。動き鈍くなる」
「でも、昨日の雨宿りの時、寒かったでしょ?それに、もし悪い人間や魔物に会ったら、避けるだけじゃ限界があるわ」
ガブは鼻を鳴らした。ゴブリンの戦法は「避けて殴る」が基本らしい。防御という概念があまりないのだ。でも、相棒としては心配だ。
「何か、身を守るものが欲しいわね……」
私は荷物を広げた。重厚な鉄の盾なんて持っていないし、あったとしてもガブは使わないだろう。軽くて丈夫で、彼が気に入るもの。
視線が、昨夜スープを作った「鍋」に止まった。市場で安く買った、鋳鉄製の黒い鍋。その横に転がっている、ずっしりとした木の「ふた」。
「これだわ」
私は鍋のふたを手に取った。厚みのある堅い木でできていて、裏には補強の鉄板が打ち付けられている。サイズはガブの上半身を隠すのにちょうどいい。
「ガブ、ちょっと来て」
「ん?飯か?」
ガブが寄ってくる。私は彼にふたを押し付けた。
「これを持って」
「鍋のふた?」
ガブは不思議そうにそれを持った。私は予備の皮ベルトを取り出し、ふたの取っ手に巻き付けて、腕を通せるように加工した。即席のラウンドシールド(円盾)の完成だ。
「どう?腕にはめてみて」
ガブは渋々、左腕を通した。サイズはぴったりだ。
「なんか変」
彼は腕を振ってみた。重さはそれなりにあるが、鉄の盾よりはずっと軽い。
「匂い、嗅いでみて」
私が言うと、ガブはふたに鼻を近づけた。クンクン。彼の表情がパッと明るくなった。
「これ、いい匂い!昨日のスープの匂い!肉の匂い!」
「でしょう?使い込んだ鍋のふただもの」
普通の防具は、鉄や油、あるいは他人の汗の臭いがして、野生のガブは嫌がる。でも、これは「食べ物」の匂いが染み付いている。彼にとって、これほど安心できる香りはない。
「これいい。落ち着く」
ガブはふたの裏側をペロリと舐めた。
「味もする」
「舐めちゃだめよ。でも、気に入った?」
「ん。気に入った。これオレの皿。兼、盾」
彼は嬉しそうに左腕を構え、右手の棍棒でふたをコンコンと叩いた。いい音がする。防御力も、木の矢や粗末な剣程度なら弾き返せそうだ。
「名前つける。『メシ守り(メシモリ)』」
「メシ守り……。まあ、いい名前ね」
守るのは飯じゃなくてあなたの命なんだけど、と私は心の中で突っ込んだ。
「よし、メシ守り、装備完了!リゼ行くぞ!」
ガブは左腕に鍋のふたを装着したまま、勇ましく歩き出した。見た目はかなり滑稽だ。緑色の小鬼が、鍋のふたを構えて行進しているのだから。でも、私の『真実の眼』には、彼の心の色が『満足』の黄金色に輝いているのが見えた。
装備は一流じゃなくていい。使い手がそれを信じられるかどうかが大事なのだ。鍋のふたの騎士様、どうかその盾で、降りかかる火の粉(と食欲)を守ってくださいね。
61:行商人の馬車
西への街道を進んで三日目。私たちは「わき道」と「本道」を行ったり来たりしながら進んでいた。基本は森の中の獣道を歩き、地形が険しくなると街道に戻る。その繰り返しだ。
その日の昼下がり、私たちは街道沿いの藪の中に潜んでいた。音がしたからだ。ガラガラガラ。乾いた車輪の音。そして重そうな蹄の音。
「人間だ」
ガブが耳をピクリと動かし、声を潜めた。
「一人じゃない。馬一頭。車一台。人間、一人」
私たちは茂みの隙間から、街道を覗き見た。やってきたのは一台の幌馬車だった。立派な商隊ではない。幌は継ぎ接ぎだらけで、馬も痩せている。御者台に座っているのは、初老の男だった。疲れた顔をしている。
私の『真実の眼』が、男の感情を捉える。色は『焦燥』の灰色と、『諦め』のくすんだ青色。そして、荷台の方からわずかに『希望』の黄色い光が漏れている。
「ただの行商人ね。でも、何か急いでいるみたい」
私が分析すると、ガブが舌なめずりをした。
「リゼ、あいつ襲うか?」
「は?」
「弱そう。荷物いっぱい。食い物ある。オレが行けば、一発」
ガブがナイフを抜こうとする。私は慌てて彼の手を押さえた。
「だめよ!私たちは山賊じゃないの!」
「でも人間だぞ?敵だろ?」
「敵じゃない人間もいるの。それにここで騒ぎを起こしたら、私たちがここにいるってバレるでしょ」
ガブは不満そうに口を尖らせた。
「チェッ。せっかくの獲物」
「我慢して。やり過ごしましょう」
私たちは息を殺して、馬車が通り過ぎるのを待った。しかし、運命は意地悪だった。
ガタンッ!大きな音がして、馬車が傾いた。一昨日の雨でぬかるんだ泥に、左の車輪が深く取られてしまったのだ。
「あっ、くそっ!」
御者の男が声を上げ、馬車から飛び降りた。彼は車輪を押したり、馬を引いたりしているが、泥にはまった車輪はびくともしない。
「困ったことになったわね……」
このままでは彼はここに居座ることになる。私たちが動くに動けない。
「リゼ見て。あいつ弱い」
ガブが冷静に観察している。
「腰、痛めてる。力ない。あれじゃ無理」
男は膝に手をつき、天を仰いだ。その背中から漂う『絶望』の色が濃くなる。見ていられない。でも、出ていって助けるわけにもいかない。ゴブリンを連れた女なんて、怪しさ満点だ。
その時、風に乗って妙な匂いが漂ってきた。ガブが鼻をひくつかせ、表情を硬くした。
「嫌な匂い」
「え?」
「獣じゃない。人間でもない。『混ざりもの』の匂い」
ガブの瞳孔が細くなり、狩人の目に変わった。
「来るぞ。血の匂いさせた奴らが」
私の『真実の眼』も、遠くから近づいてくる不穏な気配を捉えた。街道の向こう、森の奥から。ドス黒い『悪意』のオーラが、三つ、四つ。山賊か?それとも野良の魔物か?行商人の男は、自分の不運を嘆くのに夢中で、迫りくる危機に気づいていない。
「ガブ、どうする?」
私が聞くと、ガブはニヤリと笑い、左腕の鍋のふたを構えた。
「襲うのはダメ、言われた。でも、『守る』ならいいか?」
「ええ。ただし、顔は見られないようにね」
「わかってる。影からドン!だ」
ガブは低い姿勢になり、茂みの中を音もなく移動し始めた。私もフードを目深に被り、杖を握りしめて後を追った。通りすがりの行商人を救う義理はない。でも、目の前で一方的に殺されるのを見過ごせるほど、私はまだ悪党になりきれていないようだった。
62:荷台の陰から
行商人の男が、泥まみれになりながら車輪と格闘している。その背後に、森の影から四つの影が忍び寄っていた。
小汚い革鎧を着た男たち。手には錆びた剣や斧。山賊崩れか、あるいは脱走兵か。私の『真実の眼』には、彼らの殺気――『殺戮』の赤黒い色――がはっきりと見えた。彼らは交渉などする気はない。殺して奪うつもりだ。
「おい、じいさん」
先頭の男が声をかけた。行商人がビクリとして振り返る。
「ひっ!」
「運が悪いな。いや、俺たちに会えたんだ、運がいいのか?」
男たちが下卑た笑いを浮かべて包囲網を縮める。
行商人は腰を抜かし、馬車の車輪にへたり込んだ。
「命だけは……荷物は全部やるから!」
「命も荷物もいただくさ。面倒だしな」
男が剣を振り上げた。その瞬間。
ヒュッ――ガンッ!
茂みから飛んできた石礫が、男の手首を正確に打ち抜いた。
「ぐあっ!?」
男が剣を取り落とす。
「誰だ!?」
山賊たちが周囲を警戒する。その隙を見逃すガブではない。
「グルァッ!」
低い唸り声と共に、馬車の荷台の下から小さな影が飛び出した。影は目にも止まらぬ速さで、一番近くにいた山賊の脛を、白い棍棒でフルスイングした。
バキッ!
「ギャアアアアッ!」
山賊が悲鳴を上げて転がる。
「なんだこいつ!?ガキか!?」
「小さい!見えない!」
ガブは止まらない。彼は荷台の下、車輪の陰、馬の腹の下と、死角から死角へと飛び回りながら攻撃を仕掛ける。姿をはっきり見せない。見えるのは、緑色の残像と、たまに見える黒い円盤――鍋のふただけだ。
「くそっ、このチビ!」
一人の山賊が、ガブの動きを読んで斧を振り下ろした。避けきれない!
ガキンッ!
鈍い金属音が響いた。ガブが掲げた「鍋のふた」が、斧の一撃を受け止めていた。厚い木と鉄板の複合装甲は、伊達ではない。
「硬ぇ!?」
山賊が驚愕した隙に、ガブはふたを盾としてではなく、打撃武器として男の顎に叩きつけた。
「メシ守り、パァァァンチ!」
ゴッ、という音と共に男が白目を剥いて倒れる。
残るは二人。私は茂みの中から杖を向けた。直接攻撃魔法は目立つ。あくまで自然な現象を装う。
「光よ」
杖先から、瞬間的に強烈な閃光を放った。カッ!カメラのフラッシュのような光が、薄暗い森で炸裂する。
「うわっ!目が!」
「なんだ今の!?」
山賊たちが目を押さえて怯む。その隙にガブが背後から足を払い、二人の頭同士をゴンッとぶつけた。見事な手際だ。
ものの数十秒で、四人の山賊は地面に伸びていた。行商人の男は、何が起きたのか理解できず、ポカンと口を開けて震えている。
「妖精……?」
男が呟いた。緑色の肌、小さな体。恐怖のあまり、彼の脳内でガブが「森の妖精」に変換されたらしい。
ガブは倒れた山賊の懐をまさぐり、小銭入れをひとつ掠め取ると、私の方へダッシュで戻ってきた。そして、去り際に馬車の後輪を、ドン!と力いっぱい蹴り上げた。
ガコンッ。その衝撃で、泥にはまっていた車輪が浮き上がり、乾いた地面へと転がり出た。
「ひっ……!」
行商人が悲鳴を上げるが、ガブはもう茂みの中だ。
「行くぞリゼ」
ガブが私の手を引く。私たちは音もなくその場を離れ、森の奥へと消えた。
背後で、行商人の声が聞こえた。
「あ、ありがとうございます!森の神様!」
神様扱いだ。私は走りながら吹き出しそうになった。鍋のふたを持った、食いしん坊のゴブリン神様。まあ、悪くない称号かもしれない。
「ガブ、かっこよかったわよ」
「ん。あいつら遅い。止まって見えた」
ガブは奪った小銭入れをチャリチャリと鳴らして笑った。
「これ報酬。あとで何かうまいもの、買おう」
「ちゃっかりしてるわね」
私たちは街道から離れ、再び安全な獣道へと戻った。手助けをしたことで、少しだけ足取りが軽い。誰かに追われるだけの逃亡者じゃない。私たちは、誰かを助ける力も持っている。その事実は、これからの長い旅路において、私の心の小さな支えになりそうだった。




