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旅の友に選んだのはゴブリンでした  作者: 竜神
第2章:街道を行く、影を隠して

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EP20

57:解毒魔法の練習


廃屋の中に、パチパチという焚き火の音だけが響いている。夜は深い。ガブは毛布にくるまり、荒い呼吸を繰り返しながら眠っていた。炭の粉を飲ませたことで最悪の峠は越えたようだが、まだ顔色は悪く、時折苦しげに眉を寄せている。


私は彼の手を握ったまま、自分の無力さを噛み締めていた。応急処置はできた。でも、それはあくまで毒を「出した」だけだ。体内に回ってしまった微量の毒素までは、炭では消せない。『真実の眼』で見ると、ガブの緑色の肌の下に、まだ薄く紫色のもやがこびりついているのが見える。これが彼を苦しめているのだ。


「魔法があれば」


私は腰のポーチから、短い杖を取り出した。公爵家にいた頃、教養として少しだけ魔法を習ったことがある。でも、私が得意だったのは物を浮かせたり、小さな灯りをともしたりする生活魔法だけだった。治癒魔法や解毒魔法は、高位の聖職者や専門の魔術師が使うもので、私には縁がないと思っていた。


でも今は違う。この過酷な旅路で、ガブに頼りきりではいけない。彼が倒れた時、私が彼を支えられなければ、二人とも野垂れ死ぬだけだ。


「思い出して……教科書に書いてあったこと」


私は記憶の引き出しを必死に漁った。解毒魔法『キュア・ポイズン』。複雑な呪文よりも、重要なのは「イメージ」だと先生は言っていた。体内の異物を特定し、それを魔力で分解し、浄化するイメージ。


普通の人には、体内の毒なんて見えない。だから習得が難しい。でも私には『真実の眼』がある。私には、毒が「どこに」「どんな色で」あるかがはっきりと見えているのだ。


「できるはず。私なら」


私は杖をガブの胸元にかざした。深呼吸をする。自分の中にある微弱な魔力を、杖の先に集める。


――狙うのは、心臓の周りにまとわりつく紫色の霧。――あれを、光で洗い流す。綺麗な水で、泥を流すように。


浄化せよ(ピュリファイ)


小さく詠唱する。杖の先が、ポッと淡い光を放った。蛍のような、頼りない光だ。


私はその光を、ガブの胸へと押し込んだ。光が皮膚を透過し、体内へと染み込んでいく感覚。『真実の眼』を通して、光と霧が衝突するのが見えた。ジジッ、と音が聞こえた気がした。


紫色の霧が、少しだけ薄くなった。でも消え切らない。私の魔力が足りないのか、イメージが弱いのか。


「もう一度」


額に汗が滲む。魔力を使うと精神力が削られる。頭がズキズキと痛む。けれどガブの苦しそうな顔を見ていると、休むわけにはいかなかった。


「消えろ。悪いもの全部、消えろ」


祈りを込めて再び杖を振るう。今度は、さっきよりも強い光が灯った。その光は、温かいお湯のようにガブの体を包み込んだ。


ガブの体がビクリと震えた。そして大きく息を吐き出すと、その表情がふっと緩んだ。心臓周りの紫色の靄が、私の光に溶かされ、キラキラとした粒になって消滅していく。


「やった?」


私は目を凝らした。完全に消えたわけではない。手足の末端にはまだ毒が残っている。でも、命に関わる主要な器官からは、毒の気配が消えていた。心臓の鼓動を示す赤い色が、力強いリズムを取り戻している。


「はぁ……はぁ……」


私は杖を取り落とし、その場に突っ伏した。視界がぐるぐると回る。魔力切れだ。たったこれだけのことで、こんなに疲れるなんて。回復魔法使いがいかに凄いか、身にしみてわかった。


でも、成果はあった。ガブの寝息が、苦しげな喘鳴ぜんめいから、安らかな寝息へと変わっている。


「よかった」


私はガブの布団の端を直し、そのまま彼に寄りかかるようにして目を閉じた。私の体温と、彼の体温が混ざり合う。ゴブリンの体温は人間よりも少し高い。それが今は、何よりも心地よい暖炉のように感じられた。


明日、彼が起きたら驚くだろうか。それとも、「当然だ」と鼻を鳴らすだろうか。どちらでもいい。彼が生きていてくれれば、それだけで。私は泥のような眠りへと落ちていった。


58:復活と食欲


翌朝、私は猛烈な「音」で目を覚ました。グゥゥゥゥゥ――キュルルルル――!雷かと思った。いや、地鳴りかもしれない。私は飛び起きて、周囲を見回した。音源は、私のすぐ隣にあった。


「腹、減った……」


ガブが、恨めしそうな声で呻いていた。彼は上半身を起こし、自分のペチャンコになったお腹をさすっている。顔色は、昨夜の土気色が嘘のように、健康的な深緑色に戻っていた。瞳の黄色い光も、ギラギラと復活している。


「ガブ!気がついたのね!」


私が抱きつこうとすると、彼は鼻をひくつかせて私を押しのけた。


「リゼ、飯。飯どこ?」


第一声がそれか。私は苦笑いしながらも、安堵で涙が出そうになった。食欲があるのは元気な証拠だ。


「昨日採った『ウマ草』と、あと『アマイモ(本物)』があるわ。すぐに焼くから」

「遅い!生でもいい!」

「だめ!またお腹壊すわよ!」


私は彼を制止し、急いで焚き火を大きくした。昨日の残りのスープを温め直し、そこに安全だと確認された芋や草を放り込む。ガブは鍋の前で正座し、じりじりと煮えるのを待っていた。その姿は、餌を待つ忠犬そのものだった。


「はい、どうぞ」


私が器によそうや否や、ガブは熱さも気にせず掻っ込んだ。ガツガツ、ムシャムシャ。凄い勢いだ。噛んでいるのかどうかも怪しい。


「おかわり!」

「早いわよ」


二杯目、三杯目。彼の小さな体のどこにそんなに入るのか不思議になるほど、彼は食べ続けた。


「ふぅー」


鍋が空っぽになって、ようやく彼は満足げに腹を叩いた。


「生き返った。毒、抜けた」

「本当によかったわ。一時はどうなるかと思ったのよ」


私が言うと、ガブはバツが悪そうに視線を逸らした。


「オレ、ドジ踏んだ。カッコ悪い」

「そうね。でも生きててくれてよかった」

「リゼ、助けた。オレ覚えてる」


ガブは真面目な顔で私を見た。


「苦い水、飲ませた。あと……夜、光った。温かい光、胸に入った。あれ魔法か?」


バレていたらしい。意識が朦朧としていても、感覚は鋭いのだ。


「ええ。少しだけね。解毒のまねごとをしてみたの」

「すごい」


ガブが短く言った。彼は私の杖を指差し、尊敬の眼差しを向けた。


「リゼ、ただのメスじゃない。シャーマンだ」

「シャーマン?」

「部族の、祈祷師きとうし。病気、治す。呪い、かける。一番偉い」


ゴブリン社会では、魔法を使える者は特別な地位にあるらしい。私は「一番偉い」という響きに少しだけ優越感を感じた。


「ふふ、そうね。これからは私の言うことを聞かないと、呪いをかけちゃうかもよ?」

「う……それ困る」


ガブは本気で怯えた顔をした後、ニカッと笑った。


「でもいい。リゼ強い。オレ強い。二人なら最強」


彼は立ち上がり、屈伸運動をした。関節がポキポキと鳴る。毒の影響はもうなさそうだ。ゴブリンの回復力には呆れるばかりだ。


「よし行くぞ。昨日休んだ。今日、倍歩く」

「ええっ、倍は無理よ!」

「うるさい。リゼ、歩け。オレ、エネルギー満タン」


ガブは白い棍棒を振り回し、元気いっぱいに廃屋を飛び出した。私は慌てて荷物をまとめ、彼の後を追った。やれやれ。元気になったのは嬉しいけれど、この暴君ぶりも復活してしまったらしい。でも、彼の背中が昨日より大きく、頼もしく見えるのは気のせいではないだろう。私は杖を握りしめ、西への道を急いだ。


59:通り雨の午後に


午後になると、西の空から分厚い灰色の雲が流れてきた。風が生温かくなり、湿った土の匂いが強くなる。


「雨来る」


ガブが空を見上げて言った直後、ポツリ、ポツリと大粒の雨が落ちてきた。それはすぐに激しい土砂降りへと変わった。

ザーーーーーッ!視界が白くなるほどの豪雨だ。


「隠れるぞ!」


ガブの先導で、私たちは街道脇の岩場の陰に滑り込んだ。大きな岩がせり出していて、天然の屋根になっている。狭いが、雨をしのぐには十分だ。


私たちは肩を寄せ合って座った。目の前を、雨のカーテンが遮断している。世界が雨音だけに支配され、他の音が消えてしまったようだ。


「よく降るわね」


私は濡れた髪を絞りながら呟いた。気温が下がり、肌寒い。ガブは寒さが苦手らしく、私のローブの裾を引っ張って身を寄せてきた。


「雨嫌い。冷たい。体重くなる」


彼はブルブルと震え、小さくなった。


「でも、匂いは好き」

「匂い?」

「ん。雨、全部洗う。獣の匂い消す。足跡消す」


彼は雨のカーテンを見つめ、黄色い瞳を細めた。


「オレたち逃げてる。雨、味方。追ってくる奴わからなくなる」


なるほど。狩人である彼にとって、雨は「痕跡を消す」という恩恵でもあるのだ。私も雨を見つめた。激しく地面を叩く水滴。それは物理的な痕跡だけでなく、私たちの過去や、背負ったしがらみも洗い流してくれているような気がした。


公爵家での窮屈な日々。ガブが受けてきた迫害。それらが、雨に打たれて泥水となり、川へと流れていく。


「リゼ」


ガブが私の顔を覗き込んだ。


「なんで寂しい顔する?」

「え?寂しい顔なんてしてないわよ」

「嘘。リゼの目、曇ってる。雨と同じ色」


ドキリとした。『真実の眼』を持つ私が、彼に見透かされている。彼には魔法の目はなくとも、野生の勘という鋭いレンズがあるのだ。


「少し、考えてただけ。私たちがどこへ行くのかなって」

「西だろ?」

「そうじゃなくて。私たちの居場所は、どこにあるのかなって」


人間社会にも、ゴブリン社会にも、私たちの居場所はない。こうして雨宿りをしている岩陰のような、一時的な避難場所しかないのではないか。そんな不安が、雨音に乗って心に忍び込んでいた。


ガブは私の手を取り、自分の頬に押し当てた。彼の肌は少し冷たいけれど、その下にある血流の温かさが伝わってくる。


「居場所、ここにある」


彼は自分の胸をトントンと叩いた。


「オレここにいる。リゼここにいる。二人いる。それ、居場所」

「……」

「地面、どこでもいい。寝る場所、変わる。でも、オレとリゼ、変わらない。なら、どこでも家だ」


彼の論理は、いつも暴力的なくらいシンプルで、そして正しい。土地や建物に固執するのは人間の悪癖だ。大事なのは「誰といるか」。


私はフッと笑みがこぼれた。


「そうね。あなたが言うと、本当にそう思えてくるから不思議」

「オレ、嘘つかない。シャーマンも言ってた。魂ある場所、そこが家」


彼は「シャーマン」という言葉を使いたがっているようだ。私は彼の方に頭を預けた。狭い岩陰。外は冷たい雨。でも、ここには確かな体温がある。


「ありがとう、ガブ」

「ん。寒いから、もっと寄れ」

「はいはい」


私たちはくっついて、雨が上がるのを待った。一時間ほどして、雨音が小降りになった。雲の切れ間から、鋭い陽光が差し込んでくる。濡れた葉っぱが宝石のように輝き、世界が一新されたように鮮やかに見えた。


「止んだ!」


ガブが飛び出した。


「行くぞ、リゼ!虹、出るかも!」

「待ってよ」


私たちは再び歩き出した。雨上がりの空気は澄んでいて、呼吸をするたびに肺が浄化されるようだ。泥だらけの道。でも、私たちの足取りは軽かった。どこへ行くのかという不安は、雨と一緒に流れていったようだった。

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