EP19
54:野草の見分け方講座
廃屋の周りは、人の手が加わらなくなって久しい植物たちの楽園だった。私たちは昨夜、あの朽ちた小屋で雨風をしのぎ、朝日と共に目を覚ました。食料の備蓄はあるが、いつ尽きるとも限らない。そこで今日は、出発前に「現地調達」の訓練をすることになった。
「リゼ、見て」
ガブが地面に這いつくばり、二種類の草を引っこ抜いて突き出した。どちらも緑色で、ギザギザした葉っぱだ。素人目には全く同じに見える。
「これ葉っぱ、裏が白い。こっち、裏も緑」
ガブが葉を裏返す。確かに、右手の草は裏側が粉を吹いたように白っぽい。
「白いほう、『ウマ草』。食える。甘い。元気出る」
ガブはそれをムシャムシャと齧った。
「緑のほう、『ゲロ草』。苦い。腹痛くなる。死なないけど、動けなくなる」
「なるほど……裏が白いのが正解ね」
私は手帳を取り出し、羽ペンで特徴をメモした。
『ギザギザ葉っぱ、裏白は〇、裏緑は×』
私の『真実の眼』は、対人関係においては最強の武器だ。嘘も悪意も見抜ける。けれど自然界に対しては無力だった。毒草に「殺してやろう」という悪意はないし、食べられる草に「食べて」という善意もない。ただそこに存在しているだけ。だから私の目は沈黙している。ここではガブの知識だけが頼りだ。
「次これ」
ガブは次に、紫色の小さな花を指差した。
「これ根っこ掘る。芋ある」
彼は素手で土を掘り返し、親指大の塊茎を取り出した。泥を軽く払い、衣類で拭いて私に渡す。
「食ってみろ」
言われるがままにかじってみる。シャリッとした食感。土臭いが、噛んでいると微かな甘みと粘り気が出てきた。
「悪くないわね。お腹にたまりそう」
「ん。これ旅の味方。でも似てる花、ある。花びら五枚はいい。四枚はダメ。痺れる」
細かい。私は必死にスケッチを取る。ガブ先生は、教えるのが意外と上手だった。いや、教えるというより「自慢」に近いかもしれない。
「人間バカ。こういうの、全部『雑草』って言う。違う。全部名前ある。役目ある」
ガブはふんぞり返った。
「オレ、森の王様になれる。全部知ってる」
「はいはい、すごいすごい。じゃあ、あの赤い実は?」
私が茂みの奥にある鮮やかな木の実を指差すと、ガブは血相を変えて私の手を叩いた。
「ダメ!絶対触るな!」
「えっ?」
「あれ、『眠り殺し』。汁、皮膚につくだけで、爛れる。食ったら、心臓止まる」
美しいものほど危険。社交界と同じね、と私は心の中で苦笑した。
「リゼ、鼻使え」
ガブが自分の鼻を指差した。
「目で見る騙される。匂い嘘つかない。食えるやつ、太陽の匂いする。毒、冷たい匂い、あるいは甘すぎる匂いする」
「太陽の匂い……」
抽象的だが、なんとなく分かる気がした。私は『ウマ草』の匂いを深く吸い込んでみた。青臭さの中に、日向ぼっこをしている時のような温かみがある。一方、『ゲロ草』を嗅いでみると、ツンとした刺激臭が鼻の奥を突いた。
「わかった気がする」
「ん。リゼ、鼻は悪い。でも覚えるの早い」
ガブは満足そうに頷いた。
私たちは廃屋の周りを一周し、食べられる野草と木の実を両手いっぱいに集めた。ガブは終始ご機嫌だった。いつもは私が地図を読んだり、人間との交渉をしたりして主導権を握っているが、ここでは彼が圧倒的な上位者だ。頼られることが嬉しいのだろう。彼の心の色は、誇らしげなオレンジ色に輝いていた。
「オレについてくれば、餓死しない。森、全部オレの庭」
「頼もしいわ、冷蔵庫さん」
「冷蔵庫、知らないけど、多分すごい褒め言葉」
ガブはニカッと笑った。その慢心とも言える自信が、この後の悲劇を招くとは、この時の私たちはまだ知らなかった。自然は、油断した者にこそ牙を剥くのだということを。
55:ガブ、毒草を食む
昼時になり、私たちは集めた野草で簡単なスープを作ることにした。廃屋の前の焚き火跡に鍋をかけ、水を沸かす。
ガブは「もっといいやつ、探してくる」と言って、少し離れた林の奥へと入っていった。さっきの収穫だけでは物足りないらしい。
「気をつけてね」
「ん。オレ天才。問題ない」
軽い足取りで消えていく背中。
私は鍋の番をしながら、手帳の整理をしていた。しばらくすると、ガサガサと茂みをかき分ける音がして、ガブが戻ってきた。その手には、泥だらけの太い根っこが握られていた。大根のような、白くて立派な根っこだ。
「リゼ!見て!大物!」
ガブは興奮気味にそれを掲げた。
「これ、『アマイモ』の王様だ!こんな太いの、初めて見た!」
「へえ、すごいわね。それも食べられるの?」
「当たり前。これ一番うまい。甘くてトロトロで、肉よりうまい」
彼は涎を垂らさんばかりだ。
私はその根っこを覗き込んだ。確かに、見た目は美味しそうだ。匂いも……甘い香りがする。熟れた果物のような、濃厚な香り。
「ねえガブ。さっき、『甘すぎる匂いは毒かも』って言わなかった?」
ふと、彼の教えが頭をよぎった。
ガブは鼻をひくつかせ、ブンブンと首を横に振った。
「違う。これは『いい甘さ』だ。毒の甘さは、もっとベタベタしてる。これはサラサラしてる」
「そうなの?似ている毒草とかはない?」
「ない!オレの鼻、絶対。これ食えばわかる!」
彼は私の懸念を一蹴し、ナイフで泥を削ぎ落とした。白い断面が現れる。瑞々(みずみず)しい汁が滲み出ている。
「いただき!」
ガブは大きく口を開け、生のままその根っこにかぶりついた。ガリッ、ボリボリ。いい音がする。
「ん!んまーーい!」
ガブは目を輝かせた。
「甘い!リゼ、これ最高!焼かなくてもいける!」
「本当?一口ちょうだい」
私が手を伸ばそうとした時だ。ガブの動きが、ピタリと止まった。
「?」
彼は食べかけの根っこを持ったまま、首をかしげた。モグモグと動かしていた口が、スローモーションになる。
「どうしたの?」
「なんか、舌、ピリピリする」
「ピリピリ?」
「あと、なんか……世界が、回ってる……」
ガブの顔色が、みるみるうちに変わっていった。普段の緑色の肌が、土気色のような、くすんだ灰色に変色していく。瞳孔が開き、焦点が定まっていない。
「ガブ!?」
私は立ち上がり、彼に駆け寄った。
「あ……れ……?足、力、入らない……」
ガブはふらりとよろめき、そのままドサリと地面に崩れ落ちた。手に持っていた『アマイモの王様』が転がり落ちる。
「ガブ!しっかりして!」
体を揺するが、反応が鈍い。体温が急激に下がっている気がする。呼吸も浅く、速い。
「し、痺れる……喉、詰まる……」
彼は苦しそうに喉元を掻きむしろうとしたが、指が動かないようだ。麻痺性の毒だ。
私は転がった根っこを拾い上げ、『真実の眼』で凝視した。植物に心はない。でも、その成分が持つ「効果」は、オーラとして見えることがある。根っこの周りに漂っていたのは、禍々しい紫色の靄。それは『神経毒』の色だった。
「これ『アマイモ』じゃ、ない!」
私は自分の手帳をめくった。ガブが教えてくれたこと。『甘すぎる匂いは罠』。そして、似ている植物。
あった。『ニセアマイモ(仮)』。ガブは言っていなかったが、似たような記述が毒草図鑑の記憶にあった。根の形はそっくりだが、齧ると強烈な痺れを引き起こし、最悪の場合は呼吸麻痺で死に至る。
「オレ……天才……じゃ、ない……?」
ガブがうわ言のように呟き、白目を剥きかけた。
「バカ言ってる場合じゃない!」
私はガブの小さな体を引きずった。重い。筋肉の塊だ。でもやるしかない。このままでは彼は死ぬ。森の王様気取りで、油断して毒を食らって死ぬなんて、笑い話にもならない。
「死なせないわよ、バカ!」
私は彼を廃屋の中へと引きずり込んだ。教わった知識は、彼を救うために使うのだ。
56:リゼの看病
廃屋の中は薄暗かったが、私はすぐに小さな焚き火を起こした。ガブを火のそばに寝かせる。彼の体は氷のように冷たくなっていた。毒が血流を阻害しているのだ。
私はまず、リュックから水筒を取り出した。まだ毒を食べてから時間は経っていない。胃の中にあるものを吐き出させ、毒素を薄める必要がある。
「ガブ、飲んで!全部飲んで!」
彼の口をこじ開け、水を流し込む。彼はむせながらも、本能的に水を飲み込んだ。
「うっ……げほっ、げほっ!」
咳き込む彼を横向きにし、背中を強く叩く。胃の内容物が吐き出される。白い根っこの破片が混じっている。よし、まだ消化されきっていない。
「もっと!もっと飲んで!」
私はさらに水を飲ませ、吐かせた。それを三回繰り返すと、ガブはぐったりとして動かなくなった。でも、呼吸は少し楽になったように見える。
次に解毒だ。特効薬なんて持っていない。でも、一般知識として知っていることはある。「炭」だ。炭には毒を吸着する性質がある。
私は焚き火の中から、燃え尽きて黒くなった炭を取り出し、石ですり潰して粉にした。それを水で溶く。真っ黒な泥水のような液体ができあがる。
「ガブ、これ飲める?」
意識が朦朧としている彼の頭を抱え起こす。
「リゼ……?それ、苦い……?」
「苦くないわ。ただの焦げた味よ。これを飲めば治るから」
ガブは私の目を見た。『真実の眼』で見ると、彼の心の色は『恐怖』の灰色に染まっていた。「死ぬかもしれない」という恐怖。そして、「リゼを置いていってしまう」という後悔。
「信じて。飲みなさい」
私が強く言うと、彼は震える口を開けた。黒い水を流し込む。彼は顔をしかめたが、頑張って飲み干した。
「偉い子だわ」
私は彼を寝かせ、予備の毛布と自分のローブを全部彼にかけた。保温が大事だ。私は彼の手を両手で包み込み、さすり続けた。冷たい手。いつもはあんなに温かくて、力強い手が、今は小鳥のように震えている。
立場が逆転していた。いつもは彼が私を守り、私が震えていた。でも今は、私が彼を守らなければならない。私の『真実の眼』で、彼の生命力を見守り続ける。心臓の鼓動を示す赤い光が、弱々しく明滅している。消えさせてなるものか。
「リゼ……」
数時間が経った頃、ガブが小さな声で呼んだ。顔色はまだ悪いが、灰色から薄い緑色に戻りつつある。
「ここにいるわ。気分はどう?」
「気持ち悪い。頭、ガンガンする」
「生きている証拠よ」
ガブはゆっくりと目を開け、私を見た。その瞳から、いつもの傲慢な輝きは消え、濡れた子犬のような弱々しさがあった。
「オレ……失敗した」
「ええ。大失敗ね」
「鼻間違えた。王様じゃなかった」
彼は悔しそうに唇を噛んだ。
「カッコ悪い。リゼに、偉そうなこと言ったのに」
涙が、彼の目尻からつーっと流れた。毒のせいか、それとも自分の不甲斐なさへの悔しさか。ゴブリンが泣く姿を、初めて見た。
私は布で彼の顔の汗と涙を拭ってあげた。
「誰だって失敗はするわ。私なんて、毎日失敗ばかりよ」
「でもオレ、森のプロだぞ……。プロが毒食って、素人に助けられるなんて……」
「素人じゃないわ。私はあなたの『相棒』でしょ?」
私が言うと、ガブはハッとして私を見た。
「相棒は、片方がダメな時に、もう片方が支えるの。今日は私の番だっただけ」
私は微笑んで、彼の手をぎゅっと握った。
「これで貸し借りなしね。あの酔っ払いから助けてもらったお返し」
ガブはしばらく私の顔を見つめていたが、やがて弱々しく握り返してきた。
「ん。リゼ強い。オレよりちょっとだけ、賢い」
「『ちょっとだけ』は余計よ」
ガブは安心したのか、深く息を吐き、再び眠りに落ちていった。今度の寝息は規則正しく、力強いものだった。命の危機は去った。
私はどっと疲れが出て、その場に座り込んだ。窓の外では、日が暮れようとしていた。長い一日だった。でも、このアクシデントは、私たちの絆をまた一つ強くした気がする。ガブは「自分も無敵ではない」ことを知り、私は「自分も彼を救える」ことを知ったのだから。
黒い炭で汚れた自分の手を見て、私は少し誇らしい気持ちになった。今夜はこのまま、彼の手を握って朝を待とう。




