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旅の友に選んだのはゴブリンでした  作者: 竜神
第1章:家出少女と拾われたゴブリン

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EP11

31:森の出口


終わりは、唐突にやってきた。


その日の朝から、森の様子は明らかに違っていた。今まで頭上を覆い尽くしていた巨大な樹冠じゅかんがまばらになり、地面に落ちる陽光の量が増えていたのだ。湿った腐葉土の匂いは薄れ、代わりに乾いた土と、どこか埃っぽい風の匂いが混じり始めていた。


「リゼ、見て。空、広い」


先頭を歩いていたガブが、眩しそうに目を細めて指差した。木々の隙間から見える空が、切り取られたパッチワークではなく、どこまでも続く青いキャンバスになっていた。森の出口だ。私たちは、ついに北の森を抜けようとしている。


本来なら、難所を突破したことを喜ぶべき場面だろう。しかし私の足取りは重かった。森は過酷だったけれど、そこには人間がいなかった。嘘がなかった。私たちが作ったルールだけで回る、閉じた楽園だった。ここを出れば、そこは再び「彼ら」の領域だ。


「ガブ、ちょっと待って」


私は彼を呼び止めた。森を出る前に、やらなければならないことがある。私はリュックを下ろし、中から一枚の布を取り出した。以前、野盗を撃退した際に、散乱していた荷物の中からくすねてきた(もとい、現地調達した)厚手の麻布だ。昨夜のうちに、私がチクチクと縫い合わせておいたもの。


「これを着て。森の外では、あなたの姿は目立ちすぎるわ」


私が広げたのは、子供用のポンチョのような外套がいとうだった。フードが深めに作られていて、被れば顔の半分以上が隠れる。色は地味な焦げ茶色で、汚れも目立たない。


ガブは露骨に嫌な顔をした。


「やだ。動きにくい。暑い」「だめよ。人間は緑色の肌を見ると、問答無用で石を投げてくる生き物なの。前の商人みたいに」


商人のことを引き合いに出すと、ガブはうぐっと口をつぐんだ。石を投げられるのは彼だって嫌だ。彼は渋々といった様子で、バンザイをした。私は彼にポンチョをすっぽりと被せる。


「変な感じ。ミノムシみたいだ」


ガブが裾をパタパタさせながら文句を言う。裾から出ているのは、緑色の手足と、白い棍棒だけ。遠目に見れば、小柄な子供か、ドワーフのようにも見える……かもしれない。少なくとも、一目で「ゴブリンだ!」と叫ばれるリスクは減るはずだ。


「似合ってるわよ。可愛い旅人さんに見える」「カワイイ?弱そうってことか?」「ううん。謎めいてて、強そうよ」


お世辞を言うと、単純なガブは「ならいいか」と満更でもなさそうにフードを整え始めた。よし、変装は完了。私は自分のローブのフードも深く被り直した。『真実の眼』を隠し、表情を隠すための鎧だ。


「行くわよ、ガブ。ここからは、今まで以上に警戒して」「おう。俺がリゼを守る」


私たちは最後の木立を抜けた。パッ、と視界が開ける。そこには、なだらかな丘陵地帯が広がっていた。風に揺れる草原。遠くに見える街道。そして、地平線の彼方には、煮豆のような小さな集落の影が見えた。


世界は広かった。そして、眩しすぎた。森の薄暗さに慣れていた目には、太陽の光が痛いほど突き刺さる。私は無意識にガブの方へと体を寄せた。ガブもまた、広すぎる空間に戸惑っているのか、私の太ももにピタリと体を押し付けてきた。


「広いな、リゼ」「ええ。隠れる場所がないわね」


森の中では、木陰に隠れれば安心できた。でもここでは、私たちは空の下に晒されている。誰かに見られているかもしれないという不安が、背筋を這い上がってくる。


それでも、進まなければならない。私たちは必要な物資を手に入れ、情報を集め、さらに北へと向かうのだ。私はガブの手――ポンチョの下から伸びてきた緑色の手を、ぎゅっと握りしめた。


「離れないでね」「当たり前だ。俺はリゼの影だ」


その言葉に、少しだけ勇気が湧いた。私たちは、海のように広がる草原へと、最初の一歩を踏み出した。風が強く吹き付け、私たちのフードを脱がそうと暴れ回ったが、私たちは決して手を離さなかった。


32:人里の灯り


草原を歩くこと数時間。日が傾き、空が茜色から群青色へと変わる頃、私たちは目的の場所の近くまで到達していた。


小高い丘の上から、眼下の光景を見下ろす。そこにあったのは、30軒ほどの家が集まる小さな村だった。村の周囲には木の柵が巡らされ、入り口には松明たいまつが燃えている。家々の窓からは、オレンジ色の灯りが漏れていた。


「あれが、人間の巣か」


ガブが隣で呟いた。彼は初めて見る「人里」に釘付けになっていた。恐怖と好奇心が入り混じった、複雑な色を放っている。


「そうよ。あそこでたくさんの人間が暮らしているの」「火がいっぱいある。燃えないのか?」「あれは家の囲炉裏いろりやランプの火よ。家を燃やすためじゃなくて、生活するための火」「ふうん……人間は、火を飼うのが上手いんだな」


ガブの感想は独特だ。火を「飼う」。確かに、動物である人間にとって、火を制御することは文明の証だ。村からは、微かに生活音が聞こえてくる。犬の遠吠え。食器が触れ合う音。母親が子供を呼ぶ声。かつて私にとっては当たり前だったそれらの音が、今は異世界のノイズのように聞こえる。


「リゼ。あそこに行くのか?」


ガブが不安そうに私を見上げた。フードの下の黄色い瞳が揺れている。野生動物としての本能が、「あそこは危険だ」と警鐘を鳴らしているのだろう。


私も同じ気持ちだった。あの灯りの一つ一つに、私が忌み嫌う「建前」や「嘘」が潜んでいると思うと、足がすくむ。でも、現実的な問題もある。


「塩がもうないの。それに、マッチも欲しいし、もし可能なら地図も更新したい」


リュックの中身は心許ない。森の恵みで食料は何とかなるが、塩分や道具は現地調達できない。どこかでリスクを冒して、人間と接触する必要があるのだ。


「今日はもう遅いから、村の外で野営しましょう。明日、明るくなってから様子を見に行くわ」


私は提案した。夜の闇に乗じて忍び込むのも手だが、怪しまれたら終わりだ。それよりも、旅の行商人を装って堂々と正面から入る方が、かえって安全かもしれない。


私たちは村から少し離れた、死角になる岩陰にキャンプを張った。焚き火は小さく。煙が出ないように枯れた枝を選んで。


スープを飲みながら、私は村の灯りを見つめていた。温かそうな光だ。あの窓の向こうには、家族の団欒だんらんがあるのだろうか。


「綺麗だな」


ガブがぽつりと言った。


「え?」「あの光。地面に星が落ちてるみたいだ」


私はハッとした。私の目には「恐怖の対象」や「煩わしさの象徴」に見えていた村の灯りが、彼の目には「星」のように美しく映っている。彼は知らないのだ。あの光の下にある、嫉妬や欺瞞のドロドロとした色を。いいな、と思った。彼の目を通して見る世界は、いつだってシンプルで美しい。私も、あんな風に世界を見られたらよかったのに。


「そうね。綺麗ね」


私は同意した。彼が見ている「綺麗」を否定したくなかった。もしかしたら、私の偏見が強すぎるだけで、あの村には本当に温かい人たちが住んでいるのかもしれない。少しだけ、希望を持ってみようか。


しかし、その淡い期待は、私の『真実の眼』によって残酷にも打ち砕かれることになる。風に乗って、村の方から微かな声が流れてきた時、私は見てしまったのだ。村の上空に漂う、薄汚れた灰色のもやを。


それは「排他」の色。「よそ者を受け入れるな」「自分たちさえ良ければいい」。閉鎖的な集落特有の、粘着質な防衛本能の色だった。


私はガブの肩を抱き寄せた。明日は厳しい一日になるかもしれない。それでも、私たちは進まなければならない。あの灯りの向こう側へ。


33:恐怖の記憶


翌朝、私たちは村の入り口へと向かった。私はフードを目深に被り、ガブには「絶対に喋らないこと」「私の後ろに隠れていること」を厳命した。設定はこうだ。『旅の薬師見習いの少女と、病気で口がきけず、姿を見られるのを恥ずかしがる弟』。ありがちな設定だが、田舎の村ならこれで通じるはずだ。


村の入り口には、槍を持った自警団の男が二人立っていた。私は心臓の鼓動を抑えつけながら、努めて明るい声で話しかけた。


「こんにちは。旅の者ですが、水と食料を分けていただけないでしょうか。もちろん、代金はお支払いします」


男たちがこちらを見る。値踏みするような視線。私の『眼』には、彼らの心の色が瞬時に映し出された。『若い女だ』という欲情のピンク色。『怪しいな』という警戒の黄色。『金を持ってるのか?』という強欲の濁った茶色。


――気持ち悪い。背筋に虫が這うような感覚。吐き気がこみ上げてくるのを、奥歯を噛み締めて耐える。大丈夫。まだ想定の範囲内だ。彼らはただの人間だ。私を傷つけはしない。


「身分証はあるか?」太った方の男が聞いた。


「いいえ、私たちは戦火を逃れてきた難民でして」


私は用意していた嘘をついた。嘘をつくとき、自分の口から灰色の煙が出るのが見える。それが嫌でたまらないが、生きるためには仕方がない。


「難民か。最近多いな。まあいい、入るなら通行税を払え。銀貨2枚だ」「2枚!?そんな、相場の倍ではありませんか」「嫌なら入れない。それだけだ」


男がニヤニヤと笑う。『困ってるなら搾り取ってやれ』という悪意が透けて見える。私は震える手で財布を取り出し、なけなしの銀貨を渡した。男の手が私の指に触れる。じっとりと湿った感触。ゾワッ!!その瞬間、フラッシュバックが起きた。――『リゼ、お前は商品なんだ』父の声。――『可愛いね、君の瞳は高く売れそうだ』婚約者の声。――『逃げられると思うなよ』視界が歪む。目の前の男の顔が、父の顔に見えた。婚約者の顔に見えた。笑っている。私をモノとして見ている。


「あっ、あ……」


呼吸ができない。喉が詰まる。足がガクガクと震え、立っていられなくなる。怖い。人間が怖い。言葉も、笑顔も、触れる手も、すべてが私を害する凶器に見える。


「おい、どうした?具合でも悪いのか?」


男が手を伸ばしてくる。その手が、私を捕まえようとする鎖に見えて――。


ガシッ。


誰かが、私の手を強く握った。男の手ではない。小さくて、ゴツゴツしていて、硬い手。


「…………」


ガブだった。私の後ろに隠れていた彼が、ポンチョの下から手を伸ばし、私の氷のように冷たい手を、痛いくらいに強く握りしめていた。ハッとして振り返る。フードの奥から、黄色い瞳が私を射抜いていた。


言葉はない。彼は「喋るな」という言いつけを守っている。けれど、その瞳は雄弁に叫んでいた。


『リゼ、俺がいる』『こいつらは敵じゃない。ただの雑魚だ』『しっかりしろ。俺の手を見ろ』


彼から流れ込んでくるのは、燃えるような「勇気」の赤色と、私を支えようとする「意志」の金色。そこに「嘘」は一ミリもない。


その熱が、私の指先から心臓へと流れ込み、凍りついていた恐怖を溶かしていく。そうだ。私は一人じゃない。あの屋敷にいた無力な少女じゃない。私には、この最強の相棒がいる。いざとなれば、彼がこの男のすねを砕いてくれる(きっと喜んでやるだろう)。


呼吸が戻った。視界の歪みが消え、男の顔がただの「欲深い田舎の衛兵」に戻った。


「いえ、失礼しました。貧血気味で」


私は男の手を振り払い、毅然と顔を上げた。


「弟が支えてくれましたから、もう大丈夫です」


私はガブの手を握り返した。「ありがとう」の合図を送る。ガブの手が、コクンと小さく握り返してくれた。


「ちっ、なんだよ。さっさと行け」


男は興味を失ったように手を振った。私たちは門をくぐり、村の中へと足を踏み入れた。


心臓はまだ早鐘を打っている。冷や汗も止まらない。けれど、繋いだ手の温もりがある限り、私はもう逃げ出さない。過去の亡霊になんて、負けてたまるか。私はガブを連れて、喧騒と視線が渦巻く村の広場へと進んでいった。

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