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旅の友に選んだのはゴブリンでした  作者: 竜神
第7章:嘘のない楽園

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EP107

315:ここで暮らす?


白亜の塔が立ち並ぶ、誰もいない「浮遊する回廊」。その中央にある豪華なベンチに腰を下ろした私たちは、しばらくの間、言葉を失っていた。視界の端々には、完璧に整えられた庭園と、永遠に枯れることのない噴水が輝いている。底冷えするような孤独感は、どれだけこの光の中に身を浸しても、消えることはなかった。


「ねえガブ」


私は、震える指先で自分の杖をなぞりながら、静かに口を開いた。


「私たち、ずっとこの場所を目指してきたのよね。冷たい床の上で、あるいは砂漠の熱風に焼かれながら、たった一つの『安息』を求めて。ここには、もう私たちを傷つけるものは何もない。追いかけてくる追手も、理不尽な差別も、明日のパンを心配するひもじさも。それなら、ここが私たちの『終着点』になってもいいはずなのに」


ガブは、ミスリルの鍋のふたを膝の上に置き、ぼんやりと空を見上げていた。


「お前の言う通りだお嬢様。ここ以上の場所なんて、この世のどこにもないだろうよ。けどどうしてだろうな。ここに座ってると、自分の身体がどんどん透き通って、この綺麗な景色の中に溶けそうな気がしてならないんだ。オレの、この薄汚ない緑色の肌さえ、ここでは『汚れ』に見える」


彼の言葉に、私は胸が締め付けられる思いだった。私たちは、この世界にとって「不純物」なのだ。苦しみ、悩み、泥にまみれて生きてきた私たちは、この完璧な調和の中に居場所を見つけられずにいた。けれど外の世界に戻れば、またあの「嘘」と「裏切り」に満ちた日々が待っている。それなら、いっそこの静寂に自分たちを飼い慣らしてしまった方が幸せなのではないか。


「暮らしてみましょうか。ここで」


私は自分に言い聞かせるように、そして彼を誘うように提案した。


「この回廊を降りて、あの穏やかな平原へ行きましょう。そこで私たちの家を作るの。旅の終わりを、自分たちの手で形にするのよ。そうすれば、この不安もいつかは消えるかもしれない」


私は立ち上がり、回廊の精霊たちへそっと意識を向けた。


(悠久の時を静寂に捧げ、この美しき回廊を守護する清廉なる精霊たちよ。そして境界を越えた旅人を優しく見守る、安息の眷属よ。私たちは今、あなたたちのふところに身を委ね、この地で永き時を過ごす決意を固めようとしています。どうか、私たちの不器用な足跡を許し、この完璧なる調和の中に、小さな『居場所』を設ける許可をいただけますでしょうか……)


最大限の礼節を尽くした私の詠唱に、周囲のマナが微かに震えた。返ってきたのは、慈悲に満ちた肯定の波動。精霊たちは、私たちがここに留まることを望んでいた。あるいは、この楽園の一部として「静止」することを祝福していたのかもしれない。


「行くか。お前の家、オレが石でも運んで手伝ってやる」


ガブが力なく立ち上がり、私の隣を歩き始める。私たちは、豪華な回廊をゆっくりと降り、真珠色の土が広がる平原へと向かった。それは、世界で一番贅沢な、そして世界で一番寂しい「定住」への第一歩だった。


316:家を作る想像


回廊を降りた先には、見たこともないほど色彩豊かな、けれどどこか現実味のない平原が広がっていた。七色の葉を持つ木々がそよぎ、地面からは常に微かな香気が立ち上っている。私たちは、その中心にある大きな「願いの樹」と思われる大木の根元を、家の建設地に選んだ。


「ここに、小さな家を建てるの。あなたが足を伸ばして寝られるテラスと、私が次の魔法を研究できる書斎。想像してみてガブ。もう雨漏りに怯えることも、硬い地面で震えることもないのよ」


私は、鉄の杖で地面に柔らかな円を描いた。屋敷のような壮大さはいらない。けれど私たちが生きた証を刻むための「殻」が必要だった。


「石は、あそこの川原にある、透き通ったやつが良さそうだな。屋根は、あの光る草を編んで乗せたら、夜でも本が読めるんじゃないか?」


ガブは少しだけ、以前の好奇心を取り戻したように見えた。彼は川原へ向かい、一抱えもある巨大な結晶のような石を運んできた。地上なら数百キロはあるだろうその石が、この楽園では綿毛のように軽い。

私は、精霊たちの力を借りるべく、大地の奥深くへと呼びかけた。


(万物のいしずえを支え、形なき願いを形へと変える慈悲深き大地の精霊たちよ。そして結晶の奥に永遠の美を宿す、誇り高き石の眷属よ。私たちは、この地に安らぎの砦を築きたいと願っています。あなたたちの欠片を、ひととき私たちの生活のために貸していただけないでしょうか。私たちが紡ぐ壁が、この地の調和を乱すことなく、風景の一部として美しく馴染むよう、その力をお貸しください……)


私の指先から放たれた琥珀色のマナが、ガブが運んできた石たちに吸い込まれていく。すると石たちはまるで生きているかのように整列し、互いの凹凸を完璧に噛み合わせながら、一分の隙もない壁を形成していった。接着剤も、ハンマーも必要ない。ただ私の「想像」が、精霊たちの手によってそのまま現実へと投影されていく。


数刻も経たないうちに、一軒の美しい家が完成した。窓には天然の水晶が嵌め込まれ、床面には滑らかな真珠の粉が敷き詰められている。


「できたわ。私たちの家よ、ガブ」


私は完成したばかりの壁にそっと手を触れた。けれどそこに感じたのは、石の冷たさでも、土の温もりでもなかった。それは、あのアカデミーの図書室で触れた「古びた羊皮紙」のように、どこかカサカサとした、血の通わない感触だった。


「なぁ、リゼ。これ、壊れないんだな」


ガブが、全力で壁に頭突きを食らわせた。ガツン、という派手な音が響いたが、壁には傷一つついていない。それどころか、ガブの額にも痣一つできていなかった。


「そうね。精霊たちが、私たちが傷つくのを防いでくれているのよ。ここは『楽園』だもの。何かが壊れたり、痛んだりすることなんて、許されていないのよ」


私は自分の手のひらを見つめた。家を作るという行為は、本来、汗を流し、試行錯誤し、時に怪我をしながら成し遂げるものだったはずだ。けれどここでは「願う」だけで全てが完結してしまう。完成した家は、あまりにも綺麗すぎて、そこに住む私たちの「体温」を吸い取っていくような、奇妙な無機質さを湛えていた。私たちは、その完璧な箱の中に足を踏み入れた。これから始まる永遠の生活への期待よりも、出口のない檻の完成を祝うような、そんな皮肉な予感が胸をかすめていった。


317:魚を釣る日々


家が完成してから、私たちの「楽園での日常」が始まった。と言っても、生活のためにしなければならないことは何一つない。喉が渇けば、空気中の水分が最高の甘露となって喉を潤し、腹が減れば、傍らにある木から「今、食べたい味」の果実が勝手に転がり落ちてくる。そこでガブが暇つぶしに見つけたのが、庭の裏手に流れる「クリスタルの川」での魚釣りだった。


「見てろよ。あそこの銀色に光るデカい奴、今日こそ仕留めて、最高の塩焼きにしてやる」


ガブはその辺に落ちていた木の枝に、光る蜘蛛の糸を巻き付けただけの即席の竿を振りかぶった。川の水は、底に沈む小石の表面の細かな傷まで見えるほど透き通っており、魚たちは音楽の拍子に合わせるように、ゆったりと尾鰭を揺らしている。


私は彼の釣果がより確実なものになるよう、水の精霊たちへそっと囁いた。


(清流を泳ぎ、生命の煌めきを永遠に保ち続ける優美なる水の精霊たちよ。そして静止した時間の中で鱗を輝かせる、静寂の眷属よ。私の友が、あなたたちの命を分け合いたいという無邪気な願いを抱いています。これは略奪ではなく、この地での対話の一環なのです。どうか銀の魚たちを彼の針へと導き、この果てしない午後に、ささやかな喜びの波紋を広げてはいただけないでしょうか……)


詠唱が終わる間もなく、川の中の魚たちが、一斉にガブの針に向かって泳ぎ始めた。彼らは「逃げる」という本能を忘れてしまったかのようだった。どころか、我先にと針を咥えようとするその姿は、まるで「釣られる」という役割を演じるためにそこに存在しているかのようだった。


「おい、リゼ。これ、釣りじゃないぞ。魚が自分から列を作って並んでる」


ガブが竿を引き上げると、そこには一瞬で三匹もの巨大な魚がかかっていた。魚たちは、陸に上がっても暴れることはない。苦しそうに口をパクパクさせることも、鱗を剥がされることに怯える様子もなかった。ただガブの手の中で、工芸品のように静かに横たわっているだけだ。


「味はどう?」


私は、ガブが(火の精霊の助けを借りて)焼き上げた魚の身を一口いただいた。絶品だった。地上で食べたどんな高級魚よりも脂が乗り、口に入れた瞬間に甘みが爆発する。


「美味い。美味いよな。なぁリゼ。これ、本当に『美味い』のか?」


ガブは魚の身を噛み締めながら、どこか虚ろな表情で私に問いかけた。


「ええ。味覚としては、最高よ。でも」


私は言葉を濁した。この魚には、「命の重み」がなかった。釣り上げるまでの駆け引きも、獲物を仕留めた時の高揚感も、そして何より、命を奪って自分が生きるという残酷なまでの「実感」がない。私たちはただ、用意された「幸福のメニュー」をなぞっているだけなのだ。


そんな日々が、どれだけ続いたのか。ガブのあくびの回数は、日に日に増えていった。以前は自慢げに磨き上げていたミスリルのふたも、今は部屋の隅で埃を被ることもなく、ただそこに置かれたまま。私たちは、毎日同じ魚を釣り、毎日同じ夕焼けを眺め、毎日同じ変化のない目覚めを迎える。楽園の静寂は、いつの間にか私たちの喉を優しく絞め上げる、目に見えない真綿のようになっていた。


「何かが足りないわね、ガブ」


私は、透明な川面に映る、あまりにも「綺麗すぎる」自分の顔を見つめながら、ぽつりと呟いた。その声は、完璧な静寂の中に吸い込まれ、波紋一つ残さずに消えていった。

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