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旅の友に選んだのはゴブリンでした  作者: 竜神
第6章:再会、そして言葉はいらない

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EP100

294:帰りたいとは思わない


洞穴の入り口を塞いでいた砂の壁が、風の凪ぎと共にサラサラと崩れ落ちた。隙間から差し込んできたのは、驚くほど澄んだ、そして鋭いほどに鮮烈な朝の光だった。砂嵐がすべての不純物を空から叩き落としたのか、視界の果てまで広がる空は、アカデミーで見たどの高価な宝石よりも深い青をたたえている。


「終わったのね、嵐」


私はガブの腕の中から、名残惜しさを隠しながら身を起こした。夜の間、私を凍えから守ってくれた彼の体温が、離れた瞬間に恋しくなる。ガブは小さく鼻を鳴らし、左腕のミスリルの「鍋のふた」を砂の中から掘り出した。


「ああ。おかげで全身砂だらけだ。リゼ、お前のその煤けた顔、鏡で見せてやりたい」

「ふふっ、お互い様よ、ガブ」


私は杖を手に取り、ゆっくりと外へ踏み出した。昨夜、私たちの命を脅かした狂乱の風はどこへやら、今の砂漠はまるですべてを許したかのように静まり返っている。


私は杖を天に向け、深呼吸をした。胸の奥に巡る魔力は、夜を越えたことでさらにその純度を増している。


(夜明けの光を司る精霊たちよ。そして、嵐の後に残された清廉せいれんなる大気の眷属よ。私たちの無事を守ってくださったことに、心からの感謝を捧げます。どうか、この歩みを再び進めるために、私たちの体に残った砂と疲れを、柔らかな風で拭い去ってはいただけないでしょうか……)


私が丁寧な詠唱と共に魔力を紡ぐと、周囲にキラキラとした光の粒が舞い、優しい微風が私たちの体を包み込んだ。それは衣服の隙間に入り込んだ不快な砂を運び出し、乾いた肌に潤いを与えるような、精霊たちの繊細な気遣いだった。


「ねえ、ガブ」


私は、黄金に輝く地平線を見つめながら口を開いた。


「昨夜、故郷の話をしたけれど。私、今この景色を見ていて改めて確信したわ。私はあそこには、もう二度と帰りたいとは思わない」


ガブは驚いた風もなく、岩場に腰掛けてミスリルのふたを磨きながら聞いていた。


「お嬢様生活を捨てて、砂漠で砂を噛む生活を選んだ自分を、後悔してないのか?」

「後悔なんて、一度もしていないわ」


私は自分の手を見つめた。かつては、ただ刺繍をしたり、教科書をめくったりするためだけにあった、白く柔らかな手。今は日焼けし、杖を握るたこができ、生きるために砂を掻き分ける力強さを備えている。


「あそこには、決められた役割と、誰かが引いたレールしかなかった。私は『リゼ』という名前のついた、ただの動く人形だったの。でも今は違う。精霊たちの声を聞き、あなたと冗談を言い合い、自分の足でこの広い世界を歩いている。この空の広さを、私はあのアカデミーの図書室の窓からは、決して知ることができなかった」


父の期待に応えられず、常に「欠陥品」として扱われていたあの館。豪華な調度品に囲まれながらも、私の心は常に飢え、冷え切っていた。それに対して、今の生活はどうだろう。水一滴に命を懸け、ゴブリンと共に野宿をする日々。私の心はかつてないほどに満たされている。


「あそこにあるのは『私の過去』だけ。でも、この道の先にあるのは『私の人生』なのよ。ガブ、改めて言わせて。私をあの檻から連れ出してくれて、本当にありがとう」


ガブは一瞬、磨く手を止め、それから乱暴に鼻をかんだ。


「ったく。湿っぽい話は砂漠の熱で蒸発させろよ。オレはただ、お前を利用して『楽園』に行きたいだけだ。礼を言われる筋合いはない」


相変わらずの不器用な物言い。けれど、彼が私の決意を尊重してくれていることは、その耳のピクリとした動きだけで分かった。私たちは、過去という名の鎖を完全に断ち切り、まだ見ぬ明日へと続く黄金の坂道を、一歩ずつ力強く踏み出し始めた。


295:ここが居場所


「死の砂漠」の旅は、精神の摩耗との戦いでもあった。どこまで行っても景色が変わらない。同じような砂丘が続き、同じような太陽が昇り、沈む。時折、私たちは道を見失い、自分たちがどこにいるのか分からなくなる不安に襲われた。


それでも、私は不思議と孤独を感じていなかった。休憩のたびに、ガブは私の杖を点検し、私はガブの鍋のふたに宿る魔力の残滓を浄化する。言葉を交わさずとも、互いが何を必要としているのかが、呼吸の音一つで伝わってくる。


「ガブ。この世界には、きっとたくさんの街があって、たくさんの人が住んでいるわよね」


私は夕暮れ時のキャンプで、乾いたパンを分け合いながら言った。


「ああ。中にはお前みたいな、お高く止まった連中が集まる立派な都市もあるだろう」

「でもね。私にとって本当の居場所は、そんな立派な街のどこかにはないって気づいたの。私が私でいられる場所、私が息をしてもいいと許される場所。それはきっと……」


私はガブの方を見た。彼は、相変わらず無骨にパンを咀嚼そしゃくしている。


「それが砂漠の真ん中だろうと、暗い地下牢だろうと。あなたがいる場所が、私の居場所なんだわ」


ガブはパンを喉に詰まらせそうになり、激しくむせた。


「ゲホッ!な、何言い出すんだ、この魔女!熱で頭が沸いたか!?」

「沸いてないわよ。本気よ。昔は、私は誰の特別でもなかった。でもここでは、私はあなたにとって唯一の『魔女』で、あなたは私にとって唯一の『旅の友』でしょう?そんなふうに、誰かにとって欠かせない存在になれる場所こそが、本当の『家』って言うんじゃないかしら」


ガブは顔を真っ赤にして視線を泳がせた。


「ふん。勝手なことを。オレはお前がいなきゃ、精霊に水をお願いすることもできないから、仕方なく一緒にいてやってるだけだ」


私はクスクスと笑った。彼のその照れ隠しが、今の私にはどんな甘い言葉よりも心地よい。私は杖を地面に置き、周囲に漂う砂漠の精霊たちへ、静かな感謝の歌を口ずさんだ。


(この乾いた地の片隅に、小さな居場所を見出した私たちを、どうか静かに見守ってください。私たちはもはや、帰るべき場所を求める迷い子ではありません。今、ここに立っていること。それ自体が、私たちの目的地なのだから……)


私の歌声に合わせて、焚き火の炎が穏やかに揺らめいた。魔力は、以前のような「爆発的な破壊力」としてではなく、「世界との調和」として私の内側に定着しつつある。それは、自分の居場所を確信した者だけが持てる、揺るぎない力だった。


「ガブ、明日もまた、一緒に歩きましょう。どこまでも、あなたが止まるその時まで」

「ああ。お前がヘバって泣き言を言うまで、付き合ってやる」


私たちは冷たい砂漠の夜風の中でも、不思議なほど確かな温もりを感じながら、肩を並べて眠りについた。


296:砂漠の終わり


その兆しは不意に訪れた。砂丘の頂に立った時、私の鼻腔びこうをかすめたのは、長らく忘れていた「湿り気」を含んだ空気の匂いだった。


「ガブ!今の感じた?」

「ああ。砂の匂いじゃない。これは草の、それも大量の緑が放つ匂いだ」


ガブの瞳が鋭く輝く。私たちは顔を見合わせ、最後の砂丘を、滑るようにして駆け下りた。

視界が開けた先には、奇跡のような光景が広がっていた。黄金色の世界が突如として途切れ、そこからは黒い土と、まばゆいばかりの緑が、絨毯のように広がっている。砂漠の果て。それは絶望の壁ではなく、生命の氾濫する「外の世界」への入り口だった。


「抜けたのね。ついに、私たちは砂漠を!」


私は感極まり、その場に膝をついた。鉄の杖の先端が、砂ではなく柔らかな土に触れる。その感触だけで、涙が溢れそうになった。


(ああ、緑を育む大地の精霊たち。そして、潤いを運ぶ湿った風の眷属よ。私たちは長い旅路を経て、ようやくあなたたちのかいなへと辿り着きました。この乾ききった体を、どうぞあなたたちの慈悲で満たしてください……)


私がそう願うと、足元から微かな振動が伝わり、小さな新芽が土から顔を出した。それは砂漠では決して見ることのできなかった、純粋な「生」の息吹だった。


ガブは砂漠の境界線に立ち、振り返って広大な砂の海を見つめていた。


「終わったな。あのクソ暑い地獄も、これでサヨナラだ」

「ええ。でもあの砂漠のおかげで私たちは強くなれたわ。ねえ見て、ガブ。あっちから吹いてくる風を」


遠く草原の彼方から、爽やかな風が吹き抜けてきた。それはただの風ではない。精霊たちの歓喜が混じった、新しい冒険の幕開けを告げる「緑の風」だ。


「ここから先は、ただのサバイバルじゃないぞ。古代の遺跡、楽園への道標……伝説の正体に、いよいよ迫ることになる」


ガブが不敵な笑みを浮かべ、鍋のふたを誇らしげに掲げた。


「ええ。どんな困難が待っていても、もう怖くないわ。だって私の魔力は、この風と共にどこまでも広がっていくのを感じるもの」


私の内側で、かつてないほど巨大なマナの奔流が、穏やかに、けれど力強く渦巻いていた。砂漠の終わりは、私たちの旅の「本当の始まり」に過ぎない。私たちは新たな地平を目指し、緑の風に乗って、最果ての地へと歩みを進めた。

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