表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
旅の友に選んだのはゴブリンでした  作者: 竜神
第6章:再会、そして言葉はいらない

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

100/110

EP99

291:寄り添う体温


洞穴の外では、依然として砂の礫が岩肌を叩く凄まじい音が響いていた。まるで世界そのものが巨大なやすりで削られているかのような、暴力的な咆哮だ。入り口は吹き溜まった砂で半分以上が埋まり、わずかな隙間から差し込む月光すらも、荒れ狂う砂塵に遮られて届かない。


洞穴の中は漆黒の闇と、しんとした静寂に包まれていた。昼間の灼熱が嘘のように、砂漠の夜は急激に体温を奪っていく。


「くしゅん!」


私は思わず小さくくしゃみをした。湿り気を失った喉がヒリつき、吐き出す息が白く濁る。


「おい、大丈夫かお嬢様。そんな薄っぺらい服じゃ朝までに氷像になるぞ」


暗闇の中でガブの声が聞こえた。いつもの皮肉めいた響きだが、その奥には隠しきれない懸念が混じっている。


「大丈夫よ。少し、精霊たちに温もりを分けてもらうから」


私は震える手で黒い鉄の杖を引き寄せ、その冷たい感触を掌で包み込んだ。今の私にとって、杖は単なる道具ではなく、精霊たちの意志を中継する「対話の窓口」だ。


(静かに眠る大地の底の熱量よ。あるいは、この岩陰に留まる微かな空気の精霊たちよ。どうか、この凍てつく夜を越えるための、ささやかな温もりを私たちに与えてはいただけないでしょうか。あなたの持つ穏やかな灯を、私の魔力を触媒として、この小さな空間に灯していただきたいのです……)


私は、回復しつつあるマナの雫を、愛おしむように丁寧に紡ぎ出した。精霊のありのままの性質を尊び、その「おこぼれ」をいただくような慎ましやかな詠唱。すると杖の先端から、焚き火のような赤みを持った柔らかな光がじわりと広がり始めた。それは視覚的な明るさ以上に、肌を撫でるような直接的な「熱」を伴っていた。


「ほう。随分と器用なことをするようになったな」


ガブが感心したように呟く。


「これでも、少しずつ魔力との付き合い方が分かってきたのよ。でもこれだけじゃ足りないわね」


魔法による暖房は、私の集中力が切れるまでの暫定的な処置だ。極限まで体力が削られている今の私たちには、もっと直接的な「生の熱」が必要だった。私は少しだけ躊躇った後、隣で丸くなっているガブの方へ膝をついて寄り添った。


「ガブ。失礼するわね」

「なんだよ……うわっ、お前、冷たいな!」


私が彼の背中に密着すると、ガブは驚いて跳ね起きた。けれど拒絶するような動きはしなかった。ゴブリンの体温は人間よりもわずかに高く、その筋肉質な背中からは、力強い鼓動と、生きるための熱気が溢れ出していた。


「こうしていれば、魔法を維持する魔力も節約できるでしょ?今は、二人で一つの命だと思って耐えるしかないの」

「へっ。理屈っぽいお嬢様だ。いいぞ、オレのミスリルのふたも風除けに使え」


ガブは私の背後に回り込み、左腕の「ふた」を盾のように入り口側へ立てかけ、私の体を自分の腕と胸の中に引き入れるようにして抱え込んだ。周囲からは、砂嵐の咆哮と、岩が軋む不気味な音が聞こえてくる。けれどガブの胸の鼓動を背中に感じていると、不思議と恐怖は消えていった。


「暖かいわね、ガブ」

「当たり前だ。これでもオレは、お前より過酷な環境を生き抜いてきたんだ。お前みたいに、誰かが温めてくれるのを待ってたお人形さんとは、燃焼効率が違うんだよ」


皮肉を言い合いながらも、私たちは互いの体温を分け合い、砂漠の死線を越えようとしていた。精霊の灯火とゴブリンの体温。それはアカデミーの教科書には決して載っていない、泥臭くも尊い「共生」の形だった。私はその心地よさに身を委ね、少しずつ意識を深い眠りの中へと沈ませていった。


292:過去と未来


砂嵐がわずかに勢いを弱めた深夜。洞穴の中に籠もる熱気の中で、私たちはどちらともなく目を覚ましていた。暗闇の中、ガブの呼吸音だけが規則正しく響いている。寄り添い合う体温のせいで、外の極寒が遠い出来事のように感じられた。


「ガブ。起きてる?」

「ああ。お前が寝ぼけて杖をオレの足にぶつけるからな、目が覚めた」


ガブの声は少し掠れていた。彼は私を離さず、けれど窮屈にならない程度の絶妙な距離感で、私の背中を支え続けていた。


「ねえ。私たちが目指している『楽園』って、どんなところだと思う?」


私は暗闇を見つめながら、ふと心に浮かんだ問いを口にした。


「さあな。黄金が積み上がってて、働かなくても飯が食える場所かもしれないし、あるいは誰もいないただの空き地かもしれない。けど一つだけ確かなことがある」


ガブは少しだけ力を込めて、私の肩を引き寄せた。


「そこにはお前を『出来損ない』と呼ぶ奴も、オレを『魔物』として檻に入れる奴もいない。それだけで行く価値はあるだろ」


過去。それは私にとって、分厚い霧に包まれた窮屈な檻のようなものだった。常に品行方正であることを求められ、自分の意志よりも家名の存続を優先させられた日々。アカデミーでは優れた魔力を持つ同級生たちの背中を追いかけ、届かない自分を呪っていた。あの頃の私は、常に「未来」を恐れていた。明日が来れば、また自分が欠陥品であることを証明されるだけだと思っていたから。


「私、以前は未来なんて、ただの『絶望の延長線』だと思っていたわ。でもあなたと一緒に檻を出てからは……その、少しだけ楽しみなのよ。明日あなたがどんな皮肉を言って、どんな珍しいサボテンを見つけるのか。そんな些細なことがね」


ガブは鼻で笑った。


「お嬢様の楽しみにしては、随分と安上がりになったもんだ。けどリゼ。お前はもう過去の『リゼ・ナントカ』じゃないだろ。お前は今、自分の足で砂漠を歩き、精霊を味方につけてる。それは過去のどんな魔法使いも成し得なかった、お前だけの未来の形だ」


ガブの言葉は、私の胸の奥に澱んでいた過去の残滓を、さらりと洗い流してくれるようだった。戻りつつある私の魔力が、それに呼応するようにチリチリと杖を通じて脈打つ。


(巡りゆく時の精霊たち。そして形を持たぬ未来を司る、静かなる意志よ。私はもう、過ぎ去った昨日に未練はありません。ただこの隣にいる相棒と共に、まだ見ぬ明日をこの目で見届けたい。そのために必要な力ならば、どうか惜しみなく私の魂へと流し込んでください……)


これまでは自分の内側にあるマナだけを頼りにしていたが、今は違う。世界そのものが持つ巨大なエネルギーの奔流を、精霊との対話を通じて「借り受ける」感覚。それが少しずつ、明確な形を帯び始めている。私は自分の内に宿る魔力の質が、劇的に変化しているのを悟った。それは破壊のためではなく、この苛烈な世界と手を取り合うための力だ。


「過去を捨てて、未来を掴む。言うのは簡単だけど、意外と体力がいるわね」

「ああ。だから今は寝とけ。明日の未来を歩くための体力を、今のうちに蓄えておくんだ」


ガブの大きな手が、ポンポンと私の頭を叩いた。私は再び目を閉じ、彼と共に紡ぐ、まだ名前のない未来の夢を見た。


293:リゼの故郷の話


砂嵐の音が、遠くの波の音のように穏やかになってきた頃。手持ち無沙汰になったのか、あるいは死線を共にしたことで少しだけ感傷的になったのか、ガブが珍しく私の「家」について尋ねてきた。


「そういやお前の故郷は、どんな場所だったんだ?あんな、人間が寄ってたかって石を投げてくるような、冷たい場所ばっかりなのか?」


私はかつての記憶の扉を、そっと開けてみた。


「そんなことはないわよ。私の実家がある領地は、緑が豊かで、夏になると小川のせせらぎが聞こえる、とても静かな場所だった」


私は遠い目をしながら、言葉を紡いだ。


「父様は……厳格な人だった。領民からは慕われていたかもしれないけれど、家族には一度も笑顔を見せたことがなかったわ。母様が亡くなってからは、特にね。私に魔力が宿っていると分かった時は、一瞬だけ喜んでくれたけれど……それが『平均以下』だと分かった瞬間の、あの失望しきった瞳。今でも時々夢に見るわ」


ガブは黙って聞いていた。


「私の部屋は、広くて豪華だったけれど、窓には常に格子がはめられているように感じていた。ドレスは綺麗だったけれど、コルセットはいつも私の息を止めるほどきつかった。食事の時間は、ただ食器が触れ合うカチャカチャという音だけが響く、葬式のような沈黙。それが、私の知っている『故郷』のすべてよ」


私は、ガブが寝床代わりにしていた地下牢の檻を思い出した。


「あなたのいた檻と、私の部屋。形は違っても、本質的には同じだったのかもしれないわね」


ガブが、重々しく口を開いた。


「オレの群れも、似たようなもんだった。強い奴が弱い奴の飯を奪い、死んだ奴はただの肉塊として扱われる。情けなんて言葉は、ゴブリンの辞書には一文字もない。けどリゼ。お前の故郷の話を聞いてると、人間の方がよっぽど『呪い』をかけるのが上手いみたいだな」

「呪い……?」

「ああ。『お前はこうあるべきだ』っていう、目に見えない鎖だ。ゴブリンの檻は壊せば済むが、心の鎖は、お前自身が断ち切らないと一生ついて回る」


私は自分の鉄の杖を、優しく撫でた。故郷の緑も、美しい川の流れも、確かにそこにあった。けれど、そこには「私」という個人を認めてくれる温もりは存在しなかった。私が魔法を失敗するたびに、父は私を無視し、使用人たちは同情の眼差しを向けた。あの「哀れみ」の視線こそが、私を一番深く傷つけていたのだ。


「ガブ。私、故郷の景色は時々思い出すけれど、あの生活に戻りたいとは、微塵も思わないわ」

「へっ。なら合格だ。未練を残したまま『楽園』に行っても、お前みたいな繊細なお嬢様は、すぐにホームシックで泣き出すだろうからな」

「失礼ね。私はもう、お嬢様じゃないわ。砂埃にまみれて、ゴブリンと芋を分け合う……誇り高き『魔女』なんだから」


私は自分の魔力がかつてないほど滑らかに、全身の経絡を巡っているのを感じていた。精霊たちとの対話。それは、故郷の冷たい沈黙を埋めてくれる、新しい世界の「言葉」だった。


(故郷の土地を守る精霊たち。もし私の声が届いているのなら、伝えてください。私は今、最高に過酷で、最高に自由な場所にいます。私はもう、あなたたちの加護を必要としないほど、この新しい大地に愛され始めているのだと……)


私は心の中で、遠く離れた過去へと訣別の挨拶を贈った。夜明けは近い。砂嵐が去った後の砂漠には、きっと昨日よりも鮮明な「今」が広がっているはずだ。私はガブの腕の中で、その新しい朝を静かに待ち続けた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ