第9話 恋のライバル(?) SIDE:ノルベルト・ベルンシュタイン
俺がこの村に来て、数日が経った。
もう一人で湯を沸かせるようになったし、一人で朝起きれるようになった。
村の地図も頭に入ってきたし、村人たちの顔も覚えてきた。
アベルの後方で頼まれごとを聞くだけだったのが、ものを届けるなどの簡単なおつかいはひとりで任せられるようになった。
「ノルベルト、この布をカローラの家にお願いします」
「わかった。これは?」
「結婚式で使うドレスになります。花嫁の大切なものなので、汚さないでくださいね」
渡された箱には白い布がずしりと入っていた。
王都では完成形のドレスを見たことがあるが、この村では布から作り出すらしい。
……結婚か、いいな。
気づかれない程度に口角を上げた。ここに来るまでそんなものに興味なんて無かったけれど、不思議と羨ましく感じてしまった。
「カローラ。アベルから、ドレスの布だ」
「まあ! ありがとうございます、ノルベルト様。ここまで迷わなかった?」
「地図くらい読める」
カローラはころころと笑った。
最愛の娘が嫁に行くからだろうか、イキイキしているように感じる。
「うちの子も結婚なんてねぇ。もらってくれて、ポールには感謝しかないわ」
「きっと幸せになるだろう」
ふたりの馴れ初めは知らないが、聞いている限りかなりのドラマがあったに違いない。
その困難を乗り越えて結ばれるのだ。幸せになるに決まっている。
はっきりと言い切ると、カローラは噛み締めたように「そうね」と呟いた。
「ノルベルト様は結婚を考えたりしないのかしら」
「いや、………正直、俺もよくわからない」
「どうして?」
「……昔は、したいとも思わなかったんだが」
「あら、今は?」
カローラはいたずらっ子のように笑った。その瞳は俺の心をお見通しのようだった。
「……羨ましいと思う、ようになった」
ぼそっと呟くと、カローラはカラカラと笑った。
「アベル様は全部おひとりで抱え込んでしまうから、どなたか信頼できる方が近くにいるといいなって思ってたの」
「……今、アベルの名は出していないだろう」
「あら? 違うの? ご自分の気持ちには素直になったほうがいいわよ?」
その言葉は、娘の大恋愛をそばで支えてきた母の含蓄があった。
俺は頬が熱くなるのを感じる。
俺の心がこんなにも誰かに察せられてしまうのは初めてだ。
リュトムスに来てたった数日なのに。この村の人たちは不思議だ。
自分でもうまく言葉にできない感情が筒抜けになっているなんて。
「応援してるわ、あなたたちのこと」
カローラの笑顔に見送られて、俺は教会に戻った。
「ノルベルト! いいところに戻りましたね」
「アベル、どうした?」
教会に戻った途端、アベルは少し焦ったように俺に声をかけた。
懺悔室の前には村人が三人ほど待っている。今日も相談で忙しいらしい。
「この箱をクラウスの所へ運んでくれますか。来週使うのですがうっかりしてて。早めに準備してほしいとお伝えください」
アベルは教会の隅に置かれた木箱を指さした。
中身はナイフやフォーク、スプーンなどのカトラリーが入っている。細かな銀細工が綺麗だ。日常的に使うものではなさそうだ。
来週なにかあるのだろう。俺は「わかった」と木箱を持ち上げた。
「ナイフ、危ないですからね。お気をつけていってらっしゃい」
アベルが微笑んで俺を送り出す。
心臓が不意に跳ねて、ぎこちない返事になってしまった。
「あんたさぁ、いつ王都に帰んの」
木箱を運んできたと伝えた途端、クラウスは苦い顔で俺を迎えた。
クラウスは村でも数少ない職人だ。おそらく俺とそれほど年は変わらないが。
農具や陶磁器などの日用品や、銀細工なども幅広く扱っている。王都でもトップクラスに高い技術を持っているように見受けられる。
職人気質なのか…というわけではないだろう。クラウスは俺が来るといつも舌打ちをする。アベルがいるときはまだ表情には出さないが、今回のように一人の時は俺に対して辛辣な態度をとる。
「まだ怪我が癒えてない」
「こんなに村を走り回っといて?」
「王都は遠い。片道でも一週間以上かかる」
「嘘つけ、全部知ってんだぞ」
何を、と小さく零してしまった。
背中に冷や汗が伝う。
「あんたもアベル様狙ってんだろ? 綺麗だもんな。だから帰らないんだろ?」
アベルの名前が出て、ぎくりとする。唇の端が引きつった。
……というか、「も」ってなんだ。他にもいるのか。
眉根を寄せてクラウスを睨むと、クラウスはふっと鼻で笑った。
「でもあのお方は難易度高いからな? 鈍感だし、無自覚だし、博愛主義だし」
「……そんなの知ってる」
「それはよかった! まあ、早く怪我を治せよ? そんでさっさと王都へ帰れ」
「残念だったな。まだ治らない予定だ」
シッシ、とばかりに邪険にされるが、俺も強気で応じる。
……本当は怪我なんかとっくに治っているが。あと少しだけ。せめて、あと、一、二週間くらいは。
クラウスは「ふーん」と興味なさそうに視線を向ける。
「別にあんたの傷なんかどうだっていいけど」
「……なんだ」
クラウスはキッと俺を睨んだ。
「アベル様を傷つけたら許さないからな」
やや駆け足で教会へ戻る。
もう陽は傾き、空はオレンジ色に染まっている。
いろいろな雑用を任されると一日はあっという間だ。
ーーーアベル様を傷つけたら許さないからな
クラウスの言葉がずっと脳裏に刺さっていた。
俺がアベルを傷つけるなんてことあるわけないだろう。と、その場で叫んでもよかったのだが。
なぜだか言葉が上滑りするようだった。
アベルはたまに、俺にどことなく壁を作っている。……ように感じる。
例えば、夜、入浴が終わった後とか。朝、寝起きで頭が働かないときとか。
アベルはさりげなく俺の視界を外れようとする。
気が緩む瞬間を、俺には絶対に見せない。
たしかに、道に倒れていた謎の大男と同居するのだ。警戒して当然だ。しかもあれほど美しいのだから。
……とは、わかっているのだが。
俺が村人ではないからとか、そんな上辺の理由ではないように思える。
心の奥底ではその壁を寂しいとも感じてしまった。
「ノルベルト! お帰りなさい。疲れたでしょう」
アベルが笑顔で迎えてくれた。教会の掃除の手を止め、俺に駆け寄ってくる。
村人からもらったお土産を手渡すと、アベルは目を輝かせる。
「りんごジャムですね! マーヤのジャム、美味しいんですよね」
「……好きなのか」
「ええ、好きです。ノルベルトは?」
ジャムを手に、アベルはにっこりと微笑む。
その表情に胸が苦しくなって、唾を飲み込んだ。
「…………好き、だ」
いまは、言葉を濁してしか伝えられないけど。
いつか、伝えられるようになりたい。
……アベルが、俺に心を許してくれるときは、くるのだろうか。
明日は夕方〜夜ごろ3話分投稿しますー
アベルがとうとう恋に落ちるフェーズに…!
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