第8話 恋愛経験? 秘密です
朝。
俺は懺悔室で眠るノルベルトを叩き起こした。そして身支度をさせ、教会を開ける。
今日は八時きっかりに鐘を鳴らせた。朝からスムーズに事が運ぶのは幸先がいい。
心地の良い朝日を全身に浴びながら、神に祈りを捧げる。
この国では太陽神・プリマを信仰している。光の温かさは神の恵みであるという教えだ。
毎朝八時に太陽の方角に向かって祈りを捧げる。
この村に来るまで、俺はプリマ神のことはよく知らなかった。人間が信仰している宗教だと耳に挟んだくらいで。
だから、ここに来た当初はすっごく困った。聖職者として振る舞うには、教会の聖典を読み、理解し、人々に伝えなければならない。
……いろいろあったなぁ。おかげで多分、今はそのへんの聖職者よりプリマ神について詳しいと思う。
(ーーープリマ様、どうか。今日も一日、何も問題がありませんように)
「正しさ」を説くべき神父が偽物だなんて、プリマ様もお怒りに違いないけれど。
こうして神に祈るのは願掛けにも近かった。
「アベル」
朝のお祈りが終わると、ノルベルトが声をかけてきた。
ノルベルトはそれほど熱心な信徒ではないようだ。文献によれば、毎朝のお祈りをするのは田舎だけらしい。
「ノルベルト、どうされました」
「今日は何をするんだ」
「ああ、今日は村人の家庭訪問が中心ですね。午前に二軒、午後に三軒」
「お、俺は……」
「んー。あ、じゃあ荷物運んでください。結構重いんですよね」
「……! わかった! なんでも任せてくれ」
ノルベルトは妙に張り切っていた。
俺は内心、ラッキーだと感じていた。
今日みたいに相談中心の日は村中の家を歩き回ることになる。
教会にいちいち戻ってくるのは面倒だから、必要な道具は全て大きなカバンに入れている。薬やらでめちゃくちゃ重い。ひょろひょろの俺は毎日息を切らして運んでいた。
大量の荷物が入ったカバンを、ノルベルトはひょい、と持ち上げる。
嘘だろ、結構重いのに。男としての格の違いを見せつけられたようだ。少しだけ悔しい。
ノルベルトが誇らしげに俺に微笑む。
……まあ、いい荷物運びが手に入ったと思うことにしよう。
「神父様、あの、娘が……、フローラがポールと結婚を決めたんです」
「まあ! おめでとうございます。あのフローラが……」
「神父様には本当にもう……、ご迷惑ばかりおかけしたけれど、おかげさまで」
「いえいえ……まあ、色々ありましたねぇ。ケンカしたり、家出したり……」
村人の一人、カローラ宅に家庭訪問に来たところ、衝撃的なニュースが飛び込んだ。
フローラはこの村の十八歳の少女で、まあ一言で言うとお転婆娘だった。気が強いが天邪鬼な性格で、幼なじみのポールのことが好きだがずっと素直になれなかった。
この村に来たときは、彼女は思春期真っ盛りの少女だった。
彼女の相談に何度のったかわからない。ポールとケンカしたと言って村を抜け出して、必死に探したこともある。
そうか、あのフローラが……。と、妙に感慨深くなってしまった。
「では、結婚の準備を進めなければなりませんね。式はどうしましょう」
「そうですね……。春には式を挙げたいです」
「それがいいでしょう。ちょうど冬支度も始まる頃ですし、タイミングもいいですね」
「……あの子のドレスを作れるなんて、思いもしなかったわ」
カローラは目頭に涙を浮かべる。
この村では母親が娘の結婚式のドレスを繕う慣習がある。
カローラの夫は若くして亡くなっており、ひとりで娘を育て上げた。
大切な一人娘が嫁に行くのだ。
「お任せください。素敵な式にしましょう」
教会に帰るまで、俺とノルベルトはのんびりと会話して歩いた。
一日中村人の相談にのっていたから、時刻は夕方に近い。
今日は重い荷物を運んでないからそれほど疲れていない。幸せな報告もあって気分はハッピーだった。
「アベル、楽しそうだな」
「ええ! フローラが結婚なんて……私まで嬉しいのですよ」
「……ふふ、親のようだな」
「あの子には本当に手を焼きましたからね。フローラの相談にのるのも大変でした」
「どんな相談だったんだ?」
「そうですね、ざっくり言うと恋愛相談ですかね」
「恋愛相談?」
ノルベルトが驚いた顔で俺を見る。
王都の聖職者はあまり立ち入った相談をしないのだろうか。
「ええ」と軽く返すと、ノルベルトはやや神妙な表情をした。
「そんな変な相談じゃないですよ。胸がドキドキするんだけどどうしよう、とか。次第に、ああ、この子恋をしてるんだなー、って分かってくるんですけど。もどかしくってたまらなかったです」
フローラの相談を思い返して、くすっと笑った。
思春期の女の子の相手は大変だった。俺の方がハラハラしてしまったくらいだ。
「……アベルは、その……そういった、経験はあるのだろうか」
「恋愛相談のですか? まあ若い人の悩みって恋が中心ですからね」
「いや、相談じゃなくて……れ、恋愛の……」
「恋愛?」
俺が恋愛なんかできるわけないだろ。そんな暇ないし、それどころじゃない。
魔物の村にいたころだって恋愛なんて考えたこともなかった。
……が、ここで正直に「ナイ」というのはよくない。これは経験則で知っている。
村人にも俺の過去の恋愛を聞いてくるひとはいたけど。恋愛相談を受ける側に恋愛経験がないなんて知られたら、アドバイスしても聞いてくれなくなる。だから。
「秘密、です」
こうして意味深に笑うことで、勝手に「ゼロではないのだな」と思わせることができる。嘘はついてないから許してくれ。
ちらりと見上げると、ノルベルトは渋い顔をしていた。
「この村か」
「秘密ですって」
「じゃ、じゃあ、過去、この村に来る前……」
「秘密です。詮索禁止」
ぐう、とノルベルトは唸った。
『待て』はちゃんとできるんだな。うん、やっぱり大型犬だ。
俺はなんだか面白くなってカラカラと笑った。
「そういうノルベルトはどうなんです? それほどに格好いいのなら引く手あまたでしょう」
「かっ……こ、いいと思うか、俺が」
「格好いいんじゃないですか。お顔も整ってますし」
「べ、別に……そんな、……」
顔を真っ赤にして、ノルベルトは唸る。ふふ、照れているな。
王都の騎士で公爵家の坊ちゃんともなれば、無数のアプローチがあってもおかしくない。
「この村に来る前、たくさんの女性に言い寄られたのでは?」
「べつに、ない」
「あら、そうなんですね。ノルベルトのタイプってどんな人なんです?」
「え…………っ、と」
ノルベルトは顔を赤くしながら視線をきょろきょろとさせる。動揺してるな。
ふふ、俺の過去を詮索しようとした罰だ。
「優しくて、みんなに頼られて、一生懸命で、高潔で……美しい、ひとだ」
ノルベルトはぼそぼそと聞き取れない声で呟いた。
ノルベルトのタイプを脳裏に描いてみる。
……なんだかハードル高いな。面食いで、かつ性格もいいとか。夢を見すぎじゃないだろうか。
「そんなひといるんですか?」
「いる」
「ホントですか……? 騙されてるんじゃ」
「近くで見てれば分かる」
ノルベルトはそれだけ言うと口をつぐんだ。
俺もつられて口をつぐんでしまった。
こんなに言い切るくらいだから、きっと具体的な人物が頭に浮かんでいるに違いない。
片思いか両想いかはわからないけど。王都にでもいたんだろうな、そういうひとが。
でも意外だ。ノルベルトに恋愛のイメージはなかったな。
……なんかちょっと、もやっとした。
ノルベルトは恥ずかしそうに黙り込んだ。
これ以上純粋なノルベルトを詮索してやるのは可哀想なので、咳払いをして話題を区切る。
「ノルベルト。この村では結婚は一大イベントです。村全体で祝い、豪勢なパーティーをします」
「……そうか」
「儀式の準備も多いです。私も忙しくなるからーーー」
「で、では! 俺も手伝う!」
……忙しくなるから先に寝てろとか、先に食べててくれ、と言うつもりだったのに。
ノルベルトは前のめりで遮った。結婚式に興味を持ったのだろうか。
まあいいか。人手は多いほうがいい。
「ありがとう、ノルベルト。あなたが手伝ってくれて助かりますよ」
微笑みかけると、ノルベルトは顔を赤くして頷いた。
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