第7話 貴族の坊ちゃんのド田舎スローライフ③ SIDE:ノルベルト・ベルンシュタイン
………寒い。
アベルとの同居が始まったと喜ぶのもつかの間、俺は狭い懺悔室で寝ることとなった。
懺悔室は教会に備え付けられている、薄い壁で隔てられた小さな部屋だ。
入口側には懺悔する村人側のスペースと、ついたての向こうに神父が座るスペースがある。
俺は村人側の空間の椅子をどかし、布団を敷いて寝ていた。
藁でできた布団は硬い。あと、石造りで全体的に冷たい。
アベルと一緒に寝たかった、とまでは言わないけど。
もう少し近くにいたかったというのは嘘ではない。距離でいえばすぐ近くではあるのだが。
懺悔室からアベルの部屋は歩いてすぐだが、隔てる壁は厚かった。
薄い毛布にくるまって目を瞑る。
……アベル・パストア。
俺を救ってくれた神父様。
今日一日、アベルを近くで見てわかったことがある。
このお方は、真摯に村人に向き合っているのだと。
青空教室では子どもたちの目を見て絵本を読み聞かせていた。
村人の相談事も、どんな些細なことでも丁寧にアドバイスをしていた。
帳簿をつける横顔も、この村の未来を真剣に考えていた。
俺は後ろをついてまわるしかできなかった。
アベルが村人の話を聞いているとき。
ひとりの女性が俺に声をかけてきた。
「アベル様を追っかけるのは大変でしょう? ノルベルト様」
「ああ、そうだな。ここで三軒目だ」
「この村で一番忙しいのはアベル様なんですよ。みんななんでも相談しちゃって。いつ休んでるのかしらってたまに不安になるくらい」
「……そうだな」
「だから、ノルベルト様。アベル様のお手伝い、よろしくお願いしますね」
「ああ。……リュトムスの人は、アベルのことが好きなんだな」
奥さんはにっこりと笑った。
すれ違う村人もみな、アベルのことを大切にしているのが伝わってくる。
ここは暖かい村だ。
家に帰ってから、アベルは風呂の入り方を教えてくれた。
俺はベルンシュタイン家に生まれて、幼少の頃から複数の家庭教師をつけられた。
剣術や乗馬だけでなく、数学や言語、哲学、幾何学、天文学。美術や音楽、ダンスやマナーも。
どれも優秀な成績を収めてきたつもりだが、日常生活をする上で必要な知識ではなかったようだ。
今まで全てを執事や従者に頼んできたことを恥じた。こんな体たらくでよくアベルを手伝いたいなんて言えたものだ。
そんな生活スキルの低い俺にも、アベルは対等に接してくれたように思う。
俺におもねることはしなかった。
次に俺ができるようにと考えてくれた。
王都では「湯を沸かすなど下僕にやらせておけ」とばかりに人に序列をつける。
家柄にあぐらをかいて貴族間の根回しと忖度に従事していた。
今思えば、俺は騎士団のやつらとはあまり馬が合わなかったのかもしれない。妙な選民思想に息が詰まっていた。
この村では、みなが対等で、支え合って生きている。王都では考えられないことだ。
アベルは俺の髪を拭いてくれた。
さすがにあの瞬間は心臓が止まりそうになった。恥ずかしすぎて。
タオルの奥に覗くアベルの顔が近くて、やはり緑の瞳が美しくて、長い睫毛までしっかり視界に入ってしまった。
……それに、「表情豊か」だなんて言われたのは、初めてだった。
今まで聞いてきた俺に対する評価は、冷酷だとか残酷だとか、そういったものだった。
家柄目当てで無数の人間に色目を使われたし、騎士団でも俺に取り入ろうと近づいてくる奴らがたくさんいた。
奴らの浅はかな思惑にうんざりしていたのもある。彼らの前で笑うことなどできなかった。表情を極力殺して、仕事に邁進するようにしていた。
その姿がクールだとか言われて、より嫌になったのを覚えている。
それがまさか、大きなワンちゃんだなんて言われるとは。
……犬というのは少し複雑だが。
『私は表情豊かなあなたが、素敵だと思いますよ』
アベルの優しい笑みが脳裏に浮かぶ。
心臓が早鐘を打った。
アベルは優しすぎる。無自覚に触れてくる。無自覚に笑いかけてくる。
どうしていいかわからない。
すべて善意からの行動だから、この邪な気持ちが後ろめたくなる。
もっとアベルのことが知りたい。
どこで生まれ、何を考えているのか、なぜ聖職者になったのか。
好きな食べ物は、誕生日は。
…………。
こんなにも誰かのことを想うのは初めてだ。
そわそわして、はらはらして、布団の中で何度も寝返りを打った。眠気は訪れない。
アベルに触れられた髪に触れる。不思議と頬が熱を持つ。
もっと、俺にできることはないだろうか。
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