表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

49/54

第49話 鏡の前で

「その石……どう、して」


俺は震える声で尋ねた。


「ヴォーゲンの老婆にもらった。東地区に迷い込んだときに」


ノルベルトは感情を抑えたような声で告げた。

ヴォーゲンの東地区に迷い込んだことは知っていたが、そんなものをもらっていたとは知らなかった。


けど、今、それを身に付けてるってことは。

ーーー俺を疑ってたってことだろ。



「アベル、さっきの言葉はどういう意味だ」



ノルベルトは俺の手を掴んだ。ぎり、と骨が軋むくらいに。

俺は顔を歪める。

距離をとろうとしても、ノルベルトは離してくれない。


「…………っ」

「答えたくないのか」

「…………」

「なら、もう一つ聞きたい。あなたの正体は、一体なんだ」


全身から嫌な汗が滲み出る。

耳の裏が、ぞわぞわと気持ち悪い。

冷静にならなきゃ。なんとか切り抜けないと。


笑おうとしたのに、うまく笑えない。

口角が歪んだように上がる。


「……正体? 意味がよく分かりませんね」

「アベル、」

「私が人間じゃないとでも? ひどいですよ、ノルベルト。私のことを信じてないんですか?」

「そんなことが聞きたいんじゃない!」


ノルベルトが大声を上げた。静かな教会に響き渡る。

俺は視線を逸らさないで、きっと睨み続けた。


……ノルベルトは、俺の正体に気づいてる。


この指輪も、誓いのキスも。

全部全部、俺の正体を露わにするための、

ただの作戦。



(……さすがに、しんどい)



ここから逃げなきゃ。

無意識に呼吸が荒くなる。冷や汗が背中を垂れた。

掴まれている右手は、振りほどくには強すぎる。ぎりぎりと軋んで、痛い。



「アベル。本当のあなたと話がしたい」

「してるでしょう。手を離してください」

「だめだ。アベルの口から聞きたい。正直に話してくれ」

「何をおっしゃってるんだか分かりません」

「……すまない」


ノルベルトは俺の手を掴んでいない方の手で、

勢いよく、鏡にかかる布をとった。


ばさり、と大きな音を立てて。赤いカーテンが落ちる。


とたんに、太陽が反射して

まばゆいばかりの白い光が、俺を包んだ。




「…………っ!!」




焼けるような痛みが全身を走る。

熱い、炎に包まれるような苦痛に、うめき声をあげて、



「ーーーーーあ、」




”真実の鏡”には、カソックを着た魔物が映っていた。


褐色の角が生えて、瞳が赤い。魔物。

紛れもなく、俺の、真の姿だ。




(ーーー逃げなきゃ)




掴まれていた腕を振り払う。反射的に、身体を翻した。

足がもつれそうになる。

でも逃げなきゃ、終わりだ、俺は、



「アベル!」



背後から、ノルベルトが俺を捉えた。

大きな身体で俺の背を包んで、強い力で閉じ込める。


「離せ!」

「アベル、待て、逃げるな」

「やめろ、離せよ!」


身をよじって抵抗する。

けど、何度振り払おうとしても腕の力は強くなるばかりで、

全身が軋むように痛い。



ーーーもう、終わりだ

おれは、



目の奥から涙がボロボロと溢れてきた。

頭が真っ白で。嗚咽が喉の奥からこぼれた。

全身が恐怖で震える。



「アベル、落ち着いて……」

「うるせぇ!」


勢いよく振り回した腕がノルベルトの顔に当たって、鈍い音を立てた。

ノルベルトは顔を歪めて、けれど俺を離さなかった。



「……そうだよ、俺は魔物だよ。人に擬態した、醜い魔物だよ」

「アベル、」

「神父でもなんでもない。この村の人たちも全員騙してた。お前ら全員、今まで、魔物の命令を聞いてたんだよ!」


俺の声が教会に響いた。キンと、耳が痛くなる。

自棄になって笑おうとした。けど、うまく笑えなかった。

涙で歪んで、ノルベルトがよく見えなかった。


脳裏には、処刑台のレベッカが焼き付いていた。

たくさんの騎士たちに囲まれて、目を焼かれた姿。

悲鳴、歓声、足音。

俺の末路も、同じだ。



「……殺せ」

「アベル、」

「早く殺せよ!」


声を枯らすくらいに怒鳴った。

ノルベルトは眉根を寄せたまま、俺を離さない。



………もう、疲れた。

逃げるのも、嘘をつくのも。


どうせ、もう、逃げられないのなら、

偽りの俺でもそばにいてくれた、

お前に殺されるなら、もう、


全身の力が抜けた。

うつむいて、泣く気力すらなくなった。




「アベル、落ちついて」

「……落ち着けるかよ。俺が、……俺が、魔物だって、気づいて、たんだろ」

「……確証はなかった」


ノルベルトは俺の身体を後ろから強く抱きしめた。

俺は力が入らなくて、もう、なすがままだった。

しんと静まる教会に、俺のすすり泣く声が響く。


「無理やり姿を暴くような真似をしてすまない」


ノルベルトがそっと俺の髪を撫でた。

その手つきは優しかった。こんな生死をかけた場なのに、妙にあってない気がした。

振り返り、瞳だけでノルベルトを見上げる。


「本当のあなたと話がしたかった。それだけなんだ」


ノルベルトは苦しそうに告げた。

俺は眉根を寄せる。


「……こんな魔物と何を話すつもりだったんだ」

「その姿でないと、俺の気持ちは伝わらないと思った」

「は?」


ノルベルトは後ろから抱きすくめていた体勢を戻して、俺を真正面から抱きしめた。

背中に手が回る。力は強いけれど、なんだかこの場に似つかわしくないくらいに、慈しむようで。


例えるなら、そう。

愛しいものを離さないような。

そんな手つきだった。



「俺は、あなたが魔物でもかまわない」



俺は目を見開いた。

とっさにノルベルトの胸板を押しのけようとする。

距離を取りたくても、背中に回った手は強く俺を掴んでいた。


「……俺はずっとあんたを騙してきた」

「騙されてなんかない。あなたは、みなに実直に向き合ってきた」

「何言ってるんだよ! 俺は、俺は魔法で姿を……っ!」



俺が叫んでも、ノルベルトはじっと俺の声を受け止めていた。



「魔法で偽りの姿だったとしても。俺は、俺たちは。あなたにずっと救われてきた」



俺は目を丸くする。

救うだなんて、そんなことをしたつもりはない。

ノルベルトは言い聞かせるような口調で続けた。


「あなたは、毎朝早く鐘を鳴らし、相談にのって、村を守ってきた。ここに来てから、俺はずっとあなたを見てきた」


ノルベルトの回した手が、ぐっと力を増した。

その声は優しくて、心がぐらりと、動いてしまいそうで。


「……そんなの、この村に馴染むためだよ。俺が、俺が、ただ、生き延びるためだけで」

「だとしても、あなたの行動に嘘はない」

「……でも、おれは、……神父の立場を利用して、みんなを言いくるめて……」


カソックを握った。固い布がくしゃりと音を立てる。

――この服だって、村人に無理やり直させた。俺が、頼みこんで。



「もし、あなたが信頼に値しないと思われていたら。どれだけ魔法を使っても、村人はあなたの言うことを聞かなかっただろう」



ノルベルトの声に、視線を上げた。

苦しそうな瞳は、俺をしっかりと捉えていた。

突っぱねていたはずの手が、緩みそうになって。

ノルベルトの服をぎゅっと掴んだ。



「肩書きじゃない。あなたが、一緒に、一生懸命悩んでくれるから。だからみんな、"神父"じゃなくて、"アベル"を信じているんだ」



言葉に詰まる。

なにか、いわないと、いけないのに。

ノルベルトの声が優しくて、包まれるようで。

胸が熱くなって、

気道に何か詰まってるみたいに、苦しくて。

……許された気になってしまう。


うつむく。

頬に幾筋もの涙がこぼれる。

泣いてる場合じゃないのに、次々にこぼれてくる。


許されちゃ、だめなのに。




「……俺は魔物だ」

「それがどうした。俺はヴォーゲンでたくさんの魔物を見てきた。親切な魔物もいれば犯罪を犯すものもいた。そんなの人間も同じだろう」

「……角もあって、瞳も赤い。醜い。こんな姿、嫌われるに決まってる」

「俺は好きだ」


ノルベルトは俺の顔を上げて、頬に伝う涙を拭った。優しい手つきだった。

俺の瞳を慈しむように見つめて、微笑む。


「緑の瞳も綺麗だったが、赤色も似合っている。どちらも素敵だ」

「は……。こん、な……」

「あなたが笑ってくれるなら、あなたの瞳が何色だっていい」

「なに、言ってんの、あんた」


顔を背けようとする。

けど、大きな手が離さなくて。

目を逸らすなんて許さないとばかりに。




「アベル。俺は、あなたを愛してる。この気持ちはあなたの本当の姿を知っても変わらない」




真剣な表情で、ノルベルトは告げた。



「他ならぬ、あなただからこそ、これからも共に人生を歩みたいと思っている」

「……え、」

「結婚の返事を聞かせてほしい」


澄んだ青い瞳に俺が映っていた。

緊張しているのか、少しだけ俺の頬に添える手が震えてて。


……どういうこと。

俺は口をぽかんと開けて、ただ、見上げた。





「……俺を捕まえるための、作戦だったんじゃないのか」

「は?」

「いや、結婚……なんて、俺をおびき出す、ただの口実、かと……思って、」

「そんなわけないだろう!」


ノルベルトが慌てた様子で叫んだ。

そして、深いため息を吐いて、がくりと肩を落とした。


「そんな理由で家宝の宝石を指輪にするわけないだろう」

「あ、そ、そっか……そう、だよな」

「あなたは……そう。いつもそうだ。俺の気持ちをわかってくれない」

「えっと……ごめん、」


俺が魔物だって分かったとき以上にダメージを受けているようだ。

大型犬だったら耳が垂れている絵が浮かぶ。つい可哀想になってしまった。


「……えっ、と……ホントに俺でいいの? 俺、そんないい子ちゃんじゃないよ。神父の時はいい人のフリしてたけどさ」

「あなたの口が悪いことくらい気づいてる」

「はっ!? え、い、いつから」

「結構前。帳簿をつけているときの口調は輩のようだ。目つきも鋭いし。機嫌が悪いときは分かりやすい」

「え、そ、その……ごめん。見せるつもりじゃなかった。その……え、そ、それでもいいの? 俺、……」

「別にいい。それもあなただろう。むしろ、素のあなたを見られたようで嬉しかった」


ノルベルトはまっすぐに答えた。

嘘はない、だろう。



ノルベルトの言葉をじっくりと噛み砕く。


思い返せば、いつだって、俺にずっと同じことを伝えてくれていた。

信じてほしい、頼ってほしい、と。

ずっと俺のことを心配して、そばにいてくれて。


この姿を見ても、変わらない、のなら。


手がかすかに震えた。

本当は、まだ、怖い。人間を信じるのが。

今まで人間にされてきた仕打ちが、脳裏に焼き付いているから。



……でも。


左手の薬指に目をやった。青い宝石が輝いている。

ノルベルトがこれを用意したのは、確かに、それなりの覚悟が必要だっただろう。



"騎士"や、"人間"でなく。

ずっと俺のそばで、抱きしめてくれて、

支えてくれた、ノルベルトだったら。



「ノルベルト」



顔を上げた。

まっすぐと、青く光る瞳を見つめる。

心臓が、高鳴るのを感じる。




「俺は、あなたを信じる。こんな、俺で、よければ、……俺も、あなたと、一緒に、いたい」




声が震えた。

所々言葉に詰まって、うまく言えなかったけれど。


ノルベルトは目を丸くして、そして、くしゃっと笑った。



「あなたがいい」

「……うん」



ノルベルトは頬に手を添えて、首を少し傾けて。

俺は目をつぶった。


唇に、そっと柔らかい感触がした。




教会の、真実の鏡の前で。

嘘がつけないこの空間で、愛を誓う。



俺が心の奥底で願っても羨んでも

手に入れられないと思っていた、

”誓いのキス”だった。

次回、エピローグ。

ブクマ&評価、よろしくお願いします!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ