第48話 相対する
翌朝。五時。
俺は朝早く起きて行動を開始した。
今日は八時にノルベルトの"用事"がある。
そのあとで村を離れる予定だから、一日ハードスケジュールだ。
シャロンにもらった薬を飲んで、魔力を増強する。
リュトムスの朝は静かだ。
まだ村人たちも起きていないのか、誰の声もしない。
朝の空気はツンと冷たい。起きたばかりだけれど頭が冴えてくる。
太陽が昇る。空が白んで、眩しい。
教会へ向かった。
まずは鏡を片さないといけない。
手を掛けると、鉄製の取っ手は冷たかった。
ぎい、と、鈍い音を立てて扉が開く。
ノルベルトが、教会の中央に立っていた。
俺は息を呑んだ。
時刻はまだ五時半で、約束の時間にしては大分早いのに。
「……ノルベルト、早いですね」
俺は急いで笑顔の仮面をつけた。
……なぜこんな時間に。
嫌な予感がする。全身がこわばった。
笑顔だけは崩さないようにしたけれど、手が少し震えてしまう。
「……ああ。アベルも早いな」
「クラウスは八時にあなたが来るとおっしゃってましたが。もしかして、私、時間を間違えてしまいました?」
「いや、あってる。……俺が待ちきれなかったんだ」
ノルベルトは眉を下げて微笑んだ。
心なしかノルベルトの服はいつもよりきちんとしているように見えた。パーティーの正装とまではいかないが、それくらい整えているのが分かる。
俺は訝しみながら絨毯の上を歩く。
柔らかい絨毯は昨日、フローラたちが歩いたものだ。
ノルベルトは鏡の前で立っていた。
鏡には布が掛けられているが、一刻も早く片してしまいたいのに。
心の中で舌打ちをする。
「そんなに待ちきれないなんて。私に何の用なんです?」
教会の中心は、天窓から光が差し込んで明るい。
ノルベルトは「あー」と、何かを言いよどむ。視線があちこちに泳ぎ、全身から緊張が伝わってくる。
「昨日のフローラの結婚式、お疲れ様」
「ありがとうございます。一大イベントですからね。成功してよかった」
「神父としてのアベルも立派だった。……見とれるほどに」
「そこは主役のおふたりを見てあげてくださいよ。せっかくなんだから」
クスクスと笑うと、ノルベルトは照れたように唇をきゅっと噛んだ。
……なんだか、懐かしい。こうしてノルベルトとお話をするの。
最近はあんまり一緒に話す機会もなかった。久々の暖かい雰囲気に、胸がぎゅっと締め付けられる。
「前に……冬に入る頃だったか。フローラの結婚準備をしていた頃。アベルに、結婚式について聞いたことがあっただろう」
「ああ、ありましたね。リュトムスの結婚式は特徴的ですよ、って話でしたよね」
「アベルは結婚式に憧れがあるって言っていた」
「よく覚えていますね、そんなこと」
「ああ。昨日のふたりを見て、俺も羨ましく思った。教会で、皆の前で指輪を交換するのはやはり美しいな」
ノルベルトは鏡を見上げる。
その横顔は優しい。昨日のふたりを思い返しているのだろう。
確かに美しかったな。これからの人生を共に歩もうとする相手と約束を誓うのは。覚悟と信頼が垣間見えて。
羨ましくて、……少し切なくなる。
「だから俺も、ここであなたに渡したかった」
ノルベルトは懐から、小さなケースを取り出した。
しなやかな指で箱を空ける。
「……え」
箱の中には、指輪が入っていた。
銀色のリングに、青い宝石が輝いている。
上品で美しい形をしていた。
「これ、は、」
「クラウスに作ってもらった。早く渡したかったから急がせてしまったが。そのせいで、ここのところはずっとクラウスの工房へ通っていたんだ」
「……これを、作っていたのですか」
「ああ。まあ、雑用もやらされたがな。クラウスが指輪作りに専念できるよう、ほかの修理は俺がやったり」
「……すごいですね」
俺は信じられなくて、口をぽかんと開けてしまった。
まさか俺に隠れて……指輪を作っていたなんて。
まじまじと指輪を見つめる。
急いで作ったというわりに、傷ひとつなかった。丁寧に磨き上げられ、繊細な美しさを醸し出している。
青い宝石はなんだろう、どこで買ったんだろう。俺は宝石に詳しくないから見当もつかなかった。
「この宝石は、俺の剣の装飾に使われていたサファイアを加工した。ベルンシュタイン家に代々伝わる宝石だ。……それなりの意味を持っている」
おずおずとノルベルトの顔を見上げると、ノルベルトは真剣な、覚悟を決めたような顔をしていた。
俺はまだ、現実感がなかった。
こいつは何をしているんだ。
どうしてそんな貴重なもので指輪を作ったんだ。
どうしてそれを、俺に。
何から聞けばいいのか分からない。聞きたいことがぐるぐると、頭の中を駆け巡って。
言葉を紡げないままノルベルトを見つめる。
ノルベルトがそっと俺の手をとる。
そして、左手の薬指に指輪をはめた。
白い指に銀色が滑る。
青の光がきらりと収まって、
最初からここにあったかのように、馴染んでいた。
「……これ、は、その……」
「結婚指輪のつもりだ」
「こん、な、立派なもの。わたしなんか、」
「あなたにもらってほしい」
ノルベルトが俺の手を握り込む。
大きな手だった。温かくて、優しくて。
ずっと、俺の側にいてくれた手だった。
「俺はあなたを一生愛すると誓う。俺と共に生きてほしい」
ノルベルトの握る力が強くなった。
青い瞳が、俺を貫いて離さない。離してくれない。
真剣な表情だった。
軽い気持ちだとか、冗談だとか、そんなことは全くなくて。
……心臓がうるさく鳴っていた。
泣きそうになって、目頭が熱くなって。
頬が熱くなって、うまく息ができなくて。
ーーーやっぱり、好きで。
何でこんな日に、こんなこと言うんだよ。ばか。
いつだってノルベルトはマイペースで、でも俺のことをずっと見てて。
素直に、まっすぐに自分の気持ちを伝えてくれて。
今だって、何の言葉も紡げない俺を、じっと待ってくれている。
唇を噛み締める。
ノルベルトの気持ちが痛いほどに伝わってくる。
嬉しい、悲しい、胸が痛い、切ない、苦しい。
好き。
……。
「ありがとうございます。嬉しい、です」
「……よかった」
「こんな大切なもの、私にくれる、なんて。想像も、してなかった、から」
涙をこらえて笑った。声が震えてしまう。
天窓から差し込む光に指輪をかざす。
太陽の光で、青い石が虹色の光を反射する。
眩しい。目を奪われるほどに。
ノルベルトが俺にくれた、世界に一つだけの指輪。
「キスしてくれませんか?」
「……え」
「誓いのキスですよ」
ふっと微笑みかけると、ノルベルトは頬を赤くした。慌てる様子は可愛らしくて。
おぼつかない手つきで、俺の頬に手を添える。
首を少し傾けて、そっと、唇を重ねた。
柔らかくて、温かくて。懐かしくて、愛おしくて。
何度だってキスをしてきたのに、この瞬間だけは特別で。
唇が離れ、ノルベルトは俺を愛おしそうに見つめる。
俺は微笑んで、彼の頬に手を添えた。
じっと瞳を見つめる。
青い瞳が俺を映している。
たくさんの愛が込められて、幸せに輝いている。
ーーーー愛してますよ。
どうか、あなたに幸あらんことを。
俺はそっと唇を開く。
そして、
『あなたは、私を、忘れる』
”洗脳”の魔法を、掛けた。
小さく呟いた言葉が、ノルベルトに届いて。
「ーーーーーっ!?」
ばちん、と弾かれる感覚がした。
「…………え、」
「……アベル」
俺はたじろいだ。何が起きたのか、わからない。
"洗脳"の魔法はどうなった。いや、これは……。
ノルベルトは俺の顔を、苦しそうな表情で見下ろしていた。
俺は顔を引き攣らせる。視線が泳ぐ。
ふと、鈍い光が目に留まり、息を呑んだ。
全身の血が、一気に抜けていくような感覚。
ノルベルトの首元で光っている。ブローチだ。
紫色に、怪しく、鈍く光る石は。
”魔法”を無効にする、石だ。
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