第47話 どうか、お幸せに
フローラの結婚式は明日に迫っていた。
俺は教会の設営に追われていた。
丁寧に磨き上げた床に、赤い絨毯を敷く。椅子にはレースの刺繍がされた布をかける。花を飾り付けると、式場は一気に華やかになった。
ステンドグラスから差し込む光が、教会を色とりどりに照らす。
中央に”真実の鏡”を設置した。
新郎新婦は明日、この鏡の前で指輪を交換する。
今、鏡は重厚な赤いカーテンで覆われていた。両手を広げても届ききらないくらい大きく、見上げると首が疲れるくらい高い。
……いくら布がかかってるとはいえ、自分を破滅させる道具がすぐそばにあるのは、どうしようもなく怖かった。
「アベル、ここにいたのか」
ノルベルトが背後から声を掛けてきた。
クラウスの所で手伝いでもしていたのか、頬に煤がついている。
「……ええ。明日はフローラの結婚式ですからね。その準備を」
「これは?」
「”真実の鏡”ですよ。明日はこの前で結婚式が執り行われます」
ノルベルトは鏡を見上げて、「そうか」とだけ呟いた。
「布はとらないのか」
「神具なので。使う時にだけとることにしています。だから、手を触れないでくださいね」
俺がにっこりと笑うと、ノルベルトは頷いた。
赤いカーテンは太陽の光を存分に受けて、圧倒的な存在感を誇っている。
ふたり並んで、無言で鏡を見上げた。
「アベルに伝えたいことがある。聞いてくれるか」
ノルベルトは低い声で切り出した。
俺はちらりと視線を隣に向ける。
「なんでしょう。今でしたら、比較的時間がありますが」
「……まだ準備ができてなくて。早くとも明日になってしまう」
「明日は一日忙しいですからね。明後日でしたら」
「では、明後日。時間をくれ」
ノルベルトが俺の瞳を見つめた。青い瞳は力強かった。
わざわざ改まって伝えたいこととは何だろう。
わからない、けれど。
……その時が勝負だな。
この男は危険だ。
この男は正義にあふれる騎士だ。姿を騙っている魔物など許さないだろうし、腕が立つから逃げるのも難しい。敵に回ったら一番の障害になる。
村人たちより先に、一番にノルベルトに”洗脳”をかけよう。
「承知しました。時間、空けておきますね」
俺はいつもと同じ笑顔を向けた。
ノルベルトはほっとしたように顔を綻ばせる。そして、教会を出ていった。
翌日。
フローラは美しい花嫁衣装を身に纏っていた。
緊張した顔で固まって、「うまくいくかな」と呟く。手が冷えていたので、握って熱を分け与える。
「大丈夫ですよ」と繰り返すと、少しだけ顔色が戻った。
十時前になる。俺は式場の後方にある壇上へ向かい、全体を見下ろした。
鏡の前にはポールが立っていた。こちらも緊張しているのか、いつもの柔らかな笑顔は強ばっている。
華やかな式場には、村人全員がおめかしをして集まっていた。そわそわと楽しみそうに、今か今かと式が始まるのを待っている。
十時になり、結婚式が始まる。
フローラは母の手を取って、赤い絨毯に足を踏み入れた。まっすぐな瞳は緊張の色が見えるが、覚悟も持ったようだった。カローラの表情は晴れやかだった。
……ふたりで式に参加させることができてよかった。
フローラたちはポールの待つ鏡の前に到着し、カローラはフローラを新郎に任せて、自分の席に戻る。
俺は布に括り付けられているロープを引く。
赤い布がするすると上がり、巨大な鏡が姿を現した。
村人たちが息を呑む。
すべての祝福を受けるように、鏡は太陽の光を反射する。式場全体が虹色に明るく輝いた。
「ただいまより、神と人々の御前にて、ふたりの誓いの儀を執り行います」
俺は鏡の後ろに立って、厳かな声で告げる。
式場はしん、と静まりかえった。
「新郎、ポール・シュナイダー。新婦、フローラ・ブラウン。汝らは、喜びの時も苦しみの時も、互いを支え、愛し、信じ合うことを誓いますか」
ふたりの「誓います」という声が重なった。
俺は微笑んでふたりを見下ろす。続きのセリフを口にする。
そして、ふたりは指輪を交換し、誓いのキスをした。
割れんばかりの拍手が響き渡る。村人たちは、ふたりを精一杯に祝福した。
フローラは恥ずかしそうに、でも誇らしげに立っていた。ポールはいつもの柔らかい笑顔に戻っていた。
……よかった、あれだけ相談されたキスが成功して。
フローラはポールの手を取る。ふたりで俺と鏡に一礼した。
ぱっとあげた顔はふたりとも晴れやかで、希望に満ちあふれていた。
式が終わると、広場でパーティーが始まった。
村中から持ち寄ったごちそうと、色とりどりのドレスで楽しそうだった。
みんな、すっかり盛り上がっていた。子どもたちは走り回っているし、おじさんたちはお酒が回っているし。青年たちの賑やかな歌声が広場に響く。
フローラとポールはみんなの中心で、祝いの言葉を浴びせられていた。
俺は鏡に布を掛けてから、遅れてパーティーに参加した。
広場に到着した途端に村人に声を掛けられて、輪に入る。ジュースのグラスを手渡され、一口飲む。
気づかなかったけど喉が渇いていた。やっぱり俺も緊張してたようだ。
「アベル様!」
フローラが駆け寄ってきた。
結婚式用のドレスではなく、やや簡素で、でも華やかなドレスだった。
「フローラ、がんばりましたね。素敵な結婚式でしたよ」
「えへへ。でしょ? 私だってやればできるんだから」
「ふふ。誓いのキスも成功してよかったです」
「もう! 忘れてよ! あのころは一杯一杯だったんだから!」
フローラが顔を赤くしてぷんぷんと怒った。俺は面白くて、からからと笑う。
気が強くてめんどくさくて、でもいつも俺を頼ってくる、フローラ。
色々あったけれど、こうして結婚した姿を見られてよかった。なんて、保護者みたいなことを考えていた。
「アベル様、あのね。……私、アベル様にたくさん迷惑かけてきたと思うんだけど」
「どうしました? 急に」
「私、ずっと私たちを見てくれたアベル様に伝えるんだ、って思うと、うまくできた気がするの」
フローラはにっこりと笑った。
「だから、ありがとう、アベル様。アベル様が結婚式を執り行ってくれてよかった」
俺は、一瞬、手が震えた。
フローラの笑顔は輝いていた。
涙が目頭まで届いてしまいそうで、必死に耐えた。
大きくなったなあ、とか。この笑顔が見れてよかった、とか。
神父だって嘘ついていてごめんね、とか。
俺を信じさせちゃってごめんね、とか。
嬉しいのか、申し訳ないのか、悲しいのか。わかんない。
俺は、もうすぐ、村を出るけど。
みんなは俺のことを忘れるけど。
「……幸せになってくださいね、フローラ」
涙をこらえて精一杯の笑顔を向けた。
ふたりを祝福する気持ちだけは、本物だ。
ノルベルトは今日、クラウスの所へ泊まるそうだ。
人手が足りないからノルベルトを貸してほしいと、パーティーが終わったあとにクラウスが頼みにきた。
確かに、ふたりはパーティーも前半しか参加していないようだった。
「そんなに忙しいのですか。何かありましたか?」
「あ……いや、別に……えっと……」
クラウスは目を泳がせる。
……何を隠しているのか。ノルベルトが言っていた"準備"も気になる。
眉根を寄せると、クラウスは慌てて続けた。
「あ、いや、その、ここのところ立て込んでて。みんなに依頼された修理が追いついてないんだ。それだけ。あいつがいると助かる。あいつ、意外と覚えが早いし」
「……そうですか」
「そう! だから、やましいこととかじゃなくて……その、アベル様には、申し訳ない、んだけど」
「構いませんよ。ご無理なさらないでくださいね」
俺はにこりと微笑んだ。いつも通りのつもりだったけれど、表情はどこか、固くなってしまった気がする。
俺に言えない"準備"ってなんだ。なんで俺の家じゃなくて、クラウスのとこにいるんだ。やっぱり俺なんかよりクラウスといたほうが楽しいのか。とか。
……考えても仕方ない、けど。
「あ、あと、ノルベルトから伝言。『明日は八時の鐘が鳴ったあとに教会に行くから、待っててくれ』って」
「……わかりました」
意外と早いな。俺は表情を変えずに返事をした。
クラウスは、ぐっと歯を噛み締めて、俺の瞳を見つめた。
「明日、あいつの話、ちゃんと、聞いてやってほしい」
その瞳は力強くて。
少しだけ、たじろいでしまった。
「……もちろんですよ」
そう返すと、クラウスはほっと胸を撫で下ろしていた。
……やはり、明日、何かある。
俺に言えない"準備"とやらが関係しているんだろうか。クラウスを巻き込んでいるなら、何かの道具を作っているのか。
もしかしたら、俺を捕獲するための……。
(……いや、考えすぎか。俺を魔物だと思っているなら、クラウスはもっと警戒してるはずだし。俺の討伐なんか、ノルベルトひとりで事足りるはずだし。
……でも、だとしたら、何だ?)
唾を飲み込む。口の中が、異様に渇いていた。
……明日は早く行動を開始しよう。
俺も"準備"が必要だ。
ノルベルトの用事が何であれ。
そのあと、俺は村を出なければならないのだから。
次回、「相対する」
ブクマ&評価、よろしくお願いします!




