第46話 それだけ
リュトムスに春が近づいている。
雪は溶け、大地に緑が見え始めた。
朝方は薄い霧がかかる。太陽の光に乱反射して眩しい。
村人たちも外で活動をし出す。種を蒔き、洗濯物を干し、語り合う。
羊や山羊たちも草地を走り、のどかな鳴き声が聞こえる。
……いつもの、なんの面白みもない景色も。
もうすぐ見納めだと思えば、かけがえのないものだと思えた。
「アベル様、どう? どう?」
「素敵ですね、フローラ。よく似合ってますよ」
「でしょ! ふふふっ! よかったぁ!」
カローラの家で、フローラが結婚式用のドレスの試着をしていた。
白を基調にした柔らかい布に、裾には花や鳥が施されている。母親のカローラが幸せを願ってモチーフを刺繍したのだ。
ふわふわの栗毛はまとめられ、白い首が露わになる。やんちゃで、いつまでも少女のイメージがあったけれど、こうしてドレスを着るとひとりの女性なのだなと改めて感じる。
「サイズもぴったしね。あとは汚さないでいてくれたらいいのだけど」
「あのね、ママ。私だってもう子どもじゃないのよ? 自分の結婚式くらい大人しくするわよ」
「ふふ、どうだか」
カローラはフローラの姿を見て満足そうに微笑んでいた。口では色々と言っているが、やはり嬉しいのだろう。
フローラの結婚式は三日後に行われる。
秋から始めた準備は功を奏し、あとは当日の手順の確認やパーティーの準備を行うだけになった。
フローラはドレスが気に入ったのか、リビングの中心で裾をひらひらとしていた。
やっぱりまだ子どもかもな、と内心思うけれど、晴れ舞台に立つ衣装なのだ。それくらい喜んでいると俺も嬉しい。
「当日は十時に式が始まりますから。お化粧のために八時には教会に来てください。フローラ、寝坊しないようにね」
「するわけないでしょ!」
「はいはい。式の後は別のドレスに着替えますからね。そちらも忘れないように」
「わかってるわよ! もう! 子ども扱いして!」
フローラがぷんぷんと怒る。カローラと俺は二人して笑った。
それから細かい式の内容を打ち合わせする。
新郎のポールが先に教会で待ち、あとから新婦が絨毯を歩いて新郎の元へ向かう。
通常であれば父親が新婦をエスコートするが、フローラの父は亡くなっている。
母親であるカローラがエスコートをすることになっていた。
「ねえ、神父様。やっぱり……私が、フローラをエスコートして、いいのでしょうか」
カローラが不安げな瞳でぽつりと呟いた。
「なぜ?」
「だって、その、……新婦をエスコートするのは男性だって、よく聞くから。私でいいのかなって。村の男の人に頼んだほうがいいかしら」
カローラが眉を下げて不器用に笑った。
この国は、いまだに男性優位の側面がある。母親は後ろから子どもを支えるもので、表舞台に立つべきではないという、古い考えがあることは否めない。
この村の人は母親が新婦のエスコートをすることに抵抗を抱かないだろうが、自分が行うとなると気になるのだろう。
「それか、ポールと一緒に入場してもらおうかしら。その方が見栄えがいいかしら」
「そんなことありませんよ」
「神父様は忙しいとはわかってるけど、……本当は、神父様にエスコートを頼みたいくらいよ」
「……気持ちは嬉しいですが」
カローラは不安げに視線を落とす。
……俺はカローラの手をとった。小さな皺が刻まれた、立派な女性の手だった。
ドレスの刺繍という集中力の要る作業を、ずっと娘のために行ってきた。その大変さを俺は知っている。
「私は、あなたにフローラをエスコートしてほしいです」
俺は極力優しい声になるように伝えた。
「フローラをずっと近くで育ててきたのは、カローラ、あなたでしょう。やんちゃで可愛いフローラが、好きな人と家族になるのです。他でもない、あなたが支えてきたからですよ。性別なんて関係ありません」
カローラが俺の瞳を見つめる。目頭には少し涙が浮かんでいた。
「わ、私、ママにエスコートしてもらいたい!」
フローラが叫んだ。
涙目になって、顔が赤くなって、必死で叫んでいた。
「他の男の人なんて、いや! 女の人だって嫌よ! だって、私はママの娘として、結婚式に出るんだもの! ずっと、ずっと、ママと暮らしてきたんだもん! ママじゃないと、いや!」
涙がボロボロ零れて、すっかり子どものように泣きじゃくっていた。
ドレスで顔を拭うわけにもいかないから、涙も鼻水もだらだら流してしゃくりあげる。
カローラは泣きじゃくる娘をそっと抱き寄せて、ごめんね、と繰り返した。カローラの肩口に顔を押しつけて、フローラはぎゅっと母親の服を掴む。
ひとしきり二人は泣いて、顔を真っ赤にして、謝りあっていた。
その姿は、誰がなんといおうと、美しい母娘の姿だった。
泣き止んだふたりは、目を腫らして笑い合った。
「もうすぐ式なのに、こんなことで不安になるなんて馬鹿みたいね」と、カローラはこぼす。その表情は晴れやかだった。
「……素敵な結婚式にしましょうね」
俺が微笑みかけると、ふたりは嬉しそうに頷いた。
フローラの結婚式が終わったら俺は村を出る。
ヴォーゲンから帰ってきて、ずっと決めていたことだ。
リュトムスを出て、ヴォーゲンの北西の街に向かう。パディアンという街だ。
俺は行ったことがないからよくわからないが、魔物の比率はヴォーゲンより高いようだ。俺でも暮らしやすいかもしれない。ミカエラの妹を訪ねて相談することにした。
どちらにせよ、もう神父の姿とはおさらばすることになる。
フローラの結婚式が終わったら、俺は村人にかけていた”洗脳”を解く。
それだけだと村人は混乱してしまうから。
『この村に"神父"はいない。すべて村人たちで協力をして村を運営してきた』という”洗脳”をかける。
もし俺のことを嗅ぎつけて騎士団のやつらが来た時、みんなに俺の記憶があったら迷惑がかかるから。
俺のことは、忘れてもらうのが一番いい。
……ノルベルトにも”洗脳”をかけなければ。
彼にはもともとなんの魔法もかけていないが、ひとりだけこの村に残されたら気持ち悪いだろう。
みなと同じく、俺に関する記憶を消す"洗脳"をかける。
逃走の時間稼ぎでもあるし。
それに……これは。俺の、償いだ。
人間の姿を騙って、嘘をついて、
……好きになってしまったことへの。
ノルベルトには、こんな愚かな魔物のことなど忘れて、普通の幸せを手に入れてほしかった。
村の誰かと結婚してもいいし、王都に戻って貴族の娘を娶ってもいいし。
結婚しなくても、誰か他の、心許せる仲間が近くにいてくれるなら、それで。
ノルベルトとは、ヴォーゲンから帰ってきてから、少し距離が空いた気がする。
いつも一緒に行動していたけれど、最近はノルベルトひとりで行動をしている。
今日もノルベルトはクラウスの所へ行っているらしい。
ここのところずっと、ノルベルトはクラウスの所へ顔を出していた。朝から晩まで、何か急ぎで作ってるようだ。
何をしているのか聞いても必死に隠すばかりで。
……まあ、こんな怪しい神父なんか、見限ったのかもしれない。
教会に戻り、俺はひとり、居住スペースで荷物の整理をする。
置いていくものと持っていくものを選別しなければ。長距離を移動するなら、できるだけ身軽にしておいたほうがいい。
小さなカバンを手に取った。
本棚に目をやった。
薬草の本や医学の本は置いていった方が村人のためになるだろう。税制度の本も、もう俺が申告書を書くことはなくなるし。
これらは村で活用してもらおう。
キッチンに目をやった。
木の食器はクラウスに作ってもらったものだ。使い心地がよくて安心する。
りんごジャムは、毎年マーヤがくれるものだ。甘くて、さっぱりしておいしい。
でも、かさばるから、置いていこう。
雑貨棚に目をやった。
時計、香り袋、子どもたちと遊ぶおもちゃ。ミアにもらった花冠のドライフラワーもある。ピンクの花は美しい形を保っていた。
ふっと、みんなとの会話を思い出して笑みをこぼした。
でも、ほとんど、村人と使うものだったから、
もう、必要ない。
椅子に掛けてあるマフラーを手に取った。
冬の間に、ノルベルトが編んでくれたものだ。俺の隣でずっと唸りながら作ってくれた。
初心者だから編み目はガタガタで、ほつれかけているけど。温かくて、柔らかくて、気に入っていた。村を歩くときはずっとつけていた。
でも、……もうすぐ、暖かく、なる、から。
おいていく、しか、ないかな。
机の上には、ペンにランプ。メモ書きや聖書、関連書が散らかっている。
聖書にはノルベルトにもらった栞を挟んでいた。
ランプの光できらりと銀細工が輝いている。繊細な模様は何度見ても感動する。
いつも持ち歩く聖書に挟んで、彼の存在を感じていたけれど。
聖書を閉じる。栞はそのままにしておいた。
……だって、もう、俺が聖書を使うことはない。
そもそも、俺みたいな魔物が、プレゼントなんか、もらっていいわけない。
部屋を見渡した。
……どれも、この村の思い出が詰まっていた。
楽しかったこと、辛かったこと。悲しかったこと、面白かったこと。些細なこと、どうでもいいこと。
数年前にこの部屋に来たときは、ほとんど何もなかったのに。
いつのまにか荷物が増えてしまったみたいだ。
全てを持っていきたくて、全てを置いていきたくなった。
ーーーあーあ。
俺って、こんなに、弱かったっけ。
結局、俺の荷物は小さなカバンひとつに収まった。
数日分の食料と、衣服。金、地図。それだけ。
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