第45話 帰還
馬車は速いスピードで荒野を駆けた。
道は荒く、石に車輪がとられてキャビンが揺れる。積荷が動く度に肩を震わせてしまった。
長い道のりだが、会話はなかった。
両膝をかかえて小さく縮こまる。
ずっと握っていたからか、カソックはしわになっていた。
何も考えられなかった。
俺はこのあとどうすればいいんだろうとか、村に帰った後どうしようとか。
色々、考えなきゃいけなかったけど。
レベッカの瞳が焼かれる姿が、ずっと脳裏に焼き付いていた。
「アベル、着いた。降りろ」
「あ、りがとう、ございます。シャロン」
シャロンに声をかけられ、咄嗟に顔を上げる。
キャビンから出ると、リュトムスの村が少し遠くに見えた。
狼男は村だと目立つ。村人を驚かせないように遠くに馬車を置いたのだろう。
ノルベルトが荷物を下ろす。
その後ろで、シャロンが俺に耳打ちをした。
「彼は騎士だろ」
「……ああ」
「大丈夫なのか。もし、」
「わかってる。なんとかする」
シャロンは心配そうな瞳を俺に向けた。
もし、俺も騎士団に売られたら。と、考えているのは分かる。
だって俺も道中、そればかり不安に思っていたから。
シャロンがさりげなく俺に小瓶を手渡した。紫色のどろりとした液体が入った瓶だ。
俺は一瞬だけ視線を向け、すぐカソックに忍ばす。
魔力増強剤だ。一定期間、使える魔力を増やす薬。
……いざとなったら、これを使え、ということだろう。
俺は微笑んで、視線でお礼を言う。
シャロンは小さくうなずいた。伝わったみたいだ。
「アベル、荷物は全て下ろした」
「ありがとうございます、ノルベルト。では帰りましょうか」
声をかけられ、俺は微笑んで答えた。少し調子を取り戻せたようだ。
「シャロン、送っていただきありがとうございました。道中疲れたでしょう」
「気にするな。ミカエラの命令なら仕方ない」
「ふふ、そうですね。では、私たちはここで失礼します。お礼は次にお会いするときに」
シャロンはまだ心配そうな瞳をしていた。
けれど、「ああ」とだけ呟いて、馬車の御者台につく。
「ミカエラによろしく」と俺は軽く手を振った。
シャロンは口元を緩めて馬を動かす。
馬車はゆっくりと動き出し、来た道を帰っていった。
「……私たちも帰りましょうか」
「ああ」
「大変でしたね。まさか、騒動に巻き込まれるとは」
普段の調子に戻さなければ。
俺は上辺の笑顔を向ける。
カバンに手を伸ばそうとした瞬間、ノルベルトが俺の手を取った。
「……あなたは、」
ノルベルトの青い瞳が俺をじっと見つめる。
その表情は、躊躇っているようでもあり、苦しそうでもあった。
続く言葉は、想像ついたけれど。
……俺は白々しい笑顔を崩さなかった。
ぎこちない沈黙が俺たちを包む。
荒野の中、乾燥した風が冷たかった。
「……いや、なんでもない。帰ろう。リュトムスへ」
ノルベルトは不器用に笑った。
そして、手元のカバンを代わりに持って、先を歩いた。
リュトムスに着くと、村人たちが迎えてくれた。
おかえりなさい、神父さま。大変だったでしょう、
長旅お疲れさま。ヴォーゲンの街はどうだった?
いつも聞いていた優しい声に、涙腺が緩みそうになる。
背筋を伸ばして、笑顔を浮かべた。
みんなに心配かけさせてはいけない。
「お迎えありがとうございます。ヴォーゲンは楽しかったですよ。みんなのお土産もありますから。あとで配りますね」
村人たちは嬉しそうな声を上げた。
子どもたちが足元に来て、カソックを引っ張る。
「しんぷさま、絵本はー?」「おかしあった?」とキラキラした瞳で尋ねる。
しゃがんで、頭を撫でて、「ありますよー」と、笑いかける。子どもたちは飛び跳ねた。
教会に戻り、"お使い”で買ってきたものを皆に配る。
買い物メモを手に、列に並んでもらって手渡した。
お菓子を配ると村人たちははしゃいでいた。
神父様、ありがとうございます、と、たくさんお礼の言葉を言われた。
……よかった。喜んでくれて。
俺は上辺の笑顔をずっと貼り付けていた。
手が震えるのを、必死で隠しながら。
家に戻り、ノルベルトと夕食をとった。
いつもよりぎこちない空気が立ちこめている。核心に触れないまま、表面だけをなぞるような会話が続く。
……聞きたいことはわかっている。ヴォーゲンの街で起きた騒動のことだろう。
ミカエラのことは人間だと思っているかもしれないが、シャロンは明らかに魔物の見た目をしていた。なぜそんな繋がりがあるのかと考えれば。
……俺自身に疑いが向いてもおかしくはない。
「アベル、今日は早く休め。疲れただろう」
けど、ノルベルトは聞かなかった。
それが気遣いなのか泳がせているだけなのか。考えればキリがないけれど。
俺はいつも通りの笑顔で、何も気づいていないふりをした。
どう説明すればいいかわからなかったし、嘘を重ね続けるのにも、少し疲れていた。
ちゃぽん、という軽い水音が浴室に響いた。
温かい湯にひとりで浸かる。ランプの光がゆらゆらと浴室を照らしていた。
念のため”変化”の魔法を掛けたままにしていた。
ノルベルトを疑っているわけではないが、今は魔物の姿になること自体が怖かった。
手を動かす度に湯が揺れる。映っている自分の姿も歪んでいく。落ちる水滴の音が耳に残った。
レベッカは目を焼かれた。
魔物に対する見せしめの処罰が行われることは、噂では聞いていた。
軽いものであれば”変化”の魔法を解かされ、『私は人間を騙しました』と書かれた木の板を首から提げられるもの。殴る蹴るの暴行や、髪を切られたりもするらしい。
”目を焼く”処罰は、死刑の次に重い罰といえる。
特に俺たちみたいな姿を変える魔物にとっては。
”変化”の魔法は、自分がどんな姿になるかを明確にイメージする必要がある。
視力を失えば自分のイメージが掴めない。生成されるイメージが崩れると、”変化”後の姿は醜く歪んでしまう。
過去に、視力を失ったサキュバスが自分の形を保てなくなったのを見たことがある。
”洗脳”や”魅了”も、”目”で認識できなければ魔法は掛けられない。
つまり、目を焼かれたレベッカは、もう魔法を使えなくなったと言っても過言ではない。
”目を焼く”罰は、見た目以上に残酷な処刑なのだ。
(もし、もし、俺が。魔物だって知ったら。
俺が、みんなを騙してたって、知ったら。
村のみんなは、ノルベルトは……)
想像して、全身が震えた。
レベッカの末路は、俺の末路でもある。
温かい湯の感覚も無くなって、身体の奥底から冷えてくる。
髪に滴る水が冷たい。目に入って、沁みた。
……俺の正体を知られたら。
もうこの村にいることはできないし、それどころか、その場で殺されても文句は言えない。
だって、姿を偽るのは”罪”だから。
ーーーもう、潮時、なのかな。
思えば、この村に来たのだって偶然だったし、ただの腰掛けだったはずなのに。神父だってなりたくてなったわけじゃない。
そもそも、リュトムスの人たちは俺の被害者だ。"擬態"と"洗脳"の。
彼らのためにも。俺はここにいてはいけない。
……そんなこと、ずっと、わかりきってたのに。
涙がボロボロと零れた。
目頭が熱くて、歯を食いしばった。
俺、思ったより、この村が好きだったみたいだ。
笑いかけてくれる村人も好きだし。みんなの相談も、大変だったけど叶えてあげたくなったし、頼ってくれるのは嬉しかったし。
みんなのために調べるのだって、大変な事務仕事だって、たくさん歩き回るのだって。
俺、楽しかったんだ。
でも、だめ。もう、終わりにしないと。
みんなに迷惑を掛けたくない。
場所を移動して、別の、仕事をしよう。
もっと身の危険のない仕事。
ミカエラの妹に会いにいこう。
別の名前で、別の顔で、もっと、迷惑をかけない生き方を、しよう。
そう、俺はただの魔物なんだから。
顔を手で拭う。
涙はお湯に紛れて分からない。
水面に映る姿は揺れていた。
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