第44話 脱出
※残酷描写注意
「じゃあ、さっさと行きなさい。掃討作戦は東地区からだと思う。大通りはまだいけるはずよ」
「わかった」
手渡された紙をぐしゃりと握り締める。
最悪、リュトムスを離れた後もなんとかなる。命さえあればなんとかなる。
大丈夫。焦る気持ちを必死に抑えて、何度も自分に言い聞かせた。
突然、ミカエラははっと目を見開いた。
その瞬間、背後から勢いよく腕を掴まれた。
「アベル!? なんでこんなとこにいるんだ!」
ノルベルトが、息を切らして叫んだ。
……どうして。
俺は呆然としながらノルベルトを見上げた。
掴まれている腕が痛い。顔を歪めると、ノルベルトは腕の力を少し緩めた。
「朝、起きたらアベルがいなかったから。心配した。黙って出ていかないでくれ」
「あ、……ごめん、なさい」
「いや、……いい。俺も動揺していた。すまない」
ノルベルトは荒い呼吸を整えた。
ミカエラに目を向ける。二人はじろりと視線を合わせた。
「……ミカエラ、だったか。何かあったのか」
ミカエラは小さく舌打ちをする。
ノルベルトは変わらず鋭い視線で睨みつけていた。
「……サキュバスが、人間を騙していたらしい。騎士団の方々がおっしゃってたわ」
ミカエラは眉根を寄せて語った。淡々とした口調で。
「それを受けて、魔物に対する攻撃を始めるらしい。けっこう大事になりそう。魔物が反撃してくる可能性がある。ここにいたら騒動に巻き込まれるわ。だから、早く街を出なさいってアベルに教えにきたのよ」
俺は唇を噛んだ。
……魔物を悪者にしなければ人間に納得されないのは分かっている。
けど、騎士団の暴力を受けたミカエラに、こんな説明をさせてしまったことを申し訳なく感じた。
「……そうか。教えてくれてありがとう」
「いい。それより、さっさと出たほうがいいわよ。北西の荷馬車乗り場にアタシの知り合いがいる。彼が馬車を出してくれるわ。急いで」
「わかった」
ノルベルトに手を引かれ、俺は走った。
顔だけで振り返ると、ミカエラはぎこちない笑顔で笑っていた。
『きをつけて』
声に出さないで、口を動かしていた。
俺は小さく頷いて、『きみもね』と、返した。
急いでホテルに戻り、支度をする。神父の服に身を包む。荷物は昨日まとめている。
チェックアウトを済ませ、大通りに出た。
朝は早いが、街ゆく人たちは行動を始めていた。広い通りは観光客や店員が歩いている。
まだ街は日常の延長線にあるようで、特に昨日と変わったところはない。
ノルベルトの半歩後ろで、背中を追う。
ノルベルトは険しい表情であたりに視線を配っていた。警戒しているのだろう。
俺はカバンのひもを握って、うつむきがちに歩いた。体中が強ばっている。
俺たちは無言だった。ひたすら荷馬車乗り場までの道を歩いた。
広場に差し掛かる。荷馬車乗り場はこの先だ。
……おかしい。
人が異様に集まっていた。
人混みを避けようとしても避けきれない。
中央では騎士がずらりと列になっていた。後ろに手をくんで、背筋をピンと伸ばしている。
この街で、こんなに騎士が集まるのを見たことがない。
ノルベルトも驚いたのか、少したじろぐ。
「何か知っているか」
「……すみません、何も」
急ごうとしたけれど、人に遮られ、歩みは止まってしまった。
噴水に目をやる。水が止まっているから違和感があるのか。
そして、”それ”が目に止まって、息を呑んだ。
噴水の前。
古びた木で組まれた台がある。即席で作ったのだろうか、昨日はなかった。
その上に、レベッカが立っていた。
俺は叫びそうになるのを、必死でこらえた。
ーーー”見せしめ”の刑だ。
レベッカは後ろ手に縛られ、頭を下げていた。服はボロボロで泥や血がついている。
頭には角が生えている。サキュバスの姿をしていた。
……”真実の鏡”を見せられたのだろう。
「皆のもの! ここにいる魔物は、人の姿を騙り、高潔な騎士を欺き、精神を惑した大罪人である!」
台の上に立っている騎士が、大声で叫んだ。近くで立っている通行人がざわざわと反応した。
うごめく音が気持ち悪い。体中に、嫌な汗が垂れた。
「邪悪な魔法によって、汚らわしい姿を偽っていたのだ! こんな悪が許されていいはずがない!」
騎士は大衆に向かって続けた。
通行人は台の上の少女を見つめる。
にやにやと下衆な瞳で。不幸を面白がるような表情で。正義を信じるような視線で。
レベッカが顔を上げる。
瞳は赤かった。腫れて、痛々しくて。
レベッカ、と、声をかけそうになる。
つい先日、バーで一緒に話した、レベッカ。楽しそうに話す顔が可愛らしかった、レベッカ。明るくて、はきはきして、恋をしていた、ただの少女なのに。
台の上で身じろぎもせず大衆を見下ろしていた。表情は抜け落ちていた。泣いているのか、泣き疲れたのかはわからない。
「よって今ここに、人と国を守るため、厳正なる裁きのもと罰を下す!」
騎士はレベッカの頭を掴み、無理やりひざまずかせた。
騎士は鉄の棒を握った。先端がオレンジに光っている。白い煙も出ていた。
遠目にも、高温で熱せられているのが分かった。
……俺は、その光景から目が離せなかった。
騎士は、レベッカの頭を掴んで、そして
赤い瞳に、その鉄の棒を押しつけた。
「…………っ!」
広場にレベッカの悲鳴がこだまする。
必死に身をよじり、叫んで、暴れる。
騎士はもう片方の目にも鉄の棒を押しつけ、目を焼いた。
俺は顔を覆った。
聞きたくない、見たくない、
手が震えた。足も震えて、うまく立てない。
レベッカの悲鳴が脳を揺さぶる。
近くに立つ通行人は、歓声とも言える声を上げていた。
耳を塞いでも塞ぎきれないくらい、
「アベル、行こう」
ノルベルトが俺の手を取った。そして、人の波をかき分ける。
肩や腹に通行人の手が当たる。けど、ノルベルトが盾になって走った。
息が切れる。頭が真っ白になる。涙でにじんで、よく見えない。
ずっと、レベッカの悲鳴が頭から離れなかった。
「アベル! こっちだ」
北西の荷馬車乗り場に着いたら、シャロンが待っていた。ノルベルトを見て一瞬目を丸くするも、ぐっと眉間に力を入れて何も聞かなかった。
ノルベルトも、シャロンの耳と尻尾を見て顔を強ばらせた。
狼男だとは思わなかったのだろう。だって、ノルベルトは”魔物が暴動を起こすかもしれない”と聞いていたのだから。
「あなたは」
「俺はシャロン。ミカエラの店の従業員だ。……リュトムスまでアベルを運ぶよう指示されている」
ノルベルトは「そうか」とだけ呟いた。そして、手にしていた荷物をシャロンとともに馬車に積んだ。
「荷物はこれだけか」
「ああ。馬の操縦はあなたが?」
「そうだ」
シャロンは頷く。
そして、キャビンの後ろの布をたくしあげ、顎をくいっと上げた。乗れという意味だろう。
俺は木の台に足を掛け、キャビンに乗った。ぎしぎしと嫌な音がする。さっきからずっと動悸が止まらない。
荷物が奥に積まれている。隣に座ると、ノルベルトも乗り込もうとした。
「ちょっと、そこのひとたちー! すみませーん!」
突然、声をかけられた。知らない声だ。
恐怖からか、口の中が急速に乾いていく。
声がした方に目を向けた。中からはよく見えない。少し移動して、外の様子を伺う。
騎士団の格好をした男が数人こちらに向かっていた。
ノルベルトが振り返り、話しかけた人物を睨む。
「なんだ」
「あ、僕たち、クヴァドラート騎士団のものです。ちょっとお話伺ってもよろしいですか? ただいま、人間に紛れ込んだ魔物の捜査をしておりまして」
「……急いでるんだが」
「少しだけですよ。すぐ終わります」
騎士の一人が腰の低い様子で話を続ける。ノルベルトは舌打ちをした。
キャビンからシャロンと目を合わせる。
シャロンは静かに首を横に振った。
……下手に動くと、まずい、か。俺はじっと息を殺した。
「先日、あろうことか、人間のフリをして騎士に近づく魔物が現れたのですよ。サキュバスです。姿を変え、誘惑し、騙していたのです。騎士は立派な精神を持って跳ねのけたのですが。騎士団としては放っておける問題ではないと考えまして」
騎士は堂々と答える。自分たちの行っていることに全く疑いを持っていないような様子で。
俺はキャビンの布をぎゅっと掴む。
そんなわけないだろう、と。叫びたくなるのを必死でこらえた。
「……それで」
「ああ、それでですね! 他にも紛れ込んでいないか捜査しているのです。お名前と、この鏡を見てほしいのですが」
騎士がノルベルトに手鏡を渡した。
ノルベルトがじっと鏡を見る。……当然ながら、何も起こらない。
「これでいいか?」
「ありがとうございます! お名前は?」
「……ノルベルト・ベルンシュタイン。クヴァドラート騎士団、第三騎士団長だ」
ノルベルトは、はっきりした声で口にした。
騎士たちはうろたえた。動揺が伝わってくる。”あの”ベルンシュタイン隊長が、なぜ、と。
俺は胸が痛くなった。
……ノルベルトは今までずっと、騎士団に所属していることを言いたくなさそうだったのに。
どうして。
「そ、そうでしたか! 王都の……! すみません、気づかないで……」
「いや、いい。もういいか?」
「あ、はい……」
騎士たちはへらりと笑った。そのうちのひとりが目を輝かせる。「ベルンシュタイン隊長にお会いできるなんで光栄です!」と、嬉しそうにはしゃいでいた。
「……あれ? お連れ様がいらっしゃいます?」
騎士の一人が、キャビンに目を向ける。そして、ばっちりと目が合ってしまった。
……どう、しよう。
俺はひきつった笑いを浮かべるしかできなかった。
この流れなら、鏡を見せられる。
ノルベルトが捜査に協力したのだから断るのは不自然だ。
逃げるにしても、このキャビンの中だと難しい。
全身から汗が噴き出す。目が回りそうだ。焦りで、うまく呼吸ができない。
「お連れ様にもお伺いできればーーー」という声がして、俺はぎゅっと目をつぶった。
「その服が見えないのか。彼は神父だ」
ノルベルトの凜とした声が響いた。
「あ、で、でも……魔物は姿を……」
「まさか、俺の連れを疑っているのか? ヴォーゲンの騎士はずいぶん立派なんだな。王都に報告させてもらおう。きみの名前と所属は?」
「あ、いや、いい、大丈夫です!」
騎士は、慌てた様子で断った。
ノルベルトはふん、と鼻を鳴らして彼らに背を向けた。堂々とした足取りでキャビンに乗り込む。
シャロンが馬に指示を出した。
がたがたと音を立て、馬車が動き出す。
騎士たちは気まずそうな笑顔を向けて、馬車を見送った。
物語はクライマックスへ。
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