第43話 始まる
その日の夜。
俺たちは近場のレストランで食事を済ませて、荷物の準備をした。
ヴォーゲンの滞在は明日が最後だ。スイーツ食べ歩きのほか、ちょっとした雑貨屋も見たいな。栞のお礼もしたいし。
……何がいいかな。ノルベルト、欲しいものあるかな。
そんなことを考えながら、眠りについた。
早朝。
肌寒さでうっすら目が覚めた。
太陽が昇ってすぐの白い空が窓から見える。
二度寝しよう、と、眠気眼で柔らかい毛布に足を絡めていると。
服に忍ばせていた共鳴石が音を立てた。
ーーーミカエラの緊急連絡だ。
俺は眠気が一気に吹き飛んだ。
この共鳴石を使うということは、”魔物”として俺に連絡するということだ。
心臓がうるさい音を立てる。嫌な予感がする。
隣のベッドに目をやる。ノルベルトはまだ眠っているようだ。
時刻も六時前。街はまだ動き出さないころなのに。
共鳴石を握りしめて起き上がった。
急いで部屋を出る。寝間着でサンダルだ。着替えている余裕はない。
ホテルのフロントを抜け、早朝の路地へ向かった。
ミカエラが待っていた。
「ミカエラ、どうした」
「面倒なことになった」
ミカエラは険しい顔をしている。
昨日と同じく、人間の格好だった。なぜだか頬には赤い痕があった。
「レベッカが逮捕された」
ミカエラはきっぱりと告げた。
………俺は頭が真っ白になった。
レベッカ。おととい、ミカエラのバーで出会ったサキュバスの少女。
「……”魅了”魔法で捕まったのか」
「だったらもっと話は楽だったんだけどね。ちょっと違う。騎士たちが昨日、バーに捜査に来たんだ」
捜査?
なぜ。騎士なんてろくに何もしなかったくせに。
俺が眉を顰めるのを見て、ミカエラはかいつまんで事情を説明する。
レベッカはバーで出会った騎士に恋をして、彼を射止めるために”魅了”魔法を使おうとした。
けれど、できなかった。
やっぱり本当の自分を好きになってほしくて、こんなずるい真似はいけないと気づいた。
あろうことか、レベッカは騎士の前で”変化”の魔法を解いた。
ーーー彼なら、ありのままの私を受け入れてくれると思ったの。
と、レベッカは語ったらしい。
騙されていたと知った騎士は逆上し、騎士団に告発した。
「あの魔物が俺を誘惑したんです」と。
その言い分が採用され、レベッカは『偽貌魔術使用罪』で逮捕された。魔法で姿を変え、人を騙して利益を得る罪だ。告発されたら、ほぼ100パーセント処罰される。
「あの子も馬鹿よね。やっぱり、騎士なんて。……人間なんて信じなきゃよかったんだ」
ミカエラが眉根を寄せて吐き捨てる。
俺は寝間着の裾をぎゅっとつかんだ。
説明は続く。
レベッカが逮捕された後、雇っていたバーに騎士団が乗り込んできた。ミカエラはそこでことの顛末を知った。
高名な騎士という存在がサキュバスなんて低俗な魔物に騙されたと知った騎士団は、プライドをズタズタにされたようだった。
騎士団はバーで、従業員や居合わせた客に尋問した。
「アタシもやられた。この淫売を雇ってるなんてお前も怪しいって。……”真実の鏡”で、"変化"の魔法を解かされた」
「は!? 大丈夫だったのか」
「殴られた。そのときは賄賂を払って出てもらったけど……」
ミカエラが自身の頬に触れ、舌打ちをする。
赤い痕はそのせいだったのか。あざになっていて痛々しい。
「話はここからよ、アベル。いま、騎士団の奴らは街でサキュバス狩りを始めようとしている。もちろん、インキュバスもよ。姿を擬態する魔物全般に対する掃討作戦を練るらしい。騎士団の奴らが話してるのを聞いた」
息を呑んだ。
一瞬、脳がミカエラの言葉を拒否しようとした。
けれど、ミカエラの厳しい視線が現実逃避をさせてくれなかった。
「何が起きるんだ」
「多分、パトロールよ。”真実の鏡”を携帯して、怪しいやつに見せる。三年前にもあった。その時は東地区だけじゃなくて、大通りや街の入り口でも実施された。……荷馬車乗り場もね」
”真実の鏡”。
姿を映した魔物は真実の姿になる。
手鏡サイズだろうが一瞬でも映れば終わりだ。「ちょっと見てもらうだけですから」とか言って、鏡を見せられるのかもしれない。
全身から恐怖がこみ上げてくる。
……荷馬車乗り場まで押さえられるとしたら。
俺は、村に帰れない。
ノルベルトの前で、この醜い姿があらわになる。
「早くこの街を出た方がいい。どのくらいの規模でやるかはわからないけど、こういうときは最悪を想定して」
「わ、わかってる。最悪……街中で、騎士たちが鏡を持ち歩く、としたら」
「アタシたちは終わる。……おそらく、姿をさらしあげられて、殴られて、罰金……。なら、まあ、まだマシな方ね。最悪死ぬ」
ミカエラが深い溜息を吐いた。
焦りでどうにかなってしまいそうなのだろう。
「特にあんた、いま騎士といるのよね」
「……ああ」
「だったら掃討作戦が始まるより先に出た方がいい。始まったらあいつらの味方をするかもしれない」
俺は顔を勢いよく上げた。
ノルベルトがそんなことするわけないだろう、と叫ぼうとした。
けれど、ミカエラの視線が鋭くて。
……俺は唾と共に言葉を飲み込んだ。
「表立って味方をしなくても、あんたが魔物だって知らないなら普通に捜査に協力してもおかしくはないでしょ? 彼、善良そうな青年だものね」
「…………そう、だな。そう。それは、ありえる。……ノルベルトは、優しい、から」
俺は消え入る声になってしまった。
そうか。人を守るという大義があれば、騎士団に協力をするのは当たり前だ。
もし、ノルベルトが、騎士団のやつらに、協力して。俺の姿を、知ったら。
…………俺は、どうすればいいんだろう。
涙が出てきそうで出てこない。焦りと不安ばかりが増長される。
途方に暮れて唇を噛んだ。
すると、広場の方から、どん、どん、といううるさい太鼓の音が響いた。ラッパの音が高らかに鳴る。
朝だというのに。
「……始まる」
ミカエラが広場の方に目を向け、顔を歪める。
「とりあえず、あんたはこの街から出なさい。シャロンが馬車を扱える。早く荷物を積んで。一時間後には出るから」
「わかった」
俺が頷くと、ミカエラは一枚の紙を手渡した。
「もし、このあとヴォーゲンがやばくなったらここに来て。ちょっと遠いけど、ここから北西にある街。アタシの妹が経営してる店がある。あんたのことも知ってるし、なんなら新しい名前を用意もできる」
「……ありがとう。ミカエラは?」
「アタシもやばくなったらそっちに行く。……この街で、どこまでアタシたちが生きていけるか、まだわかんないからね」
「ああ。まずは、ここからの脱出だな」
俺は自分の服を確認した。寝間着にサンダルのままだ。
……怪しい。明らかに急いで逃げ出す魔物の姿だ。騎士団に捕まるに決まっている。
多少街から浮いてても、神父の服を着て、堂々としているほうが人間に紛れるだろうか。
ホテルに戻らなければ。ノルベルトには適当に理由をつけて……。
ミカエラは、ばつが悪そうな表情で告げた。
「あの騎士とは……どっちにせよ、早く離れなさい」
俺は咄嗟に顔を上げてミカエラを睨みつけた。
そこまでしなくてもいいだろ、とか。
ノルベルトが俺を裏切るわけないだろ、とか。
そんな呑気な言葉が脳裏を駆け巡る。
けど、
きっと。レベッカも、こんな気持ちだったのだろう、と。
一瞬にして気づいた。
目を伏せて、拳を丸める。ぎりぎりと、強く。
指が白くなるくらいに。
「……わか、った」
俺は、頷くしかできなかった。
手が震える。
無意識で、ノルベルトと一緒に村に帰る算段を立てていた。
……甘いな。この甘さが命取りだ。
最悪、自分一人でも逃げ出すくらいの覚悟がなければ、生き残れない。
自分は、どうしてこうも、馬鹿になってしまったんだろう。
魔物と人間が一緒にいられるはずがないと、わかってたというのに。
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